雑貨屋ウィークリー1415号

雑貨屋のひとり言「アマチュア無線は私の原点」

6月21日のNHKの解体キングダムという番組を観ました。その中に30年前に建てた高さ20mもあるアマチュア無線のアンテナ用鉄塔を解体する場面があり、感慨深く観させてもらいました。長年アマチュア無線を楽しまれていた私と同世代の人が終活の一環として大きなアンテナの鉄塔を解体処分するというものでした。40年前に流行した趣味の王様と言われていたアマチュア無線に私も興味を持ちやり始めました。あんな大きな鉄塔にアンテナを乗せて電波を飛ばし、いろんな国の人と話をすることにずっと憧れていました。その憧れが、1988年にカナダのトロントで実現できることになりました。私の憧れだった「世界中のアマチュア無線局と英語で交信する」という夢を叶えた瞬間でした。鉄塔の土台を作るために長男に手伝ってもらって毎日少しずつ穴を掘り、ミキサー車にきてもらいコンクリートで鉄塔を固定しました。鉄塔にアンテナを取り付けた時、15mの鉄塔から見たトロントの広々とした町の風景を今でもよく覚えています。よくあんなことができたものだと我ながら感心します。若かったのと夢の実現のために一所懸命だったからですね。1992年12月、ロスへの転勤を命じられ、苦労して建てた思い出深い15mの鉄塔はたった5年で撤去することになってしまいました。解体する時は安全ベルトを付け鉄塔に登って行いました。鉄塔は接合ボルトを外すことで分割できたので滑車とロープを使って分割した鉄骨を下ろして行きました。番組の映像でもそうやっていたのであのやり方で良かったんだと思いました。撤去した鉄塔とアンテナはトロントのアマチュア無線仲間に引き取ってもらいました。アマチュア無線で世界中の人と英語で話がしたいと願っていたら北米の駐在員になるチャンスが訪れ、英語も話せるようになると今度はトロントでアマチュア無線局を再開するチャンスが訪れました。私の夢は叶えられ約190の国や地域の人と交信できました。想いは叶うということを「アマチュア無線」を通じて体験させてもらうことができ、幸運に恵まれたことに感謝しています。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川  柳)

ウツ続く蹴る石もないアスファルト

ライバルの地雷を踏んだ勇み足

付き合ってみれば鬼にもある弱み

トレードに出されて水を得た魚

5コマ目を伸びた寿命が足してくれ

(ニュースひとりよがり)

「梅雨晴れ間」

モーニングの虫干し ―大臣候補

「次男が脱税で訴追」

ジョーもせがれには手を焼いているな ―フミオ

「スズキ空飛ぶ車開発へ」

走るから飛ぶへ ―高橋尚子社外取締役

河合成近

龍翁余話(787)「高齢者のための熱中症対策」

先日、翁宅の郵便受けに(品川区からの)『高齢者のための熱中症対策』と題したチラシが入っていた。「熱中症」と言えば、猛暑日(最高気温35℃以上)、真夏日(30℃以上)、夏日(25℃以上)及び熱帯夜に起きるものと思いがちだが、6月に入って「熱中症による救急搬送者が急増」のニュースを聞くことが多くなり「熱中症は真夏だけのものではない」ことを改めて認識する次第。確かに「熱中症」発生のピークは7月、8月のようだが、実は、蒸し暑くなったり、雨のせいで急に冷えたりする5月、6月(梅雨時)から増え始めるとのこと。厚労省は「梅雨の晴れ間や梅雨明け直後など、身体がまだ高温多湿に順応出来ていないタイミングで、気温が急に上がったり蒸し暑くなったりすると、汗をかいても、その汗が蒸発せず(体の余分な熱が逃げず)こもりやすくなってしまうので、気温はそれほど高くなくても熱中症のリスクは高まる」と言っている。

このほど消防庁が発表した「2023年6月5日~11日の熱中症による救急搬送数」は、前週(5月29日~6月4日)の711人から900人(うち死亡者1人)に増加、悪天候で気温が低下していた前週から気温・湿度ともに上昇して来たことが影響しているそうだ。年齢区分は乳幼児1,8%、少年23,1%、成人24.1%に比べ、65歳以上の高齢者が51%と過半数を占めていることが気になる。そこで(前述の)『高齢者のための熱中症対策』(チラシ)についてだが――

チラシの内容をざっと読んだ限りでは、いずれも常識的な(すでに誰もが知っている)ことばかりだが、それなのに毎年、熱中症で救急搬送される人が後を絶たないのは何故か?それは“誰もが知っているはず”の常識的な注意事項を、つい、軽く思って、あるいは、自分は大丈夫、という“過信による怠け”で、“気がついたら救急車に”と言うことになるのだろう。これは他人事(ひとごと)ではない、翁自身の戒めでもある。その戒めのために今号は、あえて“常識的な熱中症対策”を取り上げることにした。

ある警備会社のスタッフのツイッター(つぶやき文章)の中の「熱中症にかかりやすい高齢者のタイプ」と言う項目が目に止まった。そのツイッターと翁の実際を比較してみた。

まず「普段からあまり水分を摂らない人」――翁は2009年の癌手術以来、主治医から「塩分控えめ、充分な水分補給」を言い渡されているので、水分は(昼夜 問わず)比較的頻繁に摂っているほうだ。「さっぱりした食事が多く、タンパク質の摂り方が少ない人」――

