雑貨屋ウィークリー1376号

雑貨屋のひとり言「行動しないと何も変わらない」

現在の状況を変える必要があると強く感じたとき、私たちは何か行動を起こそうとします。6年前、私の住むマンションは築15年を過ぎようとしていました。外観は外壁の塗装の汚れや傷みが出始めていました。同じ頃に竣工した近所のマンションは大規模修繕工事が始まっていました。マンションは建物の老朽化を防ぎ価値を下げないようにするために大規模修繕工事が必要だと知っていた私は総会で住民のみなさんを代表して、そろそろ大規模修繕工事が必要だが、だれがこれをやるのかと管理会社に質問をしました。返事が返ってこなかったので彼らはやらないのだということがわかりました。ところが管理組合の規約書などを読んでも誰がやるとは明確に書かれていませんでした。そこで私たち管理組合がやらなければならないのだと知りました。総会で大規模修繕工事をやろうということで決議し、管理組合で有志を募集し大規模修繕委員会が開催されました。

20数名の有志が集まり、プロジェクトリーダーを決めようということになりました。総会で大規模修繕の必要性を叫んでいた大西さんにやってもらうのがいいのではないかと推薦されました。全く予期していないことだったので驚きましたが、私はこう言いました。「私は大規模修繕工事に関しては経験も知識もありませんが、みなさんといっしょに勉強する時間をいただければ引き受けさせていただきます。」と応え、結局私がプロジェクトリーダーをやることになりました。マンション協会が主催する講習会や他の講習会などに参加し有志メンバーとともに3カ月勉強しました。私たち管理組合が建設業界のカモにならないようしっかり学んでから計画に取り組みました。まず委員会のポリシーをつくり、約1年後に大規模修繕工事が開始できるように急ピッチで準備し過密ともいえるスケジュールで設計会社と施工会社の公募・選定を行いました。不安があったのでマンション協会で講師をされていた方にアドバイスをお願いしました。このアドバイザーに大変お世話になったことはいうまでもありません。経験したことのないプロセスの連続、ミーティングでの決断の連続で正直しんどかったですが、有志メンバーとのチームワークでこれらをこなし、工事が無事終わった時はとても充実した気分でした。マンションという自分と共有者にかかわる財産のことなので問題と目標のイメージが共有できたことで行動しやすかったのだと思っています。当たり前のことですが問題をはっきり認識できて、どのようにしたいかがイメージでき、それに向かって行動していけばほとんどの問題は解決できると思います。問題を解決するために行動することで自分たちも変われることが分かりその経験が今も役に立っています。《R.O.》

川柳(東京・成近)

(川 柳)

皺寄せが先ずは格差の底に来る

激突を漁夫の利狙う目が煽る

抜け駆けのトップがほざく結果論

イエスオアノーにしみじみ力の差

安酒に残念会の顔が寄り

( ニュースひとりよがり)

「汚職沙汰」

五輪はもうこりごり —ミライトア

—ソメイテイ

「値上げ値上げの中で」

大幅値下がり —金星 銀星

「敬老祝い品2つ」

—ご夫婦ですか

—親子です

河合成近

龍翁余話(748)「秋の全国交通安全運動」

9月21日から『秋の全国交通安全運動』が始まっている(30日まで)。運動の重点目標は「子どもと高齢者、歩行者の安全確保」「夕暮れ時と夜間の歩行者事故防止」「飲酒運転の根絶」「自転車の交通ルール遵守と事故防止」など毎年同じようなものだが、交通事故の多くがこれらに起因するので、必然的に同じテーマになる。

ところで、実は交通事故は毎年、減少傾向にある。警察庁のデータで過去3年間の交通事故発生件数と(カッコ内の)負傷者数・死者数を見ると、2019年38万1237件(46万1775人・3215人)、2020年30万9178件(36万9476人・2839人)、2021年30万5425件(36万1768人・2636人)。つまり昨年(2021年)の交通事故発生件数は2019年に比べ7万5812件も減少し、負傷者も12万人、死者数も579人減ったことになる。これは朗報だ。警察庁の分析によると、減少の原因の1つは“コロナ禍”によって観光ドライブや飲酒運転が減少したことが考えられるそうだ。

