雑貨屋ウィークリー1320号

雑貨屋のひとり言「メリハリのある生活をします」

今月は定期的に診てもらっている眼科、糖尿内科、歯科を受診しました。いずれも特に問題がありませんでした。うれしいことに糖尿内科のチェックでHbA1Cは4か月前と比べ数値が下がり、血管の硬さや血管のつまりも実年齢相応で問題ありませんでした。4か月前までHbA1Cの数値がなかなか下がらないので数値を下げるためにいろいろなことを試みてきました。朝と夜のヨガ、夕食後の散歩、週に3度くらいのスクワッド、手のツボマッサージを(すい臓、甲状腺、副腎)毎日行うなども効果があったかもしれませんが、お酒の量を減らしたことが大きかったと思います。飲酒しない日を多く設け、飲んでもたくさん飲まないことを徹底しました。お酒は楽しく適度に飲めばいいと思うのですが、怖いのは自分は少ししか飲んでいないつもりでも、ずるずると飲み続けてしまう常習性があることです。別にアルコール中毒でなくてもその傾向はあると思います。ですからさらに数値を下げるためには強い意志を持ってメリハリのある生活をすることが大事だと思っています。私の場合は2~3か月ごとに検査を受けているので、HbA1Cの数値が高くならないようにしようと意識が働いています。お酒をやめる必要はないので、これからもうまく工夫しながら改善していこうと思います。《R.O.》

川柳(東京・成近)

 ( 川  柳 )

言い分は伏せてパセリに甘んじる

譲れない一線は持つイエスマン

も一人の自分に弱気叱られる

走れ走れいつか追い風きっと吹く

ジグゾーを埋め夢の字をなお目指す

(ニュースひとりよがり)

「藤井2冠が王位防衛」

あの手この手を教わりたい ―菅首相

「各地で地崩れ」

横浜では地盤崩れが ―菅首相も

「連日過去最高」

こっちは何十年連続だ ―国の借金

河合成近

龍翁余話(693)「マテ茶の思い出」

9月1日は「防災の日」であることは誰もが知っている。だが、もう1つ『マテ茶の日』でもあることをご存知だろうか――『マテ茶』と言うのは南米のアルゼンチン・ブラジル・パラグアイで生産されている飲料で、モチノキ科の灌木の葉や枝を乾燥させ、粉砕、精製したものに水やお湯を加えて飲用するお茶のようなもの。もともとパラグアイの原住民・グアラニー族が、人間に活力を与える不思議な木として飲用を始めたのが起源とされている。鉄分・カルシウム・ビタミンA・Bを多く含んでおり、通称“飲むサラダ”として既に日本でも親しまれている。9月1日を『マテ茶の日』としたのは1985年に設立した日本マテ茶協会が制定したもの。理由は、マテ茶の生産国の1つアルゼンチンで9月1日に“マテ茶収穫祭”が行なわれていることに起因する。

実は翁、この『マテ茶』については、かなり懐かしい思い出と愛着がある。その訳は――今から35年前の1986年の秋「パラグアイ日本人移住50周年記念式典」が開催され、常陸宮殿下・華子妃殿下がご臨席、両殿下の随行取材(テレビ番組撮影)班として翁、弊社の撮影クルー5人を率いて(両殿下ご到着の3日前に)パラグアイに入り、日本パラグアイ協会会長・二階堂進氏(自民党副総裁=いずれも当時)の親書を携えて大統領府にてアルフレッド・ストロエスネル大統領(当時)を表敬訪問、同大統領からも”歓迎“の言葉を頂いた。その席に立ち会われた閣僚・サマニエゴ国防大臣、ミランダ女史(大統領府官房副長官)(いずれも当時)との出会いが、翁の“マテ茶入門”に繋がる。

ちょっと本論から外れるが、実は翁、パラグアイ取材が決まってから“パラグアイ学習”をするため在日パラグアイ共和国大使館を訪ねたりしていた時、ある友人が“パラグアイの閣僚と親しい人物”を紹介してくれた。その“人物”というのは静岡市在住の森 好美(もり よしみ)さんと言う翁と同年配のご婦人。森さんは1980年~82年、パラグアイの首都アスンシオンに住み、サマニエゴ氏やミランダ女史と親交を重ねた。森さんが何故、パラグアイに行ったか、そして何故、政府高官との交流が生じたか、それは実に人間的・国際親善的なドラマがあったのだが、今号ではスペースの関係で割愛する。なお、森さんの長女・恵(めぐみ)さんもJICA(国際協力機構)海外協力隊員として母親と同じ1980年に渡パ、1986年までの6年間、アスンシオン日本語学校で日本語教師を務めた(翁がパラグアイへ取材に行く前に帰国)。彼女の““パラグアイ観”も大いに参考になった。

