雑貨屋ウィークリー1425号

雑貨屋のひとり言

処理水の海への放出で中国(共産党)とK国の日本への嫌がらせは目に余るものがあります。自国での酷い汚染状況を棚に上げて、科学的根拠のないデマを飛ばしているだけの幼稚な行動はどこの国もおかしいと思っています。不動産バブルがはじけ中国経済が崩壊し始めているのでそれを隠すために中国共産党がデマを拡散しているように見えてしまいます。中国は日本からの海産物の輸入禁止措置をとっていますが、中国なんかに売らなくても日本国内での消費とほかの国に売ることを考えればいいと思います。私買います。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川 柳  )

ここで時止まってほしい十三夜

満月の兎 地球の荒れ案じ

驕ることなき十六夜の月が好き

藁屋根と昔話を昼の月

9月にもまだ居座っている猛暑

(ニュースひとりよがり)

「カレンダー」

8月32日、33日、34日 ―猛暑

「関東大震災」

今度起きたら百年目 ―東京

「どんぐりの背比べ」

みんな背伸びをして ―安倍派

河合成近

龍翁余話(797)「岡城址と“荒城の月”」

大分県出身で歴史好きの翁、県内の主な城跡はほとんど歩いている。例えば永山城(日田市)、中津城(中津市)、角牟礼城(つのむれじょう=玖珠町)、日出城(ひじじょう=日出町)、杵築城(きつきじょう=杵築市)、大分城(府内城=大分市)、佐伯城(佐伯市)、臼杵城(うすきじょう=臼杵市、そして岡城(竹田市)など・・・この8月の間、帰郷していた翁、今回約30年ぶりに『岡城址』へ行った、5回目である。翁が小学校6年生の頃、当時、町の青年たち8人編成の楽団(コンボ・アンサンブル=オクテット)にギター奏者として加わっていた龍少年(翁)、1948年(昭和23年)の秋に開催された「滝廉太郎記念音楽祭」に(その楽団が“青年部門の代表”として)出演するため岡城址に行ったのが最初。うろ覚えだがステージは岡城・本丸跡の広場に設けられた“仮設音楽堂”だったと思う。演奏曲目は滝廉太郎の代表作『荒城の月』と『花』(春のうららの隅田川)。それだけに翁にとって『岡城址は、滝廉太郎(イコール“荒城の月”)』となるのだが――その後、翁は故郷を離れ神戸から東京へ。学生時代に1度、社会人になってから2度、そして今回(約30年ぶり)5度目の岡城址散策。回を重ねるごとに『岡城址と“荒城の月”』は単に翁の追憶だけではなく“岡城址と滝廉太郎の歴史的繋がり”、更には“荒城の月”の詩の意味(作詞・土井晩翠)を知ることになる。

翁、少年の頃は“荒城は岡城のこと”と思い込んでいた。ところが学生時代、仙台を旅して青葉城址(仙台城址)本丸跡の伊達政宗騎馬像の近くに建つ土井晩翠(どいばんすい=詩人=1871年~1952年、81歳で没)胸像と荒城の月句碑を見る。そこで初めて「“荒城”は、“岡城”ではなく“仙台城”である」ことを知る。4番までの歌詞を全部解釈するスペースはないが、1番の♪春高楼の花の宴 めぐる盃かげさして 千代の松が枝(え)わけいでし 昔の光いまいずこ・・・この詩の背景は武士の時代の終焉、つまり大政奉還から明治維新へ。戊辰戦争での旧徳川幕府体制の終焉を物語っており、更に1871年(明治4年)の廃藩置県、1873年(明治6年)の廃城令によってそれまでの城が“荒城”となり、仙台城もその1つ。仙台出身の晩翠は仙台藩と仙台城の崩壊を心底惜しんだと言われている。なお、詩の中の“千代”は仙台(せんだい)を意味し、“千代木(ちよき)”が松の異名であることから“松が枝”は“仙台城の松”とも解釈されている。

音楽家・滝廉太郎は1879年(明治12年)に東京市芝区(現・東京都港区)で生まれ、小学校時代、大分県直入郡竹田町(現・竹田市)で過ごす。その後、東京音楽学校(現・東京芸術大学)で学び、在学中に土井晩翠の“荒城の月“の詩に出会い、故郷の『岡城址』をモチーフに作曲(1901年に発表)、その後、ドイツに留学するも結核を患い1年足らずで帰国、1903年(明治36年)6月29日、大分市で没する(行年25歳)――従来、竹田市は滝廉太郎を竹田市出身とし”荒城“を”岡城址“と位置づけ、音楽祭や様々なイベントを行なって来たが(史実は若干異なるも)廉太郎が小学校時代、竹田市で過ごしたこと、また”荒城の月“を作曲する際、“岡城址”をイメージしたことを考えると間違いなく“有縁”であると断言してよい。

