雑貨屋ウィークリー1397号

雑貨屋のひとり言「急ぎすぎのEV化」

今、世界中で起こっているEVシフトは急ぎ過ぎで計画に無理があるように見えます。地球の環境問題を考えることは重要なことですが急速にEVに舵を切ると大きな弊害が待っています。電気自動車はこれまでのガソリン車に比べ部品も少なくシンプルな構造ですから、だれでも簡単に作れると思われているような気がします。自動車は安心・安全・快適が重要な要素ですが、今売られているEV車の中には安全と安心の面で大いに問題ありのものがあります。これまでガソリン車が内部の故障で燃えることはほとんど聞いたことがありません。ところが大きなバッテリーを搭載しているEV車はバッテリー自身が高熱を発して発火する事故がこれまでのガソリン車と比較にならないほどの高率で発生しています。バッテリーが燃えると電気系統が不能になるので電子ドアが開けられず、車内の人を助けようにも助けられないという悲劇が起こっています。バッテリーが化学反応を起こして燃えるとなかなか消火できません。まさに走る棺桶になってしまいます。極寒の地域ではバッテリーの性能が極端に落ち使い物になりません。もう一つはバッテリーの材料になっているリチウムが世界的に枯渇して来ているという現実です。そのせいでバッテリーのコストが高騰し、EV車の値段も高いものになっています。そして最も大きな問題はバッテリーを充電するためのインフラがまったく追い付いていないことです。遠距離をドライブすると常に充電スタンドを気にしながら走らねばなりません。充電スタンドを見つけても限られた数しかないので長時間待たなければならず、自動車にエネルギーを補給するのに時間がかかるのは致命的な問題です。しかもそのための電気を作るために二酸化炭素を大量に発生させているのが現状で形だけのEVになっています。バッテリーは寿命が短い上に再生しにくいので、産業廃棄物というゴミとなってしまいます。これをどう処理するのかなど真面目に考えているとは思えません。二酸化炭素を削減するというスローガンは立派ですが、実態はEV化で儲けてやろうとするあまり、安全性の問題、資源問題、電気不足問題、バッテリー処理問題などが疎かになっています。いずれEV車の時代になると思いますが、これらの問題の解決を避けて強引に進めれば地球の将来はないと思います。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川  柳 )

天神も居留守決め込む絵馬の誤字

繰り上げで受かり神様仏様

ポックリ寺ついで参りという元気

ノックぐらいしろよ貧乏神さんよ

嘘千回ついて教祖に成り上がり

(ニュースひとりよがり)

「H3打ち上げ中止」

とんだことに  — JAXA

「新型から2019に」

歴史に名を刻んだ — コロナ

「春一番」

今年は春一万を — 自動車労組

河合成近

龍翁余話(769)「面白川柳」

翁は若い頃、少しばかり詩歌を学んだことがあるので時折、『龍翁余話』の末尾にヘタな句で結ぶことがあるが、世の中の風刺やウイット(機知)を軽妙なタッチで詠いこむ“川柳”は実に面白い。調べてみたら“川柳”は、江戸時代中期の俳人・柄井川柳(からいせんりゅう)と言う人が創始者だそうで、俳句の5・7・5を基本にしつつも季語も不要、面白ければ多少の変形も良しとする自由奔放な短詩だ。実は、翁がメンバーの1人となっている“週刊エッセイ集”『ZAKKAYA WEEKLY』(主宰:大西良衛氏=大阪)の執筆者の1人に河合成近さんと言う川柳作家がおられる。翁も“河合川柳”の大ファンだ。河合さんは翁よりちょっと先輩だが、着眼点の新鮮さと表現の妙に翁は瞠目している。

千葉県習志野市に住む翁の旧友・Hさんから先日『面白川柳』なるものが送られて来た。どこから、どこを経由して(この種の画像が)拡散しているのか分からないので、友人に聞いて見たら「私の所にも送られて来ています」とのこと。作者は「河村幹雄」とある。どんな人物か、早速ネットで検索してみたのだが「川柳作家:河村幹雄」のプロフィールが見当たらない。しかし(YouTubeを見て)その作品の多さに驚く。しかも、取り上げているテーマはほとんど“老化現象”。作者本人が高齢者なのか、作者の身近に高齢者がいて、それを観察しての作品なのか、いずれにしても(川柳の1つ1つが)笑って,ドッキリさせられて面白い。この作者をご存知の方は(龍翁に)ご一報願いたい。河村幹雄さんの最新作(No.11)は2023年1月23日。翁が入手した『面白川柳』はNo.6(2022年4月18日配信)。その中の幾つかの句と、その句に対する翁の感想(実感)を紹介しよう。

