雑貨屋のひとり言「お酒を少しだけ飲んでいます」
私は毎日少しだけお酒を飲みます。一日のアルコール摂取量を20g以下で楽しむようにしています。焼酎なら100ml、日本酒なら1合、ウィスキーならハイボール2杯程度です。ビールが飲みたいときは0.5%のAsahiのBeeryにしています。数年前までは考えられない量になっています。体がこれに慣れてきているのでこれで十分です。量は飲まないので味わいのあるお酒を選ぶようにしています。私が愛飲しているウィスキーは本坊酒造のマルス信州蒸留所でつくられた”Twin Alps”というブレンドウィスキーです。ブレンドスコッチウィスキーのDeward’sやBallantine’s、アイリッシュウィスキーのJamesonなども飲みやすくて良いと思います。
家から歩いて30分ほどのところに豊富な品ぞろえの酒屋があることがわかり行ってみました。夏日だった先週水曜日の午後、その酒屋まで歩いて行く途中、南さん(トロントで出会った友人)から電話がありました。「何か楽しいことをされていますか?」と聞かれたので、「美味しいウィスキーを買いに酒屋まで歩いているところです」という話をしていたら一本道を間違えてちょっと遠回りになりましたがYouTubeで紹介されていた手ごろな価格で味わいのあるウィスキーを2本見つけることができました。The Famouse Grouseというブレンドスコッチウィスキーです。これまで飲んだスコッチウィスキーのなかでこれが一番好きです。それともう一本シングルモルトスコッチウィスキーThe Glenlivet 12を買いました。これはまだ飲んでいませんが飲んだらこれが一番になるかもしれません。
ネットでその酒屋の情報を調べてから行ったのですが、口コミのところに品ぞろえが豊富であることと、店員の愛想が悪いことが書かれてありました。そういえばレジで支払いをするとき店員さんと少ししゃべったのですが、返ってくる答えが短い一言だけだったのでこのことだったのかと思いながら家に帰りました。《R.O.》
川柳(東京・成近)
(川 柳)
アナログの汗を流してきた昭和
社史語る煙突邪魔にされて立ち
失恋もいい思い出となる老後
氏素性忘れましたとホームレス
戦争が昔話でなく今も
( ニュースひとりよがり)
「パーテイに2800人」
密もいいもんだ ―安部派
「玉ねぎ価格が3倍に」
刻む前に涙が ―主婦
「100号、101号」連発」
ちむどんどん ―大谷ファン
河合成近
龍翁余話(730)「日本のゴルフ史」
『龍翁余話』のテーマに久しぶりの“ゴルフ”が登場。ゴルフ好きの翁、いささか気持ちがハイになり、あれも書きたい、これも書きたいと気が焦る。が、逸(はや)る気を抑えて今号は5月24日の『ゴルフ場記念日』に際し、「我が国のゴルフの発祥」や「これまでのゴルフブーム」など『日本のゴルフ史』を時系列で振り返ってみる。
日本ゴルフ協会の資料によると、1901年(明治34年)にアーサー・グルーム(1846年~1918年)と言う英国人貿易商人が神戸・六甲山に(仲間と一緒に)手造りで4ホールを造り、2年後の1903年(明治36年)に9ホールを完成させ、「神戸ゴルフ倶楽部」と命名して同年5月24日に日本で初めてゴルフ大会を開催した、その日が日本ゴルフ発祥の日とされ、同時に『ゴルフ場記念日』に制定されたと記されている(いつ、誰が決めたか不明)。「神戸ゴルフ倶楽部」は、その後18ホール(パー5のロングホールが無い)パー61のコースとなり今も健在。
余談だが翁、かつて「坂本龍馬の亀山社中(海援隊の前身)の歩み」を調べている時、このアーサー・グルームと言う人物の名を知った。1861年(文久1年)に、かの有名な「グラバー商会」をトーマス・グラバーと共同で設立した(アーサー・グルームの兄)フランシス・グルームの勧めで来日し「グラバー商会」に入社、1968年(慶応4年)4月に神戸支店開設のため神戸に着任、その後、彼は風光明媚な六甲山に魅せられ別荘を建て“六甲山開発”に取り組んだ。その功績で後年、彼は「六甲山開祖」と呼ばれるようになった。なお「グラバー商会と坂本龍馬の関り」については、いずれかの機会に――(本題に戻る)
