雑貨屋ウィークリー1365号

雑貨屋のひとり言「出前講座を開催しました」

4月、市の出前講座のサービスで必要な講座を自分たちのところで開催してくれることを知った私たちは、水害対策の推進の一環で住民のみなさんに水害についていろいろ知ってもらうための講義を依頼しました。今年度は私たちが出前講座を一番最初に依頼したようで、すぐに災害対策課から応答があり日程が決まりました。6月16日木曜日19:00から水害について担当者が来られて講座を開催しました。(当日来れない方のために6月19日にも開催しました。)街の地形や水門の説明に続きハザードマップの見方の説明がされました。私たちがもっとも関心の高かったのは南海トラフ地震による津波の影響でした。AIシミュレーションの想定によればトラフ地震が発生してから最短で117分で私たちの街に津波が到達することを知りました。私の心配した通り、海から近い地域はほぼ全滅で私たちの住む地域は海抜よりほんの少し高いので1~3mの浸水になることがわかりました。しかしそれよりもっと驚いたのは高潮による被害でした。平成30年に台風21号で関西国際空港が水浸しになり、船が橋にぶつかり破損した事故を覚えていると思いますが、高潮時に悪い条件が重なると3~5mの浸水が発生します。また近くの河川が決壊するとそれ以上の被害が想定されることがわかりました。地下に設備がある建物は地下に水が流入して設備が被水するとライフラインが完全にストップします。床上浸水などは起きませんが、長期間にわたり生活ができなくなることをみなさんに理解していただくためにこれからも訴え続け、市の災害対策課、近隣のマンション管理組合、団体などと協力関係を築きながら浸水対策について考える活動をしていきたいと思います。当日はNHK神戸が取材に来られました。兵庫県の番組ですが6月21日の夕方に水害特集として放映されました。録画があるのでいろんな場面で活用していきたいと思います。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

絶妙のタッチで風の砂模様

風の便りに初恋の訃報聞く

追い風に不覚帽子を飛ばされる

風説の波紋に雑魚が揺れている

隙間風ともかく目張りして夫婦

( ニュースひとりよがり)

「銃声2発」

背後から撃たれた ―民主主義

「急拡大の呪文」

BA.5 BA.5 ―各党選対本部

「ジョンソン英首相辞意」

世論に蓋をしないから ―プーチン

河合成近

龍翁余話(737)「絶対に許されぬ凶行―安倍元首相の死を悼む」

“世界一安全な国”であるはずの日本で、こんな凶行が起きるとは――7月8日の昼前ニュースを視ようとテレビにスイッチを入れた途端「安倍元首相、演説中に銃撃され心拍停止」のニュースが飛び込み翁の心臓が一瞬凍りついた。そのニュースを伝える(某テレビ局の)アナウンサーの声も(気持ち)震え気味だった。当然だろう。民主主義国家の日本で絶対にあってはならない、許されない凶行事件に日本中、いや世界中に衝撃が走ったのだ。

今更だが――安倍元首相は左派・リベラル勢力の猛反発を受けながら(自衛隊の明記等)憲法改正の必要性を提唱、安全保障関連法を制定して限定的な集団的自衛権行使の道を開いたり、日米同盟の強化(抑止力強化)で北朝鮮の核・ミサイル問題や中国の軍事的台頭などに対応した。つまり激変する安保環境への基盤づくりを行なった。また「自由で開かれたインド太平洋」の提唱は欧米諸国からも高く評価され、日本の首相として初めて世界平和・国際秩序の擁護者と目され、日本の国際的地位を向上させた。そんな“強力なリーダー”を失ったことは日本国にとって計り知れない損失である。