ところで、翁が自家用車を手放してから、ちょうど5年になる。それまでは会社に、取材に、観光に、時には街へ食事に、買い物に、ことごとく車が翁の足であった。古風な翁、と言うか、戦中・戦後の物不足の時代に育ったので、何でも“もったいない”根性が根付いてしまっているのか、自分の物であれ会社の物であれ、他人から借りた物であれ、道具類は全て大切に扱う習性がある。特に車は、命を託す道具であるから定期点検(整備)は勿論、動かす前には車の周辺に危険物はないか、タイヤの空気圧はどうか、そしてガソリンを入れる際は、スタンドの店員にエンジンルーム(エンジンオイル・バッテリー・ブレーキ液・冷却水・ウインドウオッシャー液など)のチェックを頼んでいた。ガソリン入れがセルフになってからは、週に1度は、自分でエンジンルームのチェックを行なっていた。走行中のエンジン音にまで気を使っていた。多分、ほとんどのドラーバーは“車好き”で翁と同じように車を大事に扱っていると思う。

まさにマイカーは愛すべき“相棒”だった。運転席に座ってから、動かす前に”相棒“に語り掛けていた「俺もお前も他人も傷つけないよう、今日も頼むぜ」。翁の運転中の不注意で”ヒヤリ・ハット“が起きた時など、翁は(声を出して)”相棒“に謝っていた「ご免よ、気を付けるよ」”相棒“は機嫌よく正常のエンジン音で走ってくれていた――幸いにも、翁は一度も人身事故を起こしたことは無い。それもこれも、機嫌よく走ってくれた”相棒“のお陰であると(リビングの飾り棚に飾ってある)”相棒“の写真“に向かって今でも「ありがとう」と感謝の気持ちを伝えている。

さて、交通事故は(前述の通り)減少傾向にあり、75歳以上の高齢者運転による死亡事故件数も多少は減って来ているそうだ。しかし、高齢運転者がいったん事故を起こすと大事故(人身事故など悲惨な事故)に至るケースが多い。「高齢者運転による事故」の典型的な例としては2019年の4月、東京・池袋で当時87歳の高齢者が起こした事故で母子2人が死亡、10人が負傷した大事故(社会的に大きな注目を浴びた大事件)を今でも思い出す。

事件発生直後、事故を起こした高齢者は、あれこれ訳の分からない言い訳をしていたが、

高齢ドライバーの人的事故の要因は操作不適が30%と言われており、ブレーキとアクセルの踏み間違いが約8%、ほかに“慌て”“焦り”による運転操作の誤り・・・“池袋の惨事”の原因も、このいずれか(あるいは全て)に該当することは間違いない。

最近、高齢者ドライバーの「逆走」や「急発進」による事故の報道が目に付く。高齢者は認知症が問題視されるが、ほかに運動神経(反射神経)の低下(体の動きの鈍化)や物事を“うわの空”で見る(視る)瞬間がある。つまり“ぼや~”とする瞬間がある。それが大事故に繋がるケースが多いと言われている。

交通事故で人を死亡やケガをさせた場合「刑事責任」「行政責任」「民事責任」の3つの責任が問われる。「刑事責任」とは自動車運転処罰法などを犯したことによって罰金・禁固・懲役などの罰則を受ける。「行政責任」とは免許の違反点数が加算されること、「民事責任」とは被害者に発生した損害を賠償すること。そして交通事故を起こした場合に適用される罪は(代表的なものは)「危険運転致死傷」「過失運転致死傷」の2つが挙げられる。翁は思う「旅路(人生)の終わりに近づいて交通事故を起こし“犯罪者”となって法的責任や道義的責任を負わなければならないほか、自分自身も経済的・精神的苦境に追い込まれ、せっかくの人生を台無しにしてしまう。自分ばかりでなく、家族までも奈落の底に追い落とすことになりかねない・・・あれやこれやを考えると、(無事のうちに)5年前“愛車”を手放したことを良しとする思いが強まる。

