雑貨屋ウィークリー1428号

雑貨屋のひとり言「ナノバブルの威力」

ナノバブルは通常の水泡と比較すると10000分の1以下の水泡で、毛穴の汚れや繊維の隙間に入った汚れを浮き出させて洗い流すことができます。ナノバブルのシャワーヘッドに替えると、従来品と同じ水圧でも水量がかなり減らせるので、水道代の節約にもなります。この技術を利用した洗濯機のホースを入手しました。洗濯機にナノバブルの水を使うことで洗濯物の頑固な汚れや洗濯槽の汚れまできれいにすることができます。実際に洗濯すると、これまでなかなか落ちなかった服の襟首の汚れが綺麗に落ちていました。ナノバブルの効果を実感しました。このホースを使い続けると洗濯機のドラムの汚れもナノバブルによって綺麗になりそうなので楽しみにしています。ナノバブルは見た目ではわからないので、安いコピー製品には注意した方が良いと思います。 《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川 柳  )

豪快に飲んだその後の泣き上戸

授賞式内助の妻の目も涙

感動の涙に邪魔な付けまつ毛

鬼の目の涙あいつも歳をとり

泣いて泣いて仕上げは今日の嬉し泣き

(ニュースひとりよがり)

「内閣支持率上がらず」

どうする岸田 ―家康

「コロナ・インフル・熱中症」

三密は避けてください ―救急車

「そんな昔もありました」

4横綱時代 ―大相撲

河合成近

龍翁余話(800)「800号の感慨~継続は力なり~」(拡大版)

“龍翁余話800号”――よくも続いたものだ。実は2021年10月17日に『700号の感慨』を配信した。読み返すと、もうこれ以上付け加えることがないと思うほどの“感慨”を書き綴っている。そこで今号(『800号)も(1部分』100号、200号、300号・・・700号までの節目号に書いた“感慨”と同じような内容になることをご容赦いただきたい。

翁は2004年4月から自分史『龍翁の独り言』を書き始めた。その後、2007年6月にZAKKAYAWEEKL』(1996年に米国カリフォルニアで創刊された在米日本人有志による”週刊エッセイ集“=今世紀初頭から本部を日本に移し今週号で1428号、主幹:大西良衛氏=大阪在住)と出会い翁もZAKKAYAWEEKLY』寄稿者の1員となって自分史のタイトル『龍翁の独り言』を『龍翁余話』に変更、以後(ほぼ週1のペースで)独断と偏見を書き続け、そして今号で800号を迎えるに至った。”節目号“を読み返すと(前述のように)、どの“節目号”も同じような“感慨”を述べている。しかし、新しい読者に『龍翁余話』の”事始め“を知っていただくためにも前回までの“節目号”をなぞることにする。

まずは“龍翁”命名の由来から――2代目市川猿之助(1888年生まれ)が1963年に75歳で亡くなる前年(1962年)に孫の市川団子(1939年生まれ、“スーパー歌舞伎”で人気を博した2代目猿翁、今月13日83歳で死去)に3代目猿之助を譲り、自らは“初代猿翁”を名乗った。その時、74歳の彼は「翁の文字、まだ身に沿はず、衣がへ」と詠った。“龍翁”は68歳で“翁”を名乗った。その時、“猿翁”の句をもじって詠んだのが「翁とは、まだ10年先の、呼び名かな」だった。だが、古希を過ぎた頃「翁とは、我が身に添えし、呼び名かな」を実感するようになった。

ところで“事始め”の頃、多くの友人たちから「龍翁余話執筆の動機は?」と問われた。翁の答えは「これまで自分は何をして来たか、どう生きて来たか」を振り返ってみたい。言い換えれば“生きて来た証”を残したい。自慢話も懺悔(後悔)も躊躇することなく素のままの自分を曝け出そう、いわば“自分史”と言う位置づけで――更に言えば、これからの老後(余生)をどう生きるかを探る糧(かて)にしたい」だった。

ご承知の通り“余話”とは「ある事に関してのちょっとした話(こぼれ話)」のことだが、『龍翁余話』は、「世の中のあらゆる事象(出来事)や現象(人間界や自然界に形として現れるもの)に対して、龍翁が目にするもの、耳にするもの、感じるものを自由気儘(ストレート)に書き綴ろう(吼えまくろう)・・・言うなれば“怖いもの知らずの遠吠え”(独断と偏見)のエッセイに仕立てようと、段々とそのような傾向・形態になって来た。翁の現役時代は本業の映像制作(専門はドキュメンタリー映像)のほか、教育関係や公的活動に携わっていたので、老域に入ってもなお“見(観)たり、聞(聴)いたり、試(実践)したり”のクセが残っていたのだが、超高齢の今日になっては(哀しいかな)“気あれど体動かず”“智湧けど力(能)及ばず”の状況を憂いている始末。“筆運び”も遅くなった。理由は言葉忘れ、漢字忘れ、人名や地名など固有名詞の忘れなどがひどくなって、思考時間や辞書、資料、インターネットの検索時間が長引くようになったからだ。しかも読み直すと、時々、誤記・誤字・脱字・勘違いなどがあって修正に追われることもある。つまり能力の衰えが顕著になった。そんな状態で、よくもまあ800号も続いたものだ。

