雑貨屋ウィークリー1303号

雑貨屋のひとり言

コロナ禍が一年以上も続く中、各国の感染状況に大きな差が出てきました。一旦改善されたのに人々の油断によって再びとんでもない感染拡大になってしまったインド、大きな感染拡大があったが、ロックダウンとワクチン摂取で大きく改善されてきたイギリス、感染者が少ない段階から完全な水際対策で感染者がほとんどいない同じ島国のニュージーランド、日本はインバウンドに引きずられ水際対策が遅れ、ワクチン接種は後進国より遅く収束の目処がまったく立たない状況です。オリンピック開催にも引きずられコロナ対策が後手後手となっている日本は明確なビジョンがなく、国民の良識ある行動と善意の解釈に頼っているだけです。さらに悪いことに何をやるにも合理的な説明が一切なく、矛盾だらけです。水際でくい止められない国がオリンピックを開催したらもっと悪くなることは十分考えられます。とても残念な国になってしまいました。こんな政策が支持されるとは思いません。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川  柳 )

トラストミーあっけらかんと嘘をつき

深々のお辞儀腹では詫びてない

大丈夫記憶にないで通すから

脱税の億がしている高笑い

自由をと圧力鍋の中の声

(ニュースひとりよがり)

「GW」

我慢ウイーク -緊急事態宣言

「緊急事態宣言」

こっちが出したい -飲食店

「二敗と一不戦敗」

自民党も〝●●や〟か ―横綱

河合成近

龍翁余話(676)「母こそは」

いよいよ5月――5月は「皐月(さつき)」。辞典によると「皐」の読みは「こう」「たか」
「さつき」「すすむ」、意味は水辺の平らな地、沢の岸とのことだが、いろいろ調べてみると「神に捧げる稲」の意味もあるそうで、「皐月」は田植えの季節を表したものとのこと。もっとも田植えの時期は地域(気候風土)や品種によって全国まちまちだが・・・

さて、今号の話題は「皐」ではなく5月の第2日曜日『母の日』について、である。翁、これまでの『龍翁余話』で何回か“亡き母を偲ぶ”を書いたが、“母を偲ぶ”時、必ず翁の脳裏をよぎる歌がある。その歌は野上八重子作詞、下総皖一(しもおさ かんいち)作曲の『母の歌』(昭和18年に文部省が認定した初等科音楽)――
♪母こそは命の泉 いとし子を胸に抱きて微笑めり 若やかに 麗しきかな 母の姿――
翁、1番しか覚えていないが、この短い詩の中に“慈愛深き母像”が全て言い表されているように思え、この歌を口ずさむだけで胸が熱くなる。

『母の日』とは――以前『龍翁余話』でも紹介したことがあるが、話はアメリカ南北戦争(1861年~65年)に遡る。この戦争に中立を保ち、南北双方の兵士や家族を招いて「お互いに敵意を持つのを止めよう」と平和を訴えたり、負傷した南北兵士を分け隔てなく救助・介護した社会活動家アン・ジャービス(1832年~1905年)が死去した2年後の1907年5月12日に、アンの娘アンナ・ジャービスが亡き母の遺徳を讃え、母が生前、日曜学校の教師をしていた教会で“アンを偲ぶ会”を催し、その時、白いカーネーションを飾った、その日(5月第2日曜日)が『母の日』の起源とされている。趣旨は「日頃のお母さんの苦労をねぎらい“母の慈愛”に感謝する日」。2021年の『母の日』は5月9日。

実は日本でも『母の日』があったそうだ。明治末期にキリスト教を経由して(母にカーネーションを贈る日)『母の日』が伝わり、1926年(大正15年)、大正天皇の皇后陛下・貞明皇后(1884年~1951年)のお誕生日(「地久節」)の6月25日を『母の日』とした記録がある。しかし、その年の12月25日に大正天皇崩御、年号は「昭和」に代わり1931年(昭和6年)には昭和天皇の皇后陛下・香淳皇后(1903年~2000年)のお誕生日(「地久節」)
3月6日が『母の日』となる。しかし、全国的に広まったのは6年後の1937年(昭和12年)
某製菓会社が宣伝してから(だそうだ)。そして戦後の1947年(昭和22年)多分、占領軍の命令だと思うが、公式に5月の第2日曜日が『母の日』に決まった。

