雑貨屋ウィークリー1369号

雑貨屋のひとり言「SDG’sな固形シャンプー」

先日、NHKのあさイチで固形シャンプーが紹介されていました。以前から体を洗う時は牛乳石鹸を使っているので、頭を洗う固形シャンプーがあっても違和感はないと思いました。製造過程で大量の水を使用する液体シャンプーと違い、水の量が少なくて済み環境に配慮された固形型シャンプーという説明を聞いてとても魅力を感じました。固形ですがほんの少しで泡立ちますので結構長く使え経済的なのもいいと思います。この固形型シャンプーを製造・販売しているのは大阪府八尾市に本社がある会社です。八尾市は数年前に親の介護で毎日行っていたので親しみを感じます。近所のお店でさがしてもみつからなかったので、通販で注文し(少し時間がかかりましたが)早速、使っています。お風呂場がいい匂いに包まれています。《R.O.》

川柳(東京・成近)

(川 柳)

じゃじゃ馬も今日才媛の披露宴

英文の祝電もあり高島田

親馬鹿がお色直しにめを細め

人柄が何よりと言う赤い糸

娘の笑顔心おきなく嫁がせる

( ニュースひとりよがり)

「立秋」

もうとっくに —値上げの秋物

「サル痘、  手足口病」

ちょっと待って —病院

「高齢者の外出自粛」

ぜひ — 猛暑

河合成近

龍翁余話(741)「日残りて昏るるに未だ遠し」

「日残りて昏(く)るるに未(いま)だ遠し」は、藤沢周平の長編時代小説『三屋清左衛門残日録』の標語(謳い文句)である――翁の親友にK氏と言う某テレビ局の名プロデューサーがいた(故人)。彼は藤沢周平作品のほとんどを読破したのではないかと思えるほどの“藤沢周平(1927年~1997年)ファン”だった。藤沢作品と言えば、剣客や小藩の藩士(特に下級武士)が登場する武家もの。町人や渡世人が主人公の市井(しせい=庶民が住む町場)ものなど、江戸時代を中心とした時代小説が多いが、どちらかと言うと華やかさはなく地味で人間の哀歓を描く作品が多いので、派手なチャンバラ好きの翁は、K氏から薦められるまでは藤沢作品にはあまり魅力を感じていなかった。

今世紀に入って、ある日、K氏から(K氏所有の)藤沢小説『密謀』(1982年)(上・下巻)を渡された(貸してくれた)。この本は、江戸時代に入る前の豊臣秀吉~徳川家康の時代、つまり“関ヶ原合戦”前後の戦国時代もの。東国の雄・上杉藩(初代藩主)景勝を支える(20歳代の)若き智謀の将・直江兼続と、秀吉の側近でこれも“策略家”と言われた石田三成との交流(密謀)を描いた作品。その頃は、翁はまだ現役だったし、けっこう多忙な毎日ではあったが親友・K氏が大切にしている”愛読書“をわざわざ貸してくれた、とあって、初めは“義理読み”から始まったのだが、10数ページを読んだだけで早や“のめり込み”が始まり、仕事の合間や睡眠時間を惜しんで読み耽った。翁が上杉藩家老・直江兼続を知ったのはその本が初めて。その後、火坂雅志(1956年~2015年)の小説で直江兼続を主人公とする『天地人』が2006年に出版された。翁が飛びついたのは言うまでもない。NHK大河ドラマ『天地人』が始まった年(2009年)の5月、翁は、景勝・兼続主従の生誕の地・新潟県魚沼市六日町へ取材に出かけ『龍翁余話』(81)(82)で紹介したほど兼続にのめり込んだ。この話は余談ではあるが『密謀』も『天地人』も直江兼続が主人公、そして『三屋清左衛門残日録』も出羽の国(山形県)が舞台、と言う共通性がある。