「継続は力なり」という言葉がある。「何事も“続ける”作業は大変な困難を伴うものだが、何事も“続ける”ことで成果が得られる」という意味だ。翁が己れの人生を振り返って「続けて来てよかった」と思えるものに、この『龍翁余話』がある。何が“成果”か、と問われれば、はて?だが、あえて言えば「世の中の事象(物事や現象)への批評(批判)・提言・ささやかな自慢話・懺悔(後悔)などを、誰憚ることなく、赤裸々に吼えまくった(書き綴った)ことで、叱咤激励をしてくれる多くの読者(仲間)を得たことが“成果”であろう」、と自己満足している。

ところで――「日本のアンデルセン」と呼ばれた久留島武彦(くるしまたけひこ=1874年~1960年)と言う児童文学者・童話の語り部がおられた。翁も小学生の頃、先生の口演童話『菩提樹』を聴いて子ども心に感動した覚えがある。『菩提樹』の内容は忘れてしまったが、口演の結びの言葉「自分が正しいと思うこと、やりたいこと、やらなければならないことは最後までやり抜きましょう」は今でもはっきり記憶に残っている。(これは言うまでもなく『継続は力なり』を分かり易く伝えたものである。)以来、翁は久留島武彦先生を“師”と仰いで来た。先生の出身地は豊後の国・森町(大分県日田市の隣町の玖珠町)。この町は久留島先生の功績を讃え、1950年から“童話の里”を名乗り毎年5月5日に“日本童話祭”を開催している。その久留島先生は旧森藩の藩主の末裔である。17世紀頃から瀬戸内海で海賊(海族)として強力な勢力を誇っていた村上水軍の一軍・来島水軍(来島長親=くるしまながちか))は伊予国来島(愛媛県今治市)に1万4千石を領していた。1600年の「関ケ原の合戦」で西軍(石田三成軍)に組みしたので一時、一族存亡の危機にさらされたが長親の妻の叔父にあたる福島正則や本夛忠勝(いずれも家康の重臣)の取りなしで家名存続が許され1601年豊後の森に(日田・玖珠・速見の3郡を領する)“森藩”を立藩(禄高は伊予国時代と同じ1万4千石)、長親が初代藩主となる。同年に来島一族の菩提寺である安楽寺(曹洞宗)を森藩内に創建、以後、歴代藩主はこの安楽寺に祀られており、武彦先生もこの寺の墓地に眠っておられる。なお、2代藩主・通春(みちはる)の時代(1616年)「久しく留まりたい島(場所)でありたい」と言う願望があって「来島」から「久留島」に改名。武彦先生は森藩最後の藩主(第12代)久留島通靖(くるしまみちやす)の孫にあたる。(明治維新後、久留島家は貴族に列し明治17年“子爵”となる。)

さて「継続は力なり」であるが――玖珠町内の数か所に「久留島武彦先生像」が建立され、その銅像の脇に「継続は力なり」の格言を刻んだ石碑が置かれている。言うまでもなく、この格言は先生の“座右の銘”である。では、その「継続は力なり」の語源(由来)はどこから来たものだろうか?を探ってみた。

インターネットで検索したら、住岡夜晃(すみおかやこう=1895年~1949年、浄土真宗の宗教家)の名が目に止まった。彼の作品に『讃嘆の詩』と言うのがある。その詩の中に、「念願は人格を決定する。継続は力なり」と言う一節がある。「念願(夢や希望)はその人の人格を決定する。だからこそ継続することが大切なのだ」と説いているのだ。久留島先生はクリスチャンであり児童文学者であると同時に青少年教育者(日本にボーイスカウトを紹介し、日本ボーイスカウト設立の基盤づくりに尽力、ついでながら翁も小学生時代、日田・玖珠ボーイスカウトに入団、“3つの誓い、8つの掟”を学んだ)。一方、住岡夜晃師は仏教家、宗教は異なるが、お二人の共通点は(お二人とも)「青少年の健全育成」に貢献した教育者であったと言う点だ。翁が想像するに、久留島先生は住岡師の『讃嘆の詩』の「継続は力なり」に共鳴したものか、あるいは、米国・イリノイ州に伝わる格言「継続は成功の父」から得たものだろうか。どちらでもいいが翁が普段使っている「継続は力なり」は久留島武彦先生の”座右の銘“を引用していることだけは確かだ。

