雑貨屋ウィークリー1301号

雑貨屋のひとり言 「松山英樹選手マスターズ優勝」

ジョージア州オーガスタナショナルGCで開催されたマスターズ・トーナメントに出場していた松山英樹選手は初日から上位をキープし3日目でついに首位に立ちました。テレビで中継を観ていた日本人の誰もがもしかしたら優勝できるのではと期待したと思います。日曜日は4日目に起こるすごいことに期待しながら寝ました。最終日も期待通り首位をキープし後半で二位と5打差あったのでこれで優勝する確率がかなり高くなったとワクワクして観ていました。しかしそうすんなりとは行かないもので15番ホールで2位と一打差まで縮められ、ハラハラに変わりました。マスターズで優勝する難しさを改めて思い知らされました。松山英樹選手の冷静なプレーで18番ホールのボギーパットを沈めてとうとう歴史が変わる日となりました。87年の歴史の中でたくさんの日本人選手がチャレンジして成し得なかったのですが、松山英樹選手が日本人初、アジア初のマスターズ優勝となりました。正確なショットをするための彼(とサポートチームメンバー)の並外れた努力が実った結果だと思います。松山英樹選手、おめでとうございます。そして感動を与えてくれてありがとうございます。これからも活躍が楽しみです。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川  柳 )

十年で答えまだ出ぬ汚染水

人間の愚かが核という墓穴

戦争反対遠い昔がなお叫ぶ

クローンに神を恐れぬメスを持ち

5Gの先頭競う資本力

(ニュースひとりよがり)

「ヨシとジョー」

お手並み拝見 -トランプ劇場

「中止発言」

二階から水を差された -東京五輪

「巣篭り」

退屈だなあ -ミライトア、ソメイテイ

河合成近

龍翁余話(674)「テレビ番組の質が落ちた?」

戦前・戦後の日本の言論界に極めて異色の評論家がいた。その人の名は大宅壮一(おおやそういち=1900年~1970年)。彼はジャーナリストでありノンフィクション作家であった。そう、現在ジャーナリスト・評論家として活躍している大宅映子さんの父君である。壮一氏が亡くなった翌年(1971年)に、東京・世田谷区八幡山に「大宅壮一文庫」が開館した。壮一氏の著書・遺稿は勿論のこと、各分野の書籍約7万冊、雑誌類約78万冊が所蔵されている。翁、1975年(昭和50年=この年から某専門学校芸術学部教諭を拝命、(その後、10年間、映像制作会社経営との“2足の草鞋人生”が続いた)頃から時々同館を訪れ“大宅式マスコミ論”を学習した。その「文庫」から多くのことを学んだが中でも「ジャーナリストは物事をタテ・ヨコ・ナナメから視た上で客観的に判断する総合的分析力を持たなければならない」と言う壮一氏の教えが翁の学生指導とテレビ番組づくりの基本理念となった。

何故、翁が「大宅壮一文庫」に足を運んでいたかと言うと、実は、翁が若い頃、映像制作会社を設立して以来、長年お付き合いをいただいた先輩・安達義幸氏(1990年没)が同文庫の副理事長を務めておられたからだ。安達氏は元田辺製薬宣伝部長、日本広告審査機構(JARO)専務理事代行・総務部会長などを歴任、「大宅壮一文庫」の副理事長も兼ねておられた。と言うのは、安達氏の奥さんは壮一氏のご長女、つまり映子さんにとって安達氏は義理のお兄さんに当たる。なお、壮一氏夫人・昌(まさ)さんも評論家活動をしておられ、1971年「大宅壮一文庫」発足以来(2007年、100歳で亡くなるまで)終生、理事長を務められた。(現在は映子さんが理事長。)

