雑貨屋ウィークリー1315号

雑貨屋のひとり言「異例ずくめの東京オリンピック開催」

非常事態宣言下、オリンピック開催をめぐって世論が分かれる矛盾だらけの中、異例ずくめの東京オリンピックが無観客で開催されました。異例という意味で歴史に残るオリンピックになりました。私が言うまでもなく、政府はオリンピックを2021年に何としても実施すると覚悟があったのならオリンピックの開催のためにコロナを一日も早く収束させるための一手段としてワクチン供給の折衝ができたと思います。「挑戦するのが政府の役割」はその時だったのではないでしょうか。

期間中はコロナ感染予防と熱中症対策が必要です。テレビでオリンピック観戦をするにしても水分を十分摂り、暑いと感じたら我慢せずにエアコンをつけましょう。《R.O.》

川柳(東京・成近)

 ( 川  柳 )

オリンピックやる気 コロナもなおやる気

いびつでもなんとか繋ぐ五つの輪

大坂なおみ五輪やる気に火をつける

賜杯手に苦節の汗が目に滲み

翔平と聡太マスクに風を入れ

(ニュースひとりよがり)

「来日見送り」

会っても握手ができないので ―文大統領

「自助、共助、公助の菅首相」

内助もです ―ジル・バイデン

「選手宣誓」

あっちの方が恰好いいな ―緊急事態宣言

河合成近

龍翁余話(688)「近代オリンピック史で日本人初の快挙者たち」

“コロナ禍“真っ最中とは言え、とうてい成熟国家とは言い難い”すったもんだ“の挙句、とにもかくにも「東京2020オリンピック」がスタートした。”すったもんだ“は(具体的事例は省略するが)開会直前まで起きた。もうこれ以上、未熟な醜態をさらけ出さないよう関係者の健全運営を期待したい。

ご承知のように「東京大会」は1964年(昭和39年)に続いて2度目である。いや、本当は1940年(昭和15年)、オリンピック史上初めて欧米以外のアジアで行なわれるはずだった「東京大会」は、支那事変(日中戦争)のため日本政府が開催権を返上し実現に至らなかった歴史がある。そのことは2019年のNHK大河ドラマ『いだてん』でも紹介された。『いだてん』は近年の大河ドラマ史上ワースト5の1つに数えられる”愚作”であったが、オリンピックと日本の関わりについては比較的分かり易く描かれていた。ドラマ自体は面白くなくて翁は視たり視なかったりだったが暇人の翁、このドラマを機に「オリンピックと日本の関わり」特に戦前(1945年以前)の『オリンピック史で日本人初の快挙者たち』を調べた。子どもの頃、学校の先生や親兄姉に「マラソンの金栗四三(かなくりしそう)」「短距離走の三島弥彦(みしまやひこ)」「テニスの熊谷一弥(くまがいいちや)」「三段跳びの織田幹雄(おだみきお)」「陸上の人見絹枝(ひとみきぬえ)」「馬術の西 竹一(にしたけいち)」「競泳の前畑秀子(まえはたひでこ)」らの名前や競技種目程度は部分的に聞いていたが、いずれも”点“で覚えているだけで“線”(歴史的経緯)が曖昧なまま歳をとった。翁の脳裏に『オリンピック史で日本人初の快挙者たち』をクリアにしてくれたきっかけは大河ドラマ『いだてん』だったのかも知れない。

