雑貨屋ウィークリー1366号

雑貨屋のひとり言「コロナ感染者過去最多」

昨日、近所の商店街で夜店が行われました。イベントもありとても賑やかでした。雨が降るかもしれないちょっと不安定な天気でしたが、暑くなかったこともあって、たくさんの人が集まりました。コロナ禍になってから初めてこんなに人が集まったと思います。久々のイベントでみんな楽しそうでした。出店には長い行列ができ、食べ物は全て売り切れになるほどの盛況ぶりでした。長い間、夏のイベントがなかったので、こういうイベントに飢えていたのかもしれません。みんなマスクをしているとは言え、こんな大勢の人が集まる光景を見ているとコロナは収束したのかと思ってしまうほどです。でもコロナ感染者数は連日増え続け、ついに第6波のピークを超えて過去最多になっています。セミの声がうるさくなってきたこんな時期にです。日本中、人の動きが活発化してきているのでこの勢いは止まらないと思います。いくら感染の症状が軽症であったとしても10日も自由を奪われますし、下手をしたら後遺症もあるのですから、これまで通り最新の注意を払って行動した方がいいと思います。重症化の患者が大幅増加して医療崩壊しないことを願います。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

看板の裏に嘘だと書いてある

激論の裏 筋書きはできている

四捨五入 四が裏門の戸を叩き

やっぱりとがっかりで聞く裏話

裏面史に踊るピエロの使命感

( ニュースひとりよがり)

「節電、節ガス」

せざるを得ない −節家計

 「中国成長失速0.4%増」

ゼロ成長ね —ゼロコロナ

「注目度アップ」

逸の城 —城マニア

河合成近

龍翁余話(738)「黒船来航」

新型コロナ感染が拡大する直前の某日、“五反田シニア会”の幹事君(75歳)の計らいで約3年ぶりに(翁を含む)メンバー6人が五反田駅周辺のレストランで会食、メンバーのうち幹事君(一番若い)ほか2人が70歳代、翁を含め3人が80歳代。6人全員が(それほどの)“コロナやつれ”もなく元気に談笑出来たことが何よりだった。“五反田シニア会”のメンバーは現在9人だが、あとの3人は体調不良で欠席、と言うか、猛暑での熱中症を警戒して“奥さんの不許可”で参加出来なかった(との幹事君の説明)。以前にも本欄で紹介したが、翁を除くメンバー全員が元中学・高校の教師(教頭・校長)経験者。ちなみに、この会が発足したのは2005年、翁が(初代会長に誘われて)参加したのは2008年の7月だから丸14年になり、今や翁が最長老(2代目会長)。

久しぶりのせいか、皆、よくしゃべった。「それぞれのコロナ禍生活・病気・ウクライナ侵攻・異常気象(熱中症)・参院選」・・・その中で郷土史家のHさん(81歳=高校教師時代、歴史科の先生だった)から突然、こんな話が――「1853年(嘉永6年)7月の“黒船来航”から今年の7月は170年(正確には169年目)になるが“幕末”とは、たしか“黒船来航”から“戊辰戦争”が始まる前までを言うんでしたね」――少しばかり幕末史をかじった翁、直ぐにHさんの話に乗り、知ったかぶりを披歴した。「学者の中には、戊辰戦争が終結した(函館戦争=五稜郭の戦いが終わった)1869年(明治2年)5月17日までが“幕末”だ、と主張する人もいますが、1868年の戊辰戦争が始まる前年1867年(慶応3年)11月10日に第15代将軍・徳川慶喜が明治天皇に“大政を奉還”、その時点で徳川幕府は終わり、翌年(1868)年1月3日に明治天皇による“王政復古の大号令”(明治新政府の樹立)が発せられ、年号も明治元年になったのですから、1853年の黒船来航から大政奉還までの14年間を“幕末”と呼ぶのが一般的でしょう」・・・そしてHさんから、急なお誘い「龍翁さん、コロナと熱中症が心配ですが、久里浜の『ペリー記念館』へ行きませんか?」――

