雑貨屋ウィークリー1378号

雑貨屋のひとり言「チャレンジ」

私たちの目の前で起こっている問題であれば何とかしようと思って解決に向けて行動しようとします。そして対策するための協力も得られやすいので比較的進めやすいと思います。ところがまだ起こっていない、これまで経験したことがない近い将来に起こりそうな見えるかしにくいリスクを今から対策するとなるとそれを納得させ賛同、協力してもらうのは難しくなります。津波や高潮によって自分たちの地域が浸水被害に遭い、地下に動力設備がある建物が機能不全に陥り、長期間生活ができなくなったり、ビジネスも出来なくなるというリスクがあるので今から大金を投じて対策するための活動をしています。まだ時間がかかりそうですが自分たちの生命、財産を担保するためのものだということを合理的でイメージしやすい説明ができるよう粘り強く進めていこうとしています。この工事ができるまで南海トラフによる津波も高潮による浸水も起こらないことを願っています。多くの人を巻き込む難しいチャレンジですが完遂させたいと思います。誰もやらないから自分たちでやる、いつのまにかこんな難しいことにチャレンジできるようになっている自分たちを頼もしく思っています。《R.O.》

川柳(東京・成近)

(川柳)

独裁の電車でつり革が揺れる

猿知恵の進化が核をもてあそぶ

疑念抱く視野がだんだん狭くなる

雲行きを策に溺れた目が見つめ

万策に手のジョーカーの期限切れ

( ニュースひとりよがり)

「日本横断」

ミサイルよお前もか —台風

「4日夏、5日秋、6日冬」

春はいつ来るかなあ —家計簿

「値上げ値上げ」

—寒くなったね

—ハイふところが

河合成近

龍翁余話(750)「“Jアラート”に思う」

去る10月4日の朝方(7時27分頃)、視ていたテレビ番組が突然中止、テレビ局のスタジオからアナウンサーが顔を出し「Jアラート、緊急事態情報をお伝えします。今朝7時22分頃、北朝鮮からミサイルが発射されました。方向は北海道・伊豆諸島・小笠原諸島と見られています」その後、同じようなアナウンスメントが続き、7時40分過ぎに官邸危機管理センターから「ミサイルは7時29分頃、北海道、青森県辺りの上空を飛翔し太平洋へ通過、このミサイルに対する破壊措置は取っていない」の情報提供が行なわれた。その時、翁は思った。「破壊措置は取っていないのではなく、破壊措置は取れなかったのだ。金正恩野郎、いつ、ミサイル遊びをするか分からないのに、日本は“迎撃の備え”が出来ていなかった。いや“備え”はあるが、瞬時対応(破壊)能力(技術)が伴わなかった。つまり油断と訓練不足によって北朝鮮の弾道ミサイルを易々と日本上空を通過させたのだ」――

『Jアラート』とは「ジャパン(Japan)の頭文字と英語のアラート(Alert=警報)を結び付けた造語。「避難するのに時間的余裕がない大災害や武力攻撃などの緊急事態情報を短時間に全国民へ伝える緊急警報システム」のことで、正式な名称は『全国瞬時警報システム』と言う。地震、津波、噴火、竜巻、土砂崩れなどの自然災害情報は気象庁からの発表。弾道ミサイル発射・通過、テロ・空襲・ゲリラ・特殊部隊攻撃など国民の生命・財産に危害を及ぼしかねない危険情報の発表は内閣官房から、の2種類がある。いずれも数十秒から数分以内に国民へ知らせ早期の避難や予防措置によって被害の軽減を図るのが狙いだ。

東京に住む翁は、これまでに数回、地震発生の『Jアラート』を受信したことがある。一瞬、ドキッとするが直ぐに部屋の中を見渡し、万一に備え、まず気持ちを落ち着かせ、行動への準備をする。それが出来る(多少の)時間的余裕はある。ところが、敵国からのミサイル攻撃や戦闘機からの攻撃(爆弾投下や機銃掃射)などを受けた際、どうやって避難する(逃げる)のか――ふと、思い出す。戦時中、翁は、まだ(小学校に上がったばかりの)子どもであったが、学校や地域社会で定期的に避難訓練(防空・防火演習)や竹槍(たけやり)訓練をさせられたし、グラマン戦闘機から機銃掃射を浴びた経験もあるので子ども心にも普段から多少の危機感と緊張感は持っていた。当時の日本人は老若男女全員がそうだった。しかし“平和ボケ”の今日“竹槍”や“防空・防火演習”などと言う言葉は死語になっている。そんな時代だから(敵国からの攻撃による)緊急警報『Jアラート』が発せられても、どれだけの人が即時に対応出来るだろうか?

