雑貨屋ウィークリー1354号

雑貨屋のひとり言「自宅療養終了から一週間経ちました」

自宅療養が終わって一週間が経ちました。100%回復したと言いたいのですが、たまに痰が絡むのでそれがまだスッキリしない一因になっているようで回復度はまだ90%くらいかなと思っています。ほかのコロナ感染経験者に聞いても同じようなことを言っています。完全回復には一か月くらいかかるのではないかと思います。3回のワクチンが効いて軽症で済んでいるのでありがたいことだと思います。それでも朝夜のヨガはできていますし、夕食後の散歩も始めています。生命保険会社からの給付金が振り込まれました。これも元気にしてくれています。《R.O.》

川柳(東京・成近)

(川 柳)

コロナ禍が追い風通販がはしゃぐ

カタログに一色多い虹を描き

カタログの笑顔が裏で舌を出し

衝動買いのカードにカラットが重い

あきまへん口癖にしてビルを建て

( ニュースひとりよがり)

「エリザベス女王96歳」

あと23年頑張ってください ―ギネスブック

「下落」

〝有事の円〟が〝憂事の円〟になった―日本の実力

「緊急事態」

マスクを外せ ―ツイッター社

河合成近

龍翁余話(727)「伊豆・北条家の歴史散策」(拡大版)

今、放映中の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』で俳優・小栗旬が演じる主人公・北条義時の人気が高まっている。実は翁、北条義時のことは今まで(名前くらいは知っていたが)実像については詳しくは知らなかったのだが、大河ドラマのおかげで、少しばかり学習する機会を得た。

まずタイトルの「13人」とは――鎌倉幕府初代将軍・源頼朝(鎌倉殿)が1199年2月に没(享年52)直後の4月に発足した「集団指導体制」のメンバー・13人の御家人(武家の棟梁を支える高位の家臣のことで、特に頼朝を支えて来た坂東武者・現在の関東の各地に領地を構えた武士の始まりとされる豪族たち)のことである。この「13人の合議制」が出来るまでは、鎌倉幕府の政治の中枢に「執権」(鎌倉殿を補佐する職)が設けられ、頼朝が平清盛によって伊豆国へ配流され、不遇の時代から面倒を見て来た(更に源平合戦~鎌倉幕府創設に貢献した)北条一族の棟梁・時政(頼朝の妻・北条政子の父親)が初代執権に、政子の弟・義時が2代執権の座に就いたが、開府当初は、やはり頼朝の独裁色が強く「執権」とは名ばかりの職種だった。1199年2月に頼朝が没して第2代将軍(鎌倉殿)・頼家(頼朝と政子の子)の独裁政治を抑えるべく(前述の)「13人合議制」が発足したのだが、次第に強まって来た北条一族(特に“尼将軍”と呼ばれた北条政子)の権力に他の御家人たちが反発・離反して「13人の合議制」は僅か1年後の1200年に解体した。その後、鎌倉幕府は北条一族による「執権政治」に牛耳られ、1333年、鎌倉幕府最後の(第9代)将軍・守邦親王(もりくにしんのう)の没まで続くのだが、鎌倉幕府の創設年(諸説あるが)1185年から解散年1333年までの148年間、“北条執権”は第14代にまで及んでいる。

さて――“コロナ禍”で出来るだけ外出(特に遠出)を控えていた翁だったが、丸2年に亘るコロナ感染対策(自己防衛)で予防に自信がついたせいか、“コロナ恐怖症”が薄れ、おまけに“春の陽気”に乗せられて“小さな旅”がしたくなっていた、そんな時、翁たちシニア会の幹事君から「龍翁さんの(4月の)誕生祝いを兼ねて大河ドラマの“伊豆・北条一族の里”へ日帰り旅行をしませんか」のお誘いがあった。メンバーは翁を加えていずれも歴史好きの4人とのこと。翁、大喜びで「OK」。ちなみに4人ともコロナ・ワクチン接種3回済み、本人は勿論、周辺にも感染経験者はいないと言う“健康・退屈老人”ばかり。4月中旬の某日、早朝に品川駅集合、伊豆箱根鉄道駿豆線「韮山駅」へと向かった。