第1回“近代オリンピック”が開催されたのは1896年(明治29年)4月アテネ(ギリシャ)であった。以後4年ごとに夏季に諸国で開催されることはご承知の通りだが、第1回から第5回(1912年)まで毎回参加した国はギリシャ・イギリス・スイス・フランス・オーストラリアの5か国だけ。そこで日本が初めて参加したのは1912年(明治45年)の「第5回ストックホルム(スウエーデン)大会」であった。団長は(講道館創設者の)嘉納治五郎(1860年~1938年)。嘉納は柔道家であるばかりでなく東京高等師範学校(現・筑波大学)校長を務め、水泳・陸上・テニス・サッカーなど各種スポーツ振興に尽力、1909年(明治42年)に国際オリンピック委員会(IOC)委員に日本人として初めて就任した。嘉納が夏季オリンピック大会へ日本人選手を派遣することや『東京大会』開催に情熱を燃やしたことは(前述の)『いだてん』で紹介されたので既にご存知の読者も多かろう。その第5回ストックホルム大会に日本人として初めて出場した選手がマラソンの金栗四三(1891年~1983年)と短距離走の三島弥彦(1886年~1954年)であった。金栗はレースの途中、日射病で倒れ意識を失って棄権、三島も100m、200mにいずれも予選落ち。しかし、世界中に「NIPPON」と「日の丸」を知らしめた功績は大きい。なお、その年(明治45年)7月30日に明治天皇が崩御、元号が「大正元年(7月30日~12月31日)」に改元。

それから8年後の1920年(大正9年)「第7回アントワープ(ベルギー)大会」に出場したテニス・シングルスの熊谷一弥(1890年~1968年)と、ダブルスの熊谷・柏尾誠一郎(かしおせいいちろう=1892年~1962年)が日本人初の銀メダルを獲得。更に8年後の1928年(昭和3年)の「第9回アムステルダム(オランダ)大会」で三段跳びの織田幹雄(1905年~1998年)が日本人初の金メダルを。またこの大会で日本人女性初のオリンピック出場を果たした人見絹枝(1907年~1931年)が800mで銀メダルを獲得、その後の日本人女性のスポーツ振興に貢献した。人見の活躍は8年後の1936年(昭和11年)「第11回ベルリン(ドイツ)大会」での競泳選手・前畑秀子に繋がるのだが、その前1932年(昭和7年)「第10回ロサンゼルス(アメリカ)大会」では“バロン・ニシ”こと男爵・西 竹一(1902年~1945年)が馬術障害飛越競技で金メダル、清川正二(きよかわまさじ=1913年~1999年)が100m背泳ぎで金メダルを獲得。なお余談だが、西 竹一は1945年(昭和20年)3月22日、太平洋戦争最後の激戦地・硫黄島で戦死(自決=戦車連隊長・最終階級は大佐)。実は、翁は竹一氏のご長男・泰徳氏(元・硫黄島協会会長=故人)とは親友で、氏がご存命中、翁も2度、硫黄島へ(取材撮影で)ご一緒したことがある。

さて、戦前の『夏季オリンピック』のハイライトは1936年「第11回ベルリン大会」で実況を担当した川西三省(かわにしさんせい=1896年~1970年)の「前畑、ガンバレ!」かも知れない。前畑秀子(1914年~1995年)は前回の「第10回ロサンゼルス大会」に200m平泳ぎで出場、2位(銀メダル)に泣いた、そのリベンジで「ベルリン大会」に再出場。

競技は長引き中継開始時間は大幅に過ぎた。実況の川西アナウンサーはマイクに向かって叫んだ「ラジオのスイッチを切らないで下さい。間もなく前畑秀子の200m平泳ぎ競技が始まります。スイッチを切らないで下さい」。これは、聴取者に向かって叫んだのではなく、NHK担当者(当時は役人)に対して懇願したものである、と川西は後日、告白している。

さあ、競技は始まった。前畑と地元(ドイツ)選手がデッドヒートを展開。川西が興奮して絶叫する「前畑ガンバレ!前畑ガンバレ!」・・・この叫びは20回以上も続き、真夜中のラジオ中継を聴いている日本リスナーを熱狂させた。その甲斐あってか前畑は(ライバルとわずか1秒差で)勝利。日本人女性としてオリンピック史上初のゴールドメダリストとなった。“前畑ガンバレ”は今聴いても胸が熱くなる。

