雑貨屋ウィークリー1380号

雑貨屋のひとり言「肩の痛み」

肩が回し辛い五十肩に悩まされていた先々週、手の合谷というツボを押したら肩の痛みがウソのように和らぎました。次の日、痛みが戻ってきたので合谷のツボを押したのですが、ダメでした。しかも痛みが前より悪化してきました。合谷のツボ押しは一時的な効果しかなくまた痛みと闘う日が続きました。肩の奥の痛みがひどくヨガでもポーズがやりにくくなってきました。悪いことにこの痛みは身体へのストレスとなりHbA1cの数値にも影響していることがわかりました。生活に支障がでてきているのでこの痛みを何とかしようといろいろ調べていくと、肩甲骨周辺の筋肉が硬くなっているのが原因らしいことがわかってきました。以前から首が痛いことがあり、寝る時もどちらかに偏った寝方をしていたように思います。痛いのは左側だけで右利きだから左側の動きが右にくらべて少ないからではないかとも思っています。おそらくそれらの蓄積によって肩甲骨周辺の筋肉を硬くさせているのではないかと推察しています。まず肩甲骨と肩の骨についている肩甲下筋というインナーマッスルをほぐしてみました。脇の下から硬くなっている肩甲下筋をピンポイントでマッサージするというものですがかなり効果があり痛みが和らぎ肩も回しやすくなってきました。肩甲下筋以外にも前鋸筋、菱形筋などの筋肉を働かせる動きをすることで肩の痛みが取れるようなので少しずつ鍛えていこうと思います。また別のチャレンジが続きます。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

八十の先は数えぬ歳の数

湯加減が父に昭和を歌わせる

歳時記を守って父はアナログ派

長者駄目だった長寿に舵を切る

余白まだたんとある気の余命表

(ニュースひとりよがり)

「新ことわざ」

45日天下 - イギリス

「反撃能力」

インフルとの二刀流で - コロナ

「改名」                     

ヴァンフォーレに - 穴馬

河合成近

龍翁余話(752)「石原裕次郎さんのお墓へ」

秋晴れの某日、横浜市鶴見区にある「總持寺(そうじじ)」に眠る石原裕次郎さんのお墓へお参りに行った。1987年(昭和62年)7月17日に亡くなってから今年で35年。

命日でもなく、法要の時期(回忌)でもなく、お盆も過ぎ彼岸も過ぎたこの時期外れに、何故『裕次郎さんのお墓へ』――実は翁が“昭和の大スター・石原裕次郎”との親交が深かったことを知っている(翁の弟子)映像演出家のR君が「あれほど親しかった裕次郎さんのお墓に35年もの間、一度もお参りしていないとは信じられない。さぞ、お会いしたいでしょうから、私がお連れしましょう」と言うことで(彼の車で)案内して貰うことになった次第。

車を駐車場に停めてから参道を歩いて「三門」(写真左)をくぐると、目の前に広がる境内の広大さに驚く。資料によると敷地面積約50万㎡、これは東京ディズニーランド(約51万㎡)とほぼ同じで東京ドーム(4万7000㎡)の約10個分だそうだ。「これじゃ“裕次郎さんのお墓”を探すのは大変だ」と呟いたらR君も苦笑い――ここ鶴見の「總持寺」は、福井県吉田郡にある「永平寺」(大本山)と並ぶ「曹洞宗」(そうとうしゅう)の、もう1つの大本山。曹洞宗とは、鎌倉時代(1185年~1333年)の初期に道元(どうげん)禅師が開いた禅宗の宗派。そして「總持寺」の創建者は道元禅師の同志・瑩山(けいざん)禅師。瑩山禅師が全国に曹洞宗の普及活動を行なったと伝えられている。現在、日本国内の曹洞宗寺院は1万4000を超えるそうだ。ここ鶴見の「總持寺」の境内に点在する各種の門・閣・館・堂・庵・殿には伝統と高い格式が感じられ、荘厳な空気が漂う。

