雑貨屋ウィークリー1356号

雑貨屋のひとり言「100%回復」

コロナ発症、自宅療養から1ヶ月が過ぎ、体調はほぼ100%回復しました。孫も家に来てくれるようになりました。これまでの生活が戻ってきました。私たちの場合は軽症でしたがスッキリしない日が約1カ月もつづくので症状の重い人は大変だろうと思います。

今年はコロナの制限ゴールデンウィークになったので多くの日本人が移動したようです。これまで会えなかった人と久しぶりの再会をした方もおれらるのではないでしょうか。これだけ人が動いたのですから反動でコロナ感染者が大きく増えないことを願っています。《R.O.》

川柳(東京・成近)

(川 柳)

ドングリを並べて明日の策を練る

いい知恵も悪知恵も出ず汗流す

蹴とばした缶に弱気を叱られる

歯ぎしりがいつかいつかと言っている

一本の葦も必死の水面下

( ニュースひとりよがり)

「改憲の機運」

プーチンが煽ってる ―日本国憲法

「Uターンラッシュ」

祖国ウクライナへ ―避難民の夢

「Uターンラッシュ」

まさか?ソ連の戦車が ―プーチンの悪夢

河合成近

龍翁余話(728)「憲法施行75年と沖縄復帰50年」

今年の5月3日に『憲法施行75年』を迎えた。ロシアによるウクライナ侵攻で大勢の人の血が流されている最中、我が国においていよいよ憲法改正を巡る議論が活発になっている。時を同じくして5月15日は『沖縄復帰50年』を迎える。そこで今号は『憲法改正論』(特に第9条)と『復帰後の沖縄』(特に安全保障と基地問題)の関係性を考えてみたい。まずは『憲法改正論』から――5月3日の新聞各紙は『憲法施行75年』を取り上げた。その中で、翁の考えと同じくする産経新聞(主張)を参考にして“龍翁の憲法改正論”を吼えてみたい。

日本国憲法の前文に「平和を愛する諸国民の公正と信義を信頼して、我らの安全と生存を保持しようと決意した」と言う文言がある。今、読み返すと、これがいかに空論であるかを思い知らされる。現実を見よ、ロシア、中国、北朝鮮のような信義も国際法も人権も無視する“ならず者国家”が近くにいて、いつ日本に牙を剥くか分からない不穏な状態が続いている。そんな現実の中、憲法前文の「平和・公正・信義」など”絵空事“にしか思えない。国連安保理事会の常任理事国として国際社会の平和に責任を持つべきロシアが、こともあろうに(おとなしい)ウクライナに言い掛かりをつけ攻め入り殺戮を続けている。もしもウクライナが日本国憲法の前文のような決意であったなら、今頃は(あっという間に)ロシアに蹂躙され、属国(衛星国)にされてしまっているだろう。しかしウクライナは祖国防衛(平和と民主主義・独立)のために必死でロシア軍と戦っている。そのことに対し、日本や欧米諸国は深甚なる敬意を払い惜しみない支援を続けている。

よく考えてみよう――戦後、日本の平和を守って来たのは憲法の前文やそれにつらなる第9条ではなかった。国際法や外国の主権を無視する中国、北朝鮮、それにロシアが日本を攻めなかったのは、日本の第9条を尊重していた訳ではない(尊重するはずもない)。突き詰めれば自衛隊(すでに世界的レベルの戦闘技術力を持った軍隊)と日米安全保障条約に基づく米軍の存在が抑止力となって日本の平和が守られて来たのだ。75年も経って“ならず者国家”が軍事力にモノを言わせている現在においてなお、憲法前文や第9条の中の「陸海空軍を保持しない、交戦権を認めない」はもはや“空念仏”もいいところ。翁はこの際、大いに吼える「我が国は(他の民主国家と同様)自国の防衛・平和・繁栄のために第9条の“戦力の不保持”を改め“軍(自衛隊)の存在”を明記し“個別的自衛権”はもとより“集団的自衛権”を活用して友好国と共に手を携えれば、日本を侵略しようとする馬鹿な国にとっては、ハードルはいっそう高くなる」。但し、翁は言う「我が国の戦力保持・強化はあくまでも“日本の安全保障(国家防衛)”のためであり“外国への侵略”の歴史を繰り返してはならない」――岸田政権も憲法(第9条)改正には積極的だ。「自衛隊明記」は勿論のこと、ミサイル攻撃などに対抗する「反撃能力」導入をも検討中だそうだ。「反撃能力」とは、かつて相手国のミサイル発射拠点を叩く「敵基地攻撃能力」の改称である。しかし、中国や北朝鮮などのミサイルの性能向上は著しい。飛んでくるミサイルを迎撃する“ミサイル防衛”だけで本当に日本を守れるのか。この際、政治家・国民挙げて現実的な「安全保障論議」の質を底上げしなければならないだろう。