確かに「日本のゴルフの起源」は、1903年の「神戸ゴルフ倶楽部」開設からだが、1913年(大正2年)に東京・駒沢(現在の駒沢オリンピック公園)に「東京ゴルフ倶楽部」(東京で最古のゴルフ場)が誕生、当初は9ホールで発足。昭和天皇が皇太子(摂政宮)時代に、ここでプレーされたとか。1926年(大正15年)に更に9ホール増設、18ホールの規模になった。なお「東京ゴルフ倶楽部・駒沢」は1941年に閉鎖して埼玉県狭山市に移転(昨年の東京五輪ゴルフ会場となった)「霞が関カンツリー倶楽部」に隣接している。(話は前後するが)日本で初めて正式なゴルフコースとして認められたのは1922年(大正11年)に開業した「保土ヶ谷カントリー倶楽部」(神奈川県)である。この保土ヶ谷カントリー倶楽部に所属していたのが日本男子プロゴルファーの草分け中村寅吉。戦後、この人の活躍が日本のゴルフを隆盛に導いたと言っても過言ではあるまい。1957年(昭和32年)に第5回「カナダカップ」(現在のワールドカップ)が、奇しくも(前述の)昨年の東京五輪ゴルフ大会の会場となった「霞が関カンツリー倶楽部」で開催され、何と中村が海外の強豪を抑えて個人優勝、また、中村・小野光一のペアが団体優勝を果たした。そこから日本の第1次ゴルフブームが始まる。この「カナダカップ」は9年後(1966年)に再び日本で開催、会場は「東京読売カントリークラブ」(現在の「東京よみうりカントリークラブ」)、アメリカからジャック・ニクラウス、アーノルド・パーマー、南アフリカからゲーリー・プレーヤーの世界3大スーパースターの競演でまたも日本に第2次ゴルフブームが巻き起こった。なお、この大会で杉本英世が個人戦で準優勝。この頃から日本列島の北から南までゴルフ場建設が急速に拡がる。なお、第2次ゴルフブームの立役者としては杉本英世のほか「神戸ゴルフ倶楽部」で育った宮本留吉ほか林由郎、橘田 規(きった ただし)らの活躍も忘れてはならない。但し、この時代まではまだ「ゴルフは金持ちの遊び、庶民にとっては高嶺の花」だった。ところが――
1970年代~90年代、青木功、尾崎将司、中嶋常幸のいわゆる「AON時代」が到来、高度経済成長とリンクして彼らの活躍で日本ゴルフ界は急速な発展を遂げ第3次ゴルフブームを迎えた。特に青木が1983年(昭和58年)の「ハワイアン・オープン」(現ソニー・オープン)で日本男子初優勝、たちかち彼は「世界のアオキ」になった。第3次ゴルフブームは男子ばかりではない、女子プロの樋口久子は(青木より先の)1977年(昭和52年)に全米女子プロゴルフ選手権に優勝、アジア人初のメジャー制覇を果たし「世界のヒサコ」となっている。岡本綾子もアメリカツアーで大活躍、1987年(昭和62年)にはアメリカ人以外で史上初のLPGAツアー賞金女王になり“アヤコ・ブーム”を巻き起こしたことは、まだ記憶に新しい。この時代、ゴルフ界では男女共に多くのスター選手が誕生、いずれも『日本ゴルフ史』に名を連ねている。この頃からゴルフは庶民スポーツとなり“猫も杓子”もゴルフ熱に浮かれ出した。ゴルフに関しては晩生(おくて)だった翁もこの頃になって、やっと“杓子”の仲間入りをし「AON」や岡本綾子のゴルフ番組にかじりついたものだ。
さて、今世紀に入り、宮里藍と言う天才少女が現われ、国内ツアーは勿論、渡米してからも大活躍、2010年には世界ランク第1位にも輝き“藍ちゃんブーム”を巻き起こした。男子では(これも天才少年と詠われた)石川遼が高校1年生でプロツアーを制し日本中に衝撃を与えた。そして間もなく(今や世界のトッププロ)松山英樹が登場、この時代を翁は第4次ゴルフブームと呼ぶ。そして2019年「全英女子オープン」で澁野日向子が日本人として樋口久子以来42年ぶりに海外メジャー優勝。女子プロ界では「澁野に続け」とばかり若い選手が雨後の筍の如く出現。女子ゴルフ界では1998年~2000年生まれを「黄金世代」、それより歳下を「プラチナ世代」とか「21世紀少女」とか呼ばれている現在を(翁は)第5次ゴルフブームとする。それにしても今の女子プロは、どの選手も技術が優れているので誰が優勝するか分からないワクワク感があって面白い。翁はなかなか選手の名を覚えられないが、次々と現れる“スター選手”によって『日本のゴルフ史』も賑やかになって行くだろう。これまでの名選手のほか、昨年の東京五輪で準優勝した稲見萌寧(いなみ もね)の名も『日本のゴルフ史』に刻んでおきたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