【つまずいて 何もない道 振り返る】――“道”だけではない、翁は自宅の部屋の中でも、つまずくことがある。が、そこに凹凸はない。「何で?」と、悔しがる。

【目覚ましの ベルはまだかと 起きて待つ】――翁のゴルフの朝は、この通りだ。セット時間(3時30分)より早く目が覚めて(どうせ眠れないのだから、さっさと起きればいいものを)寒い時期は起きずに布団の中でベル(アラーム)を待つ。時々、うとうとしてアラームの鳴りを聞き逃すことがある。「さあ大変」そんな朝はコーヒーもパンもなし。

【万歩計 半分以上は 探し物】――翁の万歩計使用は、散歩とゴルフの時だけ。しかし時には“探し物”で時間を費やすこともある。たいして大切な物ではないのに「こんな物、何でムキに 探し回る?」。

【探し物 やっと探して 置き忘れ】――こんな時、地団駄踏んで、悔しがる。

【物忘れ 知識を少し 捨てただけ】――“物忘れ症”を認めたくない翁「俺の脳ミソには知識がいっぱい。だから多少は捨てないと脳がパンクする」と負け惜しみを言いながら時には“大事なこと”まで捨ててしまう。(「物忘れ ああ情けなや 今日もまた」)。

【忘れ物 口で唱えて 取りに行く】――落語に『平林(ひらばやし)』と言うのがある。無筆(自が読めない)小僧の定吉が主人のお使いで“平林(ひらばやし)さん”宅へお使いに行く。主人から「お前は字が読めないから(忘れぬように)口の中で“ヒラバヤシ、ヒラバヤシ”と唱えて行きなさい」途中、信号機の所で巡査に「赤は止まれ、青は進め」と言われ、その瞬間から定吉は「赤は止まれ、青は進め」と唱えるようになる(後略)。翁の物忘れはそこまでではないが、人名・地名・品名の忘れは年々ひどくなる。そのうち、定吉になるかも、の怖れあり・・・(「老境の 我が身もいずれ、定吉か」)。

【立ち上がり 用事忘れて また座る】――隣の部屋に行って「はて、俺は何をしにここへ来たのか?」が時々ある。そんな時、元の部屋に戻り気を鎮める(これは健忘症だ)。

【起きたけど 寝るまで特に 用もなし】――思い返せば“コロナ禍”の3年間、そんな日もあったっけ?。

【飲み代が 酒から薬(くすり)に 替わる年】――翁家は先祖代々、下戸血統。だから酒代ではないがコーヒー代(1日平均8杯)、タバコ代、それにスイート・フード代が小遣いの大半を占めていた。2009年のガン手術以降、タバコは止め、コーヒーもせいぜい1日3杯と、かなり倹約出来るようになった。いまだに減らないのは“オヤツ代”。

【「君の名は?」老人会でも 流行語】――”コロナ禍“の3年間、めったにパーティなどはなかったが、それまではパーティやミーティングなどの時、話しかけて来る相手の名前が思い出せなくて、しばらくは相手の話を聞くだけ。そのうち誰かが、翁に話しかけている人の名を呼ぶ。途端に翁、「○○君、相変わらずの活躍だね」(白々しい)。

【手をつなぎ 互いの杖と なるあした】――(この句とは少し意味が違うが)つい先日、メガネ屋で視力検査をして貰った時「よくもまあ、こんな視力で運転したりゴルフしたりしましたね」と呆れられたほど、近年、翁の視力は急激に衰えていた。ある日、雨上がりのゴルフコース、地面が滑りやすく、翁の視力を心配してくれたゴルフ仲間の1人が(坂道を降りる時)そっと、翁の手を支えてくれた。勿論、感謝、同時に”早くメガネを替えなければ・・・“と言うことで、やっとメガネ屋に行った次第。メガネを替えても0.5と0.6。3月末に運転免許証更新の“技能試験”があり、その時、“視力検査”があるが、0.7以上でないとパスしない、それが心配だ。

