雑貨屋ウィークリー1318号

雑貨屋のひとり言「水害に備えましょう」

西日本は連日、テレビで大雨情報を伝えています。そして避難を呼びかけています。災害級の大雨です。危険な大雨が降り続き、増水、氾濫した河川が家や道路を破壊しています。日本はどこに住んでいても水害の可能性はあります。浸水など経験がなかったとしてもそれは単にラッキーだっただけです。確実に気候が変化してきています。今、住んでいる街のハザードマップを確認して川が氾濫した時の浸水予想を知っておく必要があると思います。高い建物に住んでいても安心はできません。地下に電気や動力の施設がある建物は浸水によってそれらが機能しなくなる可能性があるからです。

今からでも水害に備える必要があります。私が住んでいるところは複合施設になっていて高層住宅と店舗、商業施設で構成されています。私は昨年からこの複合施設の理事をさせていただいています。5月末に行われた理事会で、施設全体の水害対策を計画推進する提案をさせてもらい、了承されたので現在対策の計画を練っているところです。先日、ホテルなどの施設がある地下室を視察し、浸水経路、地下の重要設備を確認しました。建物への浸水を防ぐことと、地下室の設備を浸水から守りライフラインを止めないことを念頭に検討しています。大きな費用がかかりそうですが、人命と財産を守るためですから仕方ありません。浸水対策が必要と思われる箇所のリストを作成し、対策案を検討しているところです。来年の総会までにはオペレーションを含めた実施計画を作成したいと思っています。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川  柳 )

安らかに未だ眠れぬ原爆碑

真空管ラジオに8月の涙

敗戦忌兄は二十歳のままでいる

戦争を知らぬ子に降る蝉しぐれ

老いてなお語り部にある使命感

(ニュースひとりよがり)

「SOS」

こちらも —救急車

「過去最高」

大雨も頑張ってるな —コロナ

「嫁入り前発言」

張本氏に「喝 !」 —ボクシング連盟

河合成近

龍翁余話(691)「“困難五輪”、それでも聖火は守れた」

先週号(690)の『余話』の冒頭で【(東京2020五輪は)コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言下にあって菅首相の口癖“安全・安心の大会“とは(胸を張っては)言い難いが、地味でもいい、とにもかくにも”無事“にフィナーレを迎えることを共に喜びたい】と書いた。いろいろな問題あり『困難を極めた東京五輪』ではあったが、とにもかくにも”無事“にフィナーレを迎えた、そのことを、まず喜びたい。

翁は、2006年まで映像制作の現役で忙しい時代を過ごしていたので、それまでのオリンピックを(じっくり)ライブで観る機会は少なかったが、1988年のソウル(韓国)は事前に幾人かの五輪選手や会場予定地など現地取材をしたので、インタビューした選手の競技だけは拾って観た。その後、1992年のバルセロナ(スペイン)、1996年のアトランタ(米国)、2000年のシドニー(オーストラリア)2004年のアテネ(ギリシャ)は時差(日本での放送時間帯)の問題もあって、ほとんどライブで観ることは出来ず、現役引退後の2008年の北京(中国)は(時差は関係ないが)興味が湧かなかったのでライブで観たのは(1つだけ)ソフトボールの決勝戦、上野投手の力投で“金”に輝いた瞬間の感動を味わった。以後、高齢化で早寝癖がついた翁、2012年のロンドン(英国)、2016年のリオデジャネイロ(ブラジル)は(結果を)ニュースで観ただけ。しかし「東京2020五輪」は“コロナ禍”による外出自粛と“隠居暮らし”のお陰で毎日(朝から晩まで)「オリンピック番組」を追いかけた。特にソフトボールは全試合をライブで観た。決勝戦は(北京大会同様)再びアメリカと対戦、手に汗を握る接戦だったが後半、上野投手の再登板で遂に優勝、再び13年目の感動を味わうことが出来た。

どの競技にも感動的ドラマがあり涙腺を緩ませた。今回の「東京大会」開催に際して、翁は当初「こんな”コロナ禍“の最中にオリンピックどころではあるまい」と、やや否定的だったのだが、いざ、蓋を開けたら(いつの間にか)”開催支持派“に変わってしまった。そんな(翁のような)”変わり身派“も多かったのではあるまいか。読売新聞の調査によると、五輪開催「やってよかった」が64%、「無観客でよかった」が61%、「将来も日本開催を希望するか」が57%――「東京2020五輪」開催以前は、国民の約60%以上が(どちらかと言うと)開催反対だった。それが結果は60%以上が「やってよかった」に変わった。その数字的背景を見る限り「東京2020五輪は成功した」と評価していいだろう。閉会式終了後は日本の各メディアも、大方“成果”を強調した。(以前は“反対・不安”を論じていたメディアや評論家たちまでも)・・・そして競技に参加した外国選手たちの多くが「アリガトウ トーキョー、アリガトウ ニッポン」を告げた。嬉しいではないか。

