雑貨屋ウィークリー1332号

雑貨屋のひとり言「大谷翔平選手アメリカンリーグMVP受賞」

二刀流で野球の概念を変えた大谷翔平選手がアメリカンリーグのMVPを受賞しました。しかも満票で選ばれるという快挙で誰も文句のつけようがありません。彼の前例のない活躍は多くの人に感動を与えました。そして彼の礼儀正しさは自然で尊敬できます。日本人として誇らしく思います。これは彼の比類なき才能と努力の成果ですが、これにはたくさんの人の支えがあったからで、彼は受賞の挨拶でその人たちに感謝の意を述べています。その中には野球道具で大谷選手を支えている人たちも入っていると思います。あるテレビ番組で紹介されていた人たち、それは神戸市西区にあるアシックススポーツ工学研究所のチーム大谷です。手にピタっとフィットするグローブ、46本のホームランを産み出したバット、160キロの投球を支え、26の盗塁を可能にしたスパイクシューズなど、すべて大谷選手の体型、動きに合わせて最高のパフォーマンスが出せるように日夜研究し、チーム大谷が創り出したものです。チームの皆さんは今シーズンの彼の活躍で毎日ワクワクしていたことでしょう。大谷翔平選手の受賞式を観て涙を流して喜んでいると思います。たくさんの人が来年の大谷翔平選手の活躍を観るのを楽しみにしています。《R.O.》

川柳(東京・成近)

(川柳)

町工場の専務で妻で子の親で

納豆にネギが入らぬ妻の留守

やっぱりと言ってる妻のポリグラフ

女房の負けるが勝ちに操られ

二泊とか三日天下の妻の旅

(ニュースひとりよがり)

「大谷二刀流」

免許皆伝だね - 宮本武蔵

「藤井竜王五冠に挑戦」

俺を超える気か - 富岳

「在職一日で100万円」

議員を実感した - 初当選議員

河合成近

龍翁余話(705)「感謝祭の思い出」

11月23日は『勤労感謝の日』である。趣旨は「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝し合う日」とある。1948年(昭和23年)の制定までは『新嘗祭』(にいなめさい)と言う祭事が行なわれて来た。日本では古くから各地で五穀の収穫を祝う風習があった。この『新嘗祭』は、天皇がその年に収穫された新穀などを神々に供えて感謝の奉告を行ない、天皇自らも食する儀式(宮中祭祀の1つ)である。始まりは(定かではないが)各種文献によると奈良時代(710年~794年)から行なわれていたと言う説が有力だ。明治新政府は「五穀豊穣(ごこくほうじょう=米・麦・アワ・豆・キビの五穀の豊作)を宮中も国民も共に喜び感謝し合おう」と言うことで1874年(明治7年)に11月23日を『新嘗祭』(祝日)と決めた。翁の子どもの頃、我が家の(新嘗祭の日の)朝食は、新米のご飯を神棚や仏壇に供え、家族そろってお祈りし食卓に向かうと「お百姓さん、ありがとう、いただきます」と言って(親に言わされて)食したものだ。そのせいか、翁は現在もなお第一次産業(農・林・酪・漁)従事者への感謝の気持ちは強い。テレビ番組で田畑・山林・放牧場・漁場の映像(そこで働く人々の姿)を視るのが好きだ。

ところでアメリカやカナダでも『感謝祭』(Thanksgiving Day)と言うのがある。アメリカは毎年11月の第4木曜日(2021年は25日)、カナダは毎年10月の第2月曜日。日付が違うのは収穫の時期が異なるからだそうだ。主旨は(日本と同じように)「収穫の恵みを神々に感謝する」ことらしい。実は翁“ハワイの『感謝祭』”には、いろいろな思い出がある。約40年前から毎年11月にハワイ旅行を恒例化し、約35年前から現地の日系人ファミリー(Tファミリー)の1員に加えて貰ってからは毎年『ファミリー感謝祭』に招かれていた。『ファミリー感謝祭』と言うのは、(Tファミリーを含め)幾つかの親戚が各々食糧を持参して(ある親戚の家に)集まるホームパーティのことで、老人から赤ん坊まで毎年50~60人が集まり、食べ、歌い、語らい“絆を深める日”(Day for Deepening Bonds)としている。そして『感謝祭』定番の食べ物としてはターキー(七面鳥)の丸焼き・丸焼きの中の詰め物(後述)・マッシュポテト・サツマイモ、スイートコーン・トウモロコシ・カボチャを主とする秋野菜、グアバ・パパイヤ・パイナップル・バナナ・マンゴー・ライチなどのトロピカルフルーツ、更に(翁の大好物)パンプキンパイ・アップルパイやアイスクリームなどが伴う。約20年前、たまたま翁と一緒にハワイ旅行をしたゴルフ仲間のI君夫妻を、この『ファミリー感謝祭』に招いたことがある。この時期になるとI君夫妻「また、あのパーティに参加したい」と当時の写真を引っ張り出し懐かしんでくれている。残念ながら昨年と今年は“コロナ禍”のため翁は渡航出来ず、また現地でも“パーティ自粛”のため『ファミリー感謝祭』は行なわれなかったとのこと。

