雑貨屋ウィークリー1353号

雑貨屋のひとり言「自宅療養から復帰しました」

10日の自宅療養期間を終えることができました。10日は長いです。長男、長女家族には幼稚園児がいて家の中で元気に暴れまわっていたのを想像すると大変だったと思います。買い物ができなかったので親戚、家族からの支援を受け本当に助かりました。保健所からの充実した支援物資も届きとてもありがたかったです。毎日保健所から電話があり、体調を聞いてくれました。ついでにお話ししますとコロナに感染すると生命保険会社から給付金がいただけます。自宅療養をした証明書を保健所かPCR検査を受けた病院に発行してもらいそれを保険会社に給付金申請書といっしょに送付します。私の住んでいる市の保健所は2月ごろまでは感染者には証明書を発行してくれていたようですが、感染者数が多すぎて対応できず、ネットで申請した人だけに発行するようになっています。申請しても相当日数がかかります。PCR検査を受けた病院や医院で発行してもらうのが一番簡単で早いようです。こんな情報が無駄になってくれることを祈ります。《R.O.》

川柳(東京・成近)

(川 柳)

合併で序列の椅子が蹴飛ばされ

ゴミ箱で俺の名刺がほぞを噛む

AIに椅子取りゲーム割り込まれ

目標を完走に変え折り返す

斜滑降俺には俺の道がある

( ニュースひとりよがり)

「変異株BA.2。EX」

一番怖いのはZ —オミクロン

「出し物」

奪三振ショー —朗希劇場

「阪神開幕2勝15敗」

ドンマイドンマイ —ビッグボス

河合成近

龍翁余話(726)「“民放の日”に際し、考えること」

いきなり“龍翁のテレビ偏見評”で恐縮だが、民放テレビの何処のチャンネルを回しても“お笑い芸人の遊び場”的な低俗番組が氾濫している。1952年(昭和27年)4月21日に民放連(日本民間放送連盟)が発足、1993年(平成5年)に(4月21日を)『民放の日』と制定した。民放連の設立は「放送倫理水準の向上を図り、放送事業を通じて公共の福祉を増進し、その進歩発展を期する・・・」を目的とし、NHKとの共同で「放送倫理基本綱領」を定めた。「放送は、福祉・文化の向上、教育・教養の進展、産業・経済の繁栄に役立つ」「放送は、国民生活、とりわけ児童・青少年及び家庭に与える影響を考量して新しい世代の育成に貢献するとともに役立つ情報、健全な娯楽を提供し国民生活を豊かにする」「放送は、適正な言葉(日本語)と映像を用い、品位ある表現に心がける」などが謳われているのに、“教育性・教養性・品性”に乏しい番組が多過ぎる。

4月21日の「民放の日」を迎えるに際し、毎年のことだが翁は(現役を退いて久しいが)今でも「テレビ番組の在りよう」を考える――世の中が”テレビ時代“に入った頃、ノンフィクション作家でジャーナリスト・大宅壮一氏(1900年~1970年)が生み出した流行語「テレビは一億総白痴化にする」、同じ頃、小説家の松本清張氏(1909年~1992年)も某テレビ雑誌で「かくて将来、日本人はテレビによって総白痴になりかねない」と語った。テレビ業界(映像製作プロダクション)に身を置いた翁は、「この2人の論旨はテレビ不要、テレビ軽視ではなく、放送倫理基本綱領の趣旨に則って日本民族の伝統文化の継承、青少年の健全育成、国民生活(福祉・文化)の向上のための役割を果たして貰いたい」との檄(げき=訴え)だと解釈して翁なりの信念に基づく映像製作をやって来た自負がある。

“コロナ禍”が始まる以前、(時々、本欄に登場して貰う)翁たちシニアグループ(五反田シニア会=現在メンバー9人)は、月に2,3回昼食・懇親会を催していた。メンバーがまだ60代~70代前半の頃までは政治・経済・国際・歴史など幅広い話題を展開させたものだが、歳月が重なり後期高齢者になるにつれ次第に身近な問題、特に病気や薬の話やグチの多い世間話に変わって行った。そんな中で、かつて翁がテレビ番組制作者であったことからテレビ談義も多かった。仲間たちは翁と同様、時代劇や洋画の歴史ドラマ(西部劇を含む)、それにドキュメンタリー風な番組を好む。だが、残念なことに近年、時代劇やドキュメンタリー番組が激減、替わって、お笑い芸人たちによるワイドショーやバラエティが増えた。ワイドショーの中には出演者も内容も多少の品格を保ち、報道性・情報性・教養性のものもあるが、バラエティ番組は(偏見を承知で言うと)お笑い“無芸人”のドタバタばかり。つまり(社会的には)電波やお金の無駄遣い、(個人的には)時間を無駄にし精神衛生を損なう、と言うのが翁たちシニアグループの一致するところ。(前述の)「放送倫理基本綱領」の教育性・教養性・品位はどこに消えてしまったのだろうか?更に「日本語の破壊をもたらしているのも軽薄テレビ・ラジオ番組の為せる業」と言うのが翁たち老人たちの共通したテレビ・ラジオ番組評だ。「一億総白痴化」の言葉が蘇る。