さて、1953年(昭和28年)、NHK東京放送局によって日本初のテレビ本放送が始まった。1955年(昭和30年)代に入り、戦後の混乱からようやく抜け出た日本の庶民生活の中に“三種の神器”(白黒テレビ・電気洗濯機・電気冷蔵庫)がボツボツ入り込むようになると政府やマスコミは「世はまさに神武景気、高度成長期到来、もはや戦後ではない」とはしゃぎ出した。そんな時期、“辛口評論”の雄だった大宅壮一氏が「一億総白痴化」と言う流行語を造り出した。「テレビというメディアは非常に低俗なものであり、テレビばかり視ていると人間の想像力や思考力を低下させる」と言うのが“白痴化”の意味だ。後年、テレビ番組制作に携わるようになった翁は(大宅氏の)“白痴化論”に反発して「テレビが国民を衆愚にしてはならない。テレビは視聴者に広い知識と正しい情報を提供し、楽しみながら教養涵養に寄与するものでなければならない」と多少、青臭い理想に燃えて(特にドキュメンタリー番組に)取り組んだ。某局のプロデューサーから「龍翁さんの作品はNHKの教育番組風で、硬くて面白味に欠ける。面白くなければテレビではない」と酷評されたことがある。それでも翁は(これまた大宅氏の、もう1つの持論)“客観性・総合性・啓蒙性”を重視した番組制作姿勢を頑固に貫いた。
現役を退き、隠遁暮らしに入るとテレビを視る時間が増える。ドキュメンタリー番組は勿論のこと、時代劇や西部劇が好きで、あとはニュース、報道番組を視るのだが、今世紀に入り、ドキュメンタリー番組が少なくなった。そして何故か左翼色の強い報道番組が出て来た。右翼系の翁はその番組を仕切る司会者や登場するコメンテーターたちを(頭から)軽蔑しているからあまり視ない。それと、お笑い芸人が大嫌いで、彼らが貴重な電波を使ってバカ騒ぎするのは実に腹立たしい。偏見だろうが「(したり顔で偉そうにしゃべる)左翼系コメンテーターとお笑い芸人がテレビ番組をつまらなくしている」と翁は断言する。

近年、国民(特に若者)のテレビ離れが進んでいるようだ。理由は「YouTubeなどテレビ以外の情報ツールが充実して来た」「趣味自体が多様化して来てテレビを視る時間が少なくなった」などが挙げられているが、ある調査機関の「テレビ接触頻度調査」によると、10代から20代の6人に1人がテレビを保有していない、または1か月以内にテレビ視聴無しの日が数日ある、更に10代~50代ではテレビを視ても、1日せいぜい2時間以内、が65%という結果が出ている。更に中・高年層の“テレビ離れ”の理由として「芸人司会の報道番組は上っ面だけの進行だけでテーマ内容の深みの追及に欠ける」「芸人に“時事問題を語る”資質があるのか」「今やテレビはお笑い芸人が席巻している」など――これらは多少“職業差別”に聞こえなくもないが、現実は“当たらずとも遠からず”の感はある。しかし、芸人の中にも番組テーマを真摯に研究し、学習しているタレントもいる。要は「放送倫理基本綱領」も知らない掛け持ち売れっ子(お笑い芸人)が多すぎることだろう。いや、「放送倫理」を知らない(あるいは軽視している)のは出演者ばかりではない。番組の送り手(放送局・スタッフ及び番組制作関係者、スポンサーら)が“視聴率を優先”して「放送倫理」を軽視している向きが多く、それに視聴者もまた、その風潮に流されているのが実情だ。

1996年(平成8年)9月に「放送倫理基本綱領」が制定された。それまでにも「放送コード」(番組内容や表現に関する規制・規範の取り決め)はあったが更に放送基準の根本理念を(NHK、民放連共に)確認しあったのが「放送倫理基本綱領」である。今一度「倫理綱領」(要旨)に触れてみよう。「放送は福祉の増進、文化の向上、教育・教養の進展、産業・経済の繁栄に役立ち、健全な娯楽性を持ちながらも放送の公共性を重んじ、法と秩序の順守、基本的人権を尊重し、国民の“知る権利”に応え、国民生活全体の向上、国の発展と平和への貢献に努める」――

かつて翁は、大宅壮一氏の「一億総白痴化」論に反発したが、現役を退いて以来、視聴者としてテレビ番組を視るに(残念ながら)「テレビ番組の質は落ちた?」を思わざるを得ない番組が多い。4月21日は「民放の日」(1951年に制定)である。この日に際し、放送に携わる全ての関係者に言いたい「もう一度“放送の使命”を認識し直そうではないか」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究 「愛国女子と愛国男子」

