雑貨屋ウィークリー1295号

雑貨屋のひとり言

2011年3月11日の震災から10年経ちましたが、まだ10年しか経っていない気がします。ものすごく大きな犠牲を払い、いまだに引きずっている人がたくさんいます。これは決して解決することはないと思います。残念なことですが、私たちはこの経験から危機管理を学ぶ必要があります。自然災害はやむをえないですが、明らかに人為的判断ミスで起こった人災は防がなくてはなりません。日本の政府は最悪の事態を予測して対応するという考え方が苦手なようです。昨年からのコロナ禍での対応をみればそう思います。くだらないことを繰り返す議員のせいで、くだらないことばかりに時間を費やすのはもうやめてまじめに危機管理に時間を使ってもらいたいと思います。日本が今、早急にやるべきことがたくさんあります。はやく正常な国に戻せと言いたいです。

3月5日ニュージーランド北東部でマグニチュード8.1の大きな地震が発生しました。気になるのは10年前(2011年2月22日)にもニュージーランドのクライストチャーチ地震が発生し、その3週間後(3月11日)に東日本大震災(M9.0)が発生していることです。これ以外にもニュージーランドでの地震の後、日本で地震が発生していることが多いようです。今回は関連がないことを祈るばかりです。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川  柳 )

ゴング鳴りあしたのジョーが乗り移る

ハンカチで拭く汗なんて知れたもの

どん底をプラス思考が這い上がる

トレードに出されて水を得た魚

「不言実行」座右の銘を光らせる

(ニュースひとりよがり)

「一都三県宣言再延長」
お彼岸に帰れるかなあ -ご先祖様

「内閣広報官の後任選び」
酒が飲めない人 -菅首相

「ゴーン逃亡の手助け」
三味線をひいた -自称バイオリスト

河合成近

龍翁余話(668)「”あの日“から10年」

日本列島を震撼させたあの地獄絵図は、日本人なら10年経っても絶対に忘れられない、否、“あの日”のことは、絶対に忘れてはならない。2011年3月11日、東日本大震災が発生、巨大津波と東京電力福島第1原発事故という未曽有の複合災害は、関連死を含めて全国で約1万9,600人の命を奪い、未だ2,528人の行方が分かっていない。人々の暮らしと営みが無慈悲に奪われた悪夢の“あの日”から今年3月11日で10年目を迎える。

“あの日”は、東京23区でも震度5強の激震が走った。その時の恐怖を翁は2日後の3月13日に『龍翁余話』(171)「足が竦んだ震度5強」のタイトルで配信した。今、その小文を読み返すと“あの日”の恐怖が鮮明に蘇る。――“竦む(すくむ)”とは、ひるむ・おじける・縮みあがる・立ち竦む(恐怖や驚きのあまり、立ったまま動けなくなる、の意)。翁が会社のオフィスで一瞬、その全部に襲われたのが3月11日午後2時46分、その少し前にミーティングが終わり「お先に失礼するよ」と他の役員たちに声をかけロッカーからコートを取り出した途端、グラグラ、ミシミシ(こんな生易しい形容ではとうてい表現し難い恐怖の瞬間)が来た。オフィスの壁際に備え付けている収納棚の戸が開いて収納品が飛び散ったり小型のスチール棚が踊ったり・・・誰かが叫んだ「机の下にもぐれ!」翁も反射的に傍の事務机の下に頭を突っ込んだのだが、正直、ゴーっと来た瞬間“何だ、これは?”と立ち竦み、何をどうしていいのか(数秒間)瞬間的判断力を失った。いざ、という時はこんなものか?自分の”竦み“が可笑しいやら悔しいやら――

前日、愛車を(車検で)近くの自動車会社へ預けていたので、その日は珍しく電車通勤だった。一端、激震が治まってから「さあ、電車が止まらないうちに帰ろう」とJR代々木駅に急いだ。が時すでに遅く駅構内は人だかり。駅員がスピーカーで「電車ストップ、回復時間不明」を喧しく告げている。と、その時、再び激震が起こり、周辺のビル群が揺れた。構内に入れず路上にいた翁、道路のうねりを初めて経験した。この気味の悪さは譬えようがない。立ってはおれず、腰を落とした。周りにいた大勢の若い男女も叫び声をあげて路面にしゃがみ込んだ。

