雑貨屋ウィークリー1422号

雑貨屋のひとり言「私はツイている」

自分のため人のために善いと思うこと、そしてやっていて楽しいことはずっと続けられます。雑貨屋はその一つです。他に自分の住んでいるマンションや地域のボランティア活動があります。そのきっかけになったのが2016年のマンションの管理組合の総会で大規模修繕工事はだれがやるのかと私が質問したことから始まります。私たち管理組合員がやるということを知り、そこから私たちの勉強が始まりました。有志とともに3か月間の勉強の後、自分たちの主導で計画から実行まで遂行できた経験が今のボランティア活動につながっています。多くの課題や問題をみんなで知恵を出し合って乗り越えてきたことが仲間との信頼関係を高めました。今もいい関係でお付き合いさせていただいています。活動を続けているとこのマンションに入居して以来、初めて話しをした人も何人かいて、心強い仲間が増えました。考えを共有できる方がたくさんいるのでどんな活動をするにも比較的スムーズにできています。私はリタイアしてからの人生もツキがあると思って感謝しています。これからもいろんなことが起こると思いますが、どんな時でも面白いことが次々に現れ、それを楽しむことができると思っています。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川 柳  )

まだ生きています8月15日

ペットロボに聞かす8月15日

天災に戦災テレビ辛く見る

米櫃が満タン平和ありがたし

百歳を生きて戦争だけはだめ

(ニュースひとりよがり)

「なでしこ」

夏に咲ききちゃったな ―秋の七草

「河野大臣へ逆襲」

はんこの恨みを ―マイナカード

「猛暑、台風、物価高」

下界は地獄だ ―ご先祖様

河合成近

龍翁余話(794)「安心院の鏝絵(こてえ)」

「安心院」――これは大分県内にある自治体の名。これを何と読むか、大分県人でも若い人の中にはこれを「あんしんいん」と読む人が多い。地名を読むのは難しい。本州各地にも(翁は)まともに読めない地名は沢山あるが、特に北海道や沖縄に行くと、なおのこと読めない地名があちこちに・・・地名にはそれぞれ地元の伝統的な言葉(例えば北海道ではアイヌ語、沖縄では琉球言葉)などを由緒としている地名が多い。しかし、中には強引な意味づけによる当て字の地名もある。だから、たとえ読めなくても恥ずかしいことではないが“物書き”の翁、固有名詞はなるべく正確に呼称しなければ、と思っている。そこで「安心院」だが――これは「あじむ」と読む。この8月に翁、故郷(大分県)へ帰省した。以前から『安心院の鏝絵(こてえ)』が観たかった。『鏝絵』とは、左官職人が左官作業の鏝(こて)を使って描くレリーフ(浮彫細工)のようなもの。そこで今回、安心院町へドライブした。そのついでに安心院町役場で“町名の由来”と“町自慢”を聞いてみた。

まず『安心院』の名前の由来だが、“平和で安心して暮らせる所”と言う意味の“安心”と“米の豊かな生産地で、米の倉庫の意味をもつ”院“が合わさって『安心院』となったそうだ。ほかに”安心院盆地は湖から陸化した盆地湖が干潟になり、葦(あし)が群生していたので「葦生(あじぶ)」と呼ばれた“と言う説もある。しかし、この程度の由来だと歴史好きの翁、どうも納得しかねる。そこで翁、更に『安心院』の歴史的背景を探ってみた。

あった戦国時代(15世紀末~16世紀末)から安土桃山時代(織田信長と豊臣秀吉が中央政権を握っていた時代)に”豊後国(ぶんごのくに=現在の大分県)の王”でキリシタン大名だった大友宗麟(おおともそうりん)を主君とし、豊前国(ぶぜんのくに=現在の福岡県東部の1部と大分県の北西部の1部)を支配していた安心院公正(あじむきみまさ)と言う武将がいた。安心院氏は豊前国宇佐郡(現・宇佐市)一帯の有力領主で、一時期、宇佐神宮(現在、全国44,000社ある八幡宮の総本社)の大宮司を司ったこともある家柄。(前述の)安心院町役場が説明する“平和で安心して暮らせる所”云々よりも、“安心院氏”の名を源流とする方が、由緒としては頷ける。安心院町役場には申し訳ないが、翁は“安心院氏説”を(勝手に)採用することにした。それはさておき――