翁は年齢を重ねるごとに“さっぱり食事”が多くなった。タンパク質は、以前からエビ・ハム・玉子・鮭などは好きな食べ物なので今でもよく食べるが牛肉を食べる機会が少なくなった。そのかわり(以前は全く食べられなかったが最近)鶏肉のささ身部分だけは食べられるようになった(皮は食べられない、と言うか、皮を見ると“鳥肌”が立つ)。「同じメニューばかりを繰り返し食べている人」――料理が出来ない独居老人の翁は、もっぱら電子レンジ頼りでコンビニ・スーパーの“出来上がり食品”(冷凍食品を含む)が多い。その上、かなり好き嫌いが激しいので、どうしても“偏食”になりがちだ。「寝つきが悪く、夜中に何度も目が覚める人」――翁は、寝つきはいいほうで“早寝早起き”。しかし、夜間2~3回トイレに行くので、その分、睡眠時間は短縮される。「エアコンが苦手で、あまり使わない人」――翁は、節電には心掛けているほうだが“エアコンは命綱”とばかり、かなり贅沢に使っている。以上の「熱中症にかかりやすい高齢者のタイプ」を見ると、翁は5タイプ中、2タイプ(食事関連)が引っ掛かるので、これは参考にして気をつけたいと思う。

区役所からのチラシでも最初に「熱中症は室内や夜間でも多く発生している。節電に配慮しながら適切にエアコンを使おう」と言うフレーズがある。“適切”の中には、室温設定、すだれやカーテンの活用、換気、扇風機併用、フィルターの手入れ、などがある。東京都23区の2022年度の熱中症による死亡者(102人)中、約80%が65歳以上、屋内の熱中症による死亡者のうち約90%がエアコンを使用していなかったそうだ。“エアコンは命綱”の翁には信じ難いことだ。

もう1つは、やはり「こまめに水分・塩分の補給」だ。水分は「1日当たり1.2リットルを目安にしよう」と言うことだが、1.2リットルなんて言われてもピンと来ない。要するに、コップ約6杯分が目安。起床直後にまずコップ1杯、起きている間は1時間ごとに、入浴前後にも、就寝前にも・・・翁の場合は、水類はガブ飲みが出来ないから、少しずつ口に含んでゆっくり飲むのが習慣。何リットルか分からないが(前述のようにドクター指示もあるので)とにかく(年中、屋外・室内を問わず)こまめに水分を補給している(塩分はいつも控えめ)。高齢者は若年層よりも体内の水分量が少ないうえ、体の老廃物を排出する際にたくさんの尿を必要とする。だから体内の水分が不足になりがちなので常に水分補給をしなければならないとのこと。また加齢により暑さ・寒さの気温の変化や喉の渇きに対する感覚が鈍くなっており(感覚機能の低下)、更に高齢者は体に熱が溜まりやすく、暑い時には若年層よりも循環器系(心臓・動脈・静脈・毛細血管・リンパ管)への負担が大きくなる(調整機能の低下)・・・だから、どうすればいいのか?チラシには個人で予防する方策は示されていないので、所詮、循環器系の持病を持っている人は、かかりつけの医師に相談しなさい、と言うことだろう。

『高齢者のための熱中症対策』――「エアコンを上手に使う」「水分・塩分を摂る」と常識的な話だが、これは実行しなければならない大切な話。翁はもう1つ提案。それは翁自身が実践している「適度の運動で(体を動かして)自然に汗をかこう」と言うことだ。汗をかくことで新陳代謝が上がり、免疫力・体力アップ・ストレス解消も期待出来る。まさに「汗かきは究極のデトックス(解毒作用)だ」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「6月のスパイス 紫蘇」

今月のスパイスはシソでも緑の方でなく赤紫蘇に注目してみた。今まで赤紫蘇というと梅干しを付ける時に使われるか紫蘇のふりかけぐらいしか思い浮かばなかった。でも昨年、初めて紫蘇ジュースを作ってみたら、とても好評だったので今年も作ってみよう!とはりきって紫蘇を買いに行った。最近、お気に入りの八百屋さんを見つけた。その八百屋さんは太田市場から商品を仕入れているらしく値段は少し高いけれど鮮度が良く品物がいい。他の店では売っていない珍しいものがあるので時々一駅ぐらい歩いてそこまで野菜を買いに行ってみるのだ。

私が店に行く10時頃は、いつも大田市場から戻ってきたトラックから野菜や果物を降ろし始めている頃だ。前回、ラッキョウをこの店で購入した時も“これは鳥取のいいラッキョウだよ”と冷蔵庫から出して来てくれた。赤紫蘇が欲しいと言うと冷蔵庫からぎっちり赤紫蘇が詰まっている袋を取り出してきた。”これは愛知県産の赤紫蘇だけど、他のものより品物がいいよ。この辺は群馬県産のが多いけれど茎も一緒に入っているけれど、うちのは殆ど赤紫蘇の葉ばかりだから他の店の2倍ぐらいの量は入っているよ。”と。

