*祝*雑貨屋ウィークリー1300号

雑貨屋のひとり言

2015/7に1000号、2017/6に1100号、2019/5に1200号、そして本日1300号に到達しました。毎週、発行し続けたらいつかは来るだろうとぼんやり思っていましたが、本当にここまで来ました。
私はただ毎週末に執筆者の皆様からの原稿をいただきそれをホームページに編集して発行する、その繰り返しをしているだけです。毎週、執筆者のみなさんからの原稿を投稿いただき、いつもすごいなあと感心させられるばかりです。いつもありがとうございます。
残念ながら、創刊当時から雑貨屋を支えてくださった河合将介さんといっしょにお祝いできませんが、みなさまといっしょに1300号の達成をお祝いしたいと思います。リニューアルした雑貨屋でこれからもずっと続けて行きます。《雑貨屋店主 大西良衛》
皆さんからのメッセージをいただきましたので、別ページでご紹介させていただきます。

みなさんからのメッセージのページはここをクリックしてください。

川柳(東京・成近)

( 川  柳 )

襲名の孫に期待のありったけ

汗の味知って少年A脱皮

いい名前つけたなお前富有柿

おばさんと若い私にルビを振られ

同姓同名ノーベル賞は僕じゃない

(ニュースひとりよがり)

「東京 京都 沖縄にも」

各地にまん延しそう −まん延防止措置

「首相任期あと半年」

お付き合いします −コロナ

「二刀流全開」

無理だ −経済、コロナ

河合成近

龍翁余話(673)「アマチュア無線」

翁が「アマチュア無線従事者免許」(電波法に基づく国家資格)を取得したのは14年前の2007年の秋だった。取得の動機は、同年に設立された「NPO法人日本災害情報サポートネットワーク」(設立当初、翁は理事の1人であった)の主要業務の1つ“地震・風水害等の自然災害時に、被災地のキメ細かな災害情報発信”のため地元ラジオ局やアマチュア無線局とのタイアップが必要であるため、翁自身もハム(アマチュア無線技士)の資格を得て同法人の活動に役立とうと思ったからだ。そのことは、当『龍翁余話』をスタートさせて間もない2007年10月配信の(第8号)題名も同じ『アマチュア無線』の中で【無線通信は軍事以外に海・山の遭難事故、地震・火災・風水害などの災害時にアマチュア無線家の活躍によって大事を防げた事例が多くある、と聞く。故に翁、アマチュア無線ライセンス取得に夢が膨らんだ】と書いた。

資格取得後、2人の友人(無線工学専門家)の協力を得て我が家に無線局(固定局)を開設。近距離(FT-4700)・遠距離(FT-450)の無線機2台を設置、10階の我が家のベランダから屋上に向けて2本のアンテナも建てた。


 
更にドライブ好きだった翁、愛車に携帯型(モービル)無線機を搭載、ボンネットの端にモービルアンテナを取り付け、アウトドアでの無線活動にも備えた。

ところが翁が理事在任中(の3年間)、せっかく取得したアマチュア無線を災害情報活動に活かす機会はなかった。翁が設置している無線機やアンテナは近距離ばかりでなく日本全国あるいは海外とのDX(遠距離=主に海外のアマチュア局との交信)も出来る性能の機種だから、本当は、いち早く海外のハムと交信したかったのだが、翁のライセンス(4級)では出来ない(海外との無線交信が出来るのは2級~1級の上級者)。そこで翁は(近い将来、上級者資格取得を狙うことにして)、まず近距離(1エリア=関東地方=東京・神奈川・埼玉・千葉・茨城・群馬・栃木・山梨)の“見えないハム仲間”との交信から始めた。最初の頃は「CQ」(呼びかけ)を発するタイミングが難しかった。「CQ」のあと、こちらのコールサイン(識別サイン)を言う。翁の無線局の識別サインは「JF1KVZ」。したがって「CQ,CQ,CQ、こちらはJF1KVZ,こちらはジャパン・フロリダ・ワン・キング・ヴィクトリー・ゼブラ」(意味は無い。1つ1つのアルファベットと数字を正確に伝えるだけの単語の羅列)を2,3回繰り返す。そのうち「CQ」待ちしていたハムが応答してくれる。時々ドライブ先で「アウトドアCQ」を試みる。江の島へ行った時のこと、交信相手が「音が近いですね」と言った。翁「はい、今、江の島にいます」と答えた。相手は何と藤沢市の住人だった。音(感度)が良かったので5分ほど会話を交わした。藤沢市の観光案内もして貰った。このようにハムの楽しみ方はいろいろあるが「アマチュア無線」の「アマチュア」は「素人」と言う意味ではなく「非営利・自由な私的学究無線」を意味し、それなりの品位やマナー・ルールの遵守が求められる。

