雑貨屋ウィークリー1297号

雑貨屋のひとり言

10年前(2011年2月22日)にニュージーランドのクライストチャーチ地震が発生し、その3週間後(3月11日)に東日本大震災(M9.0)が発生しています。
先日3月5日ニュージーランド北東部でマグニチュード8.1の大きな地震が発生したので、気にしていましたが、3月20日に宮城で震度5強の地震が発生しました。これは偶然なのかそれともまた来る地震の予兆なのかとても気になります。何も起こらないことを祈ります。大きな地震が日本で発生すると予測されていることもあり、そしてこれは誰の身にも起こる可能性がありますから。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川  柳 )

夫婦善哉念願の店を持ち

ライバルが妻とは羨ましいご趣味

夫婦喧嘩タマのっそりと部屋を出る

俺だって女房元気で留守がいい

婦唱夫随 ゴロ寝の尻を叩かれる

(ニュースひとりよがり)

「首相、毎日全力投球」
コントロールがねえ -国民

「就任半年」
接待攻めにあっている -菅首相

「政官財」
3蜜はだめです -コロナ

河合成近

龍翁余話(670)「3月22日は放送記念日」

世界で初めてラジオ放送が開始されたのは米国(ワシントンD.C.)で1920年(大正9年)。日本でもラジオへの関心は高まり、特に1923年(大正12年)9月1日に発生した関東大震災時の情報不足(途絶え)による混乱は公共放送の必要性を広く認識させることになった。そして(米国に遅れること5年後の)1925年(大正14年)3月22日9時30分「アーアー、聴こえますか、JOAK、JOAK、こちらは東京放送局であります。こんにちは。ただいまより放送を開始いたします」――社団法人東京放送局(現在のNHK東京ラジオ第1放送)が東京・芝浦の東京高等工芸学校(現・千葉大学の前身)内に設けられた仮送信所から発した京田武男アナウンサーによる第1声で日本のラジオ放送が始まった。7月までには大阪(JOBK),名古屋(JOCK)でも放送を開始、開始時の聴取契約者はわずか5,455だったそうだ。1年後に3つの放送局は統合され社団法人日本放送協会(NHK)が設立、1928年(昭和3年)11月の昭和天皇即位を記念して全国放送となった。なお、NHKでは1943年(昭和18年)に3月22日を『放送記念日』に制定した。

『放送記念日』に際し、翁、東京港区愛宕にある「NHK放送博物館」(1956年=昭和31年に開館)を参観した。日本の放送が始まって今年で96年、その間、ラジオからテレビへ、更に衛星放送やハイビジョン、そしてデジタル放送へと大きく進歩・発展した“放送の歴史”が1か所で学べる場所だ。約2万7千点の音声・映像資料と約8千点の図書を所蔵し順次公開しているとのこと。

1階で検温・手の消毒を済ませ「3階からどうぞ」と勧められエレベーターで3階の「歴史ゾーン」へ。ラジオ放送の始まり~昭和初期から戦中・戦後のラジオ番組~テレビの登場~多様化するテレビ番組~カレーテレビとVTR(ビデオテープレコーダー=ビデオカメラで撮影された録画映像)~衛星放送とハイビジョン~デジタル放送と多チャンネル時代の到来、など(放送に関する)過去・現在・未来への展望が(この3階で)一挙に学習出来る。なお、それぞれの時代のラジオのマイクロフォン・街頭録音機・家庭用ラジオ受信機、テレビスタジオカメラ・屋外撮影(取材)カメラ・音声機器・照明機器・録画機・家庭用テレビ受像機なども展示されている(が、本稿では機器類の話は割愛する)。

