雑貨屋ウィークリー1347号

雑貨屋のひとり言「30年前のウクライナ」

コロナがいつまでも収束せず憂鬱なのに加えてロシアの一方的なウクライナ侵攻のニュースが毎日流れて気分の悪い思いをしています。

1988年末にカナダでアマチュア無線局を開局して世界中のアマチュア無線局と交信しました。ウクライナ(当時はまだUSSRの共和国)の無線局とも交信したことがあります。写真は1989年頃に交信したウクライナ共和国とベラルーシュ共和国のQSLカード(交信証)です。1989年にユーゴスラビアで内戦が起こる直前にユーゴスラビアの無線局と交信しました。その方がトロントにいる人を頼って来たいということだったので私が空港に迎えに行ってあげると申し出て、1週間後に日時の打ち合わせを無線でやろうということになりました。1週間後、内戦が始まってしまいその方は約束の時刻、周波数に出てこず、交信できなくなりました。その後どうなったのかわかりません。悲しい思いをした人がものすごくたくさんいたと思います。ソ連崩壊で1991年に独立したウクライナですが30年後にロシアに軍事侵攻されるという悲劇が起きています。せっかくここまで築いてきた平和をあっという間に破壊する人間は野蛮で成長しない動物です。《R.O.》

アマチュア無線で交信したウクライナ共和国とベラルーシ共和国の交信証(QSLカード)

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

千枚田古人の知恵が水を張り

 大海を知らず生け簀の養殖魚

 トレードに出されて水を得た魚

 棒グラフ二度目の職が水に合い

 逃げ水をなお関節の錆が追い

 ( ニュースひとりよがり)

「ロシアンルーレット」

危機一髪 —ザポリジエ原発

「プーチンの狂気」

週末時計の針が動いた —ザポロジエ原発

「ロシアとベラルーシの出場認めず」

参加することに異議がある −IPC

 河合成近

茶子のスパイス研究「旬の菜の花」

2月頃から八百屋さんで菜の花を見かけるようになった。束ねられた緑の葉の間から黄色の蕾を付けた菜の花が春の訪れを告げているようだ。久しぶりに菜の花が食べたくなって買ってから数日間、冷蔵庫に入れたまま、すっかり忘れていた。見ると黄色の蕾が開き始めている。今夜こそは、旬の菜の花の料理をしなくてはと冷蔵庫から出した。最近は旬の素材や香りのあるものは、出来るだけ調味料をシンプルに最小限にして素材そのものを味わうようにしている。今回はさっと茹でてポン酢でいただく事にした。菜の花を洗ってまな板に載せて茎の部分と葉の部分と花の部分に切り分けて順番にお湯の中に入れていく。その時、菜の花の咲きかけていた小花が、あまりに可愛いらしくて何だかお湯の中に放り込むのがもったいなくなった。そこで菜の花の部分を少し食卓テーブルに飾ってみた。その途端、小さい花なのに周りがパッと明るく華やいだ雰囲気になった。生きている花の存在感は、やっぱり違う。しばらく食卓テーブルで菜の花のお花見をする事にした。

今まで食用の花は何度か食べる機会があったけれど毎回、何となく花を食べる事にギルティーを感じてしまう。先日も美味しそうなグリーンのお野菜の中にある花を食べるのに抵抗があった。食用の花ではあるけれど、やっぱり花は平たいガラスの器に浮かべて眺める事にした。他のグリーンのお野菜はオリーブオイルとパラパラと塩を振っただけで食べた。そうするとドレッシングが邪魔する事なく其々の葉の味が味わえる。今回買った菜の花もシンプルに味わおうと思ったのだ。菜の花の茎は思ったより柔らかく甘味があり、かすかに苦みがあって、この苦みがデトックス効果があるように感じた。冬の間、滞った気の流れが良くなるようにも思えてくるのだ。この菜の花はアブラナ科のお野菜で調べてみるとキャベツや小松菜、ホーレン草、ブロッコリーもアブラナ科に属する。寒い冬越えをした後にそんなアブラナ科のお野菜は花を咲かせるのだそうだ。注意してみるとブロッコリーも時々、黄色い花を付けているのを見かける。それは春が来た事のお知らせなのだ。お野菜が収穫される産地の気候に応じて花が咲く時期が違うのだろうけれど南の方から徐々に春の訪れがやってくる。