明治・大正・昭和(戦前まで)の日本における要人狙撃事件(テロ事件)は数々あったが戦後(1945年以降)、翁の記憶に残る“要人襲撃事件”も数多くある。例えば1960年7月岸信介首相が官邸玄関で右翼に太ももを刺され重傷。同年10月浅沼稲次郎社会党委員長が演説中に右翼少年に刺され死亡。1963年7月河野一郎建設大臣の自宅を右翼が焼き討ち。1964年3月ライシャワー駐日大使が大使館前で右翼少年に刺され重傷。1975年6月三木武夫首相が(佐藤栄作元首相の国民葬に主席していたところを)右翼団体員に襲撃される(顔面殴打)。1990年1月木島等長崎市長が右翼団体員に拳銃で撃たれ重傷。同年2月浜田幸一衆院議員が暴力団員に棍棒で殴られ負傷。同年10月丹羽兵助元労働大臣が陸上自衛隊守山駐屯地(名古屋市)に訪れた際、部外者の男(総合失調症患者)に刺殺された。1992年金丸信自民党副総裁が講演中に狙撃される(命中せず)。1994年5月細川護熙元首相の近くで右翼団体構成員が発砲(命中せず)。1995年3月警察庁の国松孝次長官が東京都荒川区の自宅マンション玄関前で、白マスクの男に銃撃され重傷。同年5月青島幸男東京都知事宛ての小包爆発、職員負傷。2002年10月石井紘基衆院議員が右翼団体員に自宅前で刺殺される。2006年8月山形県鶴岡市の加藤紘一自民党元幹事長の実家と隣接する事務所が右翼によって放火され全焼。2007年4月伊藤一長長崎市長が市長選運動中暴力団員に銃撃され死亡(長崎市長銃撃事件は2度目)・・・以後、日本国内における要人襲撃事件は(翁は)記憶に無い。“世界一安全な国”であるはずの日本に(7月8日午前11時半頃)惨劇が起きた。それも“世界に顔を持つ強力な日本のリーダー”であり“首相在任期間最長記録(8年8か月)”の“安定強固な政治家”安倍晋三元首相が凶弾に倒れたのだ。そもそも暴力で政治家の生命を奪い言論を封殺しようとするテロは、民主主義に対する悪質な挑戦であり絶対に許してはならない。41歳の犯人は元海上自衛官だったとか。国家国民を守る教育を受けたはずの男が何故“国防の父”安倍元首相を狙ったのか?犯人の人間性・背後関係の捜査は今後になるが、“サムライ時代”だったら翁、直ぐにでもこの犯人を“斬り捨て御免”(テレビ時代劇のタイトル)にしたかも知れない。それほどに腹立たしく憎いのだ。

ところで翁、この衝撃的な事件(ニュース)を視て直ぐに疑問に思ったことがある。それは当日の“警備態勢はどうだったか”である。報道によると「警視庁からのSP(セキュリティーポリス=警視庁の警備部警護課に所属、首相や閣僚らの要人警護を担当)数人と奈良県警本部の警備部公安課のスタッフ数人が安倍氏の警護に当たった」そうだが、翁がテレビ画面で視る限り(演説している)安倍氏の背面はガラガラ、つまり監視(警護)の目がまったく光っていないように見えた。本来なら要人の360度に警護の目が行き渡り、ちょっとでも不審な動きをする人間がいたら素早く排除する行動をとるべき役割なのだが、犯人男は(堂々と?)安倍氏の背後に近づき2発銃弾を浴びせた。警察官が直ぐに犯人を取り押さえたが翁に言わせれば”後の祭り“だ。警視庁SPも奈良県警公安課スタッフも危機管理意識と危機排除能力(技術力)ゼロ。警備態勢に落ち度があったことは否めない。重大な責任問題である。以前、翁、クリント・イーストウッド主演の『ザ・シークレット・サービス』と言うSP映画を観たことがある。SPの鋭い感の働き・優れた逮捕術・射撃スキル・他のSPとの綿密な連携プレー・人並み以上の体力(武道習得)がいかに重要であるかが、この映画に凝縮されている。「たるんでいる日本の警察官たちよ『ザ・シークレット・サービス』に学べ」と言いたい。