台風4号が過ぎた某日の朝、Hさんと翁、品川駅から京浜急行に乗って久里浜へ。多少、幕末史をかじった翁ではあるが、翁の“かじり”は、上っ面の時系列事象が多い。しかしHさんの知識は深い。「黒船が浦賀沖を狙った理由」「来航の真の目的」などについて翁は改めて(Hさんから)“深い知識”を頂くことが出来た。さすがは元歴史の先生。翁、高校生に戻った気分で約70分(品川―久里浜の特急所要時間)Hさんの“黒船談義”を拝聴した。話の内容は「ペリー記念館」見学の流れの中で紹介して行く――

久里浜はずっと前、釣りに来て街の中を走ったことがあるが、歩き(バス)は初めてだ。小さな湾だが南国風の海岸風景が美しい(写真左)。“ペリーの奴、いい所に上陸したもんだ”170前のアメリカ海軍の情報収集力(日本の地形・湾岸研究精度の高さ)に驚く。

その海辺の直ぐ傍に「ペリー公園」があり、中央に1901年(明治34年)建立の「ペリー上陸記念碑」、その右後方に1987年(昭和62年)横須賀市制80周年を記念して建てられた「ペリー記念館(資料館)」。案内役のHさんは2度目の来館だそうだ。

1853年7月8日に突然、浦賀沖に姿を現した4隻の黒船(アメリカ東インド艦隊)は2隻が蒸気船、2隻が帆船(写真左)。旗艦の蒸気船は2450トン、大砲9門を搭載した最新鋭の軍艦。当時の日本の船は100~200トンだったから久里浜の農民や役人たちは相当な威圧感を覚えたことだろう。その情報は直ぐに江戸城に飛び、老中たちを慌てさせた。その模様を端的に狂歌にした碑が「ペリー公園」の中にある(写真右)。上喜撰と言うお茶の銘柄と蒸気船を掛けて「太平の眠りを覚ますじょうきせん、たった4杯(4隻)で夜も眠れず」。当時の浦賀奉行所の与力・中島三郎助が黒船に乗り込み折衝に当たった。「このままでは戦争になりかねない」と悟った中島は奉行の戸田伊豆守に報告、戸田は「アメリカ大統領の親書を受け取るべきだ」と時の老中首座(政務の最高責任者)・阿部正弘に直訴、阿部の裁定で“親書受け取り”が決定、いよいよペリー一行は7月14日に久里浜に上陸(写真中)。

ペリーは翌年(1854年)1月16日に(今度は軍艦9隻を率いて)江戸湾に入航、3月31日に老中首座・阿部正弘の推薦で日本全権となった林復斎(昌平黌学長)と「日米和親条約」を締結。条約の主な内容はアメリカ船に水・食料・燃料などを供給する下田と函館を開港する下田にアメリカ領事館を置く日本はアメリカを最恵国待遇とする――これによって長年の日本の鎖国政策は終焉。なお、林復斎については(2019年7月7日配信の)『龍翁余話』(581)「黒船来航の断面を覗くー幕府代表の”日本魂“」に詳しく書いている。

Hさんのお話はもっと学問的(専門的)だったが、ここでは翁が理解し易いように少しアレンジした。それにしても有意義な『黒船来航』学習の1日であった。誘ってくれたHさんに感謝・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「今回の選挙戦について思う」

今回、何年ぶりかで選挙の投票を日本で参加する事が出来た。米国から日本の選挙に投票するには手続きにかなりの時間がかかり煩雑で面倒だ。だから、まだたくさんの日本人が選挙に投票出来ないでいると思う。それでも日本の行方に海外から関心を持って見守っている人は多い。海外にいると外から日本を見るようになり世界の事、自分が日本人なのだという事を強く意識するようになる。日本ではアクセス出来ない情報も入るし、それが英語だけで発信されている場合も多いからだ。今回、選挙が始まってメディアの報道の仕方が、2年前の大統領選挙と似通っている所が多いなと思っていた。それに関して類似点をエッセイに書こうと思っていた。でも、こういう事はセンシティブな事なので選挙が終わってからにしようと思っていた。

その矢先、米国と同じように選挙中に暗殺事件が起きてしまった。それも散弾銃で、、トランプさんも選挙中、その前後、何度となく暗殺されかかったけれど軍のSPに守られた。その中でも凄いのは、いつも寝ている2階の寝室めがけて世界でもトップクラスのスナイパーに狙われた事。ちょうどガラス窓を特殊なガラスに変えたばかりで助かったのだそうだが、貫通していれば即死。空を飛びながら打てるわけだから、世界でも数人しかいない相当な凄腕スナイパーだったらしい。そして犯人は今も捕まっていない。