今回の北朝鮮による中距離弾道ミサイルの飛行距離は4600km。太平洋にあるマリアナ諸島のグアムが射程内に入る。これでは日本だけでなく米国政府だって看過するわけにはいかない。早速、4日、岸田首相とバイデン米大統領は電話会談し「北朝鮮の暴挙は日米に対してだけでなく国際社会の平和と安定への重大な挑戦である」との認識を共有し、これまで以上に強い言葉で(北朝鮮を)非難した上で、日米同盟の更なる結束による抑止力向上を図ることで一致した。林外相は米韓両国の外相と個別に電話会談、浜田防衛相も米国のオースティン国防長官と電話会談、日米韓3か国による緊密な連携で北朝鮮の暴挙に対応していくことで一致した。翁が特に注目し、評価したのは、浜田防衛相の「国民の命と暮らしを守り抜くため敵国のミサイル発射基地を叩く、いわゆる“敵基地攻撃能力”(反撃能力)を含め、あらゆる選択肢を排除せず、現実的な防衛力を抜本的に進める」ことをアメリカ側に言明したことである。(然り!もはや「遺憾」の繰り返しだけでは済まされまい)。

ところで『Jアラート』が発せられた際、我々は、どう避難行動をとればよいか――先日、テレビ局のアナウンサーは(繰り返し)「屋外にいる場合は近くの頑丈な建物、または地下(地下街や地下鉄構内など)に避難して下さい。屋内にいる時は、出来るだけ窓から離れ、出来れば窓のない部屋へ移動して下さい」と叫んでいた。しかし“頑丈な建物”や“地下”と言っても、わざわざそこまで行くのは大変、しかもそこは(昼間は)大勢の人がいるし、夜間は施錠されており立ち入り禁止。現実的には無理な話、いわば“空論”だ。

世界各国では、核ミサイルの脅威に備え“核シェルター”(核からの避難施設)の整備を政府主導で進めている。スイス・イスラエル・ノルウエー・アメリカ・ロシア・イギリス・シンガポールなどの核シェルターの普及率は50%以上と聞く。唯一の被爆国であり、中国・北朝鮮・ロシアのような核保有国に囲まれている日本こそ、国民の生命・財産を守るために“核シェルター”設置の促進が望まれるのだが、政治家・マスコミ・国民までが平和ボケになっていて”核シェルター“の普及率はゼロに等しい。“核シェルター”には数百人、数千人収容の大型もあれば家庭用の小型もある。翁、子どもの頃(戦時中)の“防空壕”を思い出した。山の麓や丘の中腹に掘られた数10人、数100人規模の“公的防空壕”のほか、住宅の地下に掘られた“家族用防空壕”もあった。1戸建ての住宅ならそれも可能だが、マンション居住者は無理。やはり“公的核シェルター”の設置・普及が求められる。

一番いいのは“核シェルター”なんかいらない社会をつくることだ。それにはミサイルや核を使わせない(戦争を起こさせない)「平和外交」を深めること。日本は(これまでに)その努力を積み重ねて来た。中国やロシアや北朝鮮から挑発されても、じっと耐えて来た。それでも「平和外交」は続けなければならない。しかし、現実問題として、国際法も人権(人道)もわきまえない習近平・プーチン・金正恩の“今世紀極3悪人”には、日本の紳士的・平和的外交が通じないことは、これまでの経緯を見ても明らか。ならば「強力な抑止力」(敵基地攻撃能力・核ミサイル迎撃能力)を更に高めることが肝要だ。“3国”からは勿論のこと国内野党や左系どもから猛反発が出ようが、日本がすでに“核の脅威”に晒されている現実をもっと深刻に直視すべきだ・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「青春18きっぷ 5回目」 

いよいよ青春18きっぷ最後の旅5回目は、わたらせ渓谷鉄道を選んだ。

わたらせ渓谷鉄道は群馬県の桐生市桐生駅から栃木県日光市足尾町にある間藤駅まで17の駅があって約1時間半のんびり走る。昔は銅山から採掘される銅の割合が日本国の中で4割もあり世界の銅の価格を左右するほどだったらしい。その資源が枯渇して1973年に閉山になったそうだ。春は桜、初夏は新緑の緑、秋は紅葉と眺めがよく見えるトロッコ列車や観光列車も走っているらしい。夏の終わりの今頃は普通列車であれば予約も必要ないし混雑する事もないだろうと出かけてみた。

東京駅から早朝5時53分発、高崎線で高崎駅行に乗り途中の大宮駅に到着。そこから宇都宮線で小山駅まで行き両毛線で群馬県の桐生駅、そこからわたらせ渓谷鉄道に乗る事にした。わりと早く東京を脱出できたと思ったら次の宇都宮線で小山行の電車の待ち時間があった。それで大宮駅構内をウロウロしていたらおにぎり屋さんの前で人が行列して並んでいた。朝早くから開いている店がまだ多くないせいかもしれない。昔、来た事のある大宮駅は田舎の駅からずいぶん変わった。その大宮駅で次の乗り換え時間もあったので、ついでに私も並んでおにぎりを買ってみた。宇都宮線で小山駅に到着して今度は両毛線に乗り換え群馬県の桐生駅まで約1時間。そしてわたらせ渓谷鉄道乗り場に到着。トロッコ列車や観光列車は列車代+520円を事前に予約して買っておく必要がある。今回は時間が無かったので普通列車1130円を購入したが1日乗り降り出来る切符もあるようだ。