長い期間、政権の座にいると誰でも“功罪”が生じる。しかし、この際、翁は“功”とりわけ“外交の安倍”にスポットを当てたい。2009年9月から2012年11月までの民主党政権時代、海外から「今、日本の首相は誰?」と言われていた。1年ごとに首相が交代していたのだから、覚えられる訳もない。ところが2012年12月に第2次安倍内閣が発足して以来、「世界に顔を持つ日本のAbe」と言われるようになった。そのはずだ。安倍氏は(当初から)「我が国の平和と繁栄を確固たるものにするため、安全保障の基盤整備の強化と同時に平和外交を力強く展開する」と述べ、地球儀を俯瞰(ふかん)する視点で積極的な外交を実践した。在任中、延べ176の国や地域を訪問、「日本の国際的地位を向上させた」功績は大である。この度の”安倍氏の死を悼む声“が世界中から届いたことは言うまでもない。英国エリザベス女王も(天皇陛下へ)弔文を送られたそうだ。なお、国連安保理は8日の会合の冒頭、”日本国・安倍晋三元首相の死を悼み“全15理事国の大使らが起立して黙祷を捧げた――安倍氏への“哀悼の意”は語り尽くせないが、深い付き合いのあった米国のトランプ前大統領の「Abeの功績は歴史が教えてくれる。あのような大政治家は2度と現れないだろう」が印象的だ。「世界と強調しつつ、こよなく日本を愛した安倍氏に深く感謝し、心からご冥福をお祈り申し上げたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

安倍元総理のご冥福をお祈り申し上げます。茶子

“この国を取り戻す”このキャッチフレーズをLAから聞いたのは2012年頃だったろうか、強烈なインパクトだった。この数年前から定期的に日本に帰るようになって自分の国である日本にカルチャーショックを感じたほどだった。特に大都市は外国人が増え駅やデパートでも英語ならまだしも中国語や韓国語(日本を仮想敵国としている国)の案内がやたら多く書かれ、そのためスペースを取られて肝心の日本語の文字が小さく読みにくくなっていた。その上、アナウンスがうるさいほど流れ何だかここは、どこの国なのだろうと違和感を覚えた。人材派遣会社が勢力を伸ばし派遣社員ばかりが増え肝心の日本人は隅に追いやられた。企業は外国人の安い賃金を求め日本の会社はどんどん外国に会社と一緒に日本の知財や人材を売り飛ばし今では日本国内の土地や水まで買われ侵食されている。今も現在進行形で太陽光パネルを推進しようとする輩。どこ製造で誰が関わっているのか、それがどれだけ危険なものか知っているのだろうか、、、、もちろん、マスコミは伝えない。

安倍氏の事を陰謀論も含めマスコミもメディアもさんざん叩いた。そのメディアの実態を知らない人が、まだまだ多い事に愕然とする。こんなに日本が侵食されまくっていたら今のカリフォルニアやニューヨークのようになってしまう。来週は今回の選挙について2年前の大統領選挙と同じ事が起きている事を書こうと思っていた。選挙前に書くと誤解される事もあるかと思い来週にその類似点を書こうと思っていた。でも、今週は追加のエッセイで先にこんなエッセイを書く事になってしまった。

今回犯行の瞬間を映像で何回か見ていて黒いスーツを着たSP(ただのガードマンを除いて)が数十人はいたと思う。おそらく私服のSPもいたと思う。それなのに後ろ側が空白でSPも安倍氏の後ろを全く誰一人見ていない。こんな事はあるのだろうかと驚いた。現職の総理でなくても日本や外国に対して影響力が今も(失礼ながら岸田総理より)あるのだから守るのは当然だったのに、、、、もう一つ驚いた事はいち早くと言うより同時に安倍氏の事件とそれを嬉々として伝える反日勢力のデマが外国からSNSで拡散された事だ。その意地悪なコメントの中には人種差別を煽るようなものもあった。

安倍氏に関していろいろ悪口を言う人もいる。でも安倍氏が本当にやりたかった事、それは日本を取り戻そうと努力なさっていた事。それを私は感じるし、その思いは私の心に届いた。残念ながら安倍氏の回りは殆どが親日、親韓、グローバリスト、似非保守に囲まれていて思うように動けなかったと思う。1度もお会いした事が無いのに、こんなに喪失感と悲しい気持ちになるのは私だけでなく多くの日本人も同じ気持ちだと思う。外国の首脳陣からもたくさんのお悔やみが届いている。

今は只々、お疲れ様でした。ありがとうございましたという感謝の気持ちで一杯だ。そして一人一人が安倍氏の掲げた“日本を取り戻す”事だ。

スパイス研究家 茶子

茶子のスパイス研究「Mizutori(みずとり)の下駄サンダル」

素足で板の間やフローリングを歩くと気持ちがいい。靴やソックスから足が解放されてリラックス出来る。営業の仕事を離れてスーツと一緒にパンプスもだいぶ捨てた。登山靴もあまり履かなくなって、普段はウオーキングシューズが今の日常だ。見かけより歩きやすい靴が1番。何年か前に母の通っていた整形外科の先生の所で靴の中敷きを作ってもらった。保険が使えるけれど、だいぶ高いですよと言われた。それでも作ろうと思ったのは外反母趾から来る痛みで時々ピリッとした痛みを左の足の指に感じるようになっていたからだ。