それにしても海外メディアは「東京2020五輪」をどう評価しているのだろうか、気になって調べてみた。まず(米国内向け放映権を独占した)NBCは「コロナ禍にあっても大会が開催され、予定イベントが全て行なわれたことは注目すべき偉業である」。ドイツの有力紙フランクフルター・アルゲマイネ(電子版)は「日本国及び日本国民は東京五輪開催を誇りに思っていいのでは」。オーストラリア紙シドニー・モーニング・ヘラルド(電子版)は「選手らが国の垣根を越えてお互いを認め声援を送り合った。東京五輪はメダルの数を超えた成果だ」。イギリスのBBCは「イギリス人は東京五輪を、実にオリンピックらしい大会だったと評価している。感動的なプレーや新しい競技に湧いた」。ブラジルのサンパウロ紙(電子版)も「東京五輪はスポーツの力を信じ祝福した。日本が勇気をもって開催したことに感謝している」・・・勿論、冷ややかな論調の海外メディアもある。翁が思うに、それらの批判的論評は普段の政治的(外交的)思惑を織り混ぜての“偏見”であることが感じられ、ここに紹介することは避けるが、その“偏見”も“意見”である。今後、日本主催の各種国際イベントの際、参考にすべきであろう。

「東京2020五輪」を振り返るに、(前代未聞の)1年延期、緊急事態宣言は解けず、会場の多くは無観客、国民も選手も不安を抱えたままの異例の大会だった。だが、いざ舞台に立った選手たちは与えられた条件(環境)の中で全力を尽くした。競技外でも(行動を制限されながら)大方の海外選手は規則に従いコロナ感染防止に協力した。そんな選手たちの日々の奮闘と行動を日本中、いや世界中の人々はテレビやネットを通じて見守った。勝利の歓喜、無念の涙、驚異的なパフォーマンスの1つ1つに感動した。これほど心を動かされた夏を、誰が予測しただろう。(今になって)当初“コロナ禍”だけに目を奪われ、世界が1つになれる純粋で強烈なオリンピック効果に考えが至らなかった翁の視野狭窄(しやきょうさく)を恥じるばかりだ。

開幕前は「無観客の五輪に意味があるのか」との“懸念”も多かった。確かに経済損失や“無歓声”で地味ではあったが、大会を通して選手たちの懸命な競技姿勢が“懸念”を吹き飛ばしてくれた。国内の歓喜は途切れることなく、世界からも多くの賛辞が寄せられた。もう1つ見落としてならないのが、誠心誠意“おもてなし”の心で「東京五輪」を支えてくれたボランティアたちの働きだ。大会運営の関係者は勿論、海外からの選手たちからも大いに喜ばれた、これも「東京2020五輪」の遺産の1つとして記憶に留めておきたい。

オリンピック史上最も困難を極めた「東京2020五輪」は、曲がりくねった道のりを遂に走り切った。無観客でも尽きぬ感動を与えてくれた。立派に『聖火は守れた』――産経新聞は“主張”(欄)で「私たち(日本人)は東京五輪を開催した事実を大切にしたい。熱戦に心を動かされた経験を、余すことなく後世に語り継がなければならない。24日からはパラリンピックが始まる。五輪の熱気を冷ますことなく、選手たちの戦いを最後まで見守り、支え続けたい」と述べている――全く同感である・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究 「違和感」

オリンピックの閉会式を見ながら信じられないような光景を目にして驚いてしまった。日頃はテレビを見ない私だけれどオリンピックでの日本人選手の活躍は素晴らしかった。久しぶりにテレビで見る日本の若者らしい姿を目にして、これが本来の日本人の姿だと誇りに思えたし勝っても負けても爽やかな感動が残った。それなのにオリンピックの開会式と閉会式は違和感のある残念なものだった。

オリンピックが日本で開催される事が決まってから利権に群がる輩がオリンピックを食い物にしている姿は情けなく、また、お仲間同士のお祭りになるのだな~と危惧していた。オリンピック委員会は初めから広告代理店にオリンピックのセレモニーを丸投げしていたのだとか、、、どんなに腹立しくても遠くから見守る事だけしか出来なかったのでオリンピックのゴタゴタした問題は、あまり見聞きしたくなかったので何が起きているのか詳しい事には注視してこなかった。

そしてオリンピックの開会式と閉会式を見ていて全く日本の文化や伝統を感じさせない安っぽい演出に正直、恥ずかしさを覚えた。これは私だけの感覚なのだろうかとネットで調べてみたら、やはり私と同じように感じた人が多くたまらなくなってコメントを書いている人、動画で感想を述べている著名な文化人の人、細かく衣装や舞台構成の隠された意味を分析する人の解説を聞いて納得した。

