雑貨屋ウィークリー1317号

雑貨屋のひとり言「オリンピックが終わります」

熱戦が続いた東京オリンピックが終わります。日本選手は大健闘でメダルの数が過去最多となりました。メダルをとった選手だけではなくすべての選手に対して賛辞を送る日本人は素晴らしいと思います。

残念なことはデルタ株が猛威をふるい、感染者がとんでもない数字になって来たことです。一年半前からコロナ禍で抑圧された生活を続けても一向に収束せず国民は大きな数字に驚くけど鈍感になり緊急事態宣言が発令されても効果がないのだと思います。恐ろしいのは医療崩壊という事態です。コロナウィルスは人間より上手で、私たちを手玉にとっているように見えます。政府は自分たちの保身ではなく矛盾のない誠意あるメッセージと対応をしなければ、更なる大きな犠牲を払うことになると思います。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川  柳 )

燃え盛る聖火悔しい無観客

銀メダル王者の自負が肩落とす

金メダル日の丸こんな美しい

まだパラがあるとコロナの腕まくり

安倍そして菅 痛恨のバトンミス

(ニュースよがり)

「コロナ算」

お前もなかなかやるな ―ネズミ算

「最多更新」

コロナが目障り ―獲得メダル数

「支持率続落」

ワクチンが効いてくれない ―菅首相

河合成近

龍翁余話(690)「8月は祈りの月」(拡大版)

無理矢理開催した(開催させられた)感のある「東京2020五輪」は8月8日に閉幕する。ほとんどが無観客であったが、テレビ中継を通じ、それなりに多くの感動を与えて貰った。やはりスポーツはいい。スポーツマンシップは美しい。中には(想像はしていたが、案の定、反日感情を剝き出しにし、平和の祭典に政治色を持ち込もうとした愚かな外国選手団や、競技規約に反して手前勝手な行動を起こして警告を受けた(スポーツマンらしからぬ)選手もいたようだが、それらも大会の盛り上がりの陰に隠れて、たいして表面化しなかったことも「東京大会」の特徴の1つだろう。コロナウイルスの感染拡大による緊急事態宣言下にあって菅首相の口癖“安全・安心の大会“とは(胸を張っては)言い難いが、地味でもいい、とにもかくにも”無事“にフィナーレを迎えることを共に喜びたい。

「東京オリンピック」に湧いた2021年の8月初旬ではあるが、日本人にとっては、やはり『8月は祈りの月』であることを忘れてはならない。1945年(昭和20年)8月、広島・長崎への原爆投下、ソ連の(日ソ不可侵条約を一方的に破棄しての)日本侵攻、ポツダム宣言受諾(終戦の詔勅)など8月は日本人にとって絶対に忘れてはならない“大東亜戦争(太平洋戦争)終焉悲話”の月である。翁は、若い頃から「8月は大東亜戦争を回想する月」と決め、幾つかの戦記物や資料類を読んで、自分なりの“大東亜戦争観”(概要)を掴んでいたが、更に翁の“大戦観”を固めてくれた学習の場が靖国神社であった。余談だが、翁は、靖国神社創建130年記念年(1999年)から靖国と深い関りを持つようになった。翁の主な役割は「靖国神社の真の存在性」を啓発することであった。すなわち、1869年(明治2年)明治天皇の思召しによって創建された靖国神社(創建当初は“東京招魂社”と呼ばれた)は「けっして戦争讃美・扇動の社(やしろ)ではなく、あくまでも国難に殉じた戦没者の慰霊・感謝、そして2度とこのような犠牲者を生まない平和国家建設と世界平和を祈願する神社である」ことを国の内外にPRして来た。(詳細はいずれかの機会に・・・)