余震が治まってから一端、会社に戻ることにした。“もしかしたら今夜、帰宅出来ないスタッフがいるかも知れない”と思い、途中のコンビニに立ち寄って食料を買い込んだ。と言っても弁当やおむすびなどの“ご飯もの”はすでに売り切れ、仕方なくカップ麺やお菓子類、スナック類、飲み物など(両手に持てるだけ)買い込んだ。(翌日聞いたのだが、やはり数人のスタッフが“泊まり込み”だったとのこと。)会社に戻って他の役員やスタッフたちと雑談しながら時間を潰した。“夜になったら徒歩で帰宅しよう。会社から自宅(戸越)まで約10km、休み休み歩けば3~4時間で帰り着くだろう”と覚悟していたら、夜9時頃、スタッフの1人がインターネット情報で「地下鉄大江戸線と浅草線が動き出しました」と知らせてくれた。大江戸線に乗り「大門」で浅草線に乗り換えれば「戸越」まで帰れる。急いで会社を出て大江戸線「代々木駅」へ。車内はガラガラ。どんなにか“安堵”したことか。ところが、それも束の間「大門」浅草線下り(西馬込方面)のホームは身動き出来ないほど乗客でごったがえし・・・約⒈時間待ってやっと乗れたが“すし詰め”とはこのことだろう。翁、これも初めての経験。おまけに電車はなかなか動かない。今思うに“コロナ禍”の今だったらどれほどの感染者が出たことだろうか?

普段だと「大門」から「戸越」までは約10分、それが何と1時間もかかった。帰宅した時、時計の針は12日の零時を回っていた。“古い我がマンションは大丈夫か?部屋の中は?”
あれこれ不安を抱えながら「戸越」から急ぎ足で帰った。マンションは生きていた。エレベーターも動いた。が、10階の玄関ドアを開けた途端、あ~あ、無残!(覚悟はしていたものの)書斎(仕事部屋)の惨憺たる有り様に暫し呆然、再び足が竦んだ。奥のリビングも同様、飾り棚の飾り物はほとんど飛び散り、ガラス物は割れ、飾り棚の上に置いていた3個の植木鉢が落下してカーペットが土だらけ。幸いに寝室は難をのがれ、パソコンやテレビが無傷だったのがせめてもの慰めだった。その夜は(疲れきって)シャワーもほどほどにさっさと寝たが、夢の中で4,5回、余震を感じたような気がした。翌日(土曜日)は定例のゴルフデーだが当然のことながら中止、朝から大掃除に追われた――

この10年で被災地の復旧復興は「まずまずの成果を上げている」と政府は胸を張っている。復興庁の発表によると「道路・鉄道など交通インフラ」は、震災前の水準に戻ったそうだ。青森、岩手、宮城、福島、茨城、千葉の6県621地区で「防潮堤や護岸の整備」も7割超出来上がっているとか。「被災地への企業進出」「漁業の活性化」も目覚ましいそうだ。しかし記録的な不漁が漁民の暮らしに暗い影を落としている昨今である。各地の漁協では、経営安定のために、これまでの“獲る漁業”と併せて“育てる漁業”(養殖漁業)も模索し始めている様子。政府が言う「まずまずの復興成果」は、確かに政府資金援助の効果も大きいが、「そこに住み、根を下ろして生きている被災地の人々の、心を折らない“立ち上がり意欲”と、強い“郷土愛”によるもの。その精神やエネルギーが若い世代にも受け継がれていることが一番である」、と翁は言いたい。そして、その人たちにもっと心を寄せたい。

“あの日”から10年。あるテレビ番組で被災者が言った言葉が印象に残る「自然災害は防げないが、災害を小さく抑えることは人間の知恵と努力で出来る」――その通りだ。我々は自然災害の恐ろしさと避難の大切さを改めて心に刻み、命を守り抜く覚悟を新たにしなければならない。とは言え、10年前に翁が経験した“立ち竦み”によって“動けない硬直状態”が起こり得る。大切なことは災害発生、即“適所に逃げる”ことではないだろうか“逃げ地図”を作っている地域もあると聞く・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究 友人の話

