雑貨屋ウィークリー1334号

雑貨屋のひとり言「歩道橋」

金曜日の昼過ぎ、家から歩いて30分くらいのところにあるお店に用事があり歩いて行きました。途中で横断歩道がない道路を渡るために歩道橋を使うのですが、使用禁止になっていました。警備員の人に聞いたら塗装等の補修工事のためでした。そのあたりは学校があり、いくつかある歩道橋は全部対象とのことでした。塗装をするために歩道橋に足場と塗料が飛ばないように橋全体をカバーをしているところでした。足場とカバーを施すと歩道橋下の高さ制限4.1mが3.8mになってしまうので、通行車両の高さには注意が必要だと言っていました。何もなければ良いと思っていたのですが、土曜日の朝、その心配していたことが起こりました。足場とカバーが設置された歩道橋の下をトレーラーが気づかないまま通過し足場を引っ掛けて一部が崩れ、信号機まで停止してしまう事故のニュースがありました。年に一度しか通らないところで、珍しい工事に遭遇し、しかも翌日に事故が起こる偶然に驚いています。《R.O.》

川柳(東京・成近)

(川 柳)

 キーを打つ指9本は遊んでる

 削除キー未練の指が泣きながら

カラットを知らない指の味噌醤油

盲目の指にピアノの鍵が見え

血判を真っ先に捺すブルータス

(ニュースひとりよがり)

「任期は参院選まで」

さてどっち―岸田首相、泉代表

「率先実行」

派閥解消―石破派

「波乱要因」

オミクロン株―株式市場

河合成近

龍翁余話(707)「“真珠湾”から80年」

大東亜戦争(太平洋戦争=以下、大東亜戦争と言う)を顧みる機会は12月8日の「真珠湾攻撃」と8月6日の「広島原爆投下」、9日の「長崎原爆投下」、そして15日の「大東亜戦争終結の詔書」(玉音放送)の年4回くらいか。しかも、それらの日に大東亜戦争を顧みる人もだんだん少なくなり、今や高齢者層、特に戦前・戦中生まれの後期高齢者に絞られて来ているようだ。後期高齢者の翁は長年、靖国神社の歴史・同神社の戦史博物館(遊就館)研究を行なったり大東亜戦争の最激戦地・硫黄島へ2回に亘る戦跡調査、ハワイ・オアフ島のパールハーバー(真珠湾)にある『パールハーバー太平洋航空博物館』『アリゾナ記念館』『戦艦ミズーリ―記念館』などを度々訪問したりして日米両サイドから大東亜戦争史を学習して来たので年4回の“大東亜戦争回顧の日”には格別の感慨を覚える。

今年2021年は『“真珠湾”から80年』。1941年(昭和16年)12月8日(現地時間7日)、日本海軍(航空隊)はハワイ・オアフ島の真珠湾にある米国海軍・太平洋艦隊基地に対して奇襲攻撃を行なった(同日同時刻に日本陸軍は英国領マレー半島に奇襲上陸している)。これがいわゆる「大東亜戦争開戦の日」となる。真珠湾攻撃の際、米国側の損害は戦艦8隻のうち4隻撃沈、3隻損傷、基地航空機約410機のうち29機破壊、74機損傷、戦死者2,334人、民間人死亡68人。中でも戦艦アリゾナ号の乗組員(兵士)1,177人のうち1,102人がアリゾナと共に海に沈んだ。なお日本側の戦力は空母6隻、戦艦2隻、駆逐艦9隻、特殊潜航艇5隻、艦上航空機350機のうち特殊潜航艇4隻沈没、航空機29機損失、74機損傷、戦死64人、捕虜1人と記録されている。

当時、ハワイ州の全人口は(翁の手元にある『ハワイ日本人移民75年記念誌』によると)約43万人、うち日本人(日系人)は3割を超える約16万人。『真珠湾攻撃』直後、(全米は勿論のこと)ハワイ州においても日本人は“敵性外国人”とされ、日本人社会(自治会等の)リーダー・宗教家・日本学校教師・日本領事館勤務者など(女性を含む)2,300人以上が逮捕され、ホノルル空港のすぐ東側にあるサンド・アイランド抑留所に強制収容させられた。収容を免れた日系人に対する“敵視”も著しく、随時・随所で白人や行政からの迫害は続いた(と『移民史』に記録されている)。なお、現在のハワイ州の総人口は約1,460,000人、うち日系人は178,444人(2020年調査)。

