雑貨屋ウィークリー1293号

雑貨屋のひとり言「ワクチン接種が始まりました」

2011年のあの東日本大震災から10年が経ち、ようやく落ち着いてきたところに突然、震度6強の地震が宮城、福島で起こり被害がでてショックを受けている人が多いと思います。
コロナ禍であること、その他のつまらないニュース等で地震のニュースが薄まってしまっているのは残念なことです。

ようやく日本でもワクチン接種がスタートしましたが、私たちが接種できるまでにはまだ時間がかかりそうですね。イギリスでは一年前から準備したようですが、短期間で準備している日本はてんやわんやの様相です。副作用を心配する人がいるようですが、私は摂取を受けたいと思います。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川  柳 )

ドーナツの穴にもそれなりの理屈

ミシュランに無縁屋台の灯に惹かれ

カタカナ語辞典で今日を呼吸する

インテリがなんだ雑学では負けず

チャレンジをしたがやっぱり痩せ蛙

(ニュースひとりよがり)

「新会長に橋本聖子氏」
滑るなよ -森前会長

「橋本、丸山、小池」
小さな声で「性差別だ」 -男

「晴天を衝け」
こちらは「青天井を衝け」-高騰の株価

河合成近

龍翁余話(666)「“天長節”に際して思うこと」

翁は「国民の祝日」を(明治時代からの)旧称で表現するのが好きだ。翁は自分を必ずしも“懐古主義者”とは思わないが、高齢になるにしたがって子どもの頃に覚えた名称と、その時代を懐かしむ気持ちが強くなっているからだろう。例えば――

2月11日の『建国記念の日』を『紀元節』、『天皇誕生日』を『天長節』――令和の『天長節』は2月23日。ちなみに皇后陛下の誕生日を祝う日は『地久節』と呼ばれた。“天長”と“地久”は、古代中国春秋時代(紀元前8世紀~5世紀)の哲学者・老子の“天長地久”(天地が永久に不変であるよう、物事がいつまでも変わらずに続くことの意)から採ったと伝えられている。(『地久節』は「国民の祝日」ではない)――3月21日頃の『春分の日』(春の彼岸)を『春季皇霊祭』、9月23日頃の『秋分の日』(秋の彼岸)を『秋季皇霊祭』。『皇霊祭』(こうれいさい)とは、歴代天皇・皇后・皇族の霊を祭る宮中祭祀。11月3日の『文化の日』を『明治節』。明治時代はこの日は明治天皇誕生日、すなわち『天長節』であったが、大正時代に入ると(明治天皇が崩御されたので『天長節』ではなくなり)新たに『明治節』と名称が変更され、明治天皇のご遺徳を偲ぶ日となった。『文化の日』に制定されたのは1948年(昭和23年)である。11月23日の『労働感謝の日』を『新嘗祭』。『新嘗祭』(にいなめさい)とは、天皇が、その年に収穫された新穀を天地におわす八百万の神々にお供えして感謝の奉告を行なう宮中儀式(皇室に関係のある全国の神社でも儀式が行なわれるそうだ。)なお昭和・平成・令和の時代において、この『勤労感謝の日』が1年で最後の「国民の祝日」となる。

さて、第126代の今上天皇は1960年(昭和35年)2月23日、上皇様と上皇后様(美智子様)のご長男として誕生された。御名は徳仁(なるひと)、御称号は浩宮(ひろのみや)。皇室の慣習だった“乳母(めのと)育て”ではなく、一般家庭と同じようにご両親の手元で育てられ「なるちゃん」と可愛がられた。学習院初等・中等・高等科を経て学習院大学文学部史学科に入学、“中世の水上交通史”を学ばれた。20歳の誕生日の記者会見で「青春とは何でしょうか」との記者からの質問に対し「あらゆることに挑戦し、自分の力を試す時期であり、模索する時期」と答えられた。学習院大学卒業後は同大学院へ進学された。そして1983年(昭和58年)から2年余り、イギリスのオックスフォード大学に留学し、中世の水運を研究された。留学中は学生寮で独り暮らし。洗濯や買い物もご自分でされ、たまには学友たちとパブ(酒場)へもお出かけになったそうだ。