2019年4月の東京・池袋で起きた後期高齢者による人身事故以来、後期高齢者の“運転免許証返納”が加速されていると聞く。翁も東京のような公的交通機関が発達している都会に住む限りは動き廻るための足は沢山あるし“愛車”も無くなったので免許証はそろそろ返納してもいいだろうという気になっている。ところが離島など僻地に住む高齢者など自動車がなければ移動手段が確保出来ないケースも多い。現在、運転免許保有者数は約8200万人、うち70歳以上の高齢者は約1200万人、更にそのうちどのくらいの免許保有者が実際に常時運転しているかの実数は(残念ながら)資料が見当たらないが、翁のような高齢者のペーパードライバーは少なくないと思う。ならば、やはり“返納”を考えるべきだろう。9月21日から30日まで「秋の全国交通安全運動」――だが翁は思うに、この「交通安全運動」は、“期間”だけの問題ではない。運転者も歩行者も「毎日が交通安全の日」でなければならない、と思うが、いかが?・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「青春18きっぷ(4回目)」

2014年に世界遺産に登録された群馬県にある富岡製糸場。当初は日本の各地や世界からも観光客が押し寄せ、なかなかゆっくり見られない状態だったと思う。ある程度ブームが落ち着いたら、いつか行って見たいと思っていた。

そこで4回目の日帰りトリップは群馬にある冨岡製糸場に決めた。東京駅から朝6時20分のJR高崎線で8時16分に高崎駅に到着。そこから上信電鉄に乗り換える。ただし、この電車は青春18きっぷが使えないので上信電鉄の乗り場ホームにある自販機で往復のチケットと富岡製糸場の入場料を一緒に買っておくとディスカウントになる。(2410円)この切符は往復の駅+1度だけ他の駅でも下車出来るそうだ。高崎駅から目的地の駅、上州富岡駅まで約35分。駅に着いたら地図をもらい駅からブラブラ歩いても15分ほどだというのでちょうどいい時間だ。駅に到着して待合室にあるカタログや地図を手に入れ駅前で富岡製糸場の場所を確認していたら“どちらにいらっしゃいますか?”と声をかけられたので顔を上げると目の前にオレンジ色の小型バスが停まっていた。私が ” 富岡製糸場に行きます “と言ったら” どうぞ、乗ってください。このバスは無料で富岡製糸場に行きますから “と声をかけてくださった。バスは5~6分だったろうか、あっという間に到着した。米国にいる友人にもここを紹介したいと言ったら‘ 数ある観光地の中でも群馬の冨岡製糸場を選んで来ていただいて嬉しいです ” とおっしゃって付近の店の情報も教えてくださった。地元の誇り富岡製糸場の案内をしながら地元愛に溢れている人達だった。記念に了解を得てバスを背景に写真を撮らせていただいた。明治3年、明治政府によって設立された赤レンガの建物は圧倒的な存在感があった。ここからフランスの技術と日本女性の頑張りで世界1上質な絹を世界中に輸出して日本の近代国家の後押しをしたのだそうだ。

製糸場の奥には女性従業員用の寄宿舎やフランスから技術指導に来ていたポールブリュナ氏の家族の住んでいた建物が外から見られる。製糸場の脇には男性職員の家族が住んでいた社宅も展示されていて、ここは外観だけでなく自由に入って見る事が出来た。昭和初期の暮らしぶりがわかるような家具もおいてありその頃にタイムスリップするような感覚になる。玄関入り口で靴を脱いで家に上がったらカイコの一生がわかる生態展示があった。実は私、虫が大嫌い。ちょっと気味が悪いけれど見てみようと成長したカイコを見ていたらケースの中のカイコは本物で動いていた!どこに目があって顔があるのかわかりにくい。でも今はクワの葉でなく緑の羊羹のようなものをお蚕さんはモグモグ食べていた。クワの葉+栄養を考えたバランスミールなのだそうだ。蚕の字は天の虫とも書く。貴重な絹を作ってくれる大事な不思議な虫。見慣れたらきっと愛着がわくのだろうけれど、、、、成長して繭を作ったら生糸にする場合は茹でられ卵を産ませる場合は選別してまた別な所に送られるそうだ。それにしても短い蚕の一生。どちらにしても1週間か10日ほどの命なのだ。