米国で一番困ったのが靴。21,5のサイズなど子供の履くようなデザインや柄しか無かった。当然、そのサイズのパンプスやハイヒールなどは皆無。ある日、友人がビバリーヒルズにシンデレラという靴屋さんがあって小さいサイズの靴があるから行ってみたら?と情報提供してくれた。早速行ってみたら確かに20センチのサイズのパンプスもあった。でも幅広甲高の日本人の足にあった靴は無かった。それからアメリカの靴屋さんの前では、どんなにいいものがセールで売っていても、その前を通り過ぎるようになった。もう、がっかりしたくなかったからだ。靴はやっぱり日本に行った時に買おうと決めた。

ある日、米国で日本のTV番組を見ていたら下駄サンダルというのが紹介されていた。その下駄サンダルは着物の時だけでなく洋服にも似合うデザインのものだった。1度、試してみたいなと思っていた。以前、日本のデパートで足の測定をしてもらった事がある。その時、初めて浮指といって立った時に足の指がちゃんと床に付いていない事がわかった。その為に足の指に力が入らないのでバランスが悪くなり、それを放置しておくといろいろな支障が出てくるらしい。その下駄サンダルを見て直感的に健康に良さそうだと思った。下駄というと前坪(指股で挟む部分)が当たって痛くなったりしないだろうか、、、天(足の裏があたる面)がまっすぐだと足が疲れるのではないだろうか、、、また歩きにくく滑りやすいのでは?と思っていた。ところが、その下駄サンダルを見たら偏平足の人の土踏まずをサポートしてくれるような美しい曲線のある下駄サンダルだった。実際に実物を見た事が無いのに、その微妙な曲線は職人技を感じさせるようだった。今度、日本に帰ったら購入したいと思っていた。それも絶対、国産、日本人が作ったものMade In Japanだと決めていた。

先月、銀座にある12階建ての文房具店、伊東屋にて期間限定で、みずとりの下駄サンダルが売られているのを知った。そしてイベント中に履き心地を試したくて出かけた。履いてみたらピッタリ、吸い付くように私の足の一部のように馴染んだ。これだ!と思いサイズと高さを確認し柄は後から選ぶ事にして一旦家に帰った。自分の持っている麻の藍染のワンピースと浴衣の色にも合いそうな柄を選んで注文した。みずとりさんの花緒は色やデザイン、染の感じなど日本的で良いものがたくさんある。そして和服、洋服どちらにも合う物が色とりどり。おまけに私のような外反母趾の部分を包み込むような柔らかい布と幅があるので欠点が隠れて見栄えもいい。長時間履いていても痛くない。下駄サンダルの裏側は滑り止めの合成ゴムになっているので安心だし、底が減ってきたら近くの靴屋さんでも修理出来るから便利だ。伝統を守りながら今の時代にフィットするのがみずとりの下駄サンダルなのだ。創業は昭和12年(1937年)静岡市でずっとはきもの作りに勤しんできた会社だとか、、、。下駄サンダルが届いて包を開けたら“1足1足こころを込めた手作りの形から生まれるやさしい履き心地を静岡からお届けします。”と書いてあった。

これこそがMade In Japan、だから日本製は世界から愛されるのだ。もの作りは心から始まる。その見えない心が形になって表れるのだ。日本の伝統文化を今更ながら見直して感動しているこの頃、、、、、人も物も出会いなのだな~と。

スパイス研究家  茶子

ジャズライフ Dan Siegel “Departure”