さて、『マテ茶の思い出』――翁が初めてマテ茶を知ったのは(前述の)サマニエゴ国防大臣のホームパーティに招かれた時のことだった。ミランダ女史ほか政府要人約20人も同席、賑やかなバーベキュー・パーティ。アルコールがダメな翁、マンゴージュースを飲んでいたらミランダ女史が近寄って来て小さな樽の形のコップに(ごつい)ストローを入れたものを差し出した。翁は一瞬“これは何だ?”と驚いた(顔をしていたのだろう)、ミランダ女史は微笑んで「これは“マテ”と言うパラグアイの一般的な飲み物。ミネラルほかビタミンなど栄養価の高い(日本の)お茶のようなもの、水で浸しています、どうぞ」翁(恐る恐る)ストローで軽くひと口飲んだ。“まずい”が、さすがに顔には出せない。すると女史は「私もいただきます」と言って翁が吸ったストローをご自分の口に入れて美味しそうに“マテ”を飲んだ。「パラグアイでは同じストローで一緒に飲むのは友情のあかし。これで、あなたと私は親友になりました」。通訳の女性(パラグアイ政府職員)も明るい表情で「ミランダさんが、こんなこと(同じストローでマテを飲むこと)をしたのを初めて見ました」と、そっと打ち明けてくれた。実に“光栄”であった。ミランダ女史の“翁との友情”は、翁が(前述の)森さんと友人であることと、二階堂氏の(大統領への)親書を携え表敬訪問したこと、などがあったからだろう(と翁、推測した)。

翁は約10日間パラグアイに滞在中、すっかり“マテ茶愛飲家”になった。しかし“マテ茶の飲み回し”には閉口した。本来、潔癖症の翁は、他人が口を付けたコップや茶碗などを使うことはけっしてしないのだが、“郷に入れば郷に従え”で、嫌々ながら(ストローの飲み口をそっと拭いて)飲むフリだけした。“コロナ禍”のこの時期は、”飲み見回し“はないだろう。(写真は、ミランダ女史から翁にプレゼントされた茶器=木や動物の角などで作ったカップ「グアンパ」と、ストロー「ボンビーリャ」)。

常陸宮殿下・華子妃殿下をお迎えしての国家行事(式典・記念植樹祭・大統領主催晩餐会・国防大臣主催昼食会)にはストロエスネル大統領・サマニエゴ国防大臣・ミランダ女史ほか多数の閣僚、それに坂本重太郎駐パラグアイ日本大使(当時)が参席、その他、両殿下が訪問される場所には、必ずミランダ女史や政府高官、坂本大使らが随行された。翁にとって『マテ茶の思い出』は即ち『パラグアイの思い出』と言うことになる。両殿下がパラグアイをお発ちになった後、坂本大使と翁、2人プレーでゴルフをしたことも楽しい思い出の1つ。更に『パラグアイ日本人移住50周年記念式典』に賛同(翁の番組撮影に協力)、アスンシオン公会堂で公演をしてくれた歌手・南こうせつさんにも大いに感謝・・・

今年は「パラグアイ日本人移住85年」。中国人や朝鮮人はパラグアイ人の居住エリアに割り込んでタウンを形成、多くのパラグアイ人の反感を買ったが、日本人移住者たちは町から離れたジャングルを開拓、独自の経済圏・文化圏を確立、近年では同国に対する経済貢献も大きく同国民からの尊敬と信頼度も高い。翁が35年前にお世話になった政府関係者やパラグアイの人々、日系人の多くは既に故人となられたが『マテ茶』と一緒に、今もなお翁の思い出の中にしっかり生きている・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「暑さと虫除け対策」

この夏の暑い真っ盛りに日本で過ごすのは、どのくらいぶりだろうか、、、もう十数年は過ごしていなかっただろうと思う。
昨年は熱中症でここのご近所の方もだいぶ病院に搬送されたそうだ。朝から晩まで救急車の絶え間ない音とTVでは必要以上にコロナで恐怖を煽り母もすっかり昨年の夏は精神的に参ってしまっていた。それで今年は、母の手伝いに一番暑い時期に日本に帰る事に決めたのだ。今年も夏祭りは中止になり避暑地への旅行も自粛させられ本当に残念だ。