オリンピックは人々に感動と勇気を与える人類最高の“平和祭典”である。「卓越性・友愛・尊重」のキーワードで世界が結ばれる。何と素晴らしい理念ではあるまいか。“コロナ禍”で苦しみながらスタートした「東京2020五輪」がオリンピック史にどんなレガシー(遺産)を残すだろうか「日本ガンバレ!」と叫びたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「日本の関所」

7月上旬に日本から一時帰国でLAに戻ってきた知人から連絡があった。 その人の娘さんは一足先に日本に行っていたようで、かなり大変だった ようだ。娘さんは、すでにワクチンを打ち飛行機に乗る72時間前のPCR検査 を済ませていた。日本に到着した後も、またPCR検査その後、陰性であっても 一旦、政府の用意した宿泊施設に移動させられ収容される。 その3日間の間の宿泊施設と食事は政府から支給されるらしいが狭いベッド だけの簡易宿泊施設に閉じ込められ外には出られない。その後、再度PCR 検査で問題が無ければ解放される。 ま~こんな体験は滅多に無い事だから、その3日間の収容体験を食事も含め レポートしようと思っていたら間もなく、その3日間留め置きの政策は無くなった。

さて、私の場合、今年の春から夏の一時帰国を計画していたので日本の入国の 条件はずっとフォローしてきた。今回はスマートフォンやアンドロイドの端末に 必要なアプリを4つインストールする必要があった。 実は私いまだに米国でもガラケーそして外出先ではIpadでスカイプ通話を している。日本に来れば一時的に母のガラケーを使い必要であればルーターを 外出先で使ったりもしているのでスマートフォンの必要性は感じていなかった。 ところが日本政府の定めるビデオ通話アプリ少し前はスカイプでよかったのが 突然アプリの変更で(MySOS)でなければダメという事になった。 そして2番目は位置情報設定、保存、これはGoogle MapでO.K.3番目は位置情報 確認アプリ(OEL)、4番目は接触確認アプリ(COCOA)のインストールが 必要だった。 もし、これら4つのアプリがインストール出来ない端末機であれば強制的に 14日間、自費でレンタルさせられる。その費用は15,000円。 残念ながら私のIpadには接触アプリのインストールだけが出来なかった。 アップルストアーでアシストしてくれた女性が言った。”このアプリ人気ないわね。 星が一つしかない”と。日本のパソコンの先生に聞いてみたら、このアプリは やはり使えないソフトだと言っていた。日本の政府のどこで、このアプリを 作ったのだろう、、、そのお陰で私は古くて重いスマートフォンをレンタル する事になり15000円の出費をしなければならなかった。

それから空港検疫にてアプリのダウンロードをヘルプする人、確認する人 通信テストするセクションが其々あって何とか全てそれらのアプリをレンタル スマートフォンにインストールし通信テストが終わった。 それから飛行機が到着して最初にする日本でのPCR検査(唾液採取)の結果を 聞きに行った。この検査は前回と同じく無料。陰性の結果を聞いて係の人から ピンク色のカードを渡された。 そこには、Covid-19指定地域、滞在歴ありと書いてあり何だかすごく危険地域 から来たような扱いだ。LAでは今も今回の流行り病にかかったという友人、知人 その先の知り合いも含め誰もいない。 そして相変わらず流行り病の国のリストには肝心な発生国が入っていない。 今まで特段の事情で表で入国制限をしながら、あれだけゾロゾロあの国から さんざん人を入れておいて腹が立つ。 でも、もしかして、なりすまし日本人を捜査する為に全ての国から入ってくる 日本も調べているのなら仕方がないしむしろ、厳しくやって欲しいとも思う。