免許取得後しばらくは週に2回ほど「CQ」を発したが、アマチュア無線は相手が見えず“人となり”が分からないので会話内容がありきたりで“会話を楽しむ”実感が湧かない、加えて(前述の)NPO法人日本災害情報サポートネットワークの理事辞任や、3度に亘るガン手術など体調不良で数年間、無線機から離れていた。ところが昨年来の“コロナ禍”による外出自粛で“お宅時間の過ごし方”の1つに“ハム再開”の機会が生まれた。現在は週に1回、「CQ」を発している。しかし“コロナ禍”の中でハムの多くが(翁と同じように)無線交信を楽しんでいるのだろう、「CQ」を発しても、“電波ラッシュ”でなかなか応答者がつかまらない。時には30分以上、呼びかけても応答なしの日が続くこともある。それでも(時間帯によっては)4~5回の「CQ」で「JF1KVZさん、こちら○○○○〇〇(応答者の識別サイン)です。周波数を合わせましょう」とうまくコネクト出来ることもある。交信会話は(今は)“コロナ禍”の話がメイン。コロナに関する政府や行政への“恨み節”が多いが「この機会に今までやりたかったこと、出来なかったことなどに挑戦している」と“前向きの話”もあって(平均5分間)なかなか楽しめる。なお、JARL(日本アマチュア無線連盟)によると「コロナ禍でステイホームを余儀なくされている昨今、アマチュア無線家のアクティビティ(活動)は確実に増加している」そうだ。

ところで、4月18日は「世界アマチュア無線の日」である。1925年(大正14年)4月18日にパリ(ソルボンヌ大学=現パリ大学)で「国際アマチュア無線連合」(IARU)が設立され(本部は米国コネチカット州)、1973年(昭和48年)に(4月18日を)「世界アマチュア無線の日」に制定した。なお、日本でのアマチュア無線の歴史も長く、IARU創設の10年前、1915年(大正4年)に「無線電信法」が施行され無線施設の私設が認可された。IARU設立の翌年の1926年(大正15年=昭和元年)6月に「日本アマチュア無線連盟」創立。先の大戦で“私的無線”は禁止されたが1952年(昭和27年)7月29日に復活、その日を「(日本の)アマチュア無線の日」に制定した。翁は今、ステイホームのお陰で再びアマチュア無線の醍醐味を味わうことが出来ている。もはや社会貢献は無理だが、せめて“脳活”の一助になれば・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』