まずは、堂宇(どうう­=屋根のある建物)群のほぼ中央に位置する「仏殿」に参拝。ここには本尊・釈迦牟尼如来が祀られている。次いで(「仏殿」に並ぶ)「大祖堂」(だいそどう)(写真中)へ。ここには曹洞宗開祖の道元禅師や總持寺開祖の瑩山禅師ほか歴代諸禅師の肖像画や肖像彫刻が安置されている。また、地下には修行僧たちの“道場”があるとか。翁とR君、堂内(写真右)に入り焼香、拝礼。内陣の奥から聞こえる重厚な読経の響きが一段と厳かさを醸し出している。

さて、いよいよ『石原裕次郎さんのお墓へ』――「仏殿」と「大祖堂」の間の小道を上がって「金鶏門」(きんけいもん)を抜けると、そこから先は広大な墓域。ここの墓地には多くの各界の著名人が眠っているが、翁が名前だけでも知っている著名人としては芦田均(第47代総理大臣)、伊東忠太(建築家・建築史家)、広川弘禅(政治家)、水原茂(元巨人軍監督)、黛敏郎(作曲家)そして石原裕次郎・・・区画を示す小さな看板が建っているが、実に不親切な看板だ、初めての墓参者に分かるはずはない、と、そこへ数人の修行僧が下の方の墓地から上がって来た。早速「裕次郎さんのお墓は?」と訊いたら実に親切に(道順を)教えてくれた。その場所からかなり遠い。「“裕ちゃんのお墓”の立て札があります」と付け加えてくれた。道中、翁の脳裡には裕次郎さんとの数々の思い出がよぎる。

裕次郎さんと翁との出会いは、翁が学生時代、日活撮影所で(シナリオや演出の勉強で)アルバイトをしていた時、1956年(昭和31年)裕次郎さんの兄・石原慎太郎氏の原作『太陽の季節』で彗星の如く現れ、同年『狂った果実』でいきなり主役、同映画の監督で翁の(映画の)師匠だった中平 康氏に“新星・石原裕次郎”を紹介されたのが始まり。その後の交流エピソードは割愛するとして、最も近しいお付き合いを再開したのは1974年(昭和49年)に翁、某専門学校から芸術学部設立を要請され、翌年発足と同時に石原プロとの“協力関係”が成立、以来、カリキュラムの1つ“映画芸術論”の講師を(石原プロの幹部が)担当してくれたことで学校と石原プロとは勿論、翁と石原プロとの親交が更に深まり、石原プロ恒例の“年末忘年会”やその他の同社の行事に参加。翁が裕次郎さんに(最後に)お目にかかったのは(お亡くなりになった3カ月前)1987年の4月、東京・信濃町のK大学病院へ(ガラス窓越しの)お見舞いに。その時の裕次郎さんの優しい笑顔が未だに忘れられない・・・胸に迫る懐かしき数々の思い出は墓前合掌の間も続く――

墓所内の左脇に奥様(北原三枝=石原まき子さん)の直筆が刻まれた詩石がある。【美しきものに微笑を 淋しきものに優しさを 逞しきものに更に力を 全ての友に思い出を 愛するものに永遠を 心の夢覚めることなく】―これぞ“裕次郎さんの思い”全てであろう。

日差しの強い秋日和の午後、数頭の黄色い蝶々が『裕次郎さんのお墓』の周りを飛び交う。献花を持参しなかった翁に代わって裕次郎さんの墓前で“冥福の舞い”を舞ってくれているかのよう――蝶と(翁を連れて来てくれた)R君に感謝、そして『裕次郎さんのお墓』にもう一度合掌「ありがとう、さようなら」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「お米の話② 米から小麦粉へ」

” 米を食べると頭が悪くなる ” ” 頭が良くなるパン食をもっと食べましょう ” などという宣伝ポスターが戦後、堂々と町に貼られていた当時の写真を昭和館で見た時は驚いた。まるで今とは真逆の事を宣伝していたわけだ。今は食べ物の研究がだいぶ進んで脳にとって、ご飯の糖分が、いかに優れているかがわかってきている。

数年前からアメリカでは小麦粉のグルテンが体に良くないと言われ始め小麦がアレルギーを起こす原因にもなるのだと騒がれ始めた。だから食品の売り場でグルテンフリーという言葉を良く見かけるようになった。今更、パン食を断捨離する事は出来ないけれど今後、小麦粉に関してリサーチしてみると、いろいろな新しい発見がありそうだ。