今回、暫定総理の菅氏と米国のバイデン氏( 取り敢えずお飾りの大統領?)が正式に直接会って初会合がワシントンで行われた。お互い相変わらず人が作った原稿を読んでいるので何もインパクトが無い。自分の信念に基づいて自分の言葉で話す人の言葉はそこにパッションが加われば聞いている人の気持ちにストレートに伝わってくるものだ。合同会見では、当たり障りのない事が発表された程度で本丸は台湾と半導体の話だったらしい。この会談が行われる前に一足先に米国に飛んだ深田萌絵さんの勇気には敬服する。彼女は若手ITジャーナリストでもあり、かつて日本が世界をリードしてきた半導体の状況を詳しく知っている。そして、どうして日本の企業が衰退していったのかも冷静にしっかり分析している。かなり前から日本の危機的な状況を知らせようとずっと発信してきた。それは、現場を見て現場で仕事をしてきた彼女だから言える事なのだ。仕事をしながら本も出し日本の未来の為、日本企業にも直接出向いて警鐘を鳴らしてきたにも関わらず聞き入れてもらえなかった。そこで今度は日本と米国の安全保障にも関わる大事なことなので一足先に米国に証拠を揃えて出向いたと言うわけだ。誰と会っているのかは知らないけれど今の米国議員は共和党の中にもかなり赤い国と繋がっている売国議員がいるので的確に彼女のメッセージが然るべき人に届けばと願うばかりだ。彼女の身に迫る危険も顧みず彼女の親族にも危機が及んでいるにも関わらず果敢に守るべきもの守ろうとするひたむきな姿勢はすごい。それに比べ日本政府や警察は役立たずばかりで一体どうして機能しなくなってしまったのだろう、、、

さて台湾にあるTSMCという半導体のチップを作っている会社。いろいろな製品に使われているこの半導体チップは全世界の半分を供給しているのだそうだ。
オーナーは台湾人でも赤い国から来た人で赤い国の戦闘機を優先してドンドンそのチップを供給していると言う。あの赤い国はいろんな隠れ蓑を持っている。日本の車会社などは後回しなので赤い国が優先で今深刻なチップ不足な状況らしい。
アメリカのF35に使われているチップが赤い国の戦闘機と同じものでそれをTMSCが
横流ししていた事を知ってアメリカもようやく目が覚めたらしい。
台湾は私も好きだけれど、そこに潜む赤い国の影に気がつかないと取り返しがつかないことになる。その会社に日本の莫大な税金を投入しようとしている日本政府に対して深田萌絵さんは絶叫していた。
“ お願いです。どうか日本のために日本に投資して半導体の会社を日本で作ってください。今なら間に合います。これは日本が復活できる最後のチャンスなんです。
日本には、まだまだ優秀な人材がたくさんいます。どうして私たちの税金をよその国に投資するのですか?私たちの雇用も増やしてください!”と。

私が注目している妙佛さんのDeep Maxの動画でもTMSCに関してお金の流れを追っていた。彼は流石にかつて赤い国で勉強しビジネスをしていた経験があり知識も豊富で向うの言語が読めるので、かなり情報が詳しい。
彼の話す言葉も切実に私の心に迫って来る。深田萌絵さんも動画ネームの妙佛さんも本当にこの国を思い発信し続けているのだ。こういう人達のコメントを見るとやはり優れている人が多いのだな~と感じる。日本の愛国者は確実に増えてきているのだと感じるこの頃だ。

スパイス研究家  茶子

さくらの独り言 「いつからだって・・・」

松山英樹選手がマスターズ優勝を決めた瞬間、歓喜感涙。天から何かが舞い降りるのを見ているような、驚きの大波に呑みこまれるような、まさに激震が身体中を走った。4月11日(日本時間12日)、ゴルフを愛する人もゴルフを知らない人も、日本人もそうでない人も「感動した!」瞬間。29歳の日本人青年が成した快挙、そのインタビューや取材記事を見聞きする今、心に浮かぶ言葉がある「いつからだって いちから 始められる」。松山選手のこれまでの、そしてこれからの鍛錬の日々は想像を絶するものに違いない。彼が毎日毎日、何かを始め、何かをなし続けたことに、オーガスタの女神がほほ笑んだと私は信じる。

「いつからだって 一から 始められる」、これは松山選手の言葉ではなく、一空堂のK作さんの一作品で、私愛用の日めくりカレンダー。毎日1枚ずつ、ひと月31日分とおまけの閉めが1枚ついた32枚で綴られている。大の月31日は別としても、1年で12回、同じ日にちの言葉を読むことになる。毎朝起床したら、まず初めに日をめくる。その日めくりの毎月最初にめぐりくる言葉、それが『いつからだって いちから 始められる』。18年間も使っているから、同じ言葉を216回は読んでいることになる。この一枚いちまいに書される言葉に叱咤激励されながら日々を迎え、日々を送っている。

