雑貨屋ウィークリー1319号

雑貨屋のひとり言「20か月が経ちました」

日本でコロナ患者が見つかってから20ヶ月も経ちますが、収束どころか増加の一途で、ついに医療崩壊で感染しても入院させてもらえず、自宅療養させられるという先進国とはとても思えない情けない事態になっています。たくさんの時間があったのにこれまで一体何をしていたのかと思ってしまいます。

危機管理というのは最悪の事態を予測して行動することだと思いますが、発生ベースでしか物事をかんがえようとしていない政府のやり方では後手後手になるのは当たり前です。まるで思考停止しているのではないかと思うのは私だけではないと思います。そう思ってしまうのは国民が納得できるまともな説明が全くないからに他なりません。戦略もなくステルス戦闘機に竹槍で応戦しているような虚しい状態はつまで続くのでしょうか?《R.O.》

先週木曜日朝9時、西の空にアーチ状の雲がかかって真っ暗になりました。この後、大雨になりました。

川柳(東京・成近)

( 川  柳 )

年金の喉が発泡酒になじみ

妻の留守今日は庄助さんになる

本題はそこそこにして酒の席

一夜明けもう時効だと酒の口

暴飲のつけをカルテに叱られる

(ニュースひとりよがり)

「支持率最低を更新」

ワクチンも効果なしか —菅内閣

「小泉環境相靖国参拝」

彼を首相にはさせない —中国

「遠くへ行きたい」

ジェリーもとうとう来たか —永六輔、中村八大

河合成近

龍翁余話(692)「人権を考える」

翁の1日は、早朝の新聞数紙(インターネット記事)読みから始まる。そしてNHK―BSプライムの7:15からの朝ドラ(旧作品の)再放送を視、7;30から今放送の朝ドラを視る。それが習慣になっている。再放送作品が放送された時期は、翁が現役時代だったので見損なった作品ばかり。視始めは『おしん』。朝から泣かされた。次が『澪つくし』次いで『はね駒』、そして今は『あぐり』と続く。いずれも明治・大正・昭和の時代背景が巧みに描かれ、へ~、そんなことがあったのか、と言う未知なる知識を得ることがあったり、田舎生まれで、もう長い間故郷を離れている超高齢の翁にとっては(ドラマの舞台となっている場所こそ違え)随所に懐かしさを覚え、望郷の念に浸れることも楽しい。

ところで、これらの作品のほとんどが昭和20年8月の終戦までの権力主義社会(人権無視時代)のエピソードを描いており、それらがドラマ(ストーリー)の起伏を構成していて面白い。いや、面白い、と言うより(いくら翁が古風人間であっても、今の感覚からすると)腹立たしく思えることもある。例えば「女のくせに」と言って学問をさせなかったり、社会的進出を拒んだり、男に対して口答えを許さなかったり(男尊女卑)、「身分や家柄が違う」と言って縁談を妨げたり、「お前は黙って俺に従え」と言って無理や盲従を強いたり(階級・職業差別・服従)、「お上(政府)に楯突けば獄門行きだ」と社会的発言を封じたり(言論統制)、「彼奴は××の出身だから付き合うな」と出生地差別をしたり(人種差別)・・・たとえそれがドラマと分かっていても“人権無視”を演じる役者に対して翁は“こん畜生”と腹立たしさを覚える。その役を与えられた役者はいい迷惑だが、そんな役を演じるバイプレーヤー(脇役)こそ芸達者が多い。

さて、8月26日は『人権宣言記念日』だそうだ。早速インターネットで調べてみた。1789年(日本は寛政1年、第11代徳川家斉の時代)にフランス革命が起こり、8月26日に『人権宣言』が発布された。フランス革命より13年前の1776年7月4日に独立したアメリカも、このフランスの人権宣言をアメリカ合衆国憲法に採用した。他のヨーロッパ諸国にも徐々に“人権尊重思想”が広がることになるのだが“人種差別“だけは(表向きはともかく本音は)未だに続く。日本で『人権を考える』ようになったのは終戦後の1947年(昭和22年)5月3日から施行された「日本国憲法」(昭和憲法)に謳われてからである。