申し訳ないけれど全体的な私の印象は、まるで日本のテレビの娯楽番組か学芸会の延長のように見えた。日本には世界に誇れる花火師の人もいるし、阿波踊りの名手もいるし津軽三味線や民謡でもソーラン節もあるし有名な日本の祭りなどもあるのに、もう申し訳程度に地方の盆踊りかと思われるような踊りと和太鼓が少し、、、感動は無かった。もっと日本人として誇れるアーティストが有名、無名に関わらずいくらでもいるのに何故その人たちを外すのだろうか、、、7年もの歳月をかけ私たちの税金から広告代理店に支払われた165億の詳細は揉み消されてお終いにしてしまうつもりなのだろうか、、、、、

政治色の強いアイヌ文化と沖縄文化の民謡が一番に流れ映像が会場に映し出されたのも驚いた。ここでは、説明しないけれどその背後に蠢く組織は思いっきり怪しい。開会式も酷評が多く一流のプロが見たらすぐに、ど素人が演出したとわかると言っていた。それにしても誰がどんな意図でこのような演出家を選び権限を与えているのだろうか、、、、

今回、この変な演出に関して調べてみたら当初は狂言師の野村萬斎氏のグループが演出する事になっていたのが突然コロナを理由に降ろされ演出プロデューサー(元電通)S氏が抜擢されたのだそうだ。ところがそのS氏が解任され(その理由は、あまりに酷かった)その後選ばれた(元電通でコメディアン)K氏も情けない理由で解任され尋常でない事が続いた事を後から知った。この人達のセンスと品格、人格は日本人らしくない。この途中から誰が抜擢したか知らないけれど出てきた演出プロデューサーとは、どんな仕事をしてきたのか調べたらソフトバンクのコマーシャル。

私の尊敬する白洲次郎を犬として揶揄していた。やっぱりこういう連中なんだとがっかりした。最初から東京オリンピックのデザインやボランティアの衣装、音楽も疑問の多い作品ばかりで日本の文化や伝統の美は消されていた。せっかく日本という国をアピールする最大のチャンスだったのに、これですか?という怒りさえ込み上げてきた。そこで米国から帰国して今は日本で仕事をしながら着物教室に通っている友人にも聞いてみた。友人からのメールによると、だいぶ前から着物プロジェクトを立ち上げ個人や法人からも寄付で作り上げられた着物があったのに潰されたのだとか、、、、今動画でも潰された着物プロジェクトが見れる。

とても華やかで素晴らしい。各国の国旗やモチーフを取り入れた着物は圧巻だ。今回のオリンピックを見ていてホリエモンも、もう広告代理店は必要ないと言っていた。私もそう思う。新聞、TVも同じようなもの。日本を陥れようとする輩に莫大な広告費を支払ってきたスポンサーの会社も責任がある。その会社を支えてきた消費者や一般の善良な日本人国民がいて会社が成り立っているのだから日本人の為にならない活動をする輩には今後ビタ一文出して欲しくない。

日本には、もっと優秀な出来る人間が、沢山いる。そういう人材を使い捨てに、或いは、ステージを奪い同じ仲間だけが出世出来る裏組織でもあるのではないかと疑ってしまう。今まで一生懸命に真面目に働いてきた日本人が報われるような社会になりますように、、、、この、日本を覆い尽くしている澱んだ雨雲を一掃してくれるヒーローが現れてくれる事を祈る。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ Paulo Tozzi “Duo Trio”

とうとうコロナ感染者が20000人を超えました。コロナ禍のない平和で自由な世界は当分の間戻ってくることはないかもしれません。出かけられないので、家の中で好きなジャズを好きなだけ聴くことにします。ブラジルのピアニスト、Paulo Tozziがソロ、デュオ、トリオで奏でるピアノを収録したアルバムです。軽快で透明感のあるピアノが元気にさせてくれます。

Paulo Tozzi “Duo Trio”

01. Beautiful Love (duo)

02. Aerial (duo)

03. What´s This Thing Called Love (duo)

04. What´s This Thing Called Love (Take 2) (duo)

05. Blue in Green (trio)

06. Like someone in Love (trio)

07. Wave (trio)

08. Memories of Tomorrow (solo)

Paulo Tozzi (p)
Jose Pienasola (b)
Marcos Vinicius Pienasola (ds)

編集後記「まだまだ続く恐怖との闘い」

人の動きが止められず、とうとうコロナ感染者数が20000人を超えて来ました。ショッピングモールは人がいっぱいで、ここだけを見ているとコロナはどこの話なのかと思うほどです。コロナという言葉に慣れ切り緊張感のなくなった人々は自分たちは大丈夫と正常バイアスがかかっているようです。今まで通り、自分たちはキッチリとコロナ対応しているつもりでもデルタ株は強力で、それが通用しないということを理解しようとしないことが、今の状況を生み出しているのではないかと思います。政府は何をやっても後手後手なので、今更何をしても誰も言うことは聞かないでしょうね。自分のことは自分で守るしかないと思ってしまいます。私たちは諦め顔で、コロナ感染という見えない恐怖と闘いながら、最新の注意を払いながら過ごしていきます。《R.O.》

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