先週からだいぶ暖かくなった。モノトーンだった街並みがカラフルになってくる。世の中、暗いニュースも多い中いつか訪れる春を信じ希望を持ち続けたいものだ。

スパイス研究家  茶子

龍翁余話(720)「頼朝ゆかりの地 鴨川・仁右衛門島」

週遅れの話で恐縮だが、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の第7回「敵か、あるいは」(2月20日放送)を視て、の話――平安時代末期(1180年)、相模国足柄下郡(現・小田原市)の「石橋山の戦い」で平家軍に破れた頼朝は真鶴沖から小舟に乗って安房国(現・千葉県南部房総)に逃れ再起を図る。再起するには安房一帯に強大な勢力を持つ武将・上総広常(かずさひろつね)の協力が必要となる。そこで頼朝は妻・政子の弟・北条義時を使者に立てる。果たして広常は「敵か、あるいは」・・・当初は曖昧な返事だったが義時の熱意で結局(広常は)頼朝に就くことになる。同時に下総の大物で坂東(関東地方)武士群の重鎮・千葉常胤(ちばつねたね)も頼朝の求めに応じ一族を率いて頼朝軍に参陣。ドラマは次なる(第8回)「いざ、鎌倉」に向かった(2月27日放送済み)。

さて(本題に入る)――安房(房総)へ渡った頼朝郎党を匿ってくれたのは地元の漁師・仁右衛門(にえもん)という人物。しかし、ドラマには仁右衛門という人物は登場していないし、仁右衛門と頼朝との出会い(関係)が明記された資料も見つからないので、ここから先は翁の推測――安房国には(前述の)上総広常のほかに、もう1人、安房国丸御厨(まるのみくりや=現・南房総市)を本拠地とする領主・安西景益(あんざいかげます)と言う武将がいた。景益は頼朝とは幼馴染み。安房へ渡った際、頼朝は、いち早く景益に連絡を取り擁護を依頼する。景益は実直な地元の漁師・仁右衛門に命じ、頼朝郎党の隠れ場所を探させた。仁右衛門は頼朝たちを自分が占有している島(周囲約4km)の「蓬島(よもぎしま)」の洞窟へ案内した。そこは陸地からは絶対に見えないし太平洋の荒波に面した洞窟、頼朝たちにとっては申し分のない“隠れ岩”だった。頼朝は仁右衛門の献身的な働きに感謝し(鎌倉幕府成立後)「蓬島」を「仁右衛門島」と呼ばせ、仁右衛門にその島の永久居住権、周辺の海の漁業権を与えたと伝えられている。ドラマでは仁右衛門と景益の関係(の説明)や頼朝の隠れ岩は映されていないが、実は翁、約25年前「仁右衛門島」に行ったことがある。その時の島主のインタビューで語られたのが“頼朝伝説”。したがって翁の”推測“は25年前の見聞が根拠。(写真は、25年前に翁が撮影したもの)

東京から車で1時間半ほどの距離にある鴨川市太海(ふとうみ)。季節に応じてサバ、アジ、ワラサ、カワハギ、イセエビなど約20種類の魚を出荷している漁業の町。鴨川漁業協同組合傘下の漁業では、定置網の船上で行なわれる“沖〆(血抜き)”が有名で、鮮度の長持ちがいい魚であることが特徴だと言う。「仁右衛門島」はその太海の町の直ぐ目の前。港からわずか200mの距離、泳いでも行けそうだが渡し船の船頭さんに訊いたら(笑って)「流れが強くてオリンピックの水泳選手でも(泳ぎ切るのは)難しかろう」とのこと。