さて――『岡城址』駐車場に車を停め入場料300円を払って『岡城址』の登り口(石碑)へ。資料によると『岡城』(臥牛城=がぎゅうじょう))の築城は800年前。数々の戦いで一度も落城したことがない難攻不落の山城(海抜325m)。その広さは約100万㎡(東京ドーム22個分)。岡藩の初代藩主は中川秀成、1600年の関ヶ原の合戦で東軍(徳川軍)に組したので城は明治の廃城令まで担保(保障)されたと言う――残暑厳しい中、登り口まで歩くのにもう汗だく。登り口の右側にある茶店のお婆さん「気をつけち行っちょいで(気をつけて行ってらっしゃい)」と声をかけてくれる。約30年ぶりだから、城内の記憶はほとんどないが、まず『大手門跡』は懐かしく感じられる。次は『西の丸跡』(本丸の西側にある藩主の世継ぎの居所、または藩主の隠居所)、ここも広い(テレビで視るサッカー場より広いのでは?)。その『西の丸跡』の近くに『家老屋敷跡』。家老とは家臣軍団の中で最高の地位にある役職で複数人おり、合議によって政治・経済を補佐・運営していた。ここの『家老屋敷跡』の広さから、岡藩の家老は5,6人いたのでは?

『本丸跡』の近く『二の丸跡』に建立されている『滝廉太郎銅像』に合掌して翁、後方の九重連山に向かって『滝廉太郎を偲ぶ歌』を歌う ♪ 空にそびゆる大阿蘇に 昇る煙は変わらねど 消えて帰らぬ短き光 明治の朝のスバル星 あゝ滝廉太郎・・・翁の思い込みが強いせいか(土井晩翠には申し訳ないが)やはり『岡城址と“荒城の月”』は一対(いっつい)である、と思えてならなかった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「ピンチをチャンスに」

日本の財界、政界、宗教界など諸々の業界で赤い国に深く交わってきた皆様今まで、散々私腹を肥やし美味しく楽しい思いをしてこられた事でしょう。でも、もう、いい加減、宜しいと思います。利権まみれの地位や役職にいつまでも、しがみ付いていないで若い人にその席を譲って欲しいものです。欲という亡霊に取りつかれていると、いつかしっぺ返しを食らうでしょう。あの世に財産は持っていけないのなら、せめて罪滅ぼしとして、この国の若者や未来の日本の子供達の為に何か最後に誇らしい事をしてあの世に旅立って欲しいと思います。自分の一族だけが豊かになる事が幸せでしょうか、、、、不幸な人の姿を見て何も感じないというのは日本人的では、ありません。困っている人に心を寄せ、お世話になった人に義理人情を尽くすというのが本来の日本人の姿であったはずです。残念な事に多くの日本人は、まだまだ海の向こうの国の事、人、メンタリティーを知りません。だから自分達の価値基準の物差しで測ろうとしますが善意は利用され仇で返す国というか民族が隣国に限らずある事を知るべきです。世界は日本ほど優しくありません。

今回、お隣の国で、また嘘の情報を垂れ流し、日本叩きを世界に発信しています。もう、それを信じている人はお隣の国でも一部だけのようですが国内の不満が鬱積している今、憂さ晴らしで何が起こるかわかりません。過去に起きた通州事件のような事が起きない事を祈ります。台湾を切り捨てる事が条件で赤い国と国交を結んでから昨年で50年、この間赤い国と特別な関係を作って来た人達を除いて日本にとって何かいい事があったでしょうか?私には何も思い浮かばない。むしろ、どれだけ国益を失った事でしょう。おまけに命まで失った人も、、、、

今、隣国は日本の水産物の輸入に制限をかけると、こぶしを振り上げている。喜ばしい事だと思います。美味しい魚やホタテが安く食べられるかも!と期待したのは私だけではないでしょう。ついでに隣国の食品がいかに危険なものか日本政府は表立って言わなくとも調べれば素人にもわかるのだから、この際、食品以外の木材や雑貨製品など日本人に健康被害が出ないように徹底的に調べて輸入制限をかけて欲しい。もちろん人の入国制限もだ。最近は外国人犯罪が増加しているし犯罪者でも平気で入国させてしまっている日本の入国審査も不思議だ。日本の政府は慌てて水産の輸出先を探す事をしているようだけれど、まずは国内消費を優先すべきではないだろうか、、、新鮮で美味しい魚を日本人が安く食べられるようにしてくれれば健康面の他にもいろいろなメリットがある。政府がそのぶん魚やホタテを高く買い取って負担してあげれば効率がいいはずだ。保存食として加工食品にも利用し、その上で余ったら輸出というのが正しい順番なのではないだろうか。その差額を払うぐらいの財源は、いくらでも政府は金庫に隠してあるでしょう。それに昔から赤い国の人々は海の魚より川の魚を食べてきたようなので、そんなに心配する事もないでしょう。