茶子のスパイス研究 アジア系差別の問題

今回、LAに戻ってくる時にアメリカではアジア系に対する人種差別があるから気を付けてと友人達から心配された。
渡米する前に米国にいる日本人の友人達から状況を聞いてみると以前と変わらないと言う。地域にも寄るかもしれないけれど私の住むサウスベイエリアはアジア人も多く日系のスーパーマーケットもレストランも多い住宅地だからなのか、あまり危険は感じない。
それでも注意に越した事は無いので夜間はなるべく外出しないようにしている。ダウンタウンや危ない地域や人がいない所も避けて行かないように努めている。
先月、ジョージア州にある韓国系マッサージ店で4人の韓国人女性が亡くなり他アジア系を含め2人の白人女性と合計8人が銃に打たれて亡くなったそうだ。在アトランタ韓国総領事も現場に派遣されこの状況を確認したのだそうだ。
銃を乱射した犯人のフェイスブックによるとコロナを作った中国は最大悪だと非難していたそうだ。武漢研究所で作られた病原菌の調査を邪魔し米国民50万人を殺した事に恨み、つらみが書かれてあったそうだ。だったら中華系の店が狙われるのだろうけれど彼らにしたら
中国人も韓国人も日本人も区別がつかないのかもしれない。
そんなわけで、アジア系にまで広がっている差別を憂慮して友人から日本人とわかるようにと日本の国旗とアメリカの国旗が一緒になっているピンバッチを頂いた。
でも、考えてみると、ここカリフォルニアは世界抗日戦争史実維護連合会という抗日、反日ロビー活動をする団体組織の本部がある所だ。この組織はサンフランシスで1994年中国系アメリカ人が中心になって結成されたようだ。韓国の慰安婦像のキャンペーンの資金もここから出ていると言う。そういう連中は日本人が嫌いだし日本と米国の同盟関係を快く思っていない。だから、そういう人は、このピンバッチを見たら反感を持つだろう。戦前から日本と米国の分断工作も静かに巧みに行われてきて日系人アメリカ人もだいぶ、その影響を受けている。日系アメリカ人は戦争中、人種差別を受けて理不尽な扱いを受けキャンプに入れられ銀行に入れてあるお金も凍結された経験がある。その苦い経験が蘇ってくるのだろう。
今米国で起きている中国人に対する排斥運動と日系人が受けた屈辱的な経験が重なって同情する気持ちも強いのだと思う。
でも日本から来た日本人の私としては散々、米国や他の国で日本叩きをしながら、いざ中国が叩かれそうになると、いつの間にかアジアという範囲まで枠を広げ一緒になってヘイトクライムと戦おうとキャンペーンを仕掛ける人達に賛同をする気持ちにはなれない。米国で起きた日本製品叩きの裏にも中華系とずぶずぶになっていたカリフォルニアの議員が動いたという話も聞いた事がある。
確かに、中国人と共産党員を分けて考えないといけない事もあるけれど昨年起きた黒人差別問題で暴動を起こした中国人の学生の中には中国大使館の命令を受けて参加したと自白した
若者もいて反対すれば国にいる家族が引っ張られるという事情もあって、なかなか難しい所なのだ。中国資本に支えられている米国の大手メディアは今日もアジアンヘイトを辞めさせようと大量にコマーシャルを流している。

スパイス研究家 茶子

さくらの独り言「五段活用」

日の沈む方角からいつもならゆっくりやってくる雲群が、その時は突然だった。「あっ」と私の唇が開くより早く、雷さまが脳に伝達したみたい。激痛で動けない、いや、呼吸をしようとしても分からない。これが世にきく“ぎっくり腰か?と自問できたのは、それからどれくらいがたったからだろう。今思い出しても身体中が凍り付くような瞬間だった。それは今年3月31日、明朝はどんなジョークを主人に投げつけようかなと思案しながら夕食の支度をしている最中だった。あれから10日、私の頭はまるで中学生みたいに、日本語五段活の習得に励んでいる毎日だ。

実のところ身体の異変には気が付いていた。我が家の息子・娘とその家族9人が集った元旦だったかな。身体が始動する、例えば、一歩足を踏み出す、次の歩きを始める、椅子から立つ、身体の向きを変える、階段を上る、車から降りる、いつも新しい動きをしようとする瞬間に尾骶骨と左足が痛いような、、、ような、、、ような、であった。転ばぬ先の杖と決し、リハビリに通い始めたのは2月半ば。衰えた筋肉の回復と歪んた骨の矯正、加齢に加え数年前に1年間で体重13キロ激減したことも起因だろうが、仕事楽しさ一途に飛び回った40~50代の無茶苦茶な日々がこれに加担したのかもと反省。年相応の症状だと軽く考え、油断していた。しかしそれから一月経過しても好転しないどころか、前述のとおり雷様が落ちてしまった。窓から観える墨田川沿いの桜は葉桜になり、さくらの61歳誕生日まであと3日。日めくりも新しいページになった日、整形外科医の診断は「仙腸骨とその周辺の炎症によるもの」、硬膜外ブロック注射、コルセット着用、鎮痛剤服用となった。せっかちな私は整形外科から帰宅するや否や、夫以外の家族や友人に連絡したくてたまらない。何故ならそれは、現状を伝え、既に約束していた4月~5月の再調整のお願いを急ぎたかったから。でも、数日待つことにした。なんせその日は、エイプリールフールだったから。