元総理の安倍氏が撃たれた事を聞いたのは2階の部屋でTVを見ていた母からだった。急いで普段は見ないTVを見ながらLAの友人とメールで同時にやり取りを始めた。そしてその模様が映像で流れたので写真にとってLAの友人に流した。そのニュースが流れてほぼ同時に隣国から嬉々とした反日を煽るようなニュースや動画が出回った。待っていましたとまるでその事件を事前に知っていたかのような悪意のあるコメントや情報がTwitterやFace Bookで瞬時に拡散された。LAの友人達とそのニュースのやり取りをしている途中その友人からのメールでも、その悪意のあるコメントが私にも伝わってきた。私も安倍氏の政策や人事には疑問を持つ事もあったし腹が立つこともたくさんあった。それでも安倍氏が政治家として何をやろうとしていたか何を発信してきたか直接お会いした人の話を聞くと理解出来る。ただ、残念な事にそういう情報は一切メディアでは取り上げられない。ある日、タイの人から今、安倍総理が自分の国に来てスピーチした内容は素晴らしかった、と言われ全く知らなかった私を不思議そうに見た。Look Eastという言葉を知らないのかとも言われた。何も知らない私は会話にならないので自宅に帰って調べた。いろいろ質問されても答えられないので、それから自分で調べるようになった。米国で安倍氏がスピーチをした時にスタンディングオベーションを受けている動画もあった(座っていたのはオバマ政権だったので殆ど民主党員)日本のメディアはその場面はカット。将来の日本の国益に繋がるものなのに、何故、メディアは、ここまで安倍氏いや日本に対して憎み恨みを持つようになったのか、、、、だれが犯人の頭の中を染め上げ思想教育したのだろうと思う。それによって殺人まで人の心を掻き立ててしまった事は恐ろしい事だ。私個人的には単独犯ではないと思っている。しかしながら理由も動機も準備されたものでピリオドになるのではないだろうか、、

今の日本にはスパイ防止法が無いし日本の警察は果たして真相解明出来るのだろうか、、、、今の状況では米国とも大事な情報は共有出来ないし真実は隠されたままになるような気がしている。どういった思想のどんな人物が実権を握ってメディアをコントロルしているのか調べて行けばわかるのだけれど、、、、。忙しい毎日を過ごしている人は、そこまでの時間が無いだろうし、ネットの検索になれていないとデマや怪しい情報に振り回される。

だいたい、お隣の国は死んだ憎き相手の墓まで掘り起こしたりする風習があり、一国の元総理大臣の死を赤い祝いの垂れ幕で飾る事までするのだから、どれだけ日本人がバカにされているか、そのプロパガンダに乗って小躍りしている輩もいると思うと情けない。何を信じるかは自由だけれど米国と同じように人の気持ちが分断されていく事に憤りを感じる。私は直接、安倍氏にお会いした事が無いけれど会社を辞めてパートタイムになってから務めた小さな会社のスタッフは安倍氏と奥様にお会いしている。安倍ご夫妻がLAを訪れた時にLAの日系社会にも深く心を寄せてくださっていた。一緒に撮られた写真が今も会社に飾られている。ちょうどその頃にサンフランシスコにある反日グループの組織運動が活発になり始めた頃だったろうか、、、、日本の隣国が一緒になって活動していた。嘘の慰安婦像をLAに建てられ、そこに住んでいる私達日本人は嫌な思いを経験させられ子供たちも学校で嫌がらせや虐めにあっていた。戦前、戦後に海を渡って米国に移民なさった日系1世、2世の方々の歴史や苦労も安倍氏はご存知だったのだと思う。残念ながら親の教育もあるのだと思うけれど日系3世4世になると日本語も話せない、日本に対していい感情を持たない人が多くいる事も後から知った。LAに住む純粋な日本人は少なくなり日本を敵国とみなしている隣国の移民が圧倒的に米国には多くなっていったのだから当然なのだろうと思う。