さて――1945年(昭和20年)8月15日大東亜戦争(太平洋戦争)終結後に占領されてから1972年(昭和27年)5月15日の『返還』までの約27年間、「沖縄はアメリカだった」。例えば通貨は日本円ではなく米ドル、交通ルールは車は左ハンドルで右側走行(本土並みに切り替えられたのは6年後の1978年(昭和53年))、そして本土から沖縄へ、沖縄から本土へ渡航する時はパスポート(渡航証明書)が必要だった。一方で米国は沖縄市民に対し無理な同化政策は取らず、教育や文化面は本土の制度(日本文化)を尊重し文化財の破壊を防ぎ、散逸した古文書の収集や首里城の復元も行なった。翁はこの米国の文化意識の高い統治政策には敬意を表する。そこで「返還後の沖縄の50年史」の中で翁は『復帰後の沖縄の安保上の意味合い―基地問題』にスポットを当てる。

何故、沖縄に基地があるのか――結論から言う「日米にとって沖縄は中国の覇権行動から日本列島・太平洋を守る最重要地である」――米ソ冷戦下の時代、日本の安全保障の最前線はソ連(現ロシア)と接する北海道だった。当時、沖縄駐留の米軍はベトナムなどに派遣される部隊の最前線基地の役割だった。そして当時の中国海軍は沿岸監視のための小型船しか保有していなかったので、大きな脅威ではなかった。だが1960年(昭和35年)頃から中国は核開発を進め、1970年(昭和45年)頃から尖閣諸島に色気を出すようになった。当初は漁船風の小型船で尖閣海域をチョロチョロする程度だったが本格的に日本に脅威を与えるようになったのは習近平が国家主席になった2013年(平成25年)からだ。その頃から中国海軍は武装した大型船“中国海警”公船が日本領海の尖閣諸島海域へ侵入(侵犯)を繰り返すようになった。その間、中国は軍拡路線に走り、現在、空母2隻を保有、2016年(平成28年)12月以来、沖縄~宮古島間の海域を通過し太平洋進出の訓練を繰り返している。内陸部には沖縄を含む日本列島・グアムを射程に収める弾道ミサイルを配備し、(日本政府が言う)ミサイル防衛(迎撃)が難しい“極超音速滑空兵器“の開発も進めている。

日本各地に米軍基地が置かれているが、特に“沖縄米軍基地”はこれまでに様々な問題が発生した。政府はこれらの諸問題に真摯に対応しなければならないし、今まで以上に沖縄県民の生活の安全性と経済振興を図らねばならないが“沖縄米軍基地”は今後、ますます重要性を帯びて来る。しかし“ならず者国家”の覇権行動に対し日本は”米軍頼り“だけでなく”自力防衛力“を強化しなければならない。そのためには何としても憲法(第9条)を改正しなければならない。そのことに政治家や国民が目覚める”時“が来たのだ・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究 日本のお宝探し旅⑤ 小田原の誇り 二宮尊徳氏

日曜日の朝7時8分東京駅にサンライズ出雲が到着した。あ~今日で一週間の旅が終わってしまうな~となごり惜しい気持ちでサンライズ出雲の列車から降りた。

さて、今日、日曜日の真夜中の12時まではJapan Rail Passが使える。どこに行こうか、、、ともかく朝食を食べながら考えようと東京駅構内にある私の好きな牛タン屋さんに向かった。ここは朝食が550円で食べられるのだ。以前メニューを見ていて朝からやっているのを知った。朝から丼で山盛りの麦飯にとろろ。こんなに食べられるかな~と思ったらオックステールのスープや牛タンの佃煮のおかずも美味しくてペロリと食べてしまった。食べながら近場でお宝を考えていたら小田原が浮かんだ。そうだ、以前も行った事があるけれど二宮尊徳記念館にまた行こうと決めた。以前、用事があって栢山駅付近を歩いていたら偶然二宮尊徳記念館を見つけたので入ってみた。その時に“二宮尊徳さんの事なら何でも聞いてください”とボランティアガイドの方がおっしゃって何を聞いても即答し、その知識の深さに驚いた記憶がある。あの時のボランティアの方のお名前を聞いてお礼の手紙でも書けば良かったと後悔した。まだ、その方はいらっしゃるかな~と思い出しながら小田原駅を降りた途端、シトシト雨が降り始めた。そのせいか記念館は、あまり人が訪れていなく静かで前回と同様に私が最初の入館者だった。私がLAから来た事、LAのリトル東京の二宮尊徳氏の像が1度盗まれて何者かによって、また戻された事。銅像の下に説明書きが記されていた銅板が盗まれて今も、そのままになっている事を話したら受付の人がボランティアガイドの人を呼んできてくださった。その方は“今日はこの記念館でどのくらいのお時間がとれますか?”と私に聞いた。“今日は旅の最後の日なのですが今回の旅のテーマは日本の宝探しです。以前もここに来た事があるのですが二宮尊徳さんの事をもっと知りたいと思って来ました。その為だけに今日はここに来ました。“と言ったらにっこり笑って一つ一つゆっくりと丁寧に二宮尊徳さんの生い立ち、生き方、哲学、功績など、わかりやすく説明してくださった。その時間およそ3時間。とても有難いけれど私だけの為に申し訳ない気持ちになった。一生懸命聞いて忘れないようにノートに書かなくてはと、急いで書いたら後で自分の文字が読めなかった。ちょっと情けなくなったけれど、あんなに親切に教えて頂いたので、もう一度、資料を見ながらボランティアガイドさんの言った事をおさらいしようと思った。聞くとそのボランティアガイドの方は元教師のお仕事をされていたとかで、なるほどと納得してしまった。このような人が先生だったら私も、もっと真面目に学校の勉強をしたのに、、、と思わせるほど品格があり先生の模範のような方だった。

