雑貨屋ウィークリー1401号

雑貨屋のひとり言「WBC侍ジャパン」

3月16日のイタリアチームとの準々決勝はテレビ視聴率が48パーセントという高い数字で日本中の人が応援していました。野球のことに詳しくない人も関心を持っていたということになります。それに見事応えてくれた侍ジャパンのすごさに感動させてもらい感謝しています。

雑貨屋ウィークリー1326号で紹介した「大谷翔平のマンダラチャート」に書かれている項目を彼は地道に習得してきて、夢の実現を果たしています。その大谷翔平が投手として打者として躍動している姿は本当に美しいと思いますし、尊敬できます。すべての人に希望と勇気を与えています。野球界の宝、日本の宝、世界の宝だと思います。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川  柳)

春一番明日へ頭を切り替える

申告が済んだぞ春の切符買う

春うらら軽い財布と旅に出る

パスポートやっとマスクが取れました

三月のカタログはもう初夏の旅

(ニュースひとりよがり)

「開花宣言」

3月16日 —日韓関係

「プーチン氏に逮捕状」

陳謝で済む問題ではない —国際刑事裁判所

「習氏三選」

四遷目を考えてます —三遷の孟母

河合成近

龍翁余話(773)「3月26日の出来事」

日本の近代(明治維新~第2次世界大戦終結=1945年)から現代(1945年以降)の歴史の中で注目すべき“出来事”は沢山あるが、今号は(タイミング的に)『3月26日の出来事』にスポットを当てることにした。今号に取り上げる“出来事”は、いずれも翁が特別に興味関心を寄せている”出来事“だけをピックアップしたものであることをお断りして――

まず、3月26日は『カチューシャの唄の日』――以前、本欄(『龍翁余話』)で書いたことがあるが、翁、小学6年生からアコーディオンを習い、中学生になってから(いっぱしのアコーディオン奏者気取りで)当時、全国的に展開されていた“うたごえ運動”に参加、その運動の主軸となっていた「青年歌集」(“反戦歌”や“青春賛歌”が中心の歌集)を弾きまくった。当然のことながら中学1年生の龍少年(翁)、主義主張(思想)とは関係なく、単純に龍少年が演奏するアコーディオンに合わせて青年男女が踊る“フォークダンス”が楽しかった、だけだったのかも知れない。「青年歌集」とは別に、大人のリクエストに応じ流行歌や唱歌も演奏した。唱歌の中で龍少年が最も得意とする曲の1つに『カチューシャの唄』(島村抱月作詞:中山晋平作曲)があった。劇作家・島村抱月と女優・松井須磨子が創設した『芸術座』で1914年(大正3年)3月26日、トルストイの『復活』が上演され、その劇中で松井須磨子が歌ったのが『カチューシャの唄』で、これが全国的に大流行した。そこで3月26日を『カチューシャの唄の日』としたそうだ。

3月26日は『硫黄島の戦い終結の日』――これも以前、本欄で書いた大東亜戦争(太平洋戦争)終盤の激戦地”硫黄島の戦い”は1945年(昭和20年)2月19日に始まり同年3月26日に組織的戦闘が終結した。当初、米軍は「5日間で陥落させる」と豪語していたが、硫黄島総司令官・栗林忠道中将(小笠原兵団長=最終階級は陸軍大将)率いる日本軍(陸・海)20,933人の“決死の攻防”に対し、日本軍の10倍以上の(海軍・上陸部隊)250,000人の米軍は、さんざ手を焼き、終結までに約48日間を要した。日本軍の戦死者19,900人(捕虜1,033人)、米軍の死者6,821人、戦傷者19,217人、米軍が、わずか48日間の戦闘で約26,000人もの死傷者を出したのは「第2次世界大戦中、最大の損失である」(米国国防省発表)とのこと。硫黄島での日本軍指揮官は、栗林忠道中将以下、千田貞季(せんださだすえ)陸軍少将、大須賀 応(おおすか ことを)陸軍少将、市丸利之助海軍少将のほか“バロン(男爵)西”として有名な硫黄島戦車連隊長・西竹一大佐(1932年ロサンゼルスオリンピック馬術障害飛越競技の金メダリスト)がいた――余談だが、翁、以前から親友だった“バロン西”のご長男・西泰徳氏(当時、硫黄島協会副会長、のちに会長)のお誘いで硫黄島へ2度渡航した。1回目は1999年3月、硫黄島協会主催の「硫黄島戦没者慰霊の旅」に同行(撮影)、その時、栗林中将のご長男・栗林太郎氏(硫黄島協会理事)や、栗林中将の孫(栗林中将の次女・たか子さんのご長男)新藤義孝衆議院議員(元総務大臣=硫黄島協会顧問)と知り合い、栗林忠道大将を身近に感じるようになった。2回目の渡航は2000年3月26日に行なわれた「日米米硫黄島戦没者合同慰霊祭」を取材、2回とも航空自衛隊入間基地(埼玉)から輸送機で。“硫黄島の戦い”の詳細は省略するが「摺鉢山」や