さて――コロナ感染の急激拡大と猛暑が続き、自主的な外出自粛でますます“テレビ時間”が増えた昨今、特に嬉しかったのは、先々週の土曜日(23日)・先週の土曜日(30日)と日曜日(31日)に(BSフジで)『三屋清左衛門残日録』シリーズ5作一挙放送があったことだ。このドラマ、NHK金曜時代劇で1993年4月から7月にかけて全14話、『清左衛門残日録』のタイトル(仲代達矢主演)で放送されたそうだが、その頃は、翁はまだ現役であちこち飛び回っていたので視ることは出来なかったが、“仲代清左衛門”もなかなかの風格で好評だったとのこと。再放送をしてくれれば是非視たいと思う――今回、翁が視たのはBSフジで2016年からテレビドラマ化された北大路欣也主演の『三屋清左衛門残日録』の再放送版である。この『残日録』については故・K氏からも聞かされていたが、まだ興味を持つに至っていなかった。ところが主演が北大路欣也――1968年のNHK大河ドラマ『竜馬がゆく』以来 “北大路ファン”になっていた翁、「北大路主演のドラマなら是非にも」と言うことで、このシリーズ5作に見入った(魅入った)。“北大路清左衛門”は、まさに”はまり役“。北大路自身も「清左衛門を深く尊敬している」と語っているそうだ。

物語は――江戸で藩主の用人(ようにん=主君の用向きを家中に伝達して庶務を司る役目、現在の“秘書室長”のような職種)だった清左衛門は、仕えた主君(藩主)の死去に伴い、新藩主に隠居を願い出、国元(架空の小藩)で家督を息子に譲り自分は隠居生活に入った。清左衛門は当初“隠居の日々が暇になる”と思っていたのだが国元の親友で町奉行が抱える事件や、かつての同僚や知人が絡む事件に巻き込まれ、その解決に奔走することになる。彼が隠居生活に入ったのは52歳と言う設定だが、現在の男なら52歳はまだ働き盛り。しかし“人生50年”と言われた時代だから当時の52歳は、もう“超老人”だろう。映像で視る“北大路清左衛門”も(今の感覚では)かなりの老人風だが北大路自身の実年齢(79歳)が、52歳当時の三屋清左衛門とうまく重なり違和感はない。それは円熟した北大路の演技力の賜物だろう。“隠居”にありがちな寂寥感が漂わないのもホッとする。

ところで『日残りて昏るるに未だ遠し』とは「私は死ぬまでにまだ日が残されている(死ぬまでには、まだ時間がある)。生きている間は、何か社会の役に立ちたい」と藤沢周平は解説している。しかし、そこには「何々をしなければならない」と言う義務感とか悲壮感などは無い。「私利私欲を捨て淡々と生き、厄介な出来事も含め淡々と諸事に対処する」、翁はそのように解釈している。そして翁自身もまた(煩悩が故に私利私欲は完全に捨てられないが)厄介な出来事に遭遇しても淡々と処理していくことを心掛けている。

翁、70歳の時、会社経営と映像制作の第一線から退いた。「さあ、これからの人生(余生)をどう生きるか、“70歳、未だ青春”、思考力・体力・気力はまだ充分残っている。だから”完全隠居”はしたくない。これからは自由人として自分の意志・意欲で社会活動をしよう」――あるプロジェクトの会合で月に1度(前述の)K氏と会うたびにそんな会話を交わしていた。ところが、突然、思いもしなかった癌に罹り(それも立て続けに2つの癌に冒され)“自由人生活”の出鼻をくじかれた(数年後に、また別の癌に襲われ、危ない所で一命を取り止めた)。人間、大病を患うと体力ばかりでなく気力も萎える。そうでなくても世間は(現役引退者に対しては)距離を置くようになる。それは“先輩への遠慮”、と言うより“枯れ行く者への憐憫”かも知れない。しかし、幸いにも翁は友人や後輩に恵まれ、70歳代までは清左衛門的な“暇なし自由人”だった。ところが八十路に入った途端、世間は次第に遠のく。加えて近年“コロナ禍”と“異常気象”でますます“退屈男”になりがち。そんな時(テレビドラマ)『三屋清左衛門残日録』(日残りて昏るるに未だ遠し)に出会った。そこで翁は“孤塁を守る”(孤高を保ち我が道を往く)の意を新たにし、そして決めた「清左衛門の淡々たる生きざまを習う」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「お菓子の記憶」