ジャズを楽しむために、音に少しこだわり、いろいろ試してきました。試すというプロセスがそれぞれ勉強になり私の楽しい時間となっています。オーディオはキリがないと言われますが、私の場合はこれまでやったことのないことを試したいだけです。高級なものにしたいわけではなく、自分が楽しみながらチャレンジしていけるものを探していこうと思います。まだ試し忘れていることがあることがありました。それは小型フルレンジスピーカーの宿命である低音不足を何とかしたいということです。BASSコントロールで低音を上げても音がこもり歪むだけなのでよくありません。サブウーファーで低音域を受け持たせることで無理なく低音が出せます。前から試してみたいと思っていたのですがサブウーファーを駆動するためにはローパスフィルタ出力とアンプが必要だったので躊躇していたのです。MarantzとKenwoodのコンポにはその出力がついていることに気が付きました。(コンポでは低音が不足しているということの証明です)サブウーファーは初めて使いましたが音の迫力だけでなく音の厚みが増すのでとても聴きやすくなります。ボリュームを上げてブンブン鳴らすのではなく、低音の不足を補うという使い方でジャズがさらに楽しく聴けるようになりました。オーディオ機器も半導体不足のせいなのか、円安のせいなのかわかりませんが1~2年前から比べるとだいぶ値上がりしてきています。

サブウーファーで品のある低音が出せるようになったので、安心して聴ける心地いい音になっています。ご紹介するDan Siegelのアルバム”Departure”もグッと聴きやすくなりました。歯切れのいいピアノに品のあるベースとのバランスがよく、音量をそんなに上げなくても機嫌良く聴けています。《R.O.》

Dan Siegel “Departure”

1-Across the Sea
2-Street Talk
3-Mosaic
4-Friends Forever
5-Departure
6-From Here On Out
7-A World Away
8-Soliloquy
9-Shades of Gray
10-Castles in the Sand
11-Alone

編集後記「残念なことが多すぎます」

奈良で選挙応援遊説中の安倍元首相が銃で撃たれて死亡するという事件に全国民と世界が衝撃を受けていると思います。銃社会に反対している日本で起きてしまったことがとても残念でなりません。テレビの番組で何度も衝撃的な画像が映し出されていましたが、画像を見る限り犯行は防げたと思います。あまりにもお粗末な警備体制に大変驚いています。安倍晋三さんのご冥福をお祈りします。

収まりつつあるかに見えたコロナの感染者数5万人を超え大きく増加してきました。コロナウィルスがなくなったわけではないので多くの人が移動すればこうなることは予想していましたが、今は第6波のようにならないことを願っています。2週間前に4回目のワクチンを接種するとき、本当に効果があるのかと思っていましたが、やはり接種してよかったと思っています。《R.O.》

コメント

  1. 泉谷亘彦 より:

    いつもWEEKLYを配信いただいている泉谷と申します。
    現下の騒然とした世情とは関係のないことですが、小さな情報を提供させていただきます。WEEKLYの読者の大半はロスのサウスベイに職場があり周辺に居住しておられたと思いますが、元当該地区者にとって大変興味深い小説がありますのでご紹介します。
    宮本輝著「草花たちの静かな誓い」(集英文庫)。物語の舞台がパロスヴァーデスでトーランス地区の様子など懐かしく思い出させてくれます。著者のご子息も駐在員時代この地区に住んでいた経験があるということです。主人公は日本から留学してUSCのMBAを取得した青年という設定です。
    ご一読をお勧めします。小生は、住銀OBでLA8年、SF5年の駐在経験があります。現在大阪倶楽部在籍中です。阪和興業の北会長とは倶楽部で時々お会いします。

    • zakkaya-tenshu より:

      泉谷様

      メールありがとうございます。
      ご紹介していただいた小説を読んでみたいと思います。
      泉谷さんは13年もアメリカに滞在されたのですね。
      私もLAに5年と7年、計12年、そしてその間にトロントに5年滞在しました。
      17年連続でしたから、日本に帰ってから日本に慣れるのにずいぶん時間がかかりました。

      雑貨屋店主
      大西良衛

      • 泉谷亘彦 より:

        ご返信ありがとうございます。、
        小生は米国駐在のほかにシンガポールに3年駐在しましたので、通算16年の海外生活を経験しています。
        われわれもSF駐在経験者たちで加州会(小生の最初の赴任は1963年です)、LA経験者でLAOB会、シンガポール関係者たちでシンガポール会をそれぞれ開いています。
        LAOB会のメンバーは銀行、ゼネコン、商社のOBたちです。いずれもダウンタウンに勤務していた方々です。そんな関係で、そちらのメンバーの北岡さんや領事館の北さんともお知り合いです。
        ご参考までに。