『安心院町』は大分県の北部にある宇佐市に2005年に吸収合併された町。宇佐市は(前述のように)全国約44,000社の八幡宮の総本社・宇佐神宮があり、相撲史に名を刻む名横綱・双葉山を輩出した市。『安心院町』はその市に属する農村地帯で人口約6,500人の小さな町。ここに国内外の観光客が、年間約1万人も訪れると言うから驚きだ。いったい何が魅力?実は、安心院町は日本で初めて「グリーンツーリズム」を始めたエリア。「グリーンツーリズム」とは、ひとことで言えば「古民家(農家)に泊まって、その土地の産物を食しながら観光スポットを訪ねよう」と言う“農泊の旅”だ。ではこの町に、いったいどんな名物があり、どんな観光スポットがあるのだろう、さっそく調べてみた。

『安心院町』は西日本有数のブドウの産地である。車を走らせていると随所に“ブドウ直売所”を見かける。この町では100種類以上のブドウが栽培されているとのこと。ブドウの種類が100以上もあるとは知らなかった。ブドウ主産地だから当然、ワイナリー(ワイン醸造所)もある。中心的なワイン工場は安心院葡萄酒工房だそうだが、下戸の翁、ここはパス。更に街中には、やたらスッポンやドジョウの川魚料理店の看板が目に付く。翁、その両方とも食べられないので(昼食時ではあったが)これもパス。ともあれ早く目的の『鏝絵』を観たい。

安心院町役場の話によると「宇佐市内には沢山の鏝絵が残されているが、中でも安心院町では、明治初期から盛んに作られるようになり、町内に約100ヵ所に(鏝絵が)存在しており、あちこちの民家の壁などに鏝絵を見ることが出来る。特に150年以上の歴史を持つ“鏝絵の密集地”は下毛(しもげ)・折敷田(おしきだ)地区。翁、気持ちが弾んでその地区を目指すが『鏝絵の町』を“売り”にしている割には、下毛・折敷田への案内看板が少ない(と言うか見当たらない)。「観光協会よ、他所からのクルマ観光客のことを、もっと考えろよ」と独りブツブツ言いながら2,3か所で町の人に尋ね目的地へ――

やっと辿り着いた下毛・折敷田地区。当地区の公民館の駐車場に駐車して、600mほど続く“鏝絵通り”を歩く。なるほど、家々の戸袋や土蔵の壁、あるいは切妻(きりづま=屋根の最頂部の棟から地上に向かって造られた山形状の屋根)の面の部分などにユーモラスな絵やバイタリティを感じる絵が点在している。特に恵比寿・大黒・龍や虎を描いた作品が翁の目を引く。説明書によると、これらの『鏝絵』は、財を成した豪商や網元(あみもと=漁網や漁船を所有する漁業経営者)が母屋や土蔵を改築する際、“招福祈願”や“富の象徴”として左官職人に作らせたもの、あるいは左官職人が完成を祝って(または、自身の左官技術を誇って)家主にプレゼントしたものもあるそうだ。

安心院町には観光スポットとして摩崖仏や有名な滝、古道などあるが、中でも日本最大のサファリ―パーク(「九州自然動物公園アフリカンサファリ」)が人気だ、クマ・ライオン・ゾウ・トラなど約70種類、約1,400頭がいるそうだ。1976年(昭和51年)の開園だから、かなり古い。翁は(存在は知っていたが)まだ一度も行ったことがない。いつかこのサファリ―パークへも行って見ようと思う・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「78年後の8月」

毎年、この時期になると広島、長崎に落とされた人類発の原爆と日本の終戦に関してTVで特集番組が流される。日本の悲惨で惨めな体験を敗戦側の立場から今年も同じように各局で番組が放映されている。戦争を体験された方々にとっては目をそむけたくなる辛いシーンもあり、それがフラッシュバックして暗い気持ちになるので見ないと言う人もいる。そういう戦争の番組を受動的にぼんやり見たり聞いたりしていて何だかいつも消化不良気味で一体、あの戦争は何だったのだろうと、、、、