今回はこの赤紫蘇でいろいろ試してみたかったので、いい赤紫蘇が手に入って良かった。ところで紫蘇の漢字の蘇るという字が付いている由来を調べたら昔食中毒で死にそうになっている人にシソの葉を煎じて飲ませたら間もなく生き返ったのだとかで、そんな名前が付いたのだとか、、、、シソは、もともと殺菌効果があって同じ殺菌作用のあるワサビと一緒に生の刺身には、いつも付いてくる。あの爽やかな香りが生臭さを抑え美味しくしてくれる。緑の紫蘇も赤い紫蘇もどちらも殺菌作用があるらしいけれど赤紫蘇は+、その色素にアントシアニンが多く含まれているので目にも良さそうだ。赤紫蘇ジュースは作り置きが出来るようで遮光瓶に入れて冷蔵庫に入れればひと夏持つようだ。

早速、赤紫蘇を煮てみた。赤紫蘇の色素が充分出たら赤紫蘇を取り除いてそこに砂糖を入れる。砂糖が溶けたら火を止めてクエン酸を降り注ぐ。するとその瞬間、鮮やかな透明感のあるルビー色に変わる。私はその瞬間が好きだ。昨年赤紫蘇ジュースを作った時もあまりに綺麗な色に変わったのでその色に見惚れてしまった。冷蔵庫で良く冷やして透明なグラスに赤紫蘇ジュースを入れてソーダとレモンで割って飲んでもいいし、ちょっとアルコールをブレンドしてもいい。食卓にそのルビー色の飲み物があるだけでテーブルが華やぐ。今年は、この赤紫蘇を乾かして紫蘇ふりかけを試しに作ってみた。後から胡麻や塩を入れてもいいしオリジナルの紫蘇のふりかけに足してもいいし何かの料理のトッピングにも使えそうだ。ついでに赤紫蘇を入れたゼラチンのデザートも作ってみた。ヨーグルトと合わせてもいいし、アイスクリームと刻んだフルーツを合わせてもいい。寒天で作っても色味が綺麗だと思う。煮だした残りの赤紫蘇は佃煮にも出来るらしい。ご飯のお供で赤紫蘇の佃煮というのも益々ご飯が進みそうだ。今年も夏痩せなんて言葉は遠い雲の彼方、、、私には関係ない。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ Simon Oslender “Peace of Mind”

シンガーソングライターのさだまさしが1978年に作詞作曲をした「親父の一番長い日」を初めて聴きました。12分以上もある歌ですが聴いているうちに彼の家族の情景が浮かんできました。涙が出そうでした。音楽は私たちの心を揺り動かす力があります。ジャズは楽器だけの場合が多いですが、素晴らしいサウンドが心に響いて気を落ち着かせてくれます。
今週はドイツのキーボード奏者Simon Oslenderのフュージョンアルバムです。このアルバムのタイトルのように世界中の人が平和に音楽が聴けるように願っています。《R.O.》

01-Healing  6:49
02-When She Speaks  4:37
03-First Dance  5:35
04-Keep It  5:00
05-I Will Be There  6:21
06-Hymn  5:21
07-Fall Of Hope  4:14
08-Shining Bright 5:14
09-Sleep In Peace  2:56
10-Walk With The Wind  6:20
11-Better Times  4:10
12-Blue Mike  6:01

編集後記「防潮堤見学」

先週日曜日、珍しいところに行ってきました。それは私たちが住むまちの防潮堤がある施設です。県が主催する防災フェスティバルが開催されていたので、近所のKさんと一緒に朝早くから出かけました。ちょっと不便なところにあるのでバスを乗り継いで行きました。私たちは自分たちの住む建物の浸水被害に備える活動をしているので、県や国の浸水対策等について高い感心があります。防災クルーズと称して船で海に出て、海から防潮堤のシステムを見学できるのが人気で、私たちの予想を遥かに超えた人が集まっていました。10時前に着いたのですが、防災クルーズの予約時刻が14時になってしまいました。長時間待つことになったので、水害からまちを守る防潮堤の閘門のシステムを見学したり、そこを通る船を観たりしました。防災展示室の資料を係員の方に説明してもらい勉強をさせていただきながら長時間を過ごしました。私たちの市は東西に挟まれる形で大きな河川が二つありますが、県内を流れている河川は県が管轄し、他県をまたいで流れる河川は国により管理されていることなども初めて知りました。河川の氾濫は上流にダムがあるかどうかでも大きく影響することがわかりました。護岸の設計は現在の地図だけではわからないことがあり、昔からの地形(地図)が考慮されていることなども理解できました。国や県の水害対策の取り込み状況が理解できたことはとてもよかったと思います。昼食も摂らず(辺鄙なところで食べるところがなかったので)に待ち続け、ようやく14時に30人乗りの船に乗れました。40年前にロスで釣り船に乗って沖に出た時に、船酔いで気分が悪くなって困ったことを思い出しました。あれから40年経った今、身体が鈍感になっているみたいで全く問題ありませんでした。《R.O.》

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