茶子のスパイス研究「日本のお宝探し旅⑥―2」日本の着物
霧島神宮駅から南宮崎行の霧島号に乗った時、着物姿に帽子でスーツケースを持って旅行している人を見かけた。以前も観光列車に乗った時に“旅はいつも着物です”とおっしゃっていた人がいた。今まで着物で旅行をしている男性を見かけたのは2人目。珍しいその姿が私には新鮮に見えて粋だな~と思った。
聞いて見ると日本の着物の良さに気が付いたのは、まだ最近の事だとか、、、初めは浴衣を着る事からスタートしたと言っていた。“女性の場合、着物を着るのは大変ですよね、でも皆もっと着物を着れば、その良さがわかるのに、、、”とも言っていた。米国で看護婦さんの仕事をしていた友人は帰国してから着物の着付け教室に通い始めた。今はお茶も習い始めていると言っていた。私の場合は日本文化の良さを外国人に教えられ改めて気が付くようになった。まだ着物を着るところまで至っていないけれど、日本の絹や麻や日本の木綿が体にも良く価値がある事を見直すようになってきたところだ。その着物姿で旅をしていた人は浅草から来たと言っていた。最近は若者を中心に浅草には着物文化が根付いているようだ。その人に九州のどこを回ってきたのか聞くと今回は知覧と指宿に行ってきたと言っていた。2か所とも私が行きたかったけれど時間の関係で諦めた場所だ。特に知覧はいつか必ず行こうと思っている。きっとその人もそれなりの思いがあって知覧を訪れたのだろう。
着物と言えば祖母が残していった着物の中に大島紬の着物がある。着物の価値がわからなかった私は何だか古びてくすんだような色合いの着物を見て“誰も着ないのだから処分してしまった方がいい”と言ったら母から“デパートで大島紬の値段を見てきなさい”と言われた。大島紬は鹿児島県の奄美大島が発祥の地なのだそうだ。泥染めと言って自然の植物や土の成分を利用して丁寧に染め上げられたものなのだそうだ。フランスのゴブラン織、イランのペルシャ絨毯、そして大島紬と世界の3大織物に選ばれるくらい大島紬は貴重な織物なのだそうだ。昔、祖母がこの大島紬を着ていた姿を遠くなった記憶の中でぼんやり思い出した。それにしてもデパートで大島紬の値段を見てびっくり。こんな我が家にも宝物があったというわけだ。
スパイス研究家 茶子
ジャズライフ Chantal Chamberland “Serendipity Street”
これまでたくさんの女性ボーカルのアルバムを聴いてきました。今日ご紹介するChantal Chamberlandのちょっとハスキーな歌声は魅力的で私の心に響きます。スローテンポの曲がとても落ち着きます。最近はこのアルバムを何度も聴いています。Chantal Chamberlandはカナダのケベック州出身(1965年生まれ)でアルバムの中にはフランス語で歌っている曲もあります。アルバムのジャケットだけ見ていると全く想像できない歌声が聴こえてきます。《R.O.》
01. It’s You
02. Time After Time
03. Solitude
04. Romance Me
05. Cry Me a River
06. Les Feuilles Mortes
07. Cheek to Cheek
08. Since I Fell for You
09. God Bless the Child
10. At Seventeen
11. Crazy
12. Across the Room
13. Summertime
14. At Last
15. Faded Valentine
16. Ne Me Quitte Pas
編集後記「AmazonからRefund」
アメリカのAmazonで注文したKlipschのスピーカーは4月25日に到着して、クレジット会社への支払いも済んでいたのですが、先週AmazonからスピーカーのShipping Feeの一部を返還しますという内容のメールが届きました。注文時、商品の値段とShipping Feeと関税の見積額を合計した額がその時の為替レートで計算され、それがそのまま請求額となるのですが、今回はその見積額より安くなったので差額を払い戻すということでした。返還額は1691JPYでしたが、こういう対応にちょっとうれしくなりました。《R.O.》
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