「韮山」には世界遺産で国の史跡でもある「韮山反射炉」や「韮山城跡」(北条早雲築城)など名所・旧跡が多いが、今回の目的は『北条家の歴史散策』。まずは「韮山駅」のすぐ近くの『大河ドラマ館』に入る(入館料400円)。館内は『鎌倉殿の13人』のストーリーや登場人物相関図、時政(政子・義時の父)・義時、政子(頼朝の妻)・八重(頼朝の最初の妻)のパネル写真及び衣装、小道具のほか、義時の生涯(表)などが展示されている。

『大河ドラマ館』の近くには北条一族ゆかりの場所(史跡)が点在しているが、翁たちは体力や時間の都合で散策先を絞り込み、まず『北条氏邸跡(円成寺跡)』から散策を開始。

『大河ドラマ館』から約15分の所に北条氏が鎌倉に本拠地を移すまでの『北条氏館跡』と滅亡後に建立された『円成寺(北条家の菩提寺)跡』がある(写真左)。国指定史跡であるが現在、公園広場になっており、伊豆の国市(いずのくにし)では今後の活用計画を進めているとか・・・そこから約10分の所に『真珠院』がある。『真珠院』は、頼朝の最初の妻・八重を祀る寺で境内に『八重姫の供養堂』がある(写真中)。大河ドラマでは、八重は数年後に義時の妻になる設定だが、史実は少し違うようだ。伊豆伊東の豪族・伊東祐親(すけちか)の上の娘(名前不明)が北条時政の最初の妻、つまり政子や義時の母親、下の娘が八重姫。流人として伊豆で暮らしていた源頼朝と結ばれ男児を産むが、平家派だった祐親は(平氏を怖れ)男児を殺し頼朝と八重を別れさせる。ほどなく頼朝は時政の娘・政子と結婚した。それを知った八重姫は悲嘆の挙句、近くの川(真珠ケ淵)に身を投げた。これが史実のようだ。つまり八重姫と義時は叔母と甥の関係であり、かなりの年齢差があるからドラマで義時が八重姫を娶る話は、ちょっと無理な設定のように思える。『真珠院』から約8分の所に『願成就院』がある(写真右)。この寺院は、もともと北条氏の氏寺であったが、頼朝が奥州平泉討伐の際、義父の北条時政が戦勝祈願をしたとも伝えられている。

かなり長い時間歩いたので、そろそろ老人たちの足腰が悲鳴をあげ出した。近くの蕎麦屋で昼食と休息、その間、「韮山」の知識を学習する。「韮山」は箱根峠や伊豆府中(三島)に近いので、かつては三島と並んで伊豆国の拠点都市として栄えた。2005年(平成17年)に大仁町・伊豆長岡町・韮山町が合併して「伊豆の国市」(いずのくにし)となる。韮山と言えば(前述のように)幕末に江川太郎左衛門(韮山代官)が築いた“反射炉”が有名だが、今回は見学なし。次は『北条義時ゆかりの地』へ歩を進める。

この広場(写真左)は「義時館跡」。義時は幼少の頃「江間小四郎義時」と呼ばれていたところから現在「江間公園」となっており、どこを見渡しても“館”らしき形跡は見当たらない。ただ公園の一角に「北条義時屋敷跡」の碑が建っているだけ。そこから5,6分の所にある『北条寺』へ行く(写真中)。寺の由緒によると「鎌倉幕府第2代執権・北条義時が建立した寺。義時の長男・安千代丸が大蛇に襲われ命を失った時、義時は安千代丸の供養のため七堂伽藍(しちどうがらん=本堂・塔・講堂・経蔵・鐘楼・僧房・食堂など寺の7つの主要な建物(宗派によって多少は異なるそうだ。伽藍とは寺の建物)を建立させた」とある。このお寺で有名なのは運慶(平安~鎌倉時代の佛師)作の「木造阿弥陀如来座像」だが、今回は礼拝出来なかった。しかし翁たちは『北条寺』に祀られている『義時の墓』に詣でた。写真の右が義時、左が伊賀の方(後妻)の墓。翁は墓前に合掌して、しばらくの間「義時の妻たち」に思いを馳せた。義時の最初の妻は「八重姫」であったが離別させられ、次に(1192年に)正室になったのは頼朝の家臣・比企朝宗の娘「姫の前」と言う名の女性。ところが1203年、朝宗の養子・能員(よしかず)が(北条家に)謀反を企て、それが露見して殺されるや「姫の前」も離縁。1204年に義時の後妻に迎えられたのが(やはり頼朝の家臣)伊賀朝光の娘「伊賀の方」。この2人(由緒によると)仲睦まじい間柄だったとのことだが、1224年に義時が急死(享年62)するや、その死が“伊賀の方による毒殺”と噂され(真偽不明)、姉・政子は激怒して「伊賀の方」を(鎌倉から)伊豆へ配流、幽閉の身となるも、ほどなく死去(享年不明)。ところで、義時生存中、継室「伊賀の方」のほかに「阿波局」(あわのつぼね=生没年、出自不詳)という側室がいて、この2人の間に生まれたのが北条泰時(やすとき=鎌倉幕府第3代執権)、その泰時が「義時・伊賀の方の墓」を建立した、と伝えられている・・・あちこち歩き廻り、あれこれ想像を巡らせた『北条家の歴史散策』、体も頭も疲れ果てたが、久しぶりに”コロナ禍“から解放された1日であった。この機に更に正確な「鎌倉幕府と北条執権の歴史」を学習しようと思うと同時に、今後の『鎌倉殿の13人』の展開が楽しみである・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究 日本のお宝探し旅③ 霧島神宮そして高千穂峡へ