テレビ・ラジオ番組は、視聴者・聴取者にチャンネル選択権があるのだから、「つまらない」「面白くない」「下劣」だと思ったら「視なければいい(聴かなければいい)」のだが、翁は、やはり最新のニュース、特にウクライナ関連、コロナ関連の情報と、それらに関する専門家の意見(解説)を聞きたいので朝や昼のワイドショーを視ることが多い。翁は、お笑い芸人や俳優がMC(司会・進行)を務め、同業のゲスト出演者が多い番組は基本的には嫌いだが、関心事(ウクライナ・コロナ・外交・防衛を含む政局・スポーツなど)のニュースを聴取すればそれだけでいいので直ぐにチャンネルを替える、それが翁のワイドショーの視聴スタイルだ。ところが時々、チャンネルを替え忘れ、聞き流していると「おや?俺と同じ意見だ」と思える音声が聞こえる。その時、その発言者(お笑い芸人)の、せめて名前くらいは覚えておこうと引き続きテレビ画面を見入るのだが、司会者はゲスト芸人を「○○ちゃん」と略名で呼ぶので、フルネームが分からない。どだい、司会者とゲストが同業者であろうと仲良しであろうと、テレビは公器であり“井戸端会議”(身内話)をする場所ではないので略称は視聴者に対して失礼だ。もっと失礼なのは、司会者からある問題を振られた(名指しされた)途端、口ごもり「それは、え~と、難しいね」「本当によくないよね」など、ろくに答えられない無知丸出しのゲスト(タレント)を毎週出演させているワイドショー番組担当者(プロデューサーやディレクター)の無神経さ、公共性認識の無さが情けない。思えば、近年の若いテレビマンたちは、氾濫するお笑い番組の流れの中で育ったので、“無芸人”を”芸人“と思い込んでいるのかも知れない。そして、これは(前述の)放送倫理基本綱領に謳われている教育性・教養性・品性の欠落である、と、翁は歯がゆい思いをし続けているのである。だが、お断りしておくが、翁は”お笑い芸人“たち全てを“無芸人“と言うのではない。と言うか、翁は落語や漫才などの大衆芸能は大好きだし、親しい芸人もいる。したがって”お笑い芸人”が本業で実力を発揮出来る場所(お笑い専門のテレビ・ラジオ番組やステージ)なら、彼らはきっと立派な芸人たちだろうと思う。願わくば、テレビ・ラジオ局は“健全なる娯楽創生”のために、“お笑い芸人”が“お笑い芸の神髄”を競い合える番組作りをして貰いたい。

高齢者は引退すると次第に社会との接触が少なくなる。その上、今は“コロナ禍”で外出自粛、三密回避で、いっそう“お宅族”になり必然的に“テレビっ子(爺)”になってしまう。翁たちシニア仲間も“コロナ禍”のせいで定例昼食会が無くなり、いよいよ“孤独時間のお伴”はテレビ・ラジオになった。『放送の日』に際し、翁の(放送局への)願いは「正確な、分かり易い情報、感動的ドラマ、お笑い芸人が本領を発揮出来る健康的なお笑い番組、心を躍らせるスポーツ中継、青少年の健全育成と老人に生き甲斐をもたらす教養番組等の提供(編成)を熟考して貰いたい」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究 日本のお宝探し旅② 中村刃物製作所