「砲台」、「医務科壕」、「司令官壕」、東海岸(硫黄噴出地)の戦車隊長「西竹一慰霊碑」、西海岸の「死のジャングル」、最後の総攻撃出撃地「天山」(慰霊塔)など“地獄絵図”であった戦跡を辿り、胸に迫り来るものを感じた記憶が今も蘇る。そして――

3月26日は「沖縄戦開戦の日」――「沖縄戦」(1945年3月26日~9月7日)は「フィリピン戦」、「硫黄島戦」と並んで大東亜戦争(太平洋戦争)における“三大激戦地”の1つと言われている。日本軍の戦死者は陸軍67,900人、海軍12,281人、沖縄県民死者・行方不明者122,228人・・・翁と沖縄との関りは深く「沖縄返還記念式典記録撮影・録音」、「初代縄県知事・屋良朝苗氏インタビュー」、「沖縄海洋博(事前取材)」その他、テレビ番組取材を数回重ねるうち「旧海軍司令壕」、「平和記念公園」、「ひめゆりの塔(及び資料館)」を何回訪れたものか。沖縄の友人の中にも“沖縄戦犠牲者”のお身内の方が幾人もいた。

3月26日は「与謝野鉄幹の忌日」――与謝野(與謝野)鉄幹(1873年2月26日~1935年3月26日)は明治・大正・昭和の歌人、慶応義塾大学教授。彼の妻は同じ歌人の与謝野晶子(1878年~1942年)。翁、高校時代(神戸)、硬派の親友”4人組“で、授業やクラブ活動を終えた後、メリケン波止場(明治時代、外国人居留地近くに造られた神戸港の一角の突堤)や近くの公園で与謝野鉄幹作『人を恋うる歌』をよく歌ったものだ。♪妻をめとらば才たけて みめ麗しく 情(なさけ)あり 友を選ばば書を読みえて 六分(りくぶ)の侠気 四分(しぶ)の熱・・・とても長い歌で16番まであるが、4番まで歌うのが通常だそうだ。しかし翁、(5番の)♪ああ青春は今往くか 暮るるに早き若き者 宴(うたげ)の庭の花むしろ 足音もなく時の舞う・・・が好きだ。今でも気分のいい時は(高校時代の親友3人との思い出を偲んで)5番まで歌うことがある。

3月26日は「室生犀星の忌日」――室生犀星(1889年~1962年)小説家・詩人。彼の小説に『杏っこ』、『あに いもうと』、『密のあはれ』などあるが、翁は詩集『小景異情』の(2)「ふるさとは 遠きにありて思ふもの そして悲しく詠うもの・・・ひとり都の夕暮れに ふるさと思ひ涙ぐむ・・・が好きだ。昨年末に(15年ぶりで)故郷に帰った。老人ホームで暮らしていた老いた姉を見舞い、そして正月明けに見送った。これで翁、1人の兄と2人の姉を失い、遂に独りになった。ますます故郷が遠くなった。しかし、けっして“悲しく詠うもの”ではなく、むしろ“愛おしく、懐かしく詠うもの”という思いが強まった。これからは、ますます童謡『ふるさと』♪うさぎ追いし彼の山 小鮒釣りし彼の川 夢は今もめぐりて 忘れがたきふるさと――を口ずさむことが多くなるだろう。「ふるさとは常に愛おしく、懐かしく想うもの」でありたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「3月のスパイス 茗荷(ミョウガ)」

最寄りの駅前のビルの中に野菜の専門店がある。専門店だけにスーパーのお野菜と違って珍しい地方のお野菜が並ぶ事もあって駅前のスーパーや商店街に買い物に行く時は必ず寄ってみる。特に季節の野菜がいち早く並ぶので季節感を感じる事も出来る。最近は何処から来た野菜なのだろうかとか見ている。同じ野菜でも収穫された場所や季節によって味が違う。それに生産者のメッセージや誰が作ったのかラベルに書いてある場合もあって作り手の熱心な意気込みを感じる。

今月は高知の方から新鮮なミョウガが入荷されたものが、その八百屋さんに並んでいた。初物かなと手に取って見てみたらツヤツヤと丸く肥って美味しそうだったので購入した。高知産の生姜は私も好きで買うのだけれど、ミョウガもショウガ科のショウガ属なので風土がその野菜に適しているのかもしれない。柚子やナス、オクラも高知産のものは美味しいのでよく買う。