1180年に「石橋山の戦い」に破れた頼朝が安房に逃れ「蓬島」(後の「仁右衛門島」)の洞窟で再起を図って再び源平合戦が始まる。その5年後のs1185年に平家を滅ぼした頼朝は、いよいよ「鎌倉幕府」を創設する。5年前、地元の漁師・仁右衛門に「蓬島」の洞窟に匿われ、手厚いもてなしを受けた頼朝は、その恩義を忘れず仁右衛門に「平野」性を与え(何故、平野性なのか、根拠は不明)、「蓬島」を「仁右衛門島」に改名、更に島の周辺漁業の永久漁業権を与えた。以来、仁右衛門は「仁右衛門島」に居を構え(写真左)、跡継ぎは代々「平野仁右衛門」を名乗り、翁が25年前に会った時の仁右衛門さんは確か第37代だったと記憶しているが、現在は、もしかしたら第38代、第39代かも知れない。第37代にインタビューした後、島の西側の崖に建つ(平安時代の)「弁天祠」(写真中)に参拝。弁天様は水の女神であるが次第に音楽・福徳・学芸に加え“戦勝神”の性格を持つようになったとのこと。頼朝が「いざ、鎌倉」へ向かう時、この「弁天祠」に戦勝祈願したのでは、とは第37代目仁右衛門さんの弁。島の東海岸に出ると注連縄(しめなわ)を張った奇岩がある。「神楽岩」と言う(上写真右)。修行に来た日蓮聖人が毎朝この岩に立って朝日を拝んだそうだ。そして「頼朝の隠れ洞窟」(下写真左・中)は「神楽岩」の直ぐ傍にある。

翁も洞窟の中に入った。15,6人は寝起き出来る広さだ。洞窟の中央に「頼朝隠伏」の碑。洞窟の目の前の海に(名も無き)2つの奇岩(写真右)。敗北の悲哀を味わった頼朝と夫の安否を気遣う(別れ別れの)妻・政子を想って翁、その2つの岩を「夫婦岩」と名付けた。頼朝軍は石橋山での敗戦からわずか50日で奇跡的な再起を果たし、ドラマはこれから本格的な“源平合戦”へと展開する。楽しみではある・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

ジャズライフ  Bob James Trio “Espresso” 

オーディオ機器の評価するときはそのオーディオシステムで良い音を引き出しやすい楽曲やアルバムが使われています。視聴用の楽曲は中高音がきれいに出ていてダイナミックで魅力的なので楽しく聴けます。以前は紹介されたアルバムをTSUTAYAや、レコード屋で探したものでした。オーディオの楽しみ方の一つでもあります。今はAmazon Musicですぐに聴くことができます。探すプロセスがなくなりましたがすぐにその楽曲を楽めるのはありがたいです。今週はあるメーカーのオーディオ機器の視聴用に使われているアルバムを紹介します。Bob Jamesの”Espresso”です。Bob Jamesは私がロスにいたころ良く聴いたアーティストで1939年生まれの82歳です。先日紹介したFourplayのメンバーでもあります。視聴用に使われた曲は1曲目のBulgogiという曲です。Bob Jamesのピアノが軽快で気分が良くなります。《R.O.》

Bob James Trio “Espresso”

01-Bulgogi          6:03        
02-Shadow Dance        7:07        
03-Ain’t Misbehavin’        5:33        
04-One Afternoon        3:32        
05-Mister Magic        6:18        
06-Topside          5:09        
07-Il Boccalone        4:02        
08-Mojito Ride        7:40        
09-Promenade        4:14
10-Boss Lady        4:45        
11-Submarine   4:28

編集後記「病気と付き合う」

中高年になると身体に何ひとつ問題がない人は多分いないと思います。私は2年前から歯茎が腫れる扁平苔癬(へんぺいたいせん)という珍しい病気になりました。発症したころは歯茎(特に歯と歯の間)が腫れて痛かったので歯科医と相談して大阪歯科大学の歯科医を紹介してもらいましたが原因がわからず治療もできないまま現在に至っています。自分で歯を清潔に保つようにこまめに歯の手入れをしたりビタミンCを摂ったしています。今は気になるような痛みはないので平気で過ごせています。糖尿のほうはアルコールの摂取を大幅に減らしたのが功を奏してかなりいい値で推移しています。他にもいくつかありますが問題があってもそれを受け入れてうまく付き合えば、気をつけて生活するので健康に暮らせているような気がします。《R.O.》

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