翁が自分史『龍翁の独り言』の執筆を開始したのは今から17年前の2004年の8月、そして(現在スタイルの)『龍翁余話』として再スタートしたのは2007年の8月、何故か“翁の自分史”(執筆開始)と8月は偶然にも重なり合う。それだけに『龍翁余話』を読み返すと、この時期のテーマはやはり“終戦悲話”が多い。幾つかを拾ってみる(概要のみ)。

『哀し!九人の乙女』(43号)【・・樺太の西海岸南部に位置する真岡町に『真岡郵便局』があった。そこでの電話交換業務は全て女性職員ばかり・・・日本が“終戦”を宣告した1945年8月15日を過ぎてなお、ソ連軍の北方領土侵攻は続いた。ソ連軍の無差別攻撃は残忍を極めた。8月20日の朝、真岡に上陸したソ連軍は郵便局に迫り無数の砲弾を建物に浴びせた。「もはや、これまで」かねてより覚悟を決めていた九人の乙女たちは電話交換台に向かって本土へ最後の通信「日本の皆さん、これが最後です。さようなら、さようなら」そして互いに目で別れの挨拶を交わし用意していた青酸カリで自決。全員が白い上着にモンペ姿、いささかも乱れた様子はなく、ソ連兵の魔の手を避けた日本女性の哀しくも崇高なる死であった。「九人の乙女の像」は稚内公園に建立されており(九人の乙女の死を悼む)昭和天皇の御製、皇后陛下の御歌も刻まれている】・・・

『特攻基地・知覧秘話“なでしこ隊”』(49号)【・・・重い任務を背負った特攻隊員たちが沖縄戦へ飛び立つまでの数日間、親身に世話をしたのが地元・知覧高等女学校の乙女たち。彼女たちは毎日交代で三角兵舎(地面から少し掘り下げられた、三角の屋根しか見えないお粗末な兵舎)の掃除、特攻隊員たちの衣服の洗濯や繕い、死への旅立ちに際して父母・兄弟・恋人に宛てた手紙(遺書)の預かり。そしていよいよ別れの日、機影が開聞岳の彼方へ消えるまで手を振り涙で見送った乙女たち。彼女たちは“なでしこ隊”と呼ばれ、純粋で献身的な勤労奉仕ぶりが後世に伝えられている】・・・

翁は『原爆被災地・長崎』について2回書いている。『ああ、長崎の鐘』(142号)と『鎮魂と祈り』(435)――『ああ、長崎の鐘』は翁の少年時代の回顧録。【・・翁が中学1年生の時、町の大人のバンド(楽団)の1員(アコーディオン奏者)として「原爆を許すまじ 被爆者大会」(長崎市公会堂)で演奏した時の思い出話――晴れ着姿の娘さんたちが、翁たち楽団席の横を通って1人ずつステージに上がる。8人ほどだったろうか、娘さんたちの顔の全部、または半分が火傷によるケロイド状。彼女たちはその顔を隠すこともなく、むしろ凛としてステージに立つ。会場のあちこちから啜り泣きが・・・ピアノもギターもバイオリンもトランペットもクラリネットもドラムスも皆、泣いている。アコーディオン少年も涙で『長崎の鐘』の楽譜がかすんだ。これを機に少年は原爆の恐怖を知り、憎み、“三たび許すまじ原爆”を心に誓ったのである】・・・

『鎮魂と祈り』は『長崎の鐘』の著者・永井 隆博士を偲ぶ内容である。【・・・8月9日午前11時02分、原爆投下。永井博士は爆心地からわずか700mの長崎医大診察室で被爆、右側頭動脈切断という重傷を負いながら、自分は頭に布を巻いただけで他の大勢の被爆者の救済に当たる。翌日(10日)やっと我が家に戻る。台所跡から骨片だけになっていた妻の遺骸を発見、その骨片を拾って屋敷内に埋葬。