ところで、まともに立ち歩きさえできない激痛に襲われてから、私の看病(介護?)は勿論、家中のことは全て夫がやってくれている。整形外科クリニックから戻った私に「“執事”になるよ」と夫が申し出てくれた時は激痛が倍増した、笑っただけでも激しく痛いのだ。笑っていられあいだはまだいい。でも自分が担当している分野(家事にしろ仕事)を人に代わってもらう事は、痛みをこらえるより辛い時がある。贅沢な話だと人は笑うかもしれないが、事実だ。痛みに耐えてじっとしている自分が人に何かをしてもらうことが痛恨であったり、情けなさを感じたり、やってもらっていることが自分の意ややり方に少しでも違うとイラついたり。そんな時自分自身に向かって唱えた呪文が「動かない、動きます、動く、動く時、動けば、動くな」。動詞「動く/動かない」を状況に応じて文節をつなげながら変化させ、ムクチ(無口ではなく6口)の自分が1口になれるよう努めている。これがまたなんと、三猿『見ざる、言わざる、聞かざる』より難しい。身近な人が祈りと希望を持って捧げてくれる労力と時間をありがたいと思う気持ちより、自我の強い自分を嘆くばかりだ。

さて、「いろいろな病気怪我をよくなさっているのですねえ」と、いつも初診の問診表を見た看護師や医師は異口同音。「まだまだこれから増えますよねぇ、皺と比例して。私も人並みにやっと歳をとってきたって証かなぁ」と私は言う。私の誕生日4月3日には必ず祝いの電話をくれる母や姉、娘息子や孫そして友人たちには、元気な声が出せるようになってから話したいと、祝い対話の延期をお願いしてある。中学2年生になった孫が次回来往時は、現国の活用を一緒に学びなおそうと思っている。昨日から、『無理をしないで怠けない』と自分にいいきかせつつ、背中を壁に沿わせ、高さ1mのサイドボード上にPCを置いて使い始っている。神様から頂いた心身はまだまだ活用できるのだぞぅ・・・っと呟く、さくらの独り言。

ジャズライフ ”Slowing Down The World” Chris Botti

久しぶりにChris Bottiのトランペットジャズです。都会的でムードのある素敵なジャズです。
落ち着いて聴ける大人のジャズという感じです。ジャズを知らない人でも聴きやすく好きになると思います。

1.Irresistible Bliss
2.Look, The
3.Drive Time
4.In the Wee Small Hours of the Morning
5.Open Touch, The
6.Under a Painted Sky
7.Why Not
8.Place Between Us, The
9.Same Girl
10.Where I’m Calling From
11.Letting Go

編集後記

雑貨屋の変遷に『雑貨屋ウィークリー1300号を達成』を書き加えました。
4月8日に『安全なパスワードの作り方』を投稿しました。
さあ次は25周年記念の準備をしたいと思います。
読者の皆様も参加していただけるような雑貨屋にしたいと思っています。面白い企画を考えたいと思います。みなさんもアイデアがありましたらぜひ投稿してください。お待ちしています。《R.O.》

コメント

  1. おかもと より:

    なかなかすごい歴史ですね‼️

    • zakkaya-tenshu より:

      岡本さん
      コメントありがとうございます。
      今年で25年になります。
      面白い企画を考えているところです。

      大西良衛