戦後の教育はGHQの検閲も酷く私の時代の頃も日本の歴史は何年に何があったという事だけで、つまらなかった。特に近代史は時間切れで、すっ飛ばされてどうして日米開戦になったのかなどの因果関係も真珠湾攻撃の事も考えたり疑問に思った事を話し合う時間など授業では無かった。米国は通常、30年後に機密文書を公開するらしい。ところが世界で初めて原爆を使った米国はその結果の重さに70年以上も記録は伏せられた。当然、武器を持たない一般人が暮らしている子供や女性やお年寄りが住む頭上に落としたのだから、これは戦争犯罪になるわけだ。それでも原爆を落としたおかげで日本は戦争を辞める事になったのだから喜ばしい事なのだと言うプロパガンダを作らなければ米国にとっても正義が成り立たない。日本と米国の開戦に至るまでの原因、経過に関して今年で78年経過した今でも事実は表立って言えない事、特に原爆の事は永遠に封印しておかなければならない事も、まだあるはずだ。それでも、この数年漏れ伝わってくる情報には、びっくりさせられる事が多々ある。

先日、西鉄夫氏という人があっさり一言、言い切った。”皆さん、何故日本に原爆が、落とされたのか、それは人種差別です。原爆は当初から日本人に使う為に作られました”と。原爆を落とした理由の3つのうちの一つを話していた。西哲夫氏は1964年に米国に渡り現在スタンフォード大学フーバー研究所に在籍し日本人が知り得ない米国の機密文書を直接読み解き分析してきた教授だ。”新説、明治維新”の本も明治維新から日本が外国勢力によって分断されてきた事が全く違う視点から書かれていて興味深い。今の日本の姿や謎は明治維新を正しく知る事で腑に落ちる。

そして林千勝氏、林氏は日本の近代史研究家、作家。有名な著書は”近衛文麿野望と挫折^ 林氏も当時の様子を日本側のボロボロになった第一資料を直接読み最近では2020年に解禁された米国の機密文書の資料を読み、そこに書かれてある事を発信されている。何故、日本に落とされた原爆は2発で止まったのか、、、、それは日本がポツダム宣言を受託したからで、そうでなければ3発4発5発と継続し日本国を完璧に焦土化する計画があった事を英語の文章を読みながらそのまま伝えてくれている。

3人目に伊藤貫氏、彼は国際政治アナリストでアメリカワシントンに30年以上在住していて外交、国際関係、金融問題に詳しい人だ。彼の話によると日本は今も主権など無いそうで占領下にある事を知らなければならないと、、、、ルーズベルト(日本大嫌い、中国大好き)率いる当時の民主党政権下で進められた原爆投下。以来、米国は日本だけは2度と自立させないというスタンスをとってきた。そして国際金融資本家とその配下にある大手メディアによる影響は絶大なのだと。だから米国大手メディアから許された報道しか日本では放映出来ず中国様からもマイナスになるような報道は出来ないらしい。一体、日本政府は、どんな密約をさせられているのだろうか、、、、

それにしても海外から日本の事を見てみると全く違う景色が見えてくる。特に海外に出て日本の事を研究されてきた方の書物や話は目が覚めるような感覚になる。やはり物事は、あらゆる方向から見てみる必要があるのだなと思う。主流メディアやTVが流している事だけ信じていると見誤る。いつか、公開された米国の機密文書を日本人と米国人が正面から見つめ話し合う事が出来る日が来るのだろうか、、、、8月に入ってミンミンゼミの声が盛んに聞こえるようになった。特に今年は猛暑続き。
もうすぐ終戦記念日がやってくる。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ Eximo Blue Late Night Disney – Elegant Jazz Piano

ディズニー映画やディズニーに関連した名曲をジャズアレンジしたアルバムです。その曲を大人のムードあふれる夜に似合うテイストに仕上げられています。聴き覚えのある曲ですが、全く違う曲に聴こえます。《R.O.》

1-You’ve Got a Friend in Me
2-La La Lu
3-Part of Your World
4-It’s a Small World
5-Under the Sea
6-Chim Chim Cher-Ee
7-Alice in Wonderland
8-How Far I’ll Go
9-Some Day My Prince Will Come
10-Beauty and the Beast
11-A Whole New World
12-When You Wish Upon a Star

編集後記「気持ちのいい挨拶」

先週のことです。近所の商店街の入り口近くにある喫茶店の前を通ろうとしたら、ドアが開いてオーナーらしき女性が現れこちらの方を見て「おはようございます」と挨拶をされました。知ってる人かと思ったのですがそうではありませんでした。もちろん私も挨拶をしました。突然のことだったのでちょっと驚きましたが、その方の声が明るくさわやかだったのでとても清々しい気分になりました。こんな素晴らしい挨拶が普通にできるのはとても嬉しいことだと思いました。これからできれば状況次第で自分から声をかけて挨拶することにしようと思いました。《R.O.》

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