先日、九段下駅近くにある昭和館で見かけたポスターに魅かれて特別企画展を見に行った。タイトルはお菓子の記憶~甘くて苦い思い出たち~

時代は明治、大正、昭和にかけて子供たちが食べていたお菓子の歴史が実物大のサンプルや当時のお料理の本も添えられガラスケースに展示されてあった。和菓子から西洋菓子へと移り変わっていく様子や明治の頃から活躍していた明治製菓、森永製菓グリコのお菓子のおまけ、不二家のミルキー等々、見覚えのあるお菓子のパッケージもあって懐かしくなった。その時代背景もあり戦争中は砂糖の配給を止められ疎開児童にとって甘味に乏しい時を過ごさなければならなかった事も詳しく写真や記録に残されている。そんな子供達に香淳皇后(昭和天皇皇后)から全国の疎開児童に送られたビスケットの事も子供達の日記に書かれてあった。戦中、疎開先で子供達が兵隊さんに送る慰問袋の中に手紙やドロップ、ビスケットなどのお菓子を入れて送った事、お手玉の中の小豆を取り出して煮て食べたりした事、皆、ひもじい思いをしたのだろう。戦後は米兵の回りに子供達が群がってギブミーチョコレートと言って、ついて回ったと言うのは有名な話だ。戦中、戦後のこれらの思い出からサブタイトルの甘くて苦い思い出に繋がるのだな~と想像を巡らせながら特別企画展をしみじみと見た。

母の子供の頃のお菓子というと近くに和菓子屋さんと駄菓子屋さんがあったそうで和菓子屋さんは通常販売されている和菓子に加え季節の行事や冠婚葬祭向けの和菓子なども色とりどり並んでいたそうだ。駄菓子屋さんでは金平糖や金太郎飴、ビスケット、ソース煎餅、カルメ焼きなど種類も豊富で一つ一つガラスケースから選んで買えたそうで子供にとっては楽しくエキサイティングな場所だったらしい。自宅から米を持って行ってポン菓子を作ってもらう出張サービスもあったらしい。私の子供の頃の出張サービスというとリヤカーで来た石焼き芋屋さんの記憶がある。チリ~ン、チリ~ンと鐘を鳴らしマイクで“焼き芋~甘くて美味しい焼き芋~”と声をかけて町を練り歩いていた。間もなくその姿は消え石焼き芋のアナウンスは車から録音された女性の声に変わっていった。その頃になるとマーケットのお菓子セクションは益々賑やかになり様々な種類のチョコレートやスナック菓子が並ぶようになっていった。TVではお菓子の宣伝も盛んで“やめられない、止まらない、かっぱエビせん”は今も健在だ。“おやつはカール”というカールおじさんのデザインのコーンスナックもよく売れたし今でもLAの日系マーケットで売られている。不二家ハートチョコレートの宣伝は私の好きな山下達郎さんが歌っていた。お菓子を思い出すだけでもその時代が蘇る。デパートのガラスのショーウィンドウには洋菓子が華やかに飾られていて和菓子は隅の方に追いやられていた記憶がある。その頃の洋菓子ケーキは今でも覚えている。ドイツのバームクーヘンやモンブランや苺のケーキその中でもラム酒入りのサバランは私が最も好きなケーキだった。戦後は米国からの小麦粉とバター(一般にはマーガリン)と白い砂糖がどっと輸入されビスケットよりクッキー、米よりも主食はパン、おやつも袋入りの菓子パンが流行っていった。当然私も和食より洋食、洋菓子が好きな子供だったと思う。ところがアメリカに住むようになってから和食や和菓子に目覚めたのだ。

ある日、日系人の友人がリトル東京の老舗ミツルカフェで今川焼を並んで買った。“ここの今川焼は1番美味しいんだ”と力説し一人12個までというリミット付きの今川焼を12個も買ってあまり興味のない私にも一つくれた。それで一口食べた瞬間“あっ!この味、子供の頃に食べた味と同じだ” と鮮明に思い出した。それは奇妙な体験だった。