戦前から日本を貶めようとするプロバガンダが米国で流布されて洗脳された政治家も多い。ただ、日本の隣国以外のアジア、南米、ヨーロッパから来た移民の人は何故か親日国ばかりなのが不思議だった。そして調べれば調べるほどその理由がわかってきた。メディアと事実のギャップ。日本に対して一方の意見しか流さない、知らせないメディア。今回の選挙の最中、こっそりNHKを見ない契約しない人への罰金が法律を通ってしまったらしい。詳しい事は、これから調べようと思う。モリカケ問題中にも大事な種子法をこっそり提出され決まってしまった事などなどメディアが大騒ぎをして私達の注意を他に向けさせないようにしている間に日本にとって危険な法律がこっそり決められていくのだ。どのチャンネルも同じよう報道を煽っている時には要注意。何か裏で動いている事が多い。ウクライナとロシアの報道を朝から晩までしている間に尖閣でシナやロシアの軍艦が何をやっているかも報道しないメディアの行動は怪しい。

もう、いい加減にしてほしい。世界の常識と日本の常識は違うのだ。安倍氏が亡くなられて米国はすぐに弔意を表す意味で半旗(旗を半分まで降ろす)が掲げられ台湾もインドも喪に服しブラジルも異例の対応をしてくださった。それが日本は休日だったからと表の言い訳をしながら、おずおず月曜日に半旗を掲げた。与党にそれに反対する人がいたので遅れたという事は現職の自民党議員が言っていた。内なる敵と外からの敵と戦うのは大変だ。味方だと思っていた人から裏切られたトランプさんの構図と良く似ている。安倍氏の事件があった後、トランプさんは誰よりも早くコメントを寄せてくれた。

実は彼が何をコメントするか気になっていた。トランプさんのコメントは米国のメディアでも報道されないからだ。彼が立ち上げたソーシャルメディアは米国でしか見られない。それを日本語に訳して発信してくれている日本人が米国にいてその情報を見つけ発信してくれている動画を見つけた。その一部を今回紹介します。“安倍晋三がいかに偉大な人物でありリーダーであったかを知る人は少ないが歴史がそれを優しく教えてくれるだろう。彼は他の誰とも違う統率者であって何よりも壮大な国、日本を愛し日本を大切にする人であった。安倍晋三はとても惜しまれるでしょう。彼のような人は、もう2度と現れないでしょう” と。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ  Paul McCartney “Kisses On The Bottom”

2月にDigital Analog Converterを導入するまでは、AIスピーカーAmazon EchoでスマホからBlue Toothで転送したAmazon MusicをコンポのAUXにつないで聴いていました。これはこれでジャズを楽しめていました。DACからの出力をデジタルアンプにつないでスピーカーで鳴らしたらどういう音になるだろうという興味から私のオーディオ拡張劇場が始まりました。BTL接続されたデジタルアンプをモノラルで使用したら、音圧レベルの高いスピーカーを使ったら、サブウーファーで低音を改善したら・・・という風に興味は尽きず続いています。気がついたらちょっとマニアックなシステムになってきました。やればやるほど興味が湧いてきますが、それらも少し研究してから試そうと思います。

オーディオのことは誰も聞いてくれない(ですからこのコーナーでひとり言を言わせてもらっています)ので理解のある近所のKさんと話をさせてもらっています。そのKさんから教えていただいたPaul McCartneyのジャズアルバムを紹介します。全盛期からはだいぶ歳をとりましたが聴き覚えのある声で聴けます。アルバムの解説には彼が好きなスタンダードを集めたアルバムと書いてありました。ほとんど聴いたことがなかった曲ばかりですが、聴きやすいアルバムだと思います。《R.O.》

Paul McCartney “Kisses On The Bottom”

1-I’m Gonna Sit Right Down And Write Myself A Letter
2-Home (When Shadows Fall)
3-It’s Only A Paper Moon
4-More I Cannot Wish You
5-The Glory Of Love
6-We Three (My Echo, My Shadow And Me)
7-Ac – cent
8-My Valentine
9-Always
10-My Very Good Friend The Milkman
11-Bye Bye Blackbird
12-Get Yourself Another Fool
13-The Inch Worm
14-Only Our Hearts

編集後記「カナダのウィスキー」

洋酒が揃っている酒屋でCrown Royalというカナダのウィスキーを見つけました。カナダにいたころ毎日のように飲んでいた私が大好きだったウィスキーです。長男と長女がうちに来た時にこのお酒を勧めてみました。とても飲みやすいと大好評でした。当時まだ中学生だった長男と長女に、私がこのウィスキーを好んで飲んでいた気持ちがわかってもらえてうれしく思っています。《R.O.》

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