雑貨屋ウィークリー1429号

雑貨屋のひとり言「2024年問題」

2025年に予定されている大阪万博は予定通り開催できるのか危ぶまれています。1970年の時とは経済環境も、情報環境も全く事情が違っています。個人的には日本が万博を開催して得られるメリットは少ないように思います。それより人件費を含む建築費や材料費の高騰で予算がどんどん膨らむ悪い流れになっていますが、2019年からの働きやすさ改革の実施を猶予されていた建設、流通業界も2024年から対応を余儀なくされます。建築業界で慢性的に問題になっている残業規制が来年4月から実施されるので、入札に影響が出ているのだと思います。例え参加国がかなり集まったとしても、建設業界が人材不足、残業規制という苦しい状況の中、無理してまで仕事を取りたくないのは容易に想像できます。大金を使って、無理して作って、負の遺産しか残らないのであれば、早いうちに立ち止まった方が良いと思います。2024年問題は大規模修繕工事にも大きな影響を与えます。これから工事を予定されてるマンションは値上げを覚悟しなければなりません。《R.O.》

川柳(東京・成近)

(川柳)

一筋の道転職の才もなく

一筋の道靴擦れを胼胝(タコ)にして

不器用に生きたね膝が笑ってる

胸張って歩けと減った靴が言う

亀なりにプラス思考という歩幅

(ニュースひとりよがり)

「経済対策の五本柱」

鉄キンですか、借キンでですか 

「膨張する万博予算」

やっぱりねえ  ― 東京五輪

「埋蔵価値1000京ドル」

俄然中国の目の色が変わった ―   小惑星プシケ

河合成近

龍翁余話(801)「植物学者・牧野富太郎記念庭園」

今年4月3日に始まったNHK連続テレビ小説『らんまん』が9月いっぱいで終了した。「日本の植物学の父」の名で知られる植物学者・牧野富太郎(1862年~1957年)と、その妻・壽衛(すえ=1873年~1928年)夫婦の波乱の人生を描いた伝記ドラマである。翁は、タイトルの『らんまん』は、貧しい家計を何とかやりくりして夫・富太郎の研究を助け、いつも明るく前向きに生きた妻・壽衛の生きざまから命名した題名であろうと思ったが、NHKでは「明治の世を“天真らんまん”に駆け抜けた植物学者・牧野富太郎をモデルにした」としている。

どちらかと言うと、翁は“朝ドラ”や“大河ドラマ”に関しては“辛口”が多いが、この『らんまん』に対しては好意的だった、と言うか、毎回楽しみに視ていた。“植物バカ”と言われても、そのバカぶりを貫き通した牧野富太郎(役名・槙野万太郎=神木隆之介)と、16歳で万太郎と結婚した(美人で爽やか、凛とした)妻・壽衛(役名・寿惠子=浜辺美波)の好演ぶりが翁を楽しませた。劇中に出て来る歴史上の人物(例えばジョン万次郎や三菱財閥2代目の岩崎弥之助ら)と富太郎が本当に出会ったことがあるのだろうか?という疑問もあるが(これまでの歴史ドラマに比べ)比較的しっかりした時代考証がなされている(と思う)ので「まあ、あり得ないことではない」ということで納得した。

そのドラマが終わりを迎える直前の9月下旬、翁、東京・練馬区大泉学園(駅から徒歩10分)の(練馬区立)『牧野記念庭園』を訪れた(入園料無料)。庭園内散策の前に、受付で貰ったリーフレットから(改めて)「牧野富太郎のプロフィール」を読む。言うまでもなく牧野富太郎(高知県・佐川村出身)は、日本が世界に誇る植物分類学の第一人者。94年の生涯を通して1,500以上の新種植物を発見・命名した。また日本全国を歩き40万枚とも言われる膨大な数の標本資料を収集、後世に残した蔵書は45,000冊を数える。彼は1893年(明治26年)に東京帝国大学理学部助手、1912年(明治45年)に講師に就任、1926年(大正15年)に東京府北豊島郡大泉村(現在の練馬区大泉学園)に居を構える(現在の『牧野記念庭園』)。ここは、妻の壽衛が渋谷で営んでいた待合茶屋を売って購入した場所である。(資料によると、広さは2,576㎡、約780坪)。

富太郎は翌年1927年(昭和2年)に「理学博士」の学位を受けるが“糟糠の妻” 壽衛はその1年後の1928年(昭和3年)に55歳の若さで永眠(死因は子宮がん?富太郎66歳の時)。(以下、富太郎を“博士”と記す)。博士は(1928年に愛妻を失くして以来)1957年94歳で亡くなるまでの29年間、独りでこの地で暮らす。その間、博士は愛妻を失った悲しみを乗り越え、東京帝国大学理学部講師を務めながら(以前と同様に)新品種を探す旅を続けた。仙台で発見した笹(ササ)に愛妻・壽衛の名前をつけ「スエコザサ」と命名した。園内には約300種の草花が見られるが「スエコザサ」は数か所に植えられており、中でも「花あればこそ吾も在り」の石碑の周りと博士の胸像を囲む「スエコザサ」は見事。まるで「死してなお愛妻・壽衛に包まれている」観。翁、ドラマの寿惠子が懸命に夫・万太郎を支えるひたむきな献身シーンが蘇り、胸を熱くして静かに合掌。なお博士は(前述のように)1893年(明治26年)に東京帝国大学で助手、1912年(大正15年)に講師、1939年(昭和14年、77歳の時)、47年間務めた東京帝国大学理学部の教壇を去る。そして1940年(昭和15年)78歳の時に(結婚当初から愛妻と約束していた)『牧野日本植物図鑑』を刊行。この『図鑑』は83年経った今も植物学の専門家や多くの人に読み継がれている。