♪ 召されて妻は天国へ 別れてひとり旅立ちぬ かたみに残るロザリオの 鎖に白き

我が涙(『長崎の鐘』2番)――翁、今その歌を聞いても胸が詰まる。】・・・

ところで、長野県上田市に『無言館』と言う戦没画学生の遺作展示館がある。翁は、まだ直接参館したことはないが、実は2013年8月、千葉県流山市生涯学習センターで(無言館協力の)『祈りの絵展』が開催され、翁の親友で流山市在住のオペラ歌手・熊坂牧子さん(当絵展の実行委員の1人)のご招待で戦没画学生たちの遺作に接する機会を得た。その参観記が『戦没画学生“祈りの絵展”』(296号)である。【・・・展示されている72点の絵には、街の風景、花、山などもあるが、翁が足を止め、じっと魅入った絵は愛する母・妻・恋人の女性像だった。彼らがこの絵を描く時は“人を愛する歓び”をかみしめながら描いた至福の時であったに違いない。だが、間もなく彼らは学徒動員によって“愛する人”と永久(とわ)の別れを余儀なくされる無情の運命(さだめ)を迎えることになる】・・・

大東亜戦争最後の激戦地・硫黄島についても2度、取り上げた。『ああ、忘れまじ硫黄島』

(73号)(516号)【・・・東京から南へ1,250km、東京都小笠原諸島に属する総面積22平方km、品川区ほどのこの小さな島で展開された日米の激戦――日本軍は小笠原兵団第109師団長・栗林忠道中将率いる陸海軍将兵・軍属(島民130人)・少年兵を含む2万数千人に対し米軍側は将兵11万人、航空母艦16席、艦載機1,200機、戦艦8隻、巡洋艦15隻、駆逐艦77隻(これでは初めから勝負にならない)。栗林中将は“内陸戦”の戦法で米軍を迎え撃った。わずか5週間の死闘――(その地獄絵の様子は『ああ、忘れまじ硫黄島』に詳しく記述)たまたま翁、栗林中将のご子息・太郎氏(元硫黄島協会理事)と戦車連隊長・西竹一大佐のご子息・泰徳氏(元硫黄島協会会長)とは友人だった関係でこれまでに2度、硫黄島を撮影した。そのビデオを視るたびに翁、今でもこみ上げるものがある】・・・

そして昨年8月(637号)『8月は鎮魂と憤怒の月』を配信した。<鎮魂>は軍人であれ民間人であれ、先の大戦の犠牲になった人々(戦没者)に対する慰霊と感謝、そして<憤怒その1>は「広島・長崎への原爆投下」【・・・その悲惨さ(悲劇)は筆舌に尽くし難く、(被爆者でない)翁は被爆者の地獄の苦しみを語る資格はないのだが、世界唯一の被爆国日本国民の1人として翁は世界に向けて「ノーモア ヒロシマ」「ノーモア ナガサキ」を永久に叫び続けなければならない使命を痛感している】・・・<憤怒その2>は「ソ連の日本侵攻」【・・・(前述のように)ソ連(現ロシア)は“日ソ不可侵条約”を一方的に破棄して突然に北方領土を侵攻、日本固有の領土である択捉・国後・色丹・歯舞(北方4島)を戦後75年も経った現在でもなお不法占拠している。故に翁はロシア(政府)を“ドロボーネコ”と蔑んでいる】(その他の<憤怒>(中国や朝鮮に関係する事件)は沢山あるが、スペースの関係で割愛する)・・・

「東京2020五輪」の若者たちの熱戦ぶりをテレビで観戦していると、翁が平素嫌っている国々(政府)の選手たちの活躍も日本人選手に対してと同様、拍手を贈りたくなる。「彼らには暗い悲惨な過去は無い。あるのは友好・親善の未来だけだ」と思いたくなる。それがオリンピック精神と言うものだろう。だとすれば「東京2020五輪」はやってよかった」と言うことになる。これからの世界の平和を、この若者たちに託したい。今年の8月は、その願いも込めた『祈りの月』にしたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「サツマイモ」