「お母さん」――何と優しい、心温まる響きだろう。誰もが「お母さん」を愛し親しみ、尊敬し大切にする。その「お母さん像」を、もっと具体的に言い表す言葉(文章)はないものかと、いろいろ探していたらイギリス・イングランド北東部タインアンドウイア州の
サンダーランド市に住むナターシャ・グレイグさんと言う女性(ブロガー=ブログを書く人)が書いた「子どもが出来て初めて知る“母親の愛”」と題するブログを見つけた。そのブログが(翁が言いたい)「お母さん像」を全て言い表しているように思ったので拝借することにする。(なお、翁もブロガーの1人だが、翁のブログは”ビジネス“ではなく、あくまでも気まま勝手な独り言風”自分史“であり経済活動とは無縁である。)では、ナターシャ・グレイグさんの「お母さん像」(概要)を紹介しよう――

【「お母さん」は、この世で最も大変な仕事の1つだ。休日なし、24時間交代もなし、時に料理人、ある時は洗濯屋さん、保育士さん、看護師さん・・・1人何役も(同時に)こなす体力・気力が求められる。そして何があっても子どもを守ることが最優先、重労働にして重大な責任を負いながら給料はなし。でも「お母さん」はあなた(我が子)のことが大好き。あなたを守るためなら、どんなことだって出来る。寝る時間が少なくても、ひもじい思いをしても我慢出来る・・・あなたがお腹にいると分かった時、嬉しくて泣いた。あなたを産む時、痛くて泣いた。でも、あなたを初めて抱いた時、幸せいっぱいで泣いた。あなたのことを思うあまり、いっぱい涙を流して来た・・・あなたが初めて歩いた時、嬉しいのと同時に私の心臓が飛び出る思いがした。転ばないか、ケガをさせたら大変、おどおどしながら、懸命にあなたを見守った・・・やがて、あなたが成長して学校に行くようになった時、無事に登校出来たか無事に帰ってくれるか、ただただ、あなたが心配だった・・・あなたの「お母さん」として自分を振り返る時、私は欠点だらけの母親だったと気づく。
あなたに対しては何1つ間違ったことを教えたくないから完璧なお母さんでありたいと願って来た。あなたのために出来る限りの知恵をしぼり、努力して来た。でもお母さんだって所詮は人間、やはり間違えることもある。その間違いを悔やんでいる。もう一度、あなたのためにやり直したいとさえ思う。でも、それは叶わぬ話、今はあなたにそっと「ごめんなさい」を言うだけ。「お母さん」はいつでも、どこでも、あなたの「お母さん」、そのことを忘れないでいて欲しい・・・(以下、省略)】

『龍翁余話』がスタートして間もない2007年12月9日配信の第13号「母の遺言」を読み返し『母こそは』の想いを深くしたので抜粋する。【・・・2000年5月、久留米医大病院で膵臓ガン発見、余命6か月の宣告を受けた母(92歳)を見舞うため翁、8月のお盆に田舎(大分県)へ帰省した時のこと。ある日、病床の母が翁を呼んだ。病体をおして母はベッドの上で正座していた。翁、母の横に腰掛けた。母が言った「明治・大正・昭和・平成と、4代も生きさせて貰った。今や何も悔いること無し、悲しむこと無し、恨むこと無し、ただただ感謝あるのみ」――ゆっくり、厳かに語る母の目は爛々と輝き、顔は聖母の如く優しかった。翁、こみ上げるものを抑えて母に言った「母さん、ありがとう!俺、年末に帰るから一緒に21世紀(2001年)の朝陽を拝もうね」。嬉しげな母の笑顔は今も忘れられない(母、21世紀の朝陽を拝むことなく逝った)・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究 「ピンクムーン」