【老木は 枯れたふりして 新芽出し】――ああ、そうありたい、ゴルフも『龍翁余話』も、まだまだ枯れ死にしたくない。

【断捨離で うっかり夫 捨てそうに】――笑えぬ句だが世の夫たちよ、“粗大ゴミ化”して女房に捨てられないように・・・っと、これは余計なお世話。意味は違うが、超高齢の翁、今、気が急(せ)いているのは“断捨離”だ。“断捨離”とは(本来はヨーガ用語)、新しい物(不要な物)を断る(断)。家に置いてある不要な物を捨てる(捨)。物への執着から離れる(離)。翁、今更、新しい物を欲しがることはしないが、古い物への執着心が強く、なかなか捨てられない。それを思い切って捨てなければ(立つ鳥、後を汚さず)と気が急いている。『河村幹雄・川柳』から教訓を得た。『河合成近・川柳』も身に沁みる句が多い。「川柳に 潜流学ぶ 翁かな」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「10年ひと昔②」

E先生の即決で手術がその場で決まり興奮した私はその事を伝えるために走って母のいる病室に向かった。” お母さん、手術の日は明後日なので今から食事は無しだから ”と伝えた。何事が起きたのか母もポカンとしながらも私の勢いに押されて”わかった”と返事をした。それまで私たちの頭の中には手術という選択が全く無かったし、詳しい状況を聞かされていないまま、検査入院を告げられただけだったのだ。

今思い出すと、あの時の状況は、まるで暗闇の中で小船が大海に、ただただ浮かんでいるような感じだった。自分達が今どこにいるのか、どこに向かえばいいのか、全く先が見えない状況だった。母に報告をしてから間もなくE先生の指示があったのか看護婦さんが手術前の準備などの詳しい書類を持って私たちに伝えに来た。その日の夕方、E先生が一人で母の病室に来てくださった。腹水の症状が出ていないかの確認だった。その時のE先生のお姿には後光が射しているように見え本当に有難かった。

それから手術前日の日になって今まで母の担当だった内科の先生がやってきた。” 緊急入院されていたのですね。お母様は、お食事はとられているのですか?”と聞かれたので”明日が手術なので今は断食です”と答えるとえっ?!という不思議そうな顔をなさった。その表情を見て私は、まだその先生が何も知らされていない事に内心とても驚いた。キツネにつままれたような感じで、そのまま母の担当医は部下をゾロゾロ引き連れて部屋を出て行った。それ以降その先生に会う事は無かった。

さて、手術の当日、E先生から” 今日は長い日になります。手術は午前中、他の患者さんの手術が入っているので1時からスタートです。最初は私が手術をやります。途中、他の科の専門医の外科医と交代して手術をしてもらいます。その後、私が一通り見て確認してから、お腹を閉じます。終わるのは夜の9時ぐらいになるかな、、、だから今日は病院の中に一日いてください。途中、他の外科医と交代したら一旦、途中で貴方を呼びます。そこで手術の状況と経過報告をしますから”と告げられた。そしてE先生は”全ての手術が終わったら、もう1度貴方を呼びます。それまで病院を離れないで院内にいてください。”とおっしゃった。その時になって、とても難しい広範医に及ぶ手術なのだという事がわかって緊張した。

手術の当日、車椅子に乗せられて手術室に向かう母の後ろ姿を見送りながら扉が閉まる直前” お母さん、もしお父さんやお婆ちゃんが迎えに来たら、まだ早いと追い返してね。棺桶に片足が入りそうになったら片方の足を私が引きずり出してあげるからね”と声をかけたら母は振り向かず手を振った。あの時、母はこれで終わりになるかもと覚悟したらしい。その時に”ああ、もう少し旅行もしておきたかった、もっと美味しいものも食べておけばよかった”と悔やんだらしい。