それにしてもミョウガの旬は初夏だったような、、、と調べてみたら6月から10月と書いてあった。作付けをずらす事によって夏みょうが、秋みょうがと呼ばれるのだそうだ。最近はハウスでも作られているそうで土を使わずヤシ殻を使いコンピューターを使って温度も肥料も調整しながら年間を通してミョウガは手に入るようになってきたらしい。私が好きな食べ方は薄くスライスして酢味噌と一緒にタコやサラダに入れたりする。甘酢に付け込んでおいたものをみじん切りにしてチラシ寿司に入れても美味しい。みょうがの色素はアントシアニン系なので酢に漬けると鮮やかなピンク色に発色する。そのお酢をドレッシングにも応用出来る。 

LAの天ぷら屋さんで、ミョウガの天ぷらを食べた事があったけれどそれも美味しかった。素麺には、もちろん欠かせない薬味でシソやショウガと一緒にミョウガを添えると食欲が減退している時でも食べられる。ミョウガの香りは独特のものがあって、その精油はアルファピネンと命名されていて胃液の分泌を活発にさせる成分があるそうだ。ショウガと同様に血液の循環にもいいらしい。LAのマーケットでは一つが5~6ドルぐらいしていて高価な和の食材だったので生産者から頂いたりした時以外は自分から買った記憶がない。

英名ではジャパニーズジンジャーと呼ばれている程度で他の国ではあまり食べられてはいないようだ。和食の薬味として合う素材でも他の国の料理には合わないのかもしれない。でも、いつか誰か、この知名度の低い日陰の存在であるミョウガをうまく使いこなしたレシピを考えてスポットライトをあてられる時が来るかもしれない、、、、

スパイス研究家 茶子

写真(画像)の文書をデジタル化する方法

雑誌や画像の中の文面を活用したいときがあります。Wordなどにリタイプする手もありますが、文字数が多いと気の遠くなる作業になります。OCRソフトなど不要で簡単に画像文書からテキストを抽出する方法があります。私自身が数十ページの文書からテキスト抽出に成功しましたのでご紹介します。
必要なのはPCとスキャナーまたはスマホだけです。
1)まずデジタル化したい文書をスキャナーで画像(jpgファイル)として作成します。スキャナーがなければスマホやタブレットで文書の写真を撮ります。PC画面でキャプチャーした画像の場合も同じです。それらの画像(JPGファイル)をPCにアップしておきます。
2)つぎにGoogleChromeを開き右上の「画像」をクリックして画像検索の画面にします。

3)上記1)で作成した画像または写真を検索枠の中にドラッグペーストします。下図の画面(Googleレンズ)が現れます。

下の「テキスト」をクリックしてテキストにしたいところを指定し画面右上の「テキストをコピー」をクリックするとクリップボードにコピーされます。

4)Word等の希望の文書ファイルにペーストすればテキスト化された文書になります。Googleレンズの機能は優れていて、かなり正確にテキスト化できます。数十ページある文書をスキャナーしてやってみましたが、少々画像が傾いていても問題なくテキスト化でき文字化けなどもありません。しかも出来上がった文書は画像文書の書式がそのまま表現されるので微修正をするだけで済みます。《R.O.》

ジャズライフ Dave Koz ”The Dance”

桜の開花が始まっています。心がウキウキしてきます。そんな気分に軽快なスムースジャズはいかがでしょう。今週のアルバム紹介はDave Kozの”The Dance”です。軽快な彼のサックスを聴くとKenny Gを思い出します。《R.O.》

Dave Koz ”The Dance”

01-Together Again
02-I’m Waiting For You
03-Can’t Let You Go (The Sha La Song)
04-Careless Whisper
05-Love Is On The Way
06-Know You By Heart
07-Surrender
08-You Are Me, I Am You
09-The Dance
10-Cuban Hideaway
11-The Bright Side
12-Don’t Give Up
13-Right By Your Side
14-I’ll Be There

編集後記「雑貨屋ホームページの風景写真」

読者の方からホームページの風景写真はどこの橋かという問い合わせがありました。写真をフリーで入手できるサイトUnsplashでダウンロードし使わせてもらっていたので外国の風景写真だと思っていました。Googleの画像検索で調べたら大阪国際空港の連絡橋だとわかりました。意外でしたがうれしくなりました。

昨年までイオンと専門店があったショッピングモールがヤマダデンキTeccLIFESELECT店になりました。3月17日がグランドオープンだったので行ってきました。ヤマダ史上最大級の店舗、日本最大級品揃えでくらしまるごと同時に選べる、体感できる家電量販店の枠を超えた大型店というキャッチフレーズです。家から歩いて20分くらいのところにあります。開店直後に着いたのですがものすごい人でした。入って驚くのはとにかく広いということでしょう。ただ見に行くだけだと疲れてしまいそうです。一階のフロアに家電がほとんどで、フードコートもあります。2階は家具、インテリア、おもちゃ、生活用品などがあり、家族連れでくれば長い時間過ごせそうです。しばらくは散歩コースで行くことになるかもしれません。《R.O.》

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