日本に戻ってきて14日目が過ぎ、ようやくレンタルスマホを返却し晴れて自由に動けるようになった。14日間の自宅軟禁中は家のかたずけ、溜まっていた書類の整理で毎日結構、忙しく時間が過ぎた。帰ってきてすぐに冷蔵庫や食品の整理を始めた時、芽の出たサツマイモがあった。いつもなら捨ててしまうのだけれど、どうせなら観賞用として、どこまで葉が伸びるか試しに半分に切ってお皿に置いておいた。やはりイモ類は生命力がある植物なのかどんどん成長して半分に切ったサツマイモは、瞬く間に葉で蔽われてきた。ところでサツマイモの花は咲くのだろうか?咲くとしたらどんな花なのだろうと調べてみたら朝顔のような花で中が薄紫色をした綺麗な花だった。植物学的分類だとヒルガオ科サツマイモ属、つる性多年草なのだそうだ。沖縄や九州ではサツマイモの花が見られるそうだが気候や日照時間など条件が整わなければ咲かないそうで花を咲かせるのは難しいようだ。

先日、母に頼まれて京王ストアーに焼き芋を買いに行った。今時、こんな暑い時期に焼き芋なんか売っているのだろうかと思ったらレジの近くにあった。暖められた石の上に並べられたサツマイモは近くに行くとほんのり甘い香りが漂っていた。買い物が終わってレジに行く前にサツマイモを取りに行くと8個ほどあったサツマイモは最後の1個になっていた。やはり購入していく人は、結構いるのだ。その人気商品の焼き芋、紅あずまを買って帰った。家に戻って袋の中から焼き芋を出してみると蜜が染み出ている。半分に切ってみたらねっとりとしていてクリーミィな感じだった。皮を取って輪切りにして、しゃれた小皿にフォークを添えて出したらそのままでデザートとして食べられる。舟和のイモ羊羹も美味しいれど何も手を加えていない自然素材そのままの石焼き芋も互角の勝負が出来る。昔、サツマイモのアイスクリームを食べてとても美味しかった事を思い出した。暖かい石焼き芋にバニラアイスクリームを乗せて食べてみたら、やっぱり美味しかった。

今はお菓子の種類も増え毎シーズン違った高級洋菓子や和菓子が競って出てくるけれど素朴な焼き芋の美味しさに新鮮味を感じた。そう言えば、やせた土地でもイモ類は育ち台風や干ばつにも強く飢饉から多くの人を救ったのだとか、、、、そんなわけでサツマイモは救荒作物として栽培されてきたそうだ。栄養価もビタミンC、ビタミンE、カリウム、マグネシウム、銅、ミネラル、食物繊維が含まれていてコレステロールを下げる作用もあるようだ。改めてサツマイモの存在価値に感謝したいような気持ちになった。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ Eddie Higgins ”Ab’s Blues”

素敵なアルバムを見つけました。だれにしようかと迷ったら大御所のアーティストに行きつきます。誰でも知っているEddie HigginsのAb’s Bluesを紹介します。安心して聴いていられます。音も抜群です。

Eddie Higgins “Ab’s Blues”

01.Ab’s Blues

02.Blues for Big Scotia

03.Zarac the Evil One

04.Foot’s Bag

編集後記「自因自果」

都議選中に無免許で人身事故を起こした都議は、都民ファーストの会の除名と都議会から辞職勧告決議を受けているのに雲隠れし、直接、自身の言葉で説明をしていません。同じように人身事故を起こしたにもかかわらず、被害者への賠償をせずに逃げ続けている静岡市議がいます。不誠実な対応に、裁判所から議員報酬を差押えられる事態になっています。公職にありながらバレなければ悪いことをしても大丈夫と思っている人がいるのはとても情けないことです。自分の悪い行いが悪い結果を招くことを学ぼうとしない愚かな人は特に公職についてほしくないです。それとそう言うことを起こした時点で首にできるようにしないとダメだと思います。《R.O.》

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