本当に長い1日だった。夕方ぐらいに呼び出しのアナウンスが流れた。手術室の待合室の中にある個室に入るとE先生は金属のトレイに母の体内から切除した一塊のものを持ってきた。ああ、これが母を苦しめていた正体だったのか、、、と。そして先生に許可をもらって写真を撮ろうと思ったら何度押してもシャッターが動かない。カメラが壊れたのかと思って最後に力を込めて押すと1度だけシャッターが押せた。後から家に帰って試し撮りをしてみたらカメラは壊れていなかった。そして最後に撮った写真を見たらまっ黒い写真が一枚だけ写っていた。不思議だったけれど、後から考えて、あの写真は残す必要のないものだったのだろうと思った。思い出は楽しいものだけを残せばいいのだと、この時に教えられたような気がした。

母は手術後、全く食べられない状況が続いた。そして3日あたりから腸閉塞を起こし一切の水分、食事を断つ事になった。1週間ぐらい様子を見て、くっついてしまった腸が戻らなければ再手術になる。その時の方が母は苦しかったらしく再び死を覚悟したらしい。手術前から点滴のみで母の体力が持つか気を抜けない日々が続いた。幸い周りのスタッフの方の支えもあって無事、山場を越し徐々に母は重湯からお粥を食べられるようになった。母の日を病院で迎えた母はトータル45日間入院した。その間、E先生は週末の休み以外、毎日朝、診察前か診察が終わった夕方以降に母の所に来てくださった。患者さんは、お医者さんの顔を見るとホッとするものだ。そして安心して元気になる。

この母の入院45日間、毎日ドラマを見ているようで、いろいろな事があった。退院後はリハビリと食事の管理をしてくれる近くのショートホームに母は移動した。そして4か月後に自宅に帰る事が出来た。それから5年に及ぶ定期的な精密検査、その間、3回の内視鏡手術、ようやく最初の開腹手術から5年の目途が終わる頃に再び3時間半の開腹手術があり、また振り出しに戻り5年間の精密検査、定期健診が続いた。

そして、この度、気が付けば母は介護も卒業、精密検査も卒業となったわけだ。長いようであっという間に10年が過ぎていた。この10年は自分の人生で最も学びの多い濃い充実した時間だった。様々な医療現場で働く輝いている人達と接する機会が持てて感謝、そして感動をありがとうという気持ちで、一杯だ。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ Olepash “Nights and Days”

先月購入したiFi社製のヘッドフォンアンプは良い音で迫力もあるので楽しくジャズを聴いています。このアンプは高級感がある仕上がりになっていますが、表面加工されて滑りやすいので落とさないように注意して扱っています。保護のためのケースがいると思いました。専用の牛革ケースがあるのですが貧弱なわりに7000円以上もするのでちょっと躊躇します。それなら自作できないかと考え、ポリウレタン製のレザー生地風のマット(210×300mm)を買ってケースを試作してみました。二つ目の試作で使い勝手の良いものができました。自分で工夫して作るのは楽しいものです。材料費が220円の割にはよくできていると思います。ほかにもいい方法があるかもしれないので試してみようと考えています。《R.O》

今週の紹介アルバムOlepash “Nights and Days”

今週はOlepashの”Nights and days”というアルバムの紹介です。Olepashのことをネットで調べてもなかなか出てこなかったのですが、FacebookでOleh Pashkovskiにたどり着きました。ウクライナ、キーウ出身のOleh PashkovskiのジャズバンドでOlepashは彼の名前から名付けたグループ名です。美しい響きと軽快なピアノはいつまでも聴いていられる気持ちのいいアルバムです。《R.O.》

1.Breezy
2.Days and Nights
3.Easy Joy
4.Letter from Love
5.Life in Peace
6.Lovely Day
7.My Garden
8.Paris Night
9.Out of My Window
10.Paint It11.Under an Umbrella
12.Light Me Up

編集後記「偽メールに注意!」

怪しいメールには気をつけましょう。Amazonをはじめ通販で使っている会社からの怪しいメールがよく来ます。アカウントや請求に関する内容のメールが多いようです。初めて受け取ったら何かする必要があるのかと思ってしまいますが、メールで連絡してくることはまずありません。どんなに重要なことが書かれていても、それはフィッシング詐欺メールですから、絶対に応答しないで無視しましょう。私は一応、発信元のアドレスを確認することにしています。たいていの場合おかしなアドレスが表示されています。同じようにショートメッセージSMSでも届くことがありますから、注意しましょう。《R.O.》

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