雑貨屋ウィークリー1324号

雑貨屋のひとり言「移住したい国 日本は2位」

ネットで “「移住したい国」日本は2位北米、東南アジアの人々から強い支持” という記事がありました。モバイル国際送金サービスを提供する米レミトリー社がまとめたもので、同社は世界101の国と地域で行われたグーグル検索の結果を分析し、海外移住に関連するキーワードと同時に検索された移住先を抽出し、最も多く検索された移住先を検索元の国別に集計したところ、30ヶ国から支持されたカナダが1位となりました。

The Most Popular Countries for Moving Abroad | Remitly
We used search data to find the most popular destinations around the world for people looking to move overseas. See what...

カナダは治安が良く移民に寛容、低い失業率だというところと自然豊かで美しい景色があることなどが人気の理由のようです。私もカナダに5年間住んだことがあるのでわかります。大変興味深いのはカナダの人々が移住を望んでいるのが2位に選ばれた日本だったということです。魅力的な風景と安全性そして無数の雇用機会が人気らしいのです。雇用機会に関してはちょっと首を傾げてしまうところがありますが、何はともあれ日本という国に良い印象を持ってくれているのが嬉しいですね。日本を再認識する旅行をするのが良いなあと思ってきました。《R.O.》

川柳(東京・成近)

 ( 川  柳 )

べらぼーをつんのめらせた京訛 

お見舞いの彼女に熱がなお上がり

渋柿の艶と色気に言い寄られ

参詣のミニに仁王の目が泳ぎ

髪きりり涙の武器は捨てました

(ニュースひとりよがり)

「台風一過」

ここ以外は ―永田町

「あつささむさも」

彼岸過ぎまで ―自民党

「恒大集団」

安心安全ですか ―菅首相

河合成近

龍翁余話(697)「論語読みの論語知らず」

時代劇で、武家の少年たちが机に向かって「子曰く、学びて時にこれを習う、また悦ばしからずや、朋(とも)有り 遠方より来る、また楽しからずや・・・・」を朗読している場面を、よく観る。「子(し)」とは古代中国の思想家・哲学者の孔子(こうし)のことで、

「子曰く(し いわく)」に始まるこの文献を“論語”と言い、孔子と弟子たちの教えをまとめた儒教の根本思想書である――そのことを知ったのは翁が中学生になった頃だったが以後「学びて時にこれを習う」こともせず、時は流れた。

1970年(昭和45年)頃から翁は仕事(映像制作)の関係で台湾の人々との交流が始まり、マスコミ人・政治家・財界人・教育者・文化人・芸能人など各界に知己を得た。台湾では特別に親しくなると“家庭食事会”に招かれるようになる。そんな機会に翁、台湾の息子や娘たちが、いかに両親を敬い大切にしているかを知る。特に親交の深かったC家、ご両親は先年亡くなられたが、その家族とは今でも付き合いが続いている。また1988年(昭和63年)のソウル五輪(9月17日~10月2日)の数カ月前(春)、翁は韓国各地を取材した。その時、韓国観光公社の紹介で日本語の達者な青年L君をコーディネーターに雇い、頑張って貰った。打ち上げの夜、翁、ソウル市内の某韓国料理店に彼の両親も招いて慰労会を催した。その席でのこと、翁がL君にビールを勧めた。L君、隣の父親の顔を見た(父親に許可を求めたのだ)。父親が微笑んで頷く。翁がL君のコップにビールを注ぐと彼、横を向いて少しだけ口にした。今どき日本ではほとんど見ることが出来ない、何と慎ましい光景だろうか。台湾と言い、韓国と言い、未だに親を敬い親に従う“幸心”が残っていることを知った。言うまでもなく一般市民の間(1部)では“儒教”が生きているのだ。論語にもある「子曰く、親を敬せずんば孝に非ず(親を敬い従う心が無ければ孝ではない)」――

翁は若い頃、台湾・韓国・長崎市・熊本(菊池市)・佐賀(多久市)などの孔子廟(儒教の創始者・孔子を祀る霊廟)を訪れたことがあるが、それはまだ積極的に論語を学ぶ旅ではなかった。その後もしばらくは翁の精神の拠り所から孔子も論語も離れていた。ところが1993年(平成5年)の4月に(たまたま)東京の湯島聖堂を参観する機会があって孔子の生誕年(紀元前551年頃)や孔子が思想家として活躍した中国春秋時代の中期(紀元前520年頃)、そして儒教思想とは、などの基礎的知識を得た時、再び論語に近づきたいとの思いに駆られ、その年(平成5年)の9月、栃木県足利市にある『史跡・足利学校』を訪ねた。