ところで、松山選手のマスターズ優勝に関する国内外の記事には、“チーム松山”を讃えるものが多い。トレーナーの飯田光輝さん、キャディの早藤将太さん、通訳のボブ・ターナーさん、そしてコーチの目沢秀憲さん。松山選手を支えている彼ら夫々の活躍やエピソードの数々、中でも特に、チーム松山に貫かれている“日本(人・文化)の美しさと強さ”、“自分の鏡”、そして“その時から始める(始めた)”ということが私の心に響く。キャディ早藤さんのお辞儀は選手の潔さを日本美に代えたとして、日米スポーツ界に通念した通訳のボブ・ターナーさんは日本文化の懸け橋として、トレーナー飯田さんは夢をより強い形に創る日本人職人として、そしてコーチ目沢さんは、選手の心身内外の360度を映し出し答えを見出す鏡として、それらが“チーム松山”の絆を強めた。セルフ・コーチングを信じそれに徹してきた松山選手と目沢氏コーチとの出会と共業の機会に関する記事を読んだ時、繋がったのが日めくりカレンダーのことば「いつからだって、いちから始められる」だ。松山選手は結果を出すために今まで拘ってきた自分の何かを捨て、新たにコーチについてもらい、いちから始める決心と実践をした。夢を形に、実現するために。その決意と絆の創出には、東北の人々の祈りが何よりも大きかったという。「あの時(10年前の災害で皆さんが大変だった時)、オーガスタに行かせてくださったことに心から感謝します」、この言葉は、彼のどの言葉よりもおもく尊い。心底に響いた。それは、日本中に、そして世界中に響いたと思う。

ゴルフは、人生や旅、経営者や仕事、四季や日々の生活、自分や他人、身体や心の鏡だと例えられることがある。孤立ではなく孤独と闘ったり、観ることや見られることに惑わされたり、人や物にこだわったりと。それは、その人そのものに生まれながら与えられ培われたものと、今現在の生き様が鏡に映し出されるのだと思う。私にはどんなジャンルの選手でも、好き嫌いはあって、「応援したい、絶対勝ってほしいと願う選手(時)」とそうではない選手(時)がある。それは私の我儘で、単なる好き嫌いだ。でももしかしたらその選手の向かっている方向やエネルギーが一般人私にも近づいてくる気がする。それもまたその選手のもっている見えない糸の力、絆の創出だと思う。私は2017年、全米プロゴルフ選手権で優秀を逃がし(苦し)、2位タイで終えた松山選手の、男泣きが忘れられない。それも、美しかった。大好きだ。東北に住む女神は10年後の今、オーガスタの女神に囁いたに違いない「いつからだって、いちから、はじめられる」って。そして私たちにも・・・っと呟く、さくらの独り言。

ジャズライフ ”What’s It All About”  Pat Metheny

また素敵なアルバムを見つけました。今週はPat MethenyのWhat’s It All Aboutです。
初めてこのアルバムを聴いたらだれが演奏しているのかわかりません。
これまでの曲とまったく違います。
アコースティックギターを使ったPat Methenyのソロアルバムです。
このアルバムの中にはPat Methenyのオリジナル曲は一曲もありません。アルバムはThe Sound of Silenceから始まり、誰もが知っている名曲が集められています。

“What’s It All About” Pat Metheny
01.The Sound of Silence
02.Cherish
03.Alfie
04.Pipeline
05.Garota de Ipanema
06.Rainy Days and Mondays
07.That’s the Way I’ve Always Heard It Should Be
08.Slow Hot Wind
09.Betcha by Golly, Wow
10.And I Love Her

編集後記

年に1、2度皮膚科の先生に診てもらいます。私はこの先生と会うのがとても楽しみです。永年の友人のように親しく話ができるからです。診察は20、30秒で、あとは世間話になります。お互い若いよねーと言いながら、ファッションやスポーツの話をしたりします。話の流れで私が雑貨屋というホームページを毎週発行していることを話したら、ぜひ見たいというのでスマホでページを紹介しました。コメントを送ってくれました。たくさんの患者が待っているのにいつも世間話が長くなるのでちょっと気になっています。《R.O.》

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