話は飛ぶが2019年の秋、日本から米国に戻ってきた時に不思議な事があった。 いつものイミグレーションの検査官が私に”今まで貴方はパスポートを紛失した 事がありますか?”と。もちろん、そんな事は無い。それから”グリーンカードを 無くした事はありますか?”とも聞かれた。変な質問をするな~と思っていたら 別室に行くように言われた。初めての事だったけれど別に悪い事をしているわけ では無いので全く心配はしていなかった。その部屋には他に20名ぐらいの人が 待機していた。名前を呼ばれて審査官の人に何か聞かれている人もいた。 そこで待つこと10分。私の名前が呼ばれると係の人は何も聞かずパスポートを 返却してくれた。理由を聞きたかったのは山々だったけれど聞いても言わないだろう から、さっさとその部屋から出た。その後で偽のパスポートやグリーンカードが あの赤い国で販売されているという事を聞いた。また、いろいろな違法なやり方で 日本人のパスポートや国籍を獲得する方法も聞いた。 特に日本人のパスポートは世界1信頼されているため貴重なのだそうだ。日本人は 殆どの国に行けるという事はだいぶ後から知った事だ。

ともかく、これから日本に入国する人は事前に準備しておく事が大事だ。 入国に必要な書類は、いろいろあってまずは飛行機出発72時間前のPCR検査の証明 書、これはトラベル会社の紹介でTorranceにある日系のホテルで済ませた。私の場合7月 19日の朝9時に行って210ドルを支払い夕方にはラボから結果メールが送られてくるの でそれをプリントして持っておく。飛行機に乗る前に確認され日本入国の時に渡す。気を付 けないとならないのは日本政府の決まったフォーマットで定められた方法で調べなければ ならないので注意が必要だ。 その他、誓約書も必要だ。これは機内でも印刷したものをもらえる。 そしてトラベルフォーム、これは健康情報、行先、到着したら行先まで 行く交通手段を記入して電子メールで事前に送る事が義務付けられている。 そして、その書類を送る前にQRコードの写真を取っておく必要があり検閲の 時に確認される場所が何か所かある。 飛行機から降りて迷路のように、あっちに行き、こっちに行き様々な関所を潜り抜け やっと出られた。この一連の流れの中で働いていた人達はパソナの派遣会社からの 若い人で様々な国籍の人達も働いているようだった。 今回は弟の出張が入ってしまったためハイヤーを予約する事になったので また15,000円の出費がかかった。 (続く)

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ  “Confirmation” Tommy Flanagan

今日紹介するTommy Flanagan Trioのアルバムは1982年に録音されたアルバムです。

1982年はアメリカで仕事がしたいと会社に申し出たら承認され、私がアメリカに赴任し、その後の人生を大きく変えることになった忘れられない年です。アメリカにいたときには聴くことがなかったこのアルバムを3日前に初めて聴きました。当時のことを思い出しながら聴いています。とても落ち着いた味のあるピアノジャズです。30歳の私だったらおそらくこのアルバムは選んでいなかったと思います。

 “Confirmation” Tommy Flanagan

01-Maybe September

02-Confirmation

03-How High the Moon

04-It Never Entered My Mind

05-Cup Bearers

06-50-21

Bass – George Mraz
Drums – Elvin Jones
Piano – Tommy Flanagan

編集後記「ユニークなスマホホルダ」

私のiPhoneはケースをつけると240グラムあります。これをポケットに入れると結構重さが気になります。何とかこれを解消したいと思ってネットでスマホのホルダを探していました。数あるホルダの中から最適なものが見つかりました。(下の写真)

両サイドが開いたユニークなデザインでスマホをスルリと瞬時に出し入れでき、腰に巻いてスマートフォンを収納すると左右に締まって落ちない驚きの特許構造になっています。スマートフォンの荷重で腰に斜めにかかり体に密着してぶらぶら動かない抜群のフィット感です。どんな服にも合い、カラーも選べるのでおしゃれに使えます。上着を着ればホルダは隠れ目立ちません。

この製品についての情報は”Waistrap”で検索すると見つかります。ホルダとベルトで5,000円弱です。とても気に入っています。先週紹介した小型財布とスマホホルダで散歩が快適になりました。参考までに販売会社のURLを載せておきます。http://shop.waistrap.com/

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