私のクライアントさんは今年96歳になるだろうか、、、Tさんはカリフォルニアのサクラメントで生まれ戦前にご両親の故郷、山口県に戻って過ごされた。戦後、成人してハワイ経由でカリフォルニアに来て、そこで暮らし始め結婚された。旦那様がご健在の時は度々2人で日本に旅行されたとか、、、、ある日そのクライアントさんのキッチンの引き出しの奥から出てきたのが中村さんの包丁だった。Tさんはキッチンで料理をしなくなってからだいぶ時間がたっていた。包丁は錆びて刃も欠けていた。見ると持ち手の所に中村包丁と書いてあって電話番号と宮崎県都城市というラベルが残っていた。日本人の方が自信を持って作られた包丁なのだな~と思った。最初に包丁を持った時の握り手の木の部分の温もりが気に入った。そして、しっくりと手に馴染んだ。軽くて使いやすそうな包丁だったので試しに切りにくいカボチャを切ってみた。さほど力を入れなくても、かぼちゃがスッと切れた! それから、すぐにトマトを切ってみた。トマトが潰れない!皮のまま薄くスライス出来る。感動しながら今度はキャベツの千切り。やっぱり切れる。今まで、ずいぶんいろいろな家のキッチンで様々な包丁を使ってきた私には、高級な和包丁を使わせていただいても使いにくく重いものが多かった。それに殆どのクライアントさんの家の包丁は数があっても切れないものばかりだった。それで自分の包丁や料理道具は、いつも持ち歩いて仕事に行くようにしていた。でも今一つ包丁は満足していなかったので今度、日本に帰った時には、道具の合羽橋にでも買いに行かなくてはと思っていた。でも、私など料理人のプロというわけでもないから高級な包丁など手に届かないほど高いのだろうと思っていた。そんな時に中村さんの包丁に出会ったのだ。私が“ Tさん、この包丁すごくいい。どこで、いつ頃、手に入れたの ”と聞いても “ さ~だいぶ大昔の事だから覚えていないわよ。そんなに気に入ったのならあげるわよ“とあっさり、その包丁を私にくれた。それから私の仕事バックの中には、いつも中村さんの包丁があった。

早速、包丁のラベルを調べたら今も中村刃物製作所が健在なのが確認出来た。どこで購入出来るか宮崎県都城市に問い合わせのメールを送ったら丁寧にお返事も頂いた。それに鍛冶屋という今では少なくなってしまった職業にも興味があって1度、仕事場にも訪れてみたくなった。中村刃物製作所は少数精鋭で全て手作り。いつか直接、包丁を通して中村さんという職人さんにも会ってみたいと思うようになったのだ。

そして念願叶ってこの度、中村さんの仕事場を訪れる事が出来たのだ!中村さんは思った通りの人だった。まず笑顔がいい。根っからの職人さんで仕事熱心で、この道一筋でやってこられた。息子さんが言うには頑固だと、、、でも私はそういう職人気質の人が大好きなのだ。仕事場の入り口には、しめ縄に紙垂(しで)が飾られていた。しめ縄や紙垂は神様を祭る神聖な場所で神様が宿る印なのだそうだ。中村さんの仕事場を訪れてその工具の多さと作っている刃物の種類の多さに驚いた。畑仕事に必要な農具、工具、漁具、木こりの斧、生活用具、猪の頭を一突きする斧(これは免許が無いと売れないそうだ)、獣の皮を剥ぐナイフなどなど様々な刃物を作られていた。私など素人で何もわからなくても、その仕事場から伝わる歴史や心意気がビンビン伝わってきた。中村さんは学校を卒業してすぐに鹿児島にある鍛冶屋で学び鍛え、そして独立して都城で中村刃物製作所をスタートした。昔は親方と弟子の関係は厳しかったと思う。中村さんの手を見て、また驚いた。手のひらの親指の付け根がカチカチに固くなっていた。長い年月、ひたむきに一生懸命に仕事をされてきたのがわかる手だった。“中村さんがいないと困る人が、たくさんいるでしょう?だからもう、あまり無理はしないで体をいたわって仕事をしてくださいね“

と言ったら“はい、もう今は無理しません。朝の8時から夜の8時まで、12時間しか仕事はしていません”とニコニコしながら、おっしゃった。昔は3時間4時間睡眠で忙しく働いてきたそうだ。自分の仕事の道具も全部手作り、お客さんの要望に合わせて手作りもするし、修理も包丁研ぎもするのだそうだ。その包丁を研ぐのも、びっくりするような安い値段で驚いた。家庭で使う料理用の包丁は大事だし主婦にとっては大変助かるけれど、あまりに安くて申し訳なくなるくらいだ。

中村さんは商売人というより職人さんであり人に喜んでもらえるのが嬉しくて仕事に励んでいるような感じだ。自分が作ったものを長く使ってもらいたいから、いいものを安くと言うのが中村さんの信条。今時、稀有な存在だ。そして、そういう人に会えた事が嬉しかった。“中村さんのような人は日本の宝です。どうか長生きして150歳ぐらいまで生きてください”と言ったら中村さんは少しはにかんで嬉しそうに笑った。

