雑貨屋のひとり言「A.R.E」
12月になり、2023年もあと一ヶ月を切りました。今年は阪神タイガースが私たちに勇気と感動を与えてくれました。話題に事欠かなかった一年でしたがその締めくくりに今年の流行語大賞に阪神タイガースのチームスローガンだった「アレ(A.R.E)」が選ばれました。「アレ」だけならシャレ程度のものですが、アレの後ろにA.R.Eと書かれてあり、それらにAim, Respect, Empowerという意味が示されていることに意義があると思います。アレを達成するためにA.R.Eを実践したというところが素晴らしく価値があるように思います。単なる流行語としてでなくこれからも色んな場面で使えるのではないでしょうか?《R.O.》
川柳(東京・成近)
( 川 柳 )
振り出しに戻り残り火かき集め
一本の葦に教わる処世術
歳月が徒然草を読み直し
合掌の手に抜けきれぬ小さな刺
起承転そして結への夢を積む
(ニュースひとりよがり)
「政界地図」
下り坂と曲がり角ばかり ― 令和5年版
「九州場所の唄」
〽花は霧島 ― 鹿児島おはら節
「アレ」
阪神 ― 優勝 岸田首相 ― 再選
河合成近
龍翁余話(810)「もう、師走(再び)」(拡大版)
翁、現役を退いて以来、(“コロナ禍”よりずっと前から)好きなゴルフ(週1)や、たまの日帰り旅行のほかは、ほとんど“おたく族”(ステイホーム人間)になっていた。家の中に籠ってエッセイ『龍翁余話』のテーマ探しや執筆のため数時間パソコンと向き合っていたり、気まぐれにギターやキーボードの短時間練習をしたり、CD(音楽)を聴いたり、読書(特に時代小説)やテレビ(ニュースのほか、スポーツ番組、ドラマ=ほとんどが再放送の刑事ものや時代劇)を楽しんだりする日々が多かったし、現在もそのパターンは続いている。ドラマの再放送ものの中には「ああ、これは視たことがある、ストーリーは分かっている」もかなりあるのだが、それでも老年になって再び視る時、今は亡き俳優を懐かしんだり新しい発見があったり新たな面白味を見出したりして最後まで視てしまう。
さて、今号の『龍翁余話』(810)「もう、師走(再び)」も、実は(再放送ならぬ)1年前の再現である。翁、ある特別の節目(時期)になると「過去にどんなことを書いたのだろう」とファイルを読み返すことがある。たまたま1年前の2022年11月27日に配信した(757)「もう、師走」が目に留まり、読み返した。今年も1年前と同じ心境であることを確認し、「もう、師走」をなぞることにした。(故に“再び”を付けた。)テレビ時代劇の再放送とは違って面白くはないが、読者各位にも「1年前、自分はどんなことを考えていたのだろう?何をしていたのだろう?」を思い起こして貰い、この師走を有意義に過ごしていただくために少しお役に立てば、と願って――
テレビ番組やエッセイなどのタイトル(題名)付け、つまりネーミングは、かなり重要だ。タイトルによって「視ようか、読もうか」を決めることもある。翁も現役時代、自分の番組(作品)のタイトル付けには苦しんだ。この『龍翁余話』の各号のタイトル付けにも、それなりに神経を使っている。1年前(757)も「もう、師走」にしようか「いよいよ師走」にしようか、随分迷ったものだ。国語的ではなく、翁の心情からこの2つの言葉を比べると、「いよいよ・・・」は不確定な物事が決定的になるさま、つまり段階的に状態が進んで、遂にある時期(あるいは事象)を迎えると言う一種の“期待感”が潜んでいるように思えるし、一方、「もう・・・」は近い将来の事象に関する推測を表わす言葉であることは「いよいよ」と似ているが、翁の気持ちとしては「そんなに早く来なくていい時期・事象(早く来てほしくない時期・事象)が否応なくやって来る」と言う、あまり歓迎したくない時期・事象であるように感じられ、つまるところ、1年前(757)のタイトルは「もう、師走」に決めた。(今号は「もう、師走(再び)」とした)。読者各位のお気持ちはいかがだろうか?