ピンクムーン、そんな月の名前は今まで聞いた事が無かった。私が知らなかっただけで調べると毎月、月には名前が付けられている事を知った。
4月にはピンク色の花が多く咲く時期にちなんでアメリカの先住民が付けた名前の由来だとか、、、、日本も4月は桜をはじめ、たくさんピンク色の花が咲く。そんなピンク色の可愛らしい花に人の気持ちも癒され、なごむものだ。

先週4月27日(火曜日)の定例イブニングハイキングは、ちょうどそのピンクムーンと呼ばれる満月の日がハイキングだった。
この日は、サンペドロに住むボランティアリーダーの一人Jさんの家に向かって皆で歩いて行った。数週間前のある日、マーケットから買い物をして帰ってきたJさんの旦那様はリビングルームにあるロッキングチェアに座ってくつろいでいたらしい。

Jさんは庭が見える奥の部屋にあるベットルームで用事をしていた。Jさんがリビングルームに戻り旦那様の異変に気が付いた時には、すでに旦那様は亡くなっていたらしい。40年連れ添った2人のピリオドが突然やってきたのだ。

そんなわけでCausal Gettogetherという事になりJさんの家でワインとスナックで故人を偲ぶ時間を設けたのだ。そして、その日がピンクムーンだった。時々、Jさんの家にハイキング途中、皆で訪れて庭にあるイチジクを分けてもらったりワインを振舞っていただいた記憶が蘇る。その時は話好きな旦那様も良く顔を出していた。

今のこの時期、月が空に上がって見えてくる時間は8時半過ぎになるらしくハイキング中、時々空を見上げても、月は、まだ地平線の向こう側で見えなかった。
ようやく月が見えだした頃は自宅に車で帰る途中、サンペドロの港の方に大きく月が現れ始めた。ピンクというより淡いオレンジ色の月が大きく空に浮かんでいた。自宅に戻った頃は月の色も普通の色に変わり私のIpadからの写真では、とてもピンクムーンとしては紹介出来ない月に変わっていた。ネットで見ると流石プロが撮ったピンクムーンの写真は素晴らしい。


来月5月26日(水曜日)の満月はフラワームーン。1年に一回、月が大きく見えるスーパームーンと重なってインパクトのある月が見られるだろう。
その日、覚えていたら外に出て、また月を仰ぎ見てみよう。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ ”Send One Your Love” Boney James

いい季節なのに買い物に行けない、遊びに行けない連休でゴールデンウィークで、街は静かです。しかたないのでゆっくりジャズでも聴きましょう。
アメリカで人気のサックス奏者、Boney Jamesのラブソングを集めたスムースジャズです。サックスの音は耳に心地いいアルバムです。

“Send One Your Love” Boney James
01. Wanna Show U Sumthin’
02. Send One Your Love
03. Stop, Look, Listen (To Your Heart)
04. Touch
05. Don’t Let Me Be Lonely Tonight
06. Hold On Tight
07. I’m Gonna Love You Just A Little More Baby
08. City Of Light
09. Butter
10. I’ll Be Good To You

編集後記 「PCの不調」

数年前に入手した中古品のPCの調子が悪くなってきました。Windowsプログラムの更新時にうまく更新できなかったり、更新に時間がかかるようになるとなんらかの異常の始まりだと思います。ハードディスクの劣化が考えられます。いずれこうなることは予想していました。これまでだとハードディスクにある雑貨屋の編集・作成用のソフトウェアと構成ファイルがダメージを受けてしまうのですがWordpressがサーバーにあるのでその心配はありません。他の大事なファイルもアップルクラウドや、外付けハードディスク、外付けUSBメモリなどに保管してあります。
画面が大きく、大きな容量のファイルが扱いやすいPCですが、今はiPadでメール、Excel、Word、PowerPointを扱えるのでPCの役割が低くなって来ています。雑貨屋創刊当時、フロッピーディスクでファイルをやりとりしていたころが懐かしいです。
雑貨屋を創刊して読者のみなさんにメールで配信したのが1996年5月12日です。あれから25年経ちます。雑貨屋ホームページをリニューアルしたので特に何かをしようと考えていませんが、なにか面白い企画があれば連絡ください。《R.O.》

コメント