息子さんから仕事場の説明を聞いていた時に、またお客さんが入ってきた。1か月に1回ぐらいしかいらっしゃらないご夫婦で竹細工をなさっているとかで奥さんの持っていた竹で編んだ籠も素敵だった。

何かのご縁だからと息子さんが私をその方たちに紹介してくださった。竹も日本のシンボルで奥が深い。ユタの田舎で籠編みをしている友人にも話したらきっと喜ぶだろう。竹を切ったり削ったりする道具を中村さんの所で購入しメインテナンスをしているようでわずかなタイミングでお会い出来た。入れ代わり立ち代わり、結構人が訪ねてくる。知る人ぞ知る。中村さんの手作りの道具を使ってみたらわかるのだ。息子さんは、それでも今日は、まだ人が少ない方だと言っていた。都城に住む人は幸せだ。中村さんの包丁を使い、いつでも研いでもらえるのだから、、、、包丁の切り口一つで食べ物の味は変わる。やはり美味しいものを作るには道具も大事なのだ。

最後に息子さんが“鉄の刃物は火造り、成形、焼き入れという工程があり最も重要なのはここです“と焼き入れ用の水槽に案内してくれた。ここで鉄を固くするのだそうだがこの時に品物に魂を入れる場所なのだと。日本の刀もそうだし、とても神聖な場所なのだ。何だか少し緊張した。人々の生活を支え暮らしを支えてきた日本の鍛冶屋さん。そして今も同じように中村さんは働き人々に愛される包丁を作っている。

日本の宝探しの旅、、、、中村さんのような人に出会えて私は嬉しい。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ 大橋祐子トリオ” Two Chords”

自宅療養の10日間、どこにも行けなかったのでジャズをはじめ音楽をたっぷり聴くことができました。こんな時でもじっとしておれなくてやったことがあります。それはスピーカースタンドの導入を検討したことです。そこそこの値段がするので自分で設計して作ろうかと思い、YouTubeで研究しましたが、道具や場所がないので今回は諦め、よさそうな製品を購入しました。スピーカーは床の上やデスクトップに直に置いて聴くのは良くないようです。定在波が発生したり、反射音の影響で特定の音が抜けてしまうからです。床からだと60㎝くらい、デスクトップでも30-40 cm離すとスピーカーの特性が活かされるようです。昔、超特価で購入したスピーカーでもスピーカースタンドに乗せると、大きく音が改善されたので驚きました。

Amazon Musicを聴いていると私へのおすすめ曲として、いろいろ紹介してくれます。その中に聴きごたえのあるピアノジャズがありました。大橋祐子というジャズピアニストがトリオで演奏しているアルバムです。今の私のオーディオシステムは細部にわたって音がよく出るので今までだったらスルーしていたかもしれないのですが私の耳に引っかかりました。BGMとしてではなく力強いピアノの音が聴ける素晴らしいアルバムです。《R.O.》

大橋祐子トリオ Two Chords

1-VOGABONDEN OCH SVAN 4:06
2-SOMETIMES I FEEL LIKE A MOTHERLESS CHILD 5:27
3-WHITE LADY 3:34
4-I’LL CLOSE MY EYES 6:22
5-AROUND THE WORLD 3:13
6-BEAUTIFUL LOVE 5:07
7-TWO CHORDS take 1 4:07
8-TOMORROW 4:02
9-HAPPY HOUR 4:32
10-WALTZ PAR 3 4:40
11-HOME ON THE RANGE 3:40
12-TWO CHORDS take 3 5:34

編集後記「個人輸入」

オーディオのことばかり書いて恐縮ですが、やりたいことは全てやろうと思っています。次に私がやろうとしているのはアメリカのKlipsch社製のスピーカーでジャズを聴くことです。このスピーカーのすごいのは94dBという能率の高さで、日本製のものにはありません(先日購入したYAMAHAのスピーカーは85dBです)。ですからこの音を確かめずにはおれません。しかもこのスピーカーを販売しているKlipsch Audio Technologies社の拠点になっているのはかつて私が勤務していた会社の工場があったところから車で1時間のところにあるインディアナ州のインディアナポリスです。偶然に分かったのですが驚きと同時に親しみが湧いてきています。このスピーカーをアメリカのAmazon社に直接注文し個人輸入することにしました。少し時間がかかりますが、到着を楽しみにして待っています。《R.O.》

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