日本国憲法の三原則(国民主権・平和主義・基本的人権の尊重)の1つ『基本的人権の尊重』に「すべての国民は、個人として尊重される」とあり、日本に暮らす我々は人間としての自由や平等が保障されている。日本国憲法は世界的に見ても高い水準で人権を保障していると言われている。では、「人権とは何か」――今更、改まって『人権を考える』人は少ないのではないだろうか?何故なら、今の日本では特定の宗教を信じたり、特定の政党を支持したり、特定の新聞を読んだりテレビ視たり、体制批判をしたり、『龍翁余話』のような“言いたい放題”(斬り捨て御免)のエッセイを書いたりしても(戦前のように)逮捕されることはない、いわば、空気の有難さを意識することが(滅多に)無いくらい日本は“人権が保障されることは当たり前”の国(時代)になっているからだ。

しかし外に目を向けると、体制(政府)批判をしたり、個人的利益・嗜好追求・人間的向上促進活動をしたり、つまり民主主義・資本主義思想を表に出そうものなら(問答無用で)逮捕・軟禁・監禁(身柄拘束)・処刑されたり、少数民族を迫害したり、宗教原理を理由に女性の人間的権利を奪うなど民主主義を否定したり・・・我々日本人が”当たり前“と思っている人権が保障されない国があるのだ。実に恐ろしいことだ。

8月26日の『人権宣言記念日』に際し『人権とは何か』を考えてみる。と言っても翁は専門家(学者)ではないから、あくまでも我流の考察だが――まず、人は誰でも個性や能力を活かして人間らしく自由に生きる権利を持っている。そして人間は誰でも(法の下では)平等である。但し、いかなる社会でも、支配する者と支配される者との関係が存在する。それを“不平等社会”と言うが、支配者と被支配者とが“人権の本質”をよく理解し相互に人間的尊厳を認め合うならば、そこにはおのずから“社会規範”が生まれ、バランスの取れた人間社会を構築することが出来る。これが民主主義国家の原点である、と翁は思う。

「人は誰でも個性や能力を活かして人間らしく自由に生きる権利がある」と述べた。どんな“人権”が考えられるだろうか――当然ながら「老若男女平等の権利」を大前提として、個人的には「教育を受ける権利」「働く権利」「信仰する権利」「モノを言う(表現する)権利」「愛する権利」、そして自己の良識と責任による「取捨選択の権利」などがある。一方、社会的に我々が心しなければならない人権は「労働者の人権」「子どもの人権」「障害者の人権」「HIVなど特殊感染病患者の人権」「犯罪被害者の人権」「刑を終えた人の人権」「外国人の人権」「参政権」(直接参政権=立候補、間接参政権=投票)、その他「福祉関連享受権」など。(現代では)「インターネットによる人権侵害」などもある。スペースの都合でそれらの1つ1つの解説は割愛、今回は『人権を考える』上でのテーマの羅列に留める。

世界各地に、日本人の想像を超える「人種差別」や「難民人権問題」がはびこっている。民族紛争・地域紛争によってはじき出された難民たち(特に女性や子供)の人権を守る術(すべ)や心(こころ)を持たない当該国・地域のリーダーは、1世紀中期のローマ帝国の皇帝ネロ同様の“呆れた独裁者”だ。21世紀は『人権の世紀』と言われる(国連人権理事会)。これは「平和の無いところに人権」は存在しない」「人権の無いところに平和は存在しない」ことを意味する。この機会に「人権を普遍的な文化にして行く」ことを日本から国際社会へ改めて発信しようではないか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「久しぶりのスパイスライフ」

日本に帰ってきてから継続している緊急事態制限と長雨で巣ごもりの日が多くなった。除湿冷房をしていても、このジメジメした空気と普段使っていない部屋の匂いが長く部屋の中にいると気になってきた。そこで、気分転換に精油を使ってみることにした。以前、セミナーで使って以来棚の奥にしまい込んでいたものを引っ張り出してみた。精油の香りを楽しむ時には超音波アロマディフィーザーを使う。紙や石、木のスティックに香りを移す方法もあるけれど私は、あのユラユラした蒸気が上がってくるのを見ていると気持ちが和むので、いつもそれを使う。暖炉の火やお線香の煙と同じような感覚で見ていても飽きない。

今回、最初に使ったのはペパーミントとオレンジの精油。器の中に数敵ブレンドしてみた。爽やかな香りの中にオレンジの甘い香りがして途端に気分が良くなる。オレンジの香りは人の気持ちを明るく元気にする。オレンジの皮を剥いて食べる時に飛び散るオレンジの香はスッキリする。食べると同時にアロマセラピーの効果もあるような気がする。ハイキングの時にオレンジを一個バックに放り込んでいくとただの水より体がリフレッシュする。