ところで、ターキーが何故『感謝祭』の主役になったかについて、以前、Tファミリーの長老に聴いたことがある。「1620年(日本では江戸幕府の初期、秀忠~家光の時代)から多数のヨーロッパ人がアメリカ大陸にやって来た。しかし、住み慣れない土地で彼らは飢えと寒さに遭遇、大量の犠牲者を出した。そんな時、先住民(ネイティブアメリカン=インデイアン)は白人たちを助け、食べ物や農作物の種(たね)を分け与えた。翌年(1621年)、実りの秋を迎えた白人たちは、狩りで捕えたターキーを中心に収穫した沢山の農産物を調理して世話になった先住民たちをパーティに招き“感謝の気持ち”を伝えた。これが『感謝祭』の始まりだと伝えられている。しかし、その後にやって来た白人(特にイギリス人)は先住民の土地と命を奪い“植民地化”を進めた。1637年の『感謝祭』では(かねてよりイギリス人と敵対関係にあった)インデイアン(ピクオート族)とイギリス人の争いが激化(ピクオート戦争)、この時、多くのピクオート族が虐殺された。この事件には他の部族の先住民たちも(白人に)反発した。以後、先住民にとって『感謝祭』は“大量殺人の日”とされているそうだ」・・・

翁、“ハワイでの感謝祭”でもう1つ思い出がある。オアフ島の東部に「カネオヘ」と言う町がある。観光名所「ヌアヌ・パリ(渓谷)」から見下ろせる箱庭のような町が「カネオヘ」だ。約30年前の話だが、その町の高校(Castle High School)で行なっている“ターキー蒸し焼き行事”を見学したことがある。近隣の住民や生徒の家庭から依頼されたターキーを生徒たちが1晩かけて蒸し焼きにする行事――裸のターキーの腹の中に玉ネギ・人参・セロリー・ゆで玉子・リンゴ・ご飯などを詰め込むなど下ごしらえをしたターキーを夕刻、学校に持参。学校の校庭に広い穴(“イム”と言うそうだ)が掘られている。その中に大きな石ころを入れて木材などで火を焚き(石を焼き)その上にバナナの葉を敷き、アルミ鍋に入れた裸のターキーをアルミ箔で包んで乗せ、更に青いバナナの葉を覆って、その上から(穀物や農産物を入れたり、土のう作りに使う)麻袋を湿らせて青いバナナの葉っぱに乗せ、その上から土を被せる(何しろ30年前のことだから記憶が曖昧だが)。それらの作業は全部、生徒たちが行なう。約3時間で作業が終わり、1晩蒸す。約10時間後(翌朝の7時頃)生徒たちは“蒸し穴”を掘り起こして蒸し上がったターキーを取り出し“依頼者”に手渡す。“蒸し代金”は幾らだったか聞き忘れたが、それらのお金は学校の慈善事業(青少年のスポーツ振興など)に使われるそうだ。学校とコミュニティが一緒になってボランティア活動を行なう『感謝祭』行事の1つ、これは他の学校でも行なっているそうだ。しかし残念ながら”コロナ禍“で昨年・今年は中止になったとか。来年以降、再開するかどうかは不明だが、”コロナ禍“後、もし再開されるなら翁、30数年ぶりにもう一度Castle High Schoolの“ターキー蒸し焼き行事”を見学したいと思っている。

さて、翁は子どもの頃の『新嘗祭』以来、『勤労感謝の日』の思い出はない。が、せめて11月23日は労働者(特に農・林・酪・漁業者)への感謝の気持ちを呼び起こしたい。食事時に言おう「お百姓さん、ありがとう」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究 「リトル東京での食のイベント」

先週の日曜日にリトル東京でLA Eats Japanというイベントがあった。久しぶりに賑やかなリトル東京に出かけた。一時、さびれていたリトル東京はコスプレした若者やアジア人、白人で溢れかえっていた。今、日本に旅行したくても行けないLAに住む人達がこの小さなリトル東京に集まってきていた。そういう日本ファンの人達がラーメンや、お好み焼きを美味しそうに食べている姿を見ると微笑ましくなる。今回は日本の縁日を思い出させるように、おみこしが出たり、金魚すくいやひょっとこのお面を売っているブース、焼きトウモロコシ、かき氷などのブースが出ていた。