園内の奥に「書斎展示館」と「記念館」(常設展示室・企画展示室)が建っている。「書斎展示館」の「書斎」は「書庫」と言ったほういいほど(所狭しとばかり)本と資料の山。

「記念館」(常設展示室)では、博士愛用のカバンなどの採集道具や、博士が描いた沢山の植物図、著書、掛け軸などが展示されている。

ところでドラマの中で(小学校中退の)万太郎が何故、英語を話し万葉の歌を詠むことが出来たのか不思議に思ったが、調べたら博士(富太郎)は小学校の授業では物足りず、寺子屋(塾)に通って古文や西洋文学・語学を学んだ秀才だったそうだ。博士が20歳頃、博士のペンネーム・結網子(けつもうし)の名で記した『赭鞭一撻(しゃべんいったつ)』と言う古文体の本(“15の心得”)に翁は注目した。「精密を要す」「よい師を得る」「広く同志と結ぶ」などの内容。冒頭に翁、博士を“植物バカ”と書いたが、これは失言。“牧野富太郎の人物像”を深く知ることで博士がいかに博学と人間愛に満ち溢れた人物であったかを知る。特に博士が残した言葉「植物に“雑”はなし、人間にも“雑“(不要な人間)は1人もいない」が翁の心に響いた・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「月を愛でる」

向島百花園で9月下旬頃に伝統行事、月見の会のイベントがある事をチラシを見て知った。東京に戻ってから、あまり空を見上げる機会がなくなって月の満ち欠けも意識の中から遠ざかっていた。たまには、月を見ながら風情がある日本庭園でゆっくり夕方のひと時を過ごすのもいいかと友人を誘って9月28日に向島百花園に出かけた。今年2023年の15夜は9月28日でその日に一番、お月様がまん丸になり綺麗に見えるのだとか、、、

もう、その頃は流石に涼しくなっている事を想定していたのだけれど甘かった。その日は、とんでもなく残暑厳しい33度のムシムシした日になってしまった。おまけに日が落ちても涼しくならず、蚊除けスプレーも効果がなく何カ所も蚊に刺されてしまい、お琴の演奏も途中で退散して近くのレストランに移動してしまった。それでも江戸時代から続くこの伝統行事の雰囲気に少しでも浸る事が出来て良かった。今年の夏祭りや花火大会では若い女性が着物を着ている姿を以前より多く見かけるようになった。お月見の会でも着物姿の女性が結構来ていて横笛の演奏やお琴を奏でる音楽とマッチしていた。先月下旬頃は虫ききの会の伝統行事もあったらしい。秋の虫というとコオロギやキリギリスと様々な音色が聞こえてくるけれど私が1番好きな虫の音はスズムシのリ~ン、リ~ンという涼風のような音色。満月と萩の花と虫の音が15夜お月さまのイベントに彩を添えて2023年のお月見の思い出になった。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ Triosence “Giulia”

とても美しいアルバムを見つけました。ユーロ・ピアニズム第三世代と称されているTriosenceのアルバム”Giulia”です。世界中で愛されていると言うのは理解できます。トリオユニットですがスペシャルゲストにPaoro Fresuのtランペットが加わり、美しい音の深みが増しています。ずーっと聴いていられます。《R.O.》

1-Odd Times
2-Little Big Steps (feat. Paolo Fresu)
3-Armando’s Farewell
4-Squirrel’s Rock
5-Giulia
6-Your Nearness (feat. Paolo Fresu)
7-Needless to Say (…a Tribute to Bill Evans)
8-Ambiguity
9-If I Only Knew
10-Quiet Sense (feat. Paolo Fresu)
11-No Risk, No Fun

piano: Bernhard Schüler
bass: Omar Rodriguez Calvo
drums & percussion: Tobias Schulte
trumpet: Paoro Fresu (special guest)

編集後記

木曜日の朝、寒気がして強烈な体のだるさに襲われました。起き上がれず、一日中寝てました。かなりの高熱でトイレに行くのもつらい状態でした。コロナやインフルを疑いました。夕方、ロキソニンを服用すると夜中には熱は下がり平熱になっていました。翌朝も体温は平熱でかなり元気になりました。金曜日は用事があったので15時頃まで外に出ていました。夕方にまた体温が上がってきたので、念のため医者に診てもらいました。幸いコロナ、インフルではありませんでした。扁桃腺が腫れていたことが原因ではないかと思います。今は普通に暮らせてますので感謝しています。《R.O.》

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