その「継続」の意欲も、高齢化とともにだんだん怪しくなる。“終活”と言う文字を目にし、言葉を耳にするようになって久しい。“終活”とは“死と向き合う”ことだそうだ。2020年からのコロナ禍“の影響もあってか、翁の死生観も一定の方向を見つめるようになり、身の回りの整理も急ぐようになった。だがそれは、けっして”飛び立つ鳥 跡を濁さず”の“彼岸への旅支度“ではない。むしろ、これからは(不安な老体ではあるが)出来るだけ身辺を軽くし、人様に迷惑をかける要因を減らしながら余生を楽しみ、これまでやってきたこと、今手掛けようとしていることを出来るだけやり抜き、自己満足のエンディングを迎えたいと願っている、その1つが『龍翁余話』。いつまで続くか分からないが、『継続は力なり』そして『読者各位の声援もまた大きな力なり』――出来ることなら900号を目指して頑張りたいと思う今日この頃である・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「9月の終わりの旬のスパイス ルッコラ」

今年の夏は30度超えの長い厳しい夏だったと言っても、まだ未練たらしく夏の暑さが留まっている。何だか来週も30度を超える日が続きそうで、いい加減に潔く去って欲しい。先日、夏の間は、見かけなかったルッコラの葉が八百屋さんでチラホラ見かけるようになった。クセのある野菜なので人によっては好き嫌いがはっきりしているスパイスハーブだ。店によっては置いてない所もある。ちょうどカイワレ大根やパクチー(シラントロ)のような個性的な味で口に入れるとツーンとした辛みや苦みが口の中に広がる。旬のお野菜と言っても今では農業の生産技術も上がって季節のお野菜も1年中どこかで栽培され食べられるようになっている。ルッコラもどこかでいつも作られてはいると思う。でも、やはりルッコラの味が良くなる旬の時期は春と秋なのだそうだ。と言うわけで久しぶりに見かけたこのルッコラを八百屋専門店で買ってみた。私が以前、LAでよく購入していたルッコラはトレーダージョーというマーケット。そこでパックに入ったミックスサラダの中にルッコラが入ったものや単体でベビーサイズのルッコラだけが入ったものなど毎週のように買っていた。すでに洗浄してパックに入っているので、そのままお皿に出して食べる事が出来たので便利だった。

ボールにオリーブオイルと岩塩とレモン、それだけでルッコラの味が引き立ち美味しく食べられた。サラダやサンドイッチ、パスタに入れるとピリッとした辛みや苦みがアクセントになって美味しいのだ。ところが今回購入したルッコラは強烈な辛みがあって私が期待していたほんのりやさしい胡麻の味などは感じられなかった。やはり葉が大きい分、辛みが強いのだろうか、、、まだベビーサイズのルッコラを日本では試した事がないけれどベビーサイズのルッコラがあったら、また試してみたいと思う。このルッコラの辛み成分は薬味になっていて体にも良さそうだと思っていたら、なるほど大根やワサビと同じ成分のアリルイソチオシアネートが含まれていた。

効能は抗酸化力やビタミンCがあって疲労回復や風邪防止にもなるらしい。良薬口に苦しと言うけれど苦みや辛みは体にいいものが多いようだ。このルッコラは地中海沿岸が元祖のようだ。この呼び方はイタリアで呼ばれフランスではロケット(葉の形がロケットに似ているから)アメリカではアルグラという商品名で掲載されている事が多い。ちなみに日本で1番ルッコラを生産しているのは静岡県だそうで、ワサビも静岡は有名処。私の好きなベビーサイズの食べやすいルッコラを生産してくれると嬉しい、、、、

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ Emil Brandqvist Trio “Falling Crystals”

秋らしくなってきたので、すこし落ち着いたアルバムを選びました。スウェーデンのドラマーEmil Brandqvistが率いるピアノ・トリオのアルバム”Falling Crystals”です。フィンランドのTuomas Turunenのピアノのタッチが素晴らしく、今の季節にピッタリな音楽を聴かせてくれます。《R.O.》

1 While We Are Here
2 Soaring
3 Crystals
4 Through the Forest
5 The Sea Begins to Freeze
6 Longing
7 A Day in Memories
8 Across the Waters
9 Early Spring
10 Shine
11 Guds Gröna Ängar
12 The Oak Trees

Emil Brandqvist (ds, per)
Tuomas Turunen (p)
Max Thornberg (b)

編集後記「Apple Watch」

初代iPadから始まってiPhoneのお世話になっています。Apple Watchに興味があって検討したことがあります。自分が会社に通勤しているなら話題性もあるので買うだろうなと思います。面白い製品だと思うのですが、どうしても欲しいとは思いません。その理由は一つ、Apple Watchはファッション性に優れた製品だと思うのですが、初めてスマートフォンを手にした時のようなインパクトがないからです。PCの機能、カメラ、携帯電話がポケットに入るコンパクトな大きさに集約されているスマホは使う人をワクワクさせてくれました。だからこれだけスマホが普及したのだと思います。いつの日かApple Watch(これ以外の物でもいい)にもそのようなワクワクさせるものが加われば、多分買うと思います。《R.O.》

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