超高齢の翁にすれば「もう、師走」だ。年ごとに“時が経つ”速さを痛感する。【老い人や 残り日惜しむ 黄昏時】が翁の心情である。しかし、この句は悲嘆にくれる日々ばかりを詠ったものではない。老い人は、(特に黄昏時は)確かに残り日の少なさを痛感し“憂心”に陥ることもあるが「残り日惜しむ」の言葉には「(残り日は少ないが)「生きている限り、社会(特にファミリー)に対してもう少し役に立ちたい」と言う前向きの心情も含まれている。とは言え、気持ちの昂ぶりはあっても所詮、知力・体力・経済力の衰えは如何ともし難く、そのもどかしさも加わって「もう、師走(再び)」となるのである。
ところで年末は、やはりこの1年を振り返る時期でもある。“振り返る”の内容には大別して“明暗”がある。“明”は嬉しかったこと、楽しかったこと――今年の翁の“明”の一番は“健康”でいられたこと。以前にも何回か本欄で告白したが、翁はK大学病院で2009年、2010年(泌尿器科系・腎臓内科系)、2016年(消化器内科系)の3回に亘って癌手術を受け、昨年までいずれも3カ月検診を続けてきたが昨年は泌尿器科のドクターから、そして今年は消化器内科のドクターから「病理的危険性は去ったので以後1年検診でよい」との診断を頂戴した。これは嬉しかった。なお、翁の腎臓は(2009年以降)“片腎”となっているので腎臓内科の3カ月検診(血液検査による腎臓状態・高血圧・高コレステロールとの検査と投薬)は継続しなければならないが、それも近年「変化なく数値が安定している。引き続き高塩分やカリウム食品は控えめに、適度の運動、水分補給は頻繁に」との注意だけで“経過良好”のお墨付きを頂戴した。今年5月からの“コロナ禍”による各種制限が緩和されたこともあって2020年以来中止を余儀なくされていた翁たちの“五反田シニア会”も徐々に(月1回の食事会と年1回の日帰り旅行が)再開出来たことも“明”である。
一方、“暗”は苦しかったこと、悲しかったこと――多少は心を痛めたり憂鬱になったりしたことはあったが、いずれも尾を引くこともない些細な出来事ばかり。そんな中で一番の“暗”は新年早々の長姉(93歳)の死であった。翁は2人姉・1人兄の4人姉弟だった。兄と次姉はすでに他界、長姉と末弟だけが残っていたのだが、実は長姉と翁は年も離れていたし、戦時中は“男女7歳にして席を同じゅうせず”、おまけに長姉は戦時中、大阪の某紡績工場へ学徒動員、終戦後は町の職安事務所に就職、間もなく結婚、翁も14歳で神戸へ遊学して田舎を離れたので、長姉と翁との姉弟関係はそれほど深くはなかった。そのせいか、本当の姉弟とは言え翁は長姉に対して終生“敬語”で通したほどだ。しかし兄と次姉の死後、長姉・末弟の“姉弟愛”は急に高まり、月に1度は(遠距離電話で)“無事”を確認し合っていた。その長姉も長男(翁の甥)を失った後、翁と同じ独居老人となったが(すでに家庭を持っている)3人の孫たちが交互に面倒を看てくれていたので(長姉は)いわゆる“ボケ”もなく「今が一番幸せ」を翁に語っていた。そんな長姉だったが老衰には勝てず1年前に介護老人ホームに入所。孫たちから“お婆ちゃん情報”(メール)が寄せられていたが老衰の進行は早く、昨年秋(孫から)「今のうちに会ってあげて下さい」の連絡があり、翁、昨年の師走の下旬に帰省――そのことは、今年1月7日配信の『龍翁余話』(663)「つもり違い10か条」に書いたので、その1部を抜粋する。
【15年ぶりの故郷(大分県)で2022年の年末を過ごし2023年の新年を迎えた。帰省の主な目的は、介護老人ホーム(姉の居住地・玖珠町)に入所している93歳の姉の見舞いだ。帰省した日の深夜、突然の“クリスマス寒波”襲来で、翌朝起きたら外は一面雪化粧(ひと晩の積雪量約10cm)。友人に借りた車を動かすことも出来ず、主要道路の雪が取り除かれるまでの2日間ステイホーム、姉の見舞いは3日目のクリスマス・デーに実現した。とは言え、道路事情を心配して姉の孫(翁の甥の息子M・40歳)が案内を兼ねて運転。翁とMのほか、翁の兄嫁Yとその親友Fさんも同行してくれた・・・ケアワーカー(介護福祉士)が押す車椅子で現れた15年ぶりの姉、ガラス戸越しの対面ではあったが姉は直ぐに翁を認めニッコリ微笑んで右手を挙げた。それだけで翁の胸は詰まり目頭が潤んだ。ケアワーカーが姉に携帯電話を渡した。すかさず孫のMが自分の携帯電話を取り出し姉の携帯電話の番号をプッシュし翁に渡してくれた。見かけこそ老いてはいたが、約5分間の会話は弾んだ。口調といい、声の張りといい、15年前とほとんど変わっていないことに多少は安堵したものの、“多分これが長姉・末弟の最後の対面か“と思って、またこみ上げるものがあり、別れが辛かった・・・】姉は翁が故郷を離れる前日(1月9日)に永眠。「穏やかな美しいお顔でした」とは最期を看取ってくれた看護師さんからの伝言・・・