最近はシルクプロテインを利用して着るだけでなく化粧品や食べ物、医療用縫合糸も活用されていてシルクの研究も進んでいるようだ。ギフトショップでは繭の成分と黒砂糖、オリーブ果実油が入った石鹸を買ってみた。一通り富岡製糸場を見終わって来た道を駅に向かった。両脇にはレストランやカフェに加えてシルク商品や衣料品もあった。途中、ギフトショップで北海道の小豆を使ったアイスキャンディーに目がいって店頭で食べながらお店の人と話していたら黄色と白の繭玉を頂いた。‘ これはね、こうやって1/3ぐらい切って中身を出して指を入れて顔をマッサージしながら洗うと肌にいいんです “と繭の中に入っているお蚕さんを捨てようとしたので” あっ!それは中に戻してください。“と言ってお蚕さんも一緒に頂いてきた。もうお蚕さんはドライになっていてミイラ状態だったけれど、そのままポイと捨てるのも忍びないので手を合わせて自宅の土に埋める事にした。駅の近くまで来たら群馬県立世界遺産センター’世界を変える生糸の力‘研究所というのがあった。ここは無料なのに、すごく充実していた。入ったら大スクリーンで絹に関する映像を上映していた。コーナー別に富岡製糸場の歴史や歩みがわかりやすく展示されていてスタッフの人も良く勉強していて聞けばいろいろ説明してくれた。富岡製糸場は当時、成功していたのに民間に売り出さなければならなかったのはフランスからの技術者や一緒に連れてきたスタッフに出す給料が払えなくなったとか、、、聞くと女工さんが1か月稼ぐお金は1円75銭に対してフランスから来た技術者のポールブリュナ氏1人だけのお給料が800円。不平等な条約がたくさん結ばされたのではないだろうか、、、

センターのスタッフの人に聞くと富岡製糸場をバックに何人かの人が写っていてこの人は陸奥宗光で不平等条約の改正に取り組んだ人です。と教えてくださった。歴史に疎い私には不平等条約を日本が結ばされていた事は知っていたけれどその時に貢献して活躍した彼の名前は初めて聞いた。今も、お人よしの日本人は、たくさんの不平等条約を抱えているのではないだろうか、、、、

過去に日本が繁栄していた頃、衰退していった頃の歴史を調べその原因を探っていくといろいろ見えてくるものがある。それにしても学生の頃の歴史の授業は何年に何があってこうだったという私にとっては退屈でつまらない時間だった。

今改めて先代の人達が築き上げてきた日本の姿に興味が出てきている。まるで居眠りしていた歴史の時間を埋める作業をしているような感じだ。

スパイス研究家   茶子

ジャズライフ Brian Browne Trio “Quiet Night”

今週も数あるアルバムからピアノジャズを紹介します。カナダのピアノトリオBrian Browne Trioのアルバム”Quiet Night”です。とても落ち着いた風格のあるジャズです。聴き覚えのあるスタンダードが中心です。ベースの音も気持ちよく響いてきます。カナダの首都であるオタワのあるカフェ(ジャケット写真の建物)で録音されたそうです。カナダも国首がエリザベス女王でしたので国葬の時はどんな様子だったのか想像していました。《R.O.》

Brian Browne Trio “Quiet Night”

1. Beautiful Creatures
2. Lover Man
3. Quiet Night
4. All In Love Is Fair
5. Willow Weep For Me
6. Besame Mucho
7. Django
8. ‘til The Cows Come Home

Brian Browne (p)
Paul Novotny (b)
Barry Elmes (ds)

編集後記「買い物用レジかごリュック」

ロシアによるウクライナ侵攻、日米金利差の拡大などの影響があって商品の値段がだいぶ上がってきたのがわかります。みなさんも日常の買い物で生活防衛をされていると思います。セールを狙って買いにいくとか、ポイントが多くもらえる日にまとめ買いするなど工夫されていると思います。

私たちもスーパーマーケットでポイントが3倍もらえる日(そのポイントで現金に換金できる)はできるだけまとめて買い物をするようにしています。

まとめ買いは良いのですが、水物などがあるとバッグが結構な重量になり歩いて買い物にいく私たちには運ぶのにちょっと困るときがあります。登山用のリュックや買い物用カートを考えましたが、格好よくないのでやめました。いろいろ探して見かけがすっきりしていて持ち運びがしやすいレジかごリュックを見つけました。40Lの容量で耐荷重が18kgもあるので早速、昨日の買い物で使ってみました。両手が使えるのでポケットから家のキーを取り出すのも楽になりました。《R.O.》

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