ところで、2019年9月にNHKが行なった「皇室に関する意識調査」によると「関心がある」が72%、「親しみがある」も同じく72%、男性より女性のほうに、そして若者より高齢者のほうに“親皇室派”が多いことが分かった。超高齢者の翁も根っからの“親皇室派”、
とりわけ翁は現役の頃、幾人かの皇族の方々にお目にかかる(撮影をさせていただく)機会があったので、なおさら皇室ファンになった。例えば1986年「南米パラグアイ・日本人移住50周年記念式典」にご臨席された常陸宮殿下・華子妃殿下の6日間随行取材(テレビ番組撮影=この時は翁と同郷で親交があった歌手・南こうせつも友情出演をしてくれた)、1998年、伊勢市の皇學館大學で開催された「自然と人間の共生・千年の森シンポジウム」(昭和聖徳記念財団主催・翁は総合プロデューサー)で同シンポジウム名誉総裁の高円宮 憲仁親王(たかまどのみや のりひとしんのう)・親王妃久子様と親しく歓談、2000年、靖国神社にて三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう)のご参詣を撮影、などで翁はいっそう皇室への親近感を深めた。なお余談(自慢話)だが翁はこれまでに2度、宮内庁から菊御紋入りの“恩賜の煙草”を頂戴した。最初の煙草を故郷(大分県)へ帰省の際、(今は亡き)母にプレゼントしたら(明治生まれの)母は驚き、感激のあまりその煙草をおし戴いて神棚にお供えした。2度目の煙草は今も翁の部屋の飾り棚に置いてある。

話を戻そう――(畏れ多いことながら)昭和・平成・令和三代の天皇への翁の思いを述べさせていただくと、昭和天皇は終戦の翌年(1946年)元旦に「天皇の神格化」を否定され「象徴天皇」を宣言された(人間宣言)。しかし、翁たち戦前生まれにとって昭和天皇は、やはり「現人神(あらひとがみ)」のイメージが濃い。従って昭和天皇に対して“畏敬の念”(畏れ、うやまう心)。平成の天皇(現上皇陛下)に対しては、より身近な“人間天皇”としての印象が強く“敬愛の念”(尊敬し、親しみの心)。そして今上天皇に対しては(これもまた失礼ながら)ご幼少時代からテレビ映像や画報などで愛くるしい“なるちゃん”のご成長ぶりを拝見して来たので、一段と“親愛の情”が深い。

2月23日の『天長節』に際し、翁は今上天皇のお言葉(ご即位後、朝見の儀で述べられた最初のお言葉)を思い出す。【(前略)顧みれば、上皇陛下には、ご即位より30年年以上の長きに亘り世界の平和と国民の幸せを願われ、いかなる時も国民と苦楽を共にされながら、その強い御(み)心をご自身のお姿でお示しになりつつ1つ1つのお務めに真摯(しんし)に取り組んでこられました。心からの敬意と感謝を申し上げます。ここに、皇位を継承するに当たり、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、自己の研鑽(さん)に励むとともに、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します】。

♪【君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いはほ)となりて苔のむすまで】小石が成長して大きな岩となり、苔が生えるまで――令和の時代は天皇・皇室・国民の安寧、そして国家の平和と繁栄がいつまでも続く世であって貰いたい、まさに“天長地久”であらんことを祈念して『天長節』を祝いたい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究 「お花見シーズン」

2月に入って、まだまだ寒い日が続く中、太陽の陽射しが随分明るく和らいできた。
先週から空が青くスッキリ晴れて気持ちのいい日が続いている。こんな日は遠くまで歩いてみようという気持ちになる。東京は密集した建物が多いのだけれども晴れた日の朝は富士山が見える場所があるのだ。

平地からでも踏切の線路沿いから眺めると遠く雪を被った富士山が見える。
先週は平日に梅ヶ丘の公園に梅を見に行った。電車に乗らずに歩いて30分ほどすると公園にたどり着く。

今年も流行り病の為、梅祭りはキャンセルになってしまったけれど、個人で梅の花を楽しみに来ている人で賑わっていた。誰かが梅のいい香りがすると言っていたのでマスクを外してみたら芳しい香りが漂ってきた。香りは、お届けできませんがせめて今週は、そんな梅の花の写真をシェアさせていただけたらと思います。

スパイス研究家 茶子

さくらの独り言「人事部」

“玄関を入るとそのお宅の躾や価値観が分かる”と厳しく言われて育った。玄関の内外はいつも綺麗に保ち、脱いだ靴を揃えるとかしまうとか、玄関の入ったどこかに季節の花や絵を飾るとか。こどもの頃、何の価値も興味も感じなかったこれらの行儀が、如何に貴重なものだったか、今にしてわかる。躾にうるさすぎる両親のたわごとだと、まるで他人事(ひとごと)の様に聞き流していた自分。ふと今、我が家の玄関に立ってみる。知らぬ間に親の苦言を慣れとし行っている儀に気づく。忸怩たる思いがよぎる。会社も家庭も、入り口が大事、大事。