小さなリトル東京を久しぶりに一回り歩いてみた。日本のベーカリーショップ、大判焼きを売っている店、すし屋、日本の食品が売っているマーケット等など、このイベントで人が集まっていたせいか、どこも繁盛していた。残念な事にウェラコートの方は空きの店が目立ち3階の方は中華系、韓国系の店が入っていたが閑散としていた。そのウェラコートに向かう途中、二宮金次郎さんの銅像の前でアジア人の観光客が写真を撮っていた。相変わらず銅板で書かれていた二宮金次郎さんの説明、いつ誰が建立したのかはその銅板が剥がされてしまってからそのままになっているので外国人からしたら、どこの誰それで何でそこに建立されているか意味がわからないはずだ。今、後悔するのは、あの時、この人は誰でどんな偉業を成し遂げたのか教えてあげれば良かったと、、、、、、そうすれば、その人達がまた誰かに伝えてくれるはずだったかもと、やっぱりその時の瞬間を大事に思った事は行動する。そうでなければ後悔してしまう。ところで日本の食品を売るブースで柚子塩を見かけた。いろんな柚子塩を見ているので、ふと目が行った。そうするとそのブースにいた方がどうぞ試してくださいと柚子塩を私の手の平にパラパラと降ってくれた。聞くと宮崎県から来たばかりで出店のお手伝いをされている輸出、輸入をされているオーナーの方だった。宮崎と聞いてあの鍛冶屋さんを思い出した。95歳になる帰米2世のクライアントさんから頂いた中村包丁。その使いやすさに感動して以前、この雑貨屋でも書いた事がある。昔からある鍛冶屋さんで作られた中村刃物。その人を知っているというのでびっくり。その方も、まさかそこで私の口から中村さんの名前が聞けるとは思わなかったと、お互いに驚いた。中村包丁が気に入ったサンフランシスコのシェフからの要請で2度サンフランシスコに行かれたとか、、、、こういう偶然は大事にしないといけない。やっぱり来年は宮崎に行こうと改めて思った。今は中村氏の息子さんもお父様の技術を伝授して頑張っておられるとお聞きした。

さて、今回のイベントではA Taste Of Honeyテイストオブハニーというグループも出演すると聞いた。すぐに、あのブギウギウギのヒットした曲のイントロが頭に流れてきた。そのバックで友人の知り合いが音楽をやるとかでその音楽も久しぶりに聞いてみたかった。最初に歌ったのはスキヤキソング、着物を着て踊りながら歌ってくれた。最後は、あのブギウギウギの歌で盛り上がった。でも、今回私の中で1番盛り上がったのは中村氏を知る人に出会えたこと。宮崎で何かまたワクワク感動出来る事に出会えそうな予感がする。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ Jon Davis Trio “Happy Juice”

NYで活躍しているピアニスト兼作曲家Jon Davisのアルバム”Happy Juice”を紹介します。Jon Davisは30年以上にわたり、世界中の多くの最高のジャズミュージシャンと共演しツアーを行ってきました。Davisはソロからビッグバンドまで幅広く多様性のあるミュージシャンです。このアルバムは2017年の作品です。彼のアルバムは初めて聴きましたが、美しいメロディー、奇麗な音に引き込まれます。

Jon Davis Trio “Happy Juice”

Jon Davis (p)
Boris Kozlov (b)
Mark Ferber (ds)

1. Happy Juice (J. Davis)
2. Slant Six (J. Davis)
3. The Two Lonely People (B. Evans)
4. As We Know (J. Davis)
5. Tones For Joan’ s Bones (C. Corea)
6. Bred On Red (J. Davis)
7. Speak Like A Child (H. Hancock)
8. Search For Peace (M. Tyner)
9. Mostly Minor (J. Davis)
10. Rainbow (K. Jarrett)
Posi-Tone Records PR8171

編集後記「河合さんのPC不調」

雑貨屋ウィークリー1330号の発行前に河合成近さんから川柳の原稿をファックスで送るから打ち直して掲載してほしいと連絡がありました。河合さんのPCの調子が悪くなり、メールで送れなくなったからです。我が家ではファックス受信はできないので電話で言ってもらいそれをPCにタイプして原稿を作成しました。先週も今週も電話で原稿をいただいて掲載しています。雑貨屋ウィークリーを発行しても河合さんが雑貨屋ウィークリーを読めないのでチェックしてもらえずちょっと心配しています。はやくPCが復旧することを願っています。

私が住んでいる住宅と商業施設の複合エリアの浸水対策を計画しています。理事である私が提案したので私自身が中心となって浸水、防災関連の情報入手を続けています。浸水対策として止水板や止水ドアの製品カタログ等で製品情報は入手でき、ある程度までイメージできるのですが現物を見ることができていません。現物を見る機会としては展示会などが最適だと思います。先週、大阪インデックスでオフィス防災EXPOという展示会があり、防災のヒントになるものを探しに行きました。浸水対策に関連するものはなかったのですが、災害時に役立ちそうなものがあり参考になりました。リタイアしてから展示会に行くのは初めてした。展示会の受付はメールで送られてきた招待状のQRコードをリーダーにかざして名刺をスキャナーにいれると入場バッジがプリントされて出てくるシステムになっていました。
名刺など使うことがなかったので急遽ネットで注文しました。注文するときはパワーポイントやワードなどのテンプレートが準備されているので自分で構成、デザインを決めて入稿する(送る)だけです。片面カラーで100枚370円、片面モノクロなら150円という驚きの値段です。ゆうパックやネコポスで送ってもらうと260円(郵便ポストの投入口が狭い場合は入らない可能性があるので宅配便のほうが確実です。)です。自分で名刺の印刷用紙を買って、家のプリンタで印刷するより簡単ですのでお勧めです。宅配便なら注文した次の日に届きます。《R.O.》

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