ところで、パールハーバー(真珠湾)には大東亜戦争の“始まり”と“終わり”を象徴する記念館が置かれている。”始まり“は1941年12月7日(現地時間)、日本軍の奇襲攻撃で撃沈され、12m下の海底に沈んだ戦艦アリゾナの真上に建設されている『アリゾナ記念館』、“終わり”は『アリゾナ記念館』から約450m先に係留されている(降伏文書調印が行なわれた)『戦艦ミズーリ記念館』だ。まず『アリゾナ記念館』へ行くにはビジターセンターで申し込み(23分の映画を見たあと)米海軍が運航する150人乗りボートに乗って数分で到着。全長56mの館内はエントランス・広間・慰霊所があり、大理石で建立された慰霊壁には戦死した乗組員兵士の名が刻まれ、また広場からはアリゾナの残骸(甲板など)を見下ろせる穴があり、海中に生花を投じ、戦死者を哀悼することも出来る。

一方『戦艦ミズーリ記念館』へ行くには、ビジターセンター広場からシャトルバスに乗ってフォード島へ渡る。『戦艦ミズーリ』はアメリカ海軍最後の戦艦で全長270.4m、最大幅33m、高さ66m、乗組員2534人・・・とにかくデカイ。翁、これまで3回も訪艦しているが、とても独り歩きは出来ない。そして何より翁が毎回足を止めた場所は、1945年9月2日、東京湾に停泊したミズーリ艦上で日本政府代表・重光葵(しげみつ まもる)外務大臣と連合軍側代表のマッカーサー元帥らによる“降伏文書調印”が行なわれた場だ。いわば大東亜戦争終結の大舞台となった歴史的場所(甲板)である。

さて、翁が『“真珠湾”から80年』を語るのは、単なる“懐古趣味”でもなければ、勿論“戦争讃美”でもない。(以前にも『龍翁余話』に書いたが)どうしても「3人の言葉」を特記しなければならない、と言う思いが強いからだ。1つは昭和天皇のお言葉――(開戦に際し)「アメリカとの戦争は無謀であり自滅的行為だ」と軍の開戦論を批判された、という事実。(時の首相)東条英機は「昭和天皇の大御心(おおみごころ)を知りながら、もはやその時の日本は“開戦への道”を選択しなければならない極限状態にあった」と述べた。そしてもう1人(連合国軍最高司令官)マッカーサーは、1951年(昭和26年)5月3日の米国上院軍事外交合同委員会で「米・英・オランダはアジアでの権益の確保、植民地化のため(邪魔な)日本を叩き潰す計画を実行、石油・錫・ゴム・鉄材などの輸出禁止、日本の在外資産凍結などの経済制裁を行なった。それによって日本は国家の存亡の危機に直面、開戦は“自衛生存、他国に征服されたくない自尊・自立の精神によるものだった」とスピーチした――しかし翁、大東亜戦争を無条件で肯定(正当視)するものではない。戦争がいかに愚かで不毛であるかは論をまたない。真珠湾で、ビルマ、フィリピンほか東南アジア諸国で、硫黄島で、沖縄で、内外の大勢の人々が尊い命を失くした。その戦没者たちの慰霊とともに、その人たちの死を無駄にしないよう“平和への誓い”を新たにしなければならない、それが翁の”大東亜戦争回顧“である・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「季節の移り変わり」

家に季節の移り変わりがわかる木が一本でもあればいい。今私がいる所の庭には大きな柿の木がある。12月に入ると柿の葉が橙色に色付いてくる。その頃になると柿の実は本来の甘味を増して本当に美味しくなる。特別何の手入れもされていないのに柿の木は丈夫だ。充分に太陽の日を浴びて土から木が栄養を吸い上げ、そして柿の実は滋味あふれる味になる。これから一層寒くなる前、こんな天からの贈り物のような果物を食べていたら風邪ひき対策にも良さそうな感じだ。柿が赤くなると医者が青くなるという言葉を聞いた事があるくらい栄養価が高いのだろう。