平日だったせいか乗車したのは私ともう1人だけ。地元の人らしき人は途中で降りて行ったので結局、私一人になった。途中、車内販売で記念品は如何ですかと社員の方が声をかけてくださった。何があるかとじっくり見たところ残念ながら欲しいものがなかった。キーホルダーや記念バッジやハンカチなど、誰かこういったものを集めている人がいなかったか考えてみても浮ばない。“わたらせ渓谷鉄道のマスコット人形もあります”と言われたけれど顔がどうも、、、結局、申し訳ないけれど何も買わなかった。(ごめんなさい)それでも鉄道社員の方は気を使ってくださり私がお昼時に終点の何もない間藤駅で1時間半もバスを待たなくてはいけない事を心配して、お昼が必要であれば、2か所降りられる駅があってそこで昼食をとって次の電車を待ってもバスには間に合いますと丁寧に説明をしてくれた。どうしようか考えた挙句やっぱり何もない終点の駅、間藤駅でのんびり過ごす事に決めた。ちょうど大宮駅で購入したおにぎりとスナックがあったので助かった。

間藤駅に到着したら本当に何もない無人駅だった。飲み物の自販機だけはあったので、そこで飲み物を買ってバスの時刻を確認してから駅の待合室にある掲示板を眺めていた。そして、ここ間藤駅は国鉄全線を完乗された宮脇俊三氏という方がたどり着いた最後の駅で鉄道ファンにとっては聖地だった事を知った。鉄道旅行の本もたくさん書かれていてその影響を受けて鉄道ファンになった人も多くいるようだ。

1926年に生誕され2003年に虎ノ門病院で亡くなられている。戒名は”鉄道院周遊俊妙居士”いろいろ歴史のある駅があるのだな~とわたらせ渓谷鉄道の資料やパンフレットを読みながらその当時に思いを馳せていたらあっという間にバスが来る時間になった。いろいろ歩き回る旅もいいけれど誰もいない駅でぼんやり過ごす時間も楽しい。それにしても利用する人がいないのでバスの本数が少ないのは仕方がない事だ。バスを待っていたら桐生から来た電車が間藤の駅に来た。3人降りて一人が私と同じようにバスに乗った。バス代1150円を払って13時32分発のJR日光駅行のバスに乗った。

日光に到着したのは14時07分。東武日光線とJR日光駅も歩いて5~6分ほどだったろうか、、、日光もたくさん見処があるけれど何回か観光で来ているの今回はそのままJR日光駅へ。まだ日光に行った事がない人であれば日光で一泊して、わたらせ渓谷鉄道で途中下車をしながら桐生に到着し、そこでも一泊すると桐生の町も観光出来ていいかもしれない。帰りはJR日光から大宮を目指し、そこから上野経由で東京に戻った。何だか忙しい日帰りの旅だったけれど楽しめた。青春18切符が使える期間中は連続して使わなくてもいいのが助かる。私などのような初心者は別として鉄道オタクの本や動画を見ていると上手に旅をしている人がたくさんいる。そういう達人の旅も参考に、またどこかに行ってみたくなった。

スパイス研究家   茶子

ジャズライフ Alfonso Gugliucci “Love Expressions”

もやっとした気持ちを爽やかにさせてくれる美しいピアノジャズでずっと聴いていられます。スタンダードの曲がほとんどで、これからの季節、夜にひとり静かに聴くのも良いと思います。Alfonso Gugliucciのアルバムはほかにもたくさんありどれも聴きやすいのでファンになりました。《R.O.》

Alfonso Gugliucci “Love Expressions”

1-Embraceable You 3:52
2-Bluesette 3:38
3-Stella By Starlight 3:47
4-Invitation 4:28
5-Tenderly 4:35
6-My Foolish Heart (Jazz Trio) 3:37
7-My Funny Valentine 5:55
8-Beautiful Love 4:46
9-Round Midnight 4:21
10-Night and Day 4:56
11-You Don’t Know What Love Is 3:54
12-All the Things You Are 4:00

編集後記「ファイル検索」

3年前に作成し、保存していた(そのつもりだった)ファイルが、今になって必要になったので、PCやUSBメモリ、SDカードメモリの中まで探したのですがなかなか見当たりませんでした。昨年PCを替えたときにファイルを保存し忘れたのかと思い不安になりました。もしかしてデータ保存のためにラップトップに移した可能性があるので探したのですがなかなか見つかりません。ファイル名をはっきり覚えていなかったのですがダメもとでファイル検索するとそれらしいファイルがユーザーフォルダから見つかりました。どうやらいつも保存するドキュメントフォルダや自動で保存されることがあるOneDriveの中だけを探していたようです。今更ですがWindows10の検索機能は役に立ちます。もしファイルが迷子になったら試してみてください。大切なデータはバックアップを取ってわかりやすいところに保存するようにしたいものです。《R.O.》

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