私達の生活を取り巻く政治・経済も、要は“人”なのだと痛感する毎日だ。それはどんな時代も変わらない。人工知能(AI= artificial intelligence)が急激な発達を遂げている今、私たちの衣食住その他全ての面におけるその活用/実用化の成果には、確かに目を見張るものがある。単なるデータ蓄積や分析のみではなく、人間的な知識や言動の全てを実現化しようとしている。私たちの身近な日常生活でも、目に見えない分野・部署でこの画期的なAIの恩恵を受けている。パンやミルクを買うスーパーも、バスや電車や飛行機も、製品の設計や製造も、地域開発や道路整備も、株の売買や施設入場整備なども、そして今世界レベルで必要とされていると薬局や病院や保健所の運営も、数え上げたらきりがない。私たちの気づかないところでも、私たちの生活と命を支え守ってくれている。でもそのAIを使うのは人。だからこそ、やはり“人”なのだ。どんな名医主体のクリニックや病院でも、受付・会計や看護師の対応の人間性が乏しければ、人を癒すことから程遠い。どんな優れた製品でも、人が正しく使えなければ、安心と喜びは薄い。どんなに確かな事実や記録・統計を使った完璧な提案や企画でも、愛がなければ相手の心に響かない。つまり物事が他人事(ひとごと)でなされてしまうからだと、私は思う。

ところで、人を止める業と描いて“企業”、己が走ると描いて“起業”と読む。どちらも、“きぎょう”。その会社の人事部のことを、じんじ部ではなく、ひとごと部と呼ぶ若者が増えている。本質をついているところもあり、笑ってしまった。企業経営における資源が『人、モノ、金、情報、その他』と言われて久しく、特に人的資源は企業そのもの。人を纏める人事部、モノを纏め環境を整える購買や総務部、資金を取りまとめて活かす経理部、情報機器を駆使し作業効率化を助けるIT部、これら各部書の要は人。例えAIがその業務の一部を担い始めた今も、要(よう)は人。事業の最適化を目指し、経営拡大と存続を担う経営者にとって、人的資源は大きな要(かなめ)、つまり、やはり人。だから最近人事部のことをWork Force(労働力)と呼ぶ企業も増えているが、私はHuman Resource(人的資源)をあえて使うようにしている。決っして、ひ・と・ご・と・部とは言わないぞ。

さて、テレビや新聞雑誌を賑わす事件事故、政治経済の出来事や移り変わりを、真剣に見れば見るほど、読めば読むほど、“ひとごと”記者や批評家が多く残念に思う。特にコロナ感染拡大や災害対策に対しても、オリンピック開催関連事項も、「もっと私たちの資源を大切にしようよ!」とテレビに向かって叫んでいるわたし、ひとごとではなく、私たち自身の、日本国のことなのだぞと・・・っと呟く、さくらの独り言。

ジャズライフ ”The Meeting Place” Ken Navarro

コロナ禍ですが季節は移り変わります。
先週の寒さから気温が上昇してきました。陽も長くなり春が近づいているのを感じます。軽快なジャズが良いなあと思い、ランダムに聴きながら探していたらKen Navarroのスムースジャズにたどり着きました。
テンポも良いし音もきれいなので気持ちが明るくなります。

”The Meeting Place” Ken Navarro

01. Lucky (04:31)
02. Did You Heart That? (05:08)
03. I Wish I Knew (04:53)
04. No Other Way (04:00)
05. My Beautiful Girls (04:40)
06. Meeting Place (03:40)
07. Lakes (05:46)
08. Just Like That (04:46)
09. Language Of Peace (04:17)
10. That Time Of Evening (03:26)
11. Challenge (06:21)

編集後記

『サーバーにWordpressをインストールし雑貨屋ウィークリーのデザインを一新、創刊からのアーカイブも使えるようにする。タブレットやスマホで編集できる。』という当初の目標は達成できました。Wordpressは世界中で使われているだけあってとてもよく出来たソフトウェアです。読者にとっても編集者にとっても便利な機能がたくさんあります。これからそれらを試していこうと思っています。
手始めにサイト内の検索ができるプラグインを入れてみました。サイドバーにワードを入れて検索するとそのワードが(黄色く)ハイライトされます。試してみてください。《R.O.》

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