「歴史ゾーン」の中で翁が特に興味を抱いたのは「昭和初期から戦中・戦後のラジオ番組」である。番組内容は当然のことながら“時代の出来事”(ニュース)が主流となる。“終戦”までの主な“出来事”を拾い上げると(以下、年代は年号で記す)大正5年12月25日「大正天皇崩御」、同日「昭和に改元」、昭和2年「東京地下鉄(上野―浅草間)開業」、昭和3年「昭和天皇即位」、昭和4年「世界恐慌」、昭和6年「満州事変」、昭和7年「満州国建国」(日本が国際的に孤立)、同年5月15日「五・一五事件」(海軍青年将校が犬養首相を暗殺)、昭和8年「日本、国連脱退」、昭和11年2月26日「二・二六事件」(陸軍青年将校による反乱=要人殺害)、昭和12年「盧溝橋事件~支那事変(日中戦争)勃発」、昭和14年「第2次世界大戦開戦」、昭和16年12月8日「日本、真珠湾を攻撃」(太平洋戦争=大東亜戦争開戦)、昭和20年「硫黄島玉砕」(2月19日~3月26日)、「沖縄戦」(3月26日~6月23日)、「東京大空襲」(3月10日)、「広島に原爆投下」(8月6日)、「ソ連、対日参戦」(日ソ平和条約を一方的に破棄)、「長崎に原爆投下」(8月9日)、「日本、ポツダム宣言受諾」(太平洋戦争終結)。なお、太平洋戦争開戦当初は、大本営(日本軍の最高統帥機関)は次々と「日本優勢」を発表したが、次第に戦況悪化、しかし大本営は国民の戦意高揚のために「日本優勢」の“ウソ情報”を流していた(ことが後で分かった)。余談だが、戦後“法螺吹き”や“ウソ情報”を流すことを“大本営発表”と揶揄する時期があった。

さて、日本が戦争へと動き始める中、番組内容で翁が注目したのは「教養番組」である。特にNHK発足当初から始まった(子供向け教養・娯楽番組)『子供の時間』である。童謡・唱歌・和楽・洋楽・各楽器の独奏・歌のおけいこ・歌劇・童話などが多く紹介されたほか、昭和7年6月から始まった『コドモ新聞の時間』が人気を呼んだ。語り手はプロのアナウンサーではなく児童文学者・翻訳家の村岡花子が登用された。このことは村岡の半生を描いた朝ドラ『花子とアン』(平成26年放送)にも描かれているのでご記憶の読者も多かろう。なお、昭和16年12月8日の「太平洋戦争開戦」に際し、情報局より「これからは戦況放送が多くなり男性の声でなければ迫力・緊迫感に欠ける」と言う理由で村岡は9年間も続けた『コドモ新聞の時間』を降板させられた。

翁は子供時分、遊び回ることが多くてラジオを聴くことはめったになかったが“玉音放送”(昭和天皇のお声だけ)は今も(おぼろげながら)耳に残っている。戦後のラジオと言えば、歌は『リンゴの唄』『汽車ポッポ』『山小舎の灯』『とんがり帽子』(『鐘の鳴る丘』の主題歌)『憧れのハワイ航路』『青い山脈』『長崎の鐘』など。また、連続放送劇では何と言っても『鐘の鳴る丘』(昭和22年~昭和25年、脚本;菊田一夫、音楽:古関祐而のコンビ)これも昨年のNHK朝ドラ『エール』で紹介された。その後「女性浴場が空になる」と言われたのが『君の名は』(昭和27年~昭和29年)。これも原作:菊田一夫、作曲:古関祐而のコンビ。その他、思い出に残るラジオ番組としては『三つの歌』『とんち教室』『お父さんはお人好し』『少年探偵団』『二十の扉』『話の泉』『赤胴鈴之助』『紅孔雀』などがある。

翁、「歴史ゾーン」で「昭和初期から戦中・戦後のラジオ番組」の足跡を観て回っているうちに翁の幼少時代・少年時代の思い出が重なって懐旧と郷愁の念が胸中に広がり、しばしノスタリジック・ムードに浸ったものだ。言うなれば『日本のラジオ史』は「昭和史」であり「自分史」でもあると思った。長年、テレビ業界に関わって来た翁、いずれ『日本のテレビ史』を書くために当博物館へ再訪を・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究 夜行便でLAに

昨日3月19日、羽田から夜行便でLAに戻ってきた。今回は諸々の事情でLAに戻る日を1度、延期して約3ヶ月半近くも日本に滞在することになった。
その間に日本も米国も入国のルールが変更された。

今年の1月26日からトラベルフォームの提出に加え流行り病の為に作られた誓約書のサイン、そしてCovid-19の検査と陰性証明書を用意しなければ米国市民であっても米国に入国出来ないようになった。
日本も海外から入ってくる外国人、帰国する日本人に対しても同じようなルールに変更されたのだ。