最近は熟して益々赤くなり軟らかくなった柿の実を狙って鳥たちがついばみに来る。高くて届かない柿の実を見ながら恨めしく思う。ま~鳥たちも命を繋ぐ為に必死なのだから仕方がない。間もなくすると柿の葉は落ちて丸裸になる。そして春になると枝に新芽が見られるようになる。そして少しずつ葉が育ち新緑の緑の葉で覆われる頃になると夏を迎え枝の先に青い小さな実がポツポツ目立つようになる。その柿の木が徐々に大きくなり色が付き始めると秋。そんな植物のローテーションを見ていると季節を感じる。そして柿の木の生命力と私達が受けている恩恵を感じ柿の木に愛情さえ沸いて感謝する気持ちが出てくる。今年も頑張って実を付けてくれたのだな~と。

ところで柿は夜食べると冷えると言われているけれど食べ方も柿を炙って焼いて食べたり干し柿にしたりしても美味しい。今年は柿をサラダに応用して食べたら美味しかった。大根やカブをいちょう切りに薄く切ってビニールの袋に入れてミツカン酢のカンタン酢や寿司酢を入れて軽く揉んで冷蔵庫に放り込んでおくだけでしばらくすると美味しい酢の物が出来る。今年も農家さんから渋柿の渋が抜けたものを干し柿にしたものや乾燥させた干し柿、少し半生状態の干し柿など沢山、頂いたのでクライアントさんなど日頃お世話になっている方々にお裾分けさせていただいた。

東京の自宅は狭くて庭など無いに等しい。それでも隣の家との境目に伸びた南天の木が2階まで伸びてきている。今年もその赤い実をお正月に飾って楽しもう。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ  Roma Trio ”Love Is A Many-Splendored Thing”

迷子になっていた超小型USBメモリー(32GB、16GB)が見つかりました。そのUSBには沢山のジャズアルバムが入っていました。Amazon Prime MusicとAmazon Echo Dot、Amazon Echo Showの出現で新しいジャズがいつでも好きなだけ聴けるようになりUSBメモリーに入れていたジャズはあまり聴かなくなり出番が減っていました。メモリーを別の用途に使おうと思い探したのですが長い間、行方不明でした。一所懸命に探したときは見つからず、何気なく小物をどけたらそこにありました。これまで失くしたと思っていたものがいくつかありますがこんな感じで見つかればいいなと思っています。

今回紹介するのはイタリアのジャズトリオRoma Trioです。メリハリのあるサウンドでジャズらしいジャズです。聴きやすく美しいアルバムです。

Roma Trio ”Love Is A Many-Splendored Thing”

1. Love Is A Many-Splendored Thing《 S. Fain 》( 5 : 11 )
2. If I Should Lose You《 R. Rainger 》( 4 : 35 )
3. Whisper Not《 B. Golson 》( 8 : 59 )
4. Airegin《 S. Rollins 》( 4 : 42 )
5. On Green Dolphin Street《 B. Kaper 》( 5 : 22 )
6. I Love You, Porgy《 G. Gershwin 》( 4 : 36 )
7.Tea For Two《 V. Youmans 》( 5 : 28 )
8. Claudia’s Nightmare《 N. Angelucci 》( 6 : 46 )
9.Message In A Bottle《 Sting 》( 7 : 42 )
10. Everything I Love《 C. Porter 》( 6 : 44 )

Luca Mannutza《 piano 》
Gianluca Renzi《 bass 》
Nicola Angelucci《 drums 》

編集後記「配信メールのメッセージ集」

雑貨屋ウィークリーをメールで配信しています。メールアプリに溜まった膨大な量のメールを整理しているのですが、配信メールをそのまま消去するのは忍びないので、整理してホームページで観れるようにしました。972号(2014年12月28日)からのメッセージを載せました。ページにリンクさせていますのでよろしければご覧ください。ホームページのメニューに追加しました。雑貨屋ウィークリーの配信メールを希望される方はコメント欄でお知らせください。
ついでに雑貨屋ウィークリーのサイトアイコン(下図)を作成しました。ブラウザーのタグについているアイコンです。スマホのお気に入りのアイコンにも出てきます。《R.O.》

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