ところで日本人がパン(米国産の小麦粉)を頻繁に食べるようになったのは戦後からだそうだ。戦後、GHQの政策でカリフォルニアの農家を助けるために大量に余った小麦を日本は購入する事になったのだとか、、、、

私が学生の頃、TVをつけたら、何かの討論番組だったと思うけれどそこに出演していた年配の男性教授が ” 我々は戦後、何倍も高くて粗悪な小麦粉を米国から買わされている。もっと安くて安全で美味しい小麦粉をカナダやオーストラリアから買ったらいいんだ!” と吐き捨てるように言っていた。その怒りの発言が今でも強烈に印象に残っている。

私が子供の頃、途中から朝食はパンになった。食パンをトースターで焼く香ばしい匂いは今でも覚えている。食卓には塗りやすいソフトマーガリンやジャムが並べられ毎日牛乳やヨーグルトが新聞と一緒に朝、配達されていた時もあった。朝もパン食、学校給食でもコッペパンと2回も主食がパン食になる時もあった。

パン食が続いた後は夕食までの間にお腹がすくので、スナックやおやつを食べるようになる。戦後、間もない頃、母達の時代、間食にはサツマイモやトウモロコシ、ぬか床のキュウリやナス果物など自然のものを食べていた。私の時代になるとマーケットに行けば袋菓子のスナックや袋入りのおやつパンなど高カロリーで添加物が含まれているものがたくさん溢れていた。

” やめられない、止まらない ”と言ったCMのお菓子も口当たり、歯ざわり、味付けが工夫されていて本当に後を引く美味しさがあった。和菓子よりも洋菓子のケーキの方が魅力的に見えた。

米国に行って気が付いた事はパンが美味しくなかった事。ケーキも甘いだけで美味しくない。ただし初めて食べたドーナツのように穴の開いた形のベーグルのパンだけは美味しかった。当時は、まだ日本でもベーグルのパン屋さんは見かけなかった。

幼少の頃にリスボンに住んでいて、その後米国に来た友人もボルトガルのパンは美味しいけれどアメリカのパンはまずくて食べられないと言っていた。

しばらくしてアメリカでも焼きたてのベーカリーショップが出来てきて美味しいパンも食べられるようになってきたけれど日本のベーカリーショップに比べたらその数と味では比べ物にならない。パン好きな日本人にとって今はもう小麦粉のない世界は考えられないのだ。

最近、ロシアとウクライナの戦争の影響か小麦が足りなくなってきて輸入する小麦の値段が上がってきていると心配されている。

まずは自国民の為の小麦が大事と輸出を辞めた国もある。ちょう今このタイミングで米国に依存していた小麦粉の量を減らし米粉で作る美味しいパンを増産してくれるといいなと思う。日本人だったら研究熱心なのでもっと美味しい米粉のパンを作ってくれるのではないかと期待している。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ Fourplay “Silver”

今週はFourplayが結成25年を記念して2015年に発表したアルバム”Silver”を紹介します。フュージョンジャズの宝石箱のようなきれいで、流れるような音楽は何度聴いても飽きません。2010年からメンバーに加わっていたChuck Loebがこの2年後、2017年に亡くなるとはだれも想像できなかったと思います。《R.O.》

Fourplay “Silver”

1-Quicksilver
2-Horace
3-Sterling
4-A Silver Lining
5-Silverado
6-Mine
7-Silver Streak
8-Precious Metal
9-Anniversario
10-Windmill

Guitar – Lee Ritenour
Keyboards – John Beasley
Bass, Vocals – Nathan East
Drums, Percussion, Vibraphone, Synthesizer – Harvey MasonGuitar [Acoustic], Guitar [Electric], Synthesizer – Chuck Loeb
Piano, Electric Piano, Synthesizer, Arranged By, Conductor – Bob James

編集後記「ロト」

私は宝くじは買わないのですが、近所のショッピングモールのATMの横に宝くじ売り場があり、今年9月にロトで10億円当たったと大きな貼り紙がありました。売り場はこの大当たりに気を良くしているかもしれませんが、当選者自身が選んだ数字で当たったわけですから相当な強運の持ち主だったからで売り場の力ではないと思います。10億円を当てた人はずいぶん人生が変わったことでしょうね。良いふうに変わっていれば良いですが。いったいどんな人が当てたのか、どんな心境なのか、これからどうするのかちょっと興味があります。《R.O.》

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