遠くでオレンジを剥いていても誰かがオレンジを食べているのがわかるくらい香りは広がるのだ。それから続いてレモンバーベナ、ベルガモット、ユーカリ、グレープフルーツなどを2個ずつブレンドして試してみた。試す度に違った香りが漂ってくる。体調や気分によっても好きな香りが変わってくるものだ。ただ、やっぱり自分の好きな香、自分に合っている香りはあるのだと思う。そういう自分が好きな香りを見つけておくと疲れた時には癒しになる。夜寝る前にはラベンダーがいいと言うので探していたら一つだけ違うサイズの他のメーカーのものが出てきた。それは、どこだったかLAの郊外でラベンダー畑を持っていてそこで精油を作っている人がいて友人と出かけた時に購入したものだった。

友人がラベンダーフェスティバルで香りのいいラベンダーを見つけ、そのオーナーと知り合ったのだとかで、そのオーナーのラベンダー畑を尋ねた事を思い出した。精油の整理をしていたら、まだ他にも米国の見本市などで集めたボトルが出てきた。考えてみると今まで米国産の精油しか購入した事が無かった。でも日本には日本の素晴らしい精油がある事に最近気が付いた。一昨年、桜の花の精油を日本の店で見つけた。それからシトラス系は柚子の香りも気に入った。カボスも今度、試してみたい。

そう言えば日本は山が殆どの国。昔から檜から作ったヒノキの浴槽で香りを嗅ぎながらお風呂を楽しんだ。身の回りに元々あった日本の自然素材の中に、まだまだ発見されていないお宝がたくさん潜んでいるかもしれない。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ The Claude Williamson Trio “Complete 1956 Studio Sessions”

毎週、どんなジャズに出会えるのか楽しみにしながらアルバムを探しています。ジャズのアルバムはいったいどのくらいあるのだろうかと思うほどたくさんあります。そしていつも感心させられるのが、ジャズは何年たっても色あせないことです。今週紹介するClaude WilliamsonのアルバムComplete 1956 Studio Sessionsは今から65年も前の演奏です。65年前にこんな音楽を聴いていたなんてすごいお洒落だなあと思います。

The Claude Williamson Trio “Complete 1956 Studio Sessions”

Claude Williamson (p)
Don Prell (b)
Chuck Flores (d)

01. June Bug
02. Jersey Bounce
03. Moonlight in Vermont
04. Ill Remember April
05. The Last Time I Saw Paris
06. Blue Notoriety
07. Embraceable You
08. Have You Met Miss Jones?
09. Hallelujah!

Claude Williamson (p
)Red Mitchell (b)
Mel Lewis (d)

10. Stella by Starlight
11. Somebody Loves Me
12. Ill Know
13. The Surrey with the Fringe on Top
14. Polka Dots and Moonbeams
15. Hippy
16. Tea for Two
17. Stompin at the Savoy
18. Round Midnight
19. Just One of Those Things
20. Love Is Here to Stay
21. The Song Is You

編集後記「メリハリのある毎日」

毎日楽しく過ごされていますでしょうか?
コロナ禍で世の中がちょっと暗いですが毎日をメリハリのあるものにしたいものです。私は毎朝、今日はどんなことが起こるかなと楽しみに起きるようにしています。
カラ元気でも良いですから鏡を見て笑顔を作ってみるのがいいと思います。毎日の生活でメリハリをつけるにはまずお洒落から始めるのはいかがでしょうか。毎日同じような服装だとつまらないですからちょっと工夫するだけでいいと思います。私はたまに大阪や神戸のお店に見に行ったり、通販で自分に合いそうな服を見つけて購入しています。私が心がけているのは服に着られないようにすることです。もちろん歩くときの姿勢も大事ですから、体幹を鍛えるために毎日ヨガを続けています。

服は自分の体型をカバーしてくれます。逆に言えば体型をカバーしてメリハリのある格好をすればお洒落につながると思っています。高価な服を買う必要はありません。蒸し暑い夏はユニクロのアクティブジョガーパンツが軽くてスタイリッシュで動きやすいのでおすすめです。お洒落をすると身体の動きも良くなります。毎日サンデーを楽しんでいます。《R.O.》

先週金曜日夕方、大阪方面に現れた光る柱です。虹が出かけているのですが雲に隠れているようでした。

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