移動中の旅の間に時間がポッと空いたので予定になかった霧島神宮に行ってみることにした。目的地の国分駅から霧島神宮駅が電車で一つ隣の駅だという事を当日まで気が付かなかった。JRの駅員さんに聞いたら霧島神宮駅からバスで霧島神宮までは15分ほどとかで親切にバスの時刻表がのっているバス旅の案内を持ってきてくれた。バスが1時間、2時間に1本とあまりないので乗り遅れないようにとハイライトで印を付けて〇をしてくれた。霧島神宮からバスで駅に戻ったら何時の電車があるのでそれにのれば次の目的地の駅に行けるからと手書きで電車の時間も書いてくれた。おまけに“お腹がすいたら駅前にあるカレー屋さんやピザ屋さんがあるから、そこに寄ったらいいですよ。そこはわりと美味しくて人気がありますよ“とグルメ情報まで教えてくれた。そんなわけで霧島神宮にタイミング良く行けた。きっとここも日本の宝なのだろうと思ったら霧島神宮は今年、国宝に指定された神宮だった。神社、仏閣巡りに詳しい人だったら神社と神宮の違いも知っているだろうけれど不勉強な私にとっては、そんな事も意識した事がないほど日本の神様の事は知らない事だらけ。ともかく偶然立ち寄れたのも何かのご縁、ご挨拶をしておかねばと隣の人が2礼2拍手一礼するのを横目で確認して同じように手を合わせ“今回は時間が無いので、また、来ます。これにて失礼します”とだけ霧島神宮にご挨拶させて頂いた。ここも、ちょうど桜が満開で静かで気持ちのいい空間だった。バスで神宮駅前に戻り駅員さんが教えてくれたカレー屋さんに行ったら完売の看板が出ていて食べる事は出来なかった。やっぱり人気のカレー屋さんだったのだ。これも次回の楽しみにしようと忘れないように写真だけ撮った。その後、鹿児島から宮崎そして延岡に移動した。延岡の駅は近代的でおしゃれな本屋さん、コーヒーショップ、待合室、くつろぎスペースが出来ていて驚いた。田舎風のレトロな駅ばかり見てきたので延岡の駅に降りた途端、今の東京の街を思わせる空間になっていた。延岡のギフトショップの中に入ってみると伝統工芸士の方が作られた“めんぱ”(木のお弁当箱)が棚の上に並べられていた。木のぬくもりがあるお弁当箱は今、若い人にも見直されてきているようで売れていると店の人は言っていた。延岡の北の方で作られたメープルシロップも売られていた。森を守るために手作業でコツコツとメープルシロップを作っているので、たくさんは生産出来ないようだけれど希少価値があり美味しそうだ。其々の地域や村や町で地域の特色を生かしたものを作り生産し頑張っている人はあちこちにおられるのだな~と感心した。日本の伝統文化の価値に気が付き始めている人が増えてきているのはいい事だ。延岡は駅の周辺で宿泊、翌日は朝から高速バスの長旅になるので早めにホテルに入って休む事にした。ホテルに入って机の引き出しを開けたら古事記の本があった。米国のホテルでは、よく聖書の本が置かれてある。なるほど日本では古事記の本なのか~とパラパラと本をめくって見た。ゆっくり本を読む時間はなかったけれど、最初のページに歴史学者であるアーノルドトインビー氏の言葉が書かれてあった。12、3歳ぐらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は例外なく滅びていると、、、日本を残す事は教育を変える事しかなく、どの教育の中心にも古事記が無くてはならないと書かれてあった。著者を見ると竹田恒泰氏の名前が出ていた。戦後の教育はGHQによって戦略的に葬りさられてしまったものが多々ある。日本の良き伝統、精神文化、偉人、書籍等々、、、。古事記には何が書かれているのかちゃんと読んだ事も教えられた記憶もない。竹田氏の本は日本を知るための入門書としてわかりやすく現代語の体制をとって煩雑な文章を表形式にしたりして読みやすくしているとも書いてあった。日本の神話はミステリアスで霧の中の遠い存在だけれど、いつか読んでみたい本の1冊だ。