先週、学生時代の頃からの友人から電話があって久しぶりに会った。彼女は以前、防衛庁に勤務していた事がありパイロットの免許を持っている友人がいる環境の中にいた。その友人と一緒に空を飛んだ経験もあり刺激されたのか自分も免許を取りたいとカリフォルニアまで私を訪ねて来た事があった。規定の時間を飛行するにはアメリカがいいと言う事で自家用操縦士の試験に合格し次は事業用操縦士を目指していた。彼女がLAに来た時はエドワード空軍基地の飛行機のショーも一緒に見に行った事を覚えている。

そんな彼女だから拳銃を持っている事を聞いても驚かなかった。米国では護身用に持っている人もいて珍しいことでは無いけれど日本では相当、珍しい。元々、精神統一競技の弓矢も好きだったらしく銃を持つ為の技能試験、筆記試験、精神鑑定も受けなくてはならずハードルが高いのだそうだ。そして3年毎にその資格を維持するために勉強もし、腕を磨き試験を受け、その為の費用もそれなりにかかるのだそうだ。アメリカなど薬物常習犯なども銃をもっているのだから恐ろしい。日本のように厳しく精神鑑定は必須にして欲しい。

そういえば、どこかの認知症の大統領は核のボタンを渡されていない。副大統領にも相談せず、いきなりシリアに爆弾を落とした。
彼も精神鑑定を受けるべきだ。同じ身内の党からも戦争に関して発動権を取り上げようと同じ党内でもそんな動きが出ているようだ。

話はそれてしまったけれど拳銃を保持する為にもう一つハードルが上がったのだそうだ。3年毎に警察が銃保持者の自宅に訪れどこに保管しているのか確認のため写真を撮って行くのも規定事項でちゃんと安全な所に保管されているのか本人確認もしていくのだそうだ。ところが、今回からご近所の人に彼女は銃を保持していますが持たせても安全な人でしょうかと聞き込み捜査までするようになったのだそうだ。講習会でこれを聞いた彼女はそれこそプライバシーの侵害で聞いた人の中に変な人がいて逆に銃を奪いに押し入られる可能性だってあるわけだしと不安になったと言う。

彼女の住んでいるマンションは、それほど人とのお付き合いがあるわけではないし、どうやってそのご近所の人を判断するのだろうか、、、、彼女は警察官の講師の人に聞いたらしい。しかしながらその警察官はいや、これは上からの命令ですからで終わったそうだ。彼女の安全とプライベートに関して何も納得できる返事はもらえなかったそうだ。
上がそのように言いますから、そのように従ってくださいと、、、言わされている人も自分の意思が無いのだろうか、、、、
日本の警察も何だかな〜と、、、、もう一つ、頼りない役立たずの警察官の話を彼女から聞いて驚いた。

米国と同じように日本にも移民が増えてくると生活習慣や言葉も違うので問題が発生してくる。それに対応する警察官の対応も日本を守るためではなく問題を起こしたくない人が増えているそうなのだ。そんな考え方を持つ人が増えたら国が、どんどん乗っ取られて
しまうのではないかと、、、、

それは、また次回に。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ ”Hand in Hand” Patrick Deltenre

ギタージャズを聴いてみました。ベルギーのPatrick Deltenre(g)とIvan Paduart (p)のデュオアルバムはいかがでしょうか?珍しい二つの楽器の組み合わせの美しいハーモニーはとても魅力的で、じっくり聴けば聴くほどハマります。

“Hand in Hand” Patrick Deltenre

Patrick Deltenre (g)
Ivan Paduart (p)

01. Menorca
02. Aperoses
03. Pigeons
04. Hand in Hand
05. La Grazia
06. Lianes
07. Draisiennes
08. Fringale Matinale
09. Mignardises
10 Ravioli’s Blues

編集後記「雑貨屋の記事を検索できます」

今年は雑貨屋を創刊して25年目になります。
当時の記事を読むとその時のことが思い出されます。サーバーには25年分の記事が蓄積されています。バックナンバーでピンポイントの記事を探すのは難しいですが、キーワードでサイト内を検索できれば役立つ情報を見つけられます。Google検索で雑貨屋ウィークリーの記事を検索できることがわかりました。早速、試して見ましたがこれは便利です。Google検索で“キーワード site http://zakkayanews.com/zw/”と入力して検索すれば記事が出てきます。お役立ち情報に紹介していますのでご覧ください。《R.O.》

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