『足利学校』は平安時代初期の創設とされており“日本最古の学校”と伝えられている。学校史には1549年にフランシスコ・ザビエル(スペイン人、キリスト教司祭・宣教師)来校、1561年から天海僧正(徳川家康が頼りにした天台宗僧侶)が4年間在学、1587年にルイス・フロイス(ポルトガル人のキリスト教祭司・宣教師)が来校し、「関東随一の大学」と記している。幕末まで江戸幕府から保護(100石)を受ける。今、NHK大河ドラマで人気の高い渋沢栄一も1910年(明治43年、70歳の時)に来校したとの記録がある。

さて翁が『足利学校』を訪問したのは、まだ残暑が厳しい9月中旬だった。予約時間より早く到着したので「入徳門」(学校の敷地に入る最初の門)から「学校門」「杏壇門」(学問を始める門)をくぐり正面の「孔子廟」に拝礼(ここまでの施設は国の史跡指定)、「南庭園」を通って「玄関」へ。出迎えてくれた書生風の青年に案内されて「方丈」(多目的使用の大広間)を見学、そして「書院」(床の間のある書斎、昔は武家や貴族などの客殿)に通された。数分後にスーツ姿の品のいい紳士が現われ、翁に“歓迎”の挨拶をしてくれた。その紳士がどういうお方だったか(迂闊にも確認しなかったが)今思うと庠主(しょうしゅ=校長)ではなかっただろうか――

無作法にも正座が出来ない翁を咎めもせず、親切に“論語抄”を説いてくれた。この儒教の入門書“論語抄”には分かり易く孔子の思想を伝える63句(遺訓)が収められている。中でも、翁が特に(熱を帯びて)聴き入った言葉は「子貢(しこう)問いて曰く、一言にして以て終身之(これ)行なうべきもの有りや」と。「子曰く、其(そ)れ“恕”(じょ)なり」と。門人十哲の1人、子貢が師(孔子)に質問した。「生涯貫き通さねばならない一語がありますか?」孔子は言った「それは恕(思いやり)である」と――実は翁、1967年(昭和42年)から(当時、日本で生涯学習推進の先駆者の1人だった)佐野元生先生に誘われて(本業=映像制作のかたわら)生涯学習推進団体「財団法人日本余暇文化振興会」(文部省社会教育局認可)設立のお手伝いをしていた時、発起人の1人・栗原一登先生(女優・栗原小巻さんの父君、当時、日本児童演劇協会会長)から“恕”についてご教授いただいていた。栗原先生は、孔子の「思いやり」に加えて「相手の人格を理解し、互いに人間としての尊厳を認め合う」(ヒューマン・リレーションシップ)の重要性を説かれた。爾来“恕の精神”が翁の座右の銘の1つになったことは言うまでもない。『足利学校』で“論語抄”の“恕”に出会った時、翁、今更ながら栗原先生の多方面に亘る造詣の深さに感じ入ったものだ。

『足利学校』では“論語抄”の解説の後、儒教の原理(思想)“五常(五典)”「仁・義・禮・智・信」についても特別講義を頂戴した。それもまた翁の人生観を拡げるに充分な授業であった。約2時間の“儒教学習”は、その後の翁の人生にとって眞に貴重な“生涯学習”であった。ただ翁、1993年の『足利学校』訪問以来、今日までの28年間、“論語抄”を片時も手放したことは無く、時として“論語読み”を試みているが(内容は理解しているつもりでも)未だ我が身に染みていない「論語読みの論語知らず」を自覚する。毎年9月の今頃『足利学校』を思い出しながら、未だに“儒教理念”に1歩も近づくことが出来ていない己れの未熟さを悔いているのである・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「秋」

店先に栗が並んでいるのを見たのが9月の上旬、ああ、もうそんな季節になったのだな~と栗の季節を懐かしく思った。もう少ししたら洋菓子店には様々なモンブランのケーキが並び銘菓では栗を使った和菓子が出回る季節だ。残念ながら私のお気に入りの栗の和菓子は、まだ出ていない。

そして9月半ば頃になると、どこからともなく金木犀の香りが、ほのかに匂い始めた。その日を境にストンと秋がやってきた感じだ。公園では咲き始めたコスモスが高くなった青空に映えて風にゆらゆら揺れている姿が印象的だった。