翌日の早朝、高速バスで高千穂峡経由、博多行きの高速バスに乗った。実は弟夫婦が昨年この高千穂峡に旅行して、とても感動したようで、すごいパワースポットだったと言っていた。普段、弟夫婦はスピリチュアルな事など話した事も無く関心が無さそうだったのに何か感じたようで高千穂峡の事を熱く語っていたから行ってみたくなったのだ。この高千穂峡は神々が天上界から地上に降り立った天孫降臨の場所と伝えられている。ただ、通り過ぎるにはもったいないと弟に言われたけれど外側からだけでも、そのエネルギーを感じてみたかった。それに次回の為に情報だけでも集めておこうと思った。バスは4時間27分長時間の長旅でも車窓から見る山の景色は飽きる事がなかった。バスが出発すると間もなく山間の中を走り始めた。山々から立ち上る湯気は温泉の湯気なのだろうか、、、、山がまるで呼吸している感じがした。ちょうど桜の時期だったので新緑の緑と菜の花のコントラストが綺麗で飽きなかった。次回は高千穂峡に宿泊して散策してみたい。博多に到着後、次の新幹線の時間まで、あまり寄り道している時間が無かったので急いで博多名物の明太子入りのお弁当を買って新幹線に乗り込んだ。そして新神戸で乗り換えて東京まで戻った。丸一日の移動時間だった。自宅に戻ったのは金曜日の夜。明日は週末。この土日で1週間の旅は終わる。後2日、、、そう思いながら眠りについた。

スパイス研究家  茶子

ジャズライフ Dan Siegel “Faraway Place”

何度も書いて恐縮ですが、Amazon Musicのハイレゾ音源を愛用のオーディオにつないで聴いているのでとても良い音で聴けています。近い距離のスピーカーを余裕のあるパワーで駆動し明瞭な音で聴けているせいか疲れません。ほんの少し音量を上げて体でその響きを受け止めているので心地よく聴けています。音が私を元気にしてくれます。ずっと聴いていられる理想的なジャズの聴き方を見つけたような気がします。私のジャズライフが大きく進化しました。

気分を爽快にしてくれるスムースジャズに出会いました。ピアノ・キーボード奏者のDan Siegelの”Faraway Place”です。1980年のデビューから22作目のアルバムですが、コロナ禍なのでレコーディングはリモートを活用して制作されたということです。《R.O.》

Dan Siegel “Faraway Place”

1-Old School 4:17
2-Sentimental Story 4:27
3-Tried and True 4:09
4-Something You Said 3:41
5-Curves Ahead 3:57
6-Faraway Place 4:08
7-Some Time Ago 4:21
8-Bluebird 3:17
9-Your Smile 2:19
10-Looking Up 3:54
11-Once Again 4:15

編集後記「形あるものはいつか」

どんなに大切に使っていても形あるものはいつかは壊れます。毎日使っているPCもこれまでハードディスクがおかしくなって壊れたことがあるので、その経験を活かしバックアップをとってそういう事態に備えています。ところが想定していない物が壊れることがあります。そのPCにつないでいた二台の液晶ディスプレイの一台が不安定になり使えなくなりました。冷静に考えればもう10年以上使っているので壊れてもしょうがないと思います。もう一台のディスプレイはそれよりもっと古いのでこれも危ないと思ってきました。また出費が発生しますが、チェンジは勉強のチャンスでもあるのでまた面白いコトが起きることを期待しています。デュアルディスプレイでやってきましたがこの際だからワイド型のディスプレイにしようと考えています。私のPC環境は大きく変わっていきます。《R.O.》

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