脳みその奥深く眠っていた記憶がパッと目覚めたような感じだった。今川焼きのふんわり甘い匂いも手に持った時の皮の柔らかい皮膚感覚でさえ、はっきり覚えていた。その今川焼はオープン当時から使っているというカッパー(銅)で焼いているので鉄では出ない焼き色と触感なのだ。小豆の煮方や甘さ加減もパーフェクト。今川焼ってこんなに美味しかったかな~とちょっとびっくりした。その私の表情を見て、したり顔の友人は目で私に合図した。その銅板で作れる今川焼の数は手作業なので決まった数しか作れない。それでいつも行列が出来ているらしいのだ。

昔懐かしい味としてもう一品。アメリカに来たばかりの頃、吹雪アイスという小豆の入ったアイスキャンディーが売っていた。そのアイスキャンディーも食べた瞬間、昔食べた事のある懐かしい味でとても美味しかった。跡継ぎがいなかったのか、いつの間にか売れていたのに無くなってしまって残念だった。おそらく日本の和菓子なども戦前か戦後間もない頃に日本から伝わったオリジナルのレシピなのではないかと思う。日本でも残念ながら、あの懐かしい味のアイスキャンディーには今も出会っていない。

スパイス研究家  茶子

ジャズライフ Torcuato Mariano “Diary”

最近のイヤフォンの進歩を見てみたいという好奇心から、YouTubeで技術的、デザイン的に優れ、コストパフォーマンスのいいものを探しました。イヤフォンにはワイアレスと有線がありますが私の場合はZEN DACのイヤフォン出力で聴きたいので有線イヤフォンを選びました。iPhoneにイヤフォン端子がなくなってからワイヤレスフォンの人気が高まっていますが有線イヤフォンは値段が手ごろで素晴らしい性能のものが幅広く揃っているので音楽好きには人気があります。私が選んだイヤフォンはバランスドアーマチュア型ドライバーとダイナミックドライバーによるハイブリッドタイプのカナル型イヤホンです。音圧レベルが高くかなり迫力があります。音の広がり感が素晴らしく低音と高音がしっかり表現されます。文句のつけようがない性能です。イヤフォンケーブルが取り替えられるように設計されています。リケーブルでZEN DACのバランス出力(4.4mm5極プラグ)に対応できるようなので試してみたいのですがリケーブルの方が本体価格より高いので思案しているところです。

Torcuato Marianoの”Diary”はギターの音色が爽やかな気分にさせてくれるアルバムです。シンプルで聴きやすくとても馴染みやすいと思います。落ち着いた雰囲気のフュージョンです。ジャケットも爽やかなイメージが伝わってきます。Torcuato Marianoはアルゼンチン生まれのブラジル在住のギター奏者です。《R.O.》

Torcuato Mariano “Diary”

1.May
2.Blue Bossa
3.Paula
4.Diary
5.Mission, The
6.High Frequency
7.Mariana
8.Letter for You, A
9.Ship
10.Where Love Will Take
11.Sunny Days

編集後記「ブルーな一週間でした」

先週から今週にかけて私たちはブルーな日が続きました。ワイフの喉が痛くなり、微熱と咳も出て来て、寝ているときも咳き込んで苦しそうでした。ひどくなってきたのでコロナ感染を疑いPCR検査を受けました。結果は陰性だったので耳鼻咽喉科で診てもらったら喉の奥が腫れていることがわかりました。長い時間続いたのでお互い疲れました。ワイフの調子はだいぶ良くなって来ています。私は不思議なことにその間、まったく何もなかったのですが、土曜日の朝、微熱が出てちょっと喉の調子が変わってきました。医者に診てもらうと軽い扁桃腺でした。これ以上酷くならないように注意をしています。薬を服用するのでしばらくはお酒は飲めません。

北陸、東北地方を襲った線状降水帯による短時間の降雨は人の想像をはるかに超えた被害をもたらしました。温暖化で海水が温められ水蒸気を多く含んだ空気の流れで大雨を降らせているようですが、狭い国土に無数の河川が流れる日本ではどこでも危険な状態になりえると思います。私たちの住む街にも大きな河川がありたくさんの支流から水が流れてきています。線状降水帯が支流の方で発生すれば、どうなるかと考えるとぞっとします。決して他人事ではないと思います。《R.O.》

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