さて、今回は中秋の名月を2回も見る事になった。9月21日の夜、弟の車で羽田まで送ってもらう途中、満月の中秋の名月を見た。何でも8年ぶりの満月だったそうだ。羽田空港は相変わらず今年の春と同じくガラガラで夜の8時以降は飲食店もギフトショップも閉まっていて、ひっそりしていた。空いているのは一階入り口にあるローソンぐらいだ。いつも活気に溢れ人の往来が多い羽田空港なのに人がいなく照明が暗いと寂しい感じがする。

そんな中、私は前回と同様に保険がカバーしない高額なPCR検査(毎回、約24000円前後)をオンラインでやり陰性証明書とトラベルフォームと誓約書を用意して飛行機に乗った。今回も40パーセントぐらいの乗客しか乗っていなかったので4つの座席を一人占めし横になって寝られたので楽だった。フライト便も減り、乗るお客様も減り飛行機会社の経営は大変だろう。一時的に職場を離れ待機しながら同じ系列の子会社で働くスチュワーデスの人達の姿を捉えたドキュメンタリー番組を見た。中には介護施設で食事を運んでいる人もいた。いつかそのような経験が生かされる時が来るようにと、、、、皆、其々の立場、環境で頑張っているのだな~としみじみ思う。

飛行機がLAに到着して、まっすぐ入国手続きへ向かいパスポートとグリーンカードを見せ(昨年からずいぶん簡素な手続きに変わった。)預けたスーツケースをピックアップするまで約15分。今回も超早かった。ずっと座席に座りっぱなしだったのでウオーミングアップに歩きたくなった。ちょうど火曜日は定例ハイキングの日。固まった筋肉をほぐしたかったので一旦家に戻り荷物を置いてハイキングブーツに履き替えてPVの山へハイキングに向かった。夕暮れ時から歩き始め帰りはPVからサンペドロに向かって歩いていたら正面に大きな月が見えた。すっかり忘れていたけれど、それは中秋の、米国から見た2回目の満月だった。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ Claude Williamson Trio “Autumn in New York”

ジャズを聴くときはMarantzのCD Receiter M-CR610はWiFiでAmazon Prime Musicのアルバムを再生していたのですが、AirPlayの調子が不安定なのでKenwoodのコンポシステムR-K711に替えました。iPad上でAmazon Prime Musicのジャズアルバムを選択しAmazon Echo DotにBluetoothで飛ばしその出力をRCAコードでKenwoodのコンポシステムに繋いで聴くようにしたのだ使いやすくなりました。M-CR610はインタネットラジオを聴くという新しい使い方をしています。

朝食を摂りながらジャズを流しています。Claude Williamson Trioの“Autumn In New York”が耳に心地よく気に入っています。

Claude Williamson Trio “Autumn in New York”

1. Linear Motion 《 A. Haig 》(8:17) 
2. Autumn In New York 《 V. Duke 》(7:23) 
3. Samba Lhasa 《 A. Haig 》(4:18) 
4. Manhattan 《 Rogers – Hart 》(5:50) 
5. News From Blueport 《 B. Crow》 (4:14) 
6. I Want To Be Happy 《 Youmans-Kahn 》 (3:39) 
7. Moonlight In Vermont 《 Suessdori – Blackburn 》 (6:04) 
8. Crow’s Other Nest 《 C. Williamson 》 (4:43) 
9. How About You 《 B. Lane 》 (4:34) 
10. Over The Rainbow 《 H. Arlen 》(7:41) 

Claude Williamson – piano 
Bill Crow – bass 
David Jones – drums 

Recorded at Van Gelder Studio in New Jersey on April 22nd & 23rd, 1995 

編集後記「iOS15がリリースされました」

先週、iPhone.iPadのOS、iOS15がリリースされました。さっそく愛用のiPadをiOS15にアップグレードしてみました。機能については下記のページでご覧になれます。 https://www.apple.com/jp/ios/ios-15/features/

たくさんありすぎてとても使い切れませんが、YouTubeで使い方が紹介されていますので参考にすれば良いと思います。私は画面を分割できるSprit Viewが気に入って使っていますが、使いやすくなりました。便利な反面、気をつけなければならないことがあります。自分のIPアドレスやSafariの閲覧履歴が非公開になる、iCloud+のプライバシー保護機能「プライベートリレー」によって、課金対象ではないモバイルのデータ利用量がカウントされてしまいます。つまり、せっかく無料プランで使用できていたものがこの機能によって携帯会社が契約者を特定できなくなり課金されてしまうという悲劇が起こるのです。この場合はプライベートリレーをオフにしておく必要があります。携帯会社から注意のメールが届いていると思います。《R.O.》

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