ともかく日本の暑さ対策には、どんなものがいいのか店に行ってあれこれ購入してみた。買い物に行く場合は午前中、日陰になっている場所を選んで少し遠回りでも日陰の道を歩く様にした。首には濡らすと冷たくなるスカーフを袋縫にして、その中に凍らせたアイスノンを入れると首が冷え冷えで気持ちがいい。それでも気温が35度にもなると15分歩くだけでも厳しい暑さだ。途中、ショッピングカートを引っぱったり押したりしながら買い物に出かけている高齢者の方を見ると倒れそうに歩いていて知らない人でも買い物ぐらい手伝ってあげたい気持ちに駆られる。

天気予報では32度になったら高齢者の方に冷房を使う様に促してくださいと言っていた。おそらく夏は暑いのが当たり前、これくらい我慢と戦争中、また戦後間もない時代を生き抜いてこられた方は冷房を使う事に抵抗があるのだろう。昔は緑も田んぼもあって日暮ゼミが鳴く頃には涼しい風が吹いたりしてここまで温度も上がらなかったのだと思う。けれど今は夜も熱帯夜。まるで夏のラスベガスの夜の外の空気を思い出させる様だ。夜間も冷房を切らないでくださいと天気予報の人が言うのもわかるくらい危険レベルで変わってきているのだ。それに合わせてライフスタイルも変えないとやっていけない。

もう一つ夏の対策で必要なのは虫対策。私にとって苦手なのは蚊。やはり虫除け対策であれこれ購入したので今のところマーケットで一回だけしか蚊に刺されていない。私の場合、刺されるとおもいっきり腫れて酷くなるから大変なのだ。以前、ヨセミテでキャンプをした時は蚊帳を木から吊して食事をして香取線香を焚いたり蚊の嫌いな音(人間には聞こえないレベル)を出すポケットサイズの虫除けを持って行ったりスプレーをしたりした。蚊はアルコールを飲んだ人の体から発散する二酸化炭素の匂いが好きらしくビールが好きな友人はちょっとした隙に蚊の餌食になっていた。

それにしても、ちょっと見ただけでも日本はあらゆる夏の対策グッズが売られていて興味深い。世界では夏の暑さ対策、虫対策はどんなものが使われているのだろうか、、、、、暑さ寒さも彼岸まで、、、後もう少しで夏のピークも終わる。

皆様、残暑お見舞い申し上げます。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ “Red Garland’s Piano” Red Garland

昨日は訳あって孫の面倒を見ることになりました。彼らがかわいそうなのはコロナと暑さで家の中にいることが多いのでストレスになることです。孫たちは家の中で暴れ回ります。大きい声を聞いていると結構疲れます。私たち家族が渡米した時の子供の年齢と同じくらいですから当時はこんな感じだったかなあと思いだしながら見ていました。彼らが帰った後は嵐が去ったようでとても静かで平和です。夜になってようやくジャズが聴けるようになってアルバムを探しました。久々にRed Garlandのピアノジャズを聴いてホッとしています。Red Garland’s Pianoというアルバムです。歯切れの良いリズミカルなピアノは心をウキウキさせてくれます。1956年に録音されたアルバムとは思えない素晴らしい録音です。

Red Garland’s Piano Red Garland

Paul Chambers (b)
Art Taylor (ds)
Red Garland (p)
1956年12月14日,1957年3月22日録音

01 Please Send Me Someone To Love
02 Stompin’ At The Savoy
03 The Very Thought Of You
04 Almost Like Being In Love
05 If I Were A Bell
06 I Know Why (And So Do You)
07 I Can’t Give You Anything But Love
08 But Not For Me

編集後記「スマホ依存になってませんか」

スマホは私たちの生活を一変させ、もうスマホのない生活は考えられません。でも私たちはちょっとスマホに依存し過ぎていると思います。スマホに頼りすぎると自分の電話番号も覚えていない人もいるのではないでしょうか。落としたりなくしたりしたらどうするのでしょうか。雑貨屋のお役立ち情報で3月13日に投稿した「スマホを失くしたら」を参考にされてはいかがでしょうか?

先日、スマホを見ていたために踏切の遮断機の中にいることに気づかず電車に接触して命を落とした気の毒な事故がありました。恐ろしいことです。でももっと恐ろしいと思うのは周りの人もスマホを見ていて誰もその人の存在に気づかなかったということです。誰かが見ていれば防ぐことができた事故ですから残念です。歩いていてもスマホの小さな画面に集中している姿は異常な感じがします。スマホはあくまでツールですから、スマホに振り回されないようにしたいものです。私達には五感というものが備わっているのですから自分の目で、耳で、肌で感じるものを大事にしたいと思います。《R.O.》

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