さて、『もう、師走(再び)』――僧(師)がお経をあげるために東西を走り回る月。今年は“コロナ禍”の規制緩和で街の中は“年末商戦”で大賑わいをするだろうし“歳時記”としては「大雪(たいせつ)」(7日=降雪が本格化する日)、「針供養」(8日=主に関西・九州地方)、「煤払い」(13日=1年分のススやホコリを払って新年の神様を迎える準備をする。一般家庭ではこのころから“年末大掃除”が始まる。「赤穂義士祭」(14日=東京・港区の泉岳寺において“忠臣四十七士”を偲ぶ行事)、「羽子板市」(17日~18日=江戸時代から続く東京浅草寺の納めの観音詣の縁日、その年の世相を反映した押絵の羽子板を売る店先の掛け声が勇ましかろう。今年は“コロナ禍”の規制緩和で30店ほどが境内に建ち並ぶ予定だとか)、「クリスマス」(25日=教会では前夜から行なうキャンドルサービス=ローソクを灯してキリストの誕生を祝う厳粛な行事)、一般家庭ではその頃から正月飾りが本格化し「大晦日」(31日)を迎える・・・
翁が(ほとんど週1で)プレーするゴルフ場では、今の時期は紅葉・枯れ葉の間にツバキ・サザンカ・ナンテンなどが明るい色を覗かせゴルファーの目を和ませてくれる。後期高齢者になって急に下手になった翁を励ましてくれる仲間にも感謝しながら今年の締めのゴルフを楽しんでいる。このように、健康でゴルフが楽しめている事、今年は(3回も)故郷の空気が吸えた事、“コロナ禍”規制緩和で「老人会」のメンバーたちと会えるようになった事、そして何より『龍翁余話』が9月に800号を迎えられた事・・・思えば幸せな1年であった。残念な事は、過去40年も続いたハワイ旅行が(2020年以来、今年も)出来なかった事だが、それは来年を期待して・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
ジャズライフ Till Bronner “Midnight”
先日、イヤフォンを購入しました。デュアルドライバで低音の質を向上させ低域から中音域をフラットにチューニングしてドンシャリではなく高品位の音質にしたカナル型ハイブリッドイヤフォンです。このイヤフォンの性能を引き出すために低音が出ているアルバムを探しました。絞まった低音からスッキリした中高音まで楽しめるアルバムで、Till Bronnerがトランペットとフリューゲルホンを担当し、アメリカの凄腕プレーヤーをゲストとして迎えて完成させたアルバム”Midnight”です。このアルバムはCDの初期段階であった1996年にリリースされたアルバムですが、サウンドが凝っていて個性的で聴き応えがあるこのアルバムは私の好きなジャズです。《R.O.》
1-What’s Going On
2-Midnight
3-Little Giant’s Talking
4-Highway to Heaven
5-Reporting from Rangoon
6-Don’t You Worry ‘Bout a Thing
7-In the Meantime
8-Check That
9-Tribeca
10-Racer
11-Morning Ride
12-Waiting
編集後記「水不足」
今年は梅雨が長く続いたことや各地で水害も多かったので、水不足は一部の地域のことだと思っていました。2023年の夏は126年間で一番暑い夏だったこと、夏以降に台風が来なかったことでまとまった雨が降らなかったことで多くの地域で水不足になっています。近畿の水瓶である琵琶湖の水位は下がり続けていて、危険水位とされるマイナス90cmに近づいています。このあとまとまった雨が降らないと、来年はじめには危険水域に達し近畿地方も取水制限になるかもしれないので心配しています。知らない間に水位が戻ってることを期待したいのですが、果たしてどうなるでしょうか?《R.O.》
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