今まで日本の農業、畜産業、漁業、林業を衰退させる政策ばかりとってきた輩は制裁されるべきだ。どんな会社でも間違った方針を打ち立てて会社が赤字になり倒産したら社長は辞任し責任をとる。それでも辞任もせず会社の財産をこっそり自分の懐に入れていたらそれは犯罪になる。円安もネガティブキャンペーンを唱えるばかりでなく国内回帰の切欠に繋がるチャンスなのだから国内生産を増やし海外に依存しなくても日本国内でビジネスが回るように若い人が活躍しこの国をリードしていって欲しい。

今年は4年ぶりとかで、あちこち全国で夏の夜空を彩る花火が打ち上げられた。中でも秋田の大曲の花火は芸術的で圧巻だった。あんな花火は日本だけだ。各地で行われた盆踊りやよさこいソーラン祭りや阿波踊りなど若い人達が踊っているのを見て元気が出た。祭りとは、感謝や祈り、慰霊の為に神仏及び祖先を祭る行為、儀式なのだそうだ。若い頃は、そんな意味などわからなかった。神輿を担ぐ元気な若者を後ろから見ながら、まだまだ頑張れる若者がたくさんいる事に嬉しくなった今日この頃。

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ Liro Rantana with Lars Danielsson & Peter Erskine ”How long is now”

フィンランドで結成されたスター・トリオのアルバムを初めて聴きました。このアルバムは囁きかけてくるジャズ、体に染み込んでくるようなジャズそんな表現で評価しています。地味な感じの音楽ですが、聴けば聴くほど良くなる良くなるそんな感じのジャズです。《R.O.》

Liro Rantana with Lars Danielsson & Peter Erskine ”How long is now”

01-Voyage (Kenny Barron) 4:18
02-How Long Is Now? 3:59
03-Snapchat 4:10
04-Taksim By Night (Lars Danielsson) 4:50
05-Little Wing (Jimi Hendrix) 4:53
06-Trust 4:46
07-Assisi 5:35
08-Kyrie (Johann Sebastian Bach) 4:19
09-Each Breath (Peter Erskine) 3:23
10-A Nut 3:57
11-Bruno 6:12
12-Topi 4:00
13-Choral (Lars Danielsson) 2:41

Iiro Rantala(piano), Lars Danielsson(bass), Peter Erskine (drums, percussion)

大量ファイルの名前を一瞬で変える方法

仮の名前のファイルがどんどん溜まり、いつのまにか大量のファイルになってしまいました。大量のファイルの名前を変えたいと思っても、手動だとものすごい時間がかかってしまいます。たとえそれがファイルの一部を削除するとか追加するといった簡単なことでも、もしファイルが5000もあると1ファイル2秒の作業でも3時間近くかかることになります。とても手動でやる気にはなれません。これをやるためには何か特殊なことをしないとできないと思っていました。ChatGPTに聞いてみるとPowerShellを使ってやる方法がありましたが、説明がわかりにくくてうまくいきませんでした。諦めかけていたのですが、偶然、“PowerRename”という機能を見つけました。”PowerRename”はMicrosoftが提供するパワーユーザー向けのオープンソースの機能の一つです。エクスプローラに名前を変えたいファイルがあるフォルダを右クリックするとメニューが現れます。そこにあるPowerRenameをクリックすると下図のようなコンテキストメニューが開きます。簡単に複数のファイル名の特定の箇所を一括で変更することができます。たとえばファイル名にある_(アンダーバー)がを削除するとします。ファイルが数千あっても数秒で終わります。MicrosoftのwordやExcelに”検索と選択”がありますが、その中の置換機能が、エクスプローラ上でフォルダ名やファイル名に対して使えるということです。こんな便利なツールを知って、ここでシェアできることをうれしく思います。《R.O.》

編集後記「バカ除けしよう」

学校の教師がプールの水を入れてることを忘れて、6日間も水を出しっぱなしでプール6杯分の水が流れてしまい、水道代が190万円にもなった問題がおこり、市長が学校の校長と担当教師に半額の95万円の弁償を求めているニュースがあります。1、2時間ならわかりますが、6日間も気づかなかったのは、自分が蛇口を開いたことさえ完全に忘れて放置した残念で無責任な行為ですね。忘れた本人はきっと後悔していると思います。一方、市や学校はこういうことが起こったらどうするということを文書に書いて説明していたのなら請求できるかもしれませんが、そんなことはやっていなかったと思います。果たしてどう決着するのか見守りたいと思います。忘れることはあり得ることですから、せめてタイマーで時間が経ったらスマホに知らせるようなバカ除けをするべきでしたね。《R.O.》

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