特に陰性証明書を英語で作成してくれるクリニックであること米国入国の72時間前に検診を受け証明書を受け取れる所でなければならない。おまけにその費用は保険は使えず自費なのだ。
調べてみると4万円近くもする。この流行り病のお陰で儲かるところもあればビジネスを閉鎖に追いやられるところもあって何だか複雑な気持ちになる。

昨年の12月日本に帰ってきた時は羽田空港で唾液検査を受けた。1時間も待たずに結果を聞いてそのまま弟の車で家に帰宅した。その時点で検査費用はチャージされなかった。
あの費用は日本国が持っていたのだろうか、、、もし次回まだ、この流行り病が続くようなら今度は米国内で陰性証明書を用意し日本に持っていかなければいけない。

本当に面倒だ。そんなわけで今回少しでも安く早く検査をしてくれるクリニックを探したらオンラインでやってくれる所を見つけた。

まず、帰る日取りを決めてフライトスケジュールの混み具合を確認する。その後その日から72時間前にオンラインで診療出来るか予定を見てあれば素早く予定を入れる。オンラインで支払いを済ませたら今度は、すぐにフライトスケジュールの予約を入れる。

私がオンラインで検査キットを注文した日は3月12日金曜日。翌日の午前中には早くもヤマトから検査キットが届いた。オンラインで検診を受ける為にはグーグルのアカウントメールを作っておき、そのグーグルが提供しているDuoというビデオチャットできるフリーソフトをダウンロードしておく事が必須だ。

そして、いよいよ3月17日午前11半からの予約をPCの前で待つ事20分。Duoのビデオチャットから連絡が入る。パスポートを見せていくつかの本人確認の後、唾液採取の説明を受けて終了した返信用のハガキサイズのボックスに検査キットを入れて郵便局に走る。
翌日18日の午前中までにその検査キットが届くように時間指定で送る必要がある。
そして18日、同日の夜、クリニックからメールが届く。医者のサインが入った陰性証明書が日本語と英語で送られてくる。そのPDF ファイルをプリントしなければならないのでUSBメモリーに落として近くのコンビニで出力。
ここまでの作業をテキパキこなさないとならないのだけれどオンライン診察は時間とコストの節約になる。
他とくらべると安いと言っても合計23130円。

今の米国渡航に必要な陰性証明。これから米国に来る人がいれば少しでも参考になればと思う。

羽田空港もロスアンジェルス国際空港もガラガラだった。事前に情報がいっているのか
入国手続きも秒速で終わり荷物も直ぐに受け取れ友人の車でスムーズ家にたどり着く事が出来た。

やれやれ、、、これは日系人のお年寄りがよく使う言葉なのだけれど今回の移動はやれやれという気持ちがピッタリ。さてこの数日はゆっくりしよう。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ ”Eva” Soren Bebe Trio

Aiは私たちの生活に入り込んでいます。身近なところではネットである製品のことを調べようと検索すると、Aiは私がその製品に興味を持っていると判断し、メールをしていてもLineをしていても関連の製品の情報が画面に表示されるというものです。うまくいけばそれを買ってもらおうと狙っているわけです。MicrosoftやGoogleは当初からネットを使ってこれをやりたかったことがわかります。
一方、私がよく使っているAmazon Musicでは私にとってはAiがとても都合よく働いてくれます。私が聴くジャズからAiが私の好みのジャズを選んで紹介してくれるのです。
Aiによって紹介されたアルバムを聴くといい感じなのです。
今週はその中から選んだデンマークのピアニストSoren Bebeのアルバムです。
美しいメロディー、見事なタッチのピアノジャズです。

“Eva” Soren Bebe Trio Featuring Marc Johnson

Soren Bebe (p)
Marc Johnson (b)
Anders Mogensen (ds)

01.Freshman
02.For L.R.P
03.Heading North
04.Luft/Air
05.Flying High
06.Dragging
07.SNE
08.One Man Band
09.Eva
10.Change
11.Good Times

編集後記

私が住んでいる建物の共用部の照明器具がLEDに替わりました。
廊下、エントランスはものすごく明るくなりました。LEDは紫外線が出ず虫が寄ってこないので今年の夏に期待しています。

雑貨屋ウィークリーは来月に1300号に到達します。そして6月は25周年となります。
手前になったら読者の皆さんからのメッセージをいただきたいと思います。《R.O.》

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