二宮尊徳氏の功績は、山のように、たくさんあるけれど今回ボランティアガイドの方から聞いて感動した事、知らなかった事の中に御木本パールの初代会長、御木本幸吉氏が日光に立ち寄った時に二宮尊徳氏の報徳思想に触れ感動しそれを仕事に生かし真珠の養殖事業で世界初の真円パール作りに成功された事。御木本幸吉さんも幼少の頃から、とても苦労なさっていて自分と二宮尊徳氏を重ね合わせたのかもしれない。自分は海の尊徳になると公言し頑張ったそうだ。御木本氏が成功してすぐに行動した事は他人の手に渡った二宮尊徳氏の生家を買い移築された二宮尊徳氏の生家を元の場所に戻し草がぼうぼうになった土地の手入れをしたそうだ。それが今もそのまま大事に記念館の敷地の中に残されている。当時、御木本幸吉氏は渋沢栄一氏から紹介されてトーマスエジソンにも会っているらしい。その事がニューヨークタイムズにも書かれたらしく、その記事も読んでみたくなった。トヨタの初代会長豊田佐吉氏も報徳思想の信奉者だったらしい。ビジネスで成功している人は哲学も経済も政治も人もわかっていないと難しいし長続きしない。私の好きな二宮尊徳氏の言葉で“道徳なき経済は犯罪であり経済なき道徳は虚言である”という言葉がある。道徳も経済の事もわかっていなければ、こんな言葉は残せない。共同組合のようなルーツを最初に作ってお金に困っていた農民のお金の貸し借り制度を作ったのも二宮尊徳氏だったそうだ。日本は昔から自然災害があり川の氾濫も津波も度々あり二宮尊徳氏も田畑や家を失くした。その経験を元に利根川分水路の測量調査をしたのも二宮尊徳氏が初めてだったそうだ。苦労に苦労を重ね不屈の精神で知恵を絞り全国600もの村の復興に努め成功させた。知恵や閃きアイディアというものは、このように前向きに努力する人に天から降りてくるものなのかもしれない。こういう人こそが国のトップにふさわしい人なのだと思う。尊徳記念館を後にして雨の中、今度は酒匂川へ歩いて行った。そこは豪雨がある度に川が氾濫し二宮尊徳氏の家や田畑が飲み込まれる原因となった場所。その土手を川の氾濫から守るために二宮尊徳氏が13歳の頃、松苗を植えたとされた所で1度その川沿いを歩いて見てみたかった。いつの時代でもそうだけれど尊徳氏が小田原藩名主役格として登用され成功していくのを農家出身なのにと、尊徳氏の功績をやっかむ人や足を引っ張る人がいて悩み苦しんだそうだ。その時に、普通の人であれば、相手を恨んだりするものだし、自己犠牲になってここまで尽くしてもわかってもらえないのなら“もう、こんな村とは、おさらばだ”と思うのが普通だ。でも尊徳氏は違った。どうしたら自分の考えをわかってもらえるのだろうと、もう1度自分を見つめなおす為に成田さんで21日間の断食水行を行った話は有名な話だ。でも、その陰で、なみさん(尊徳氏の奥様)も同じように断食していたという事は知らなかった。尊徳氏のやってきた事への尊敬と絶対的な信頼と強い信念が無ければ出来ない。尊徳氏が行方をくらまし成田山のお寺に引きこもってから彼のやった事、言った事が正しかった事がわかり農民の人が彼を感謝の気持ちで迎える事になった事は本当に良かった。

自分さえ良ければいい、お金や地位や名誉が大事だと考える人もいるけれど本来、人は人に喜ばれる事をしたり、人助けをして感謝されると幸せな気持ちになるものだ。相手の笑顔を見たら、こちらも笑顔になる。いくら財を成してもあの世には持っていかれないし自分がその財産を保持出来る期間も限られている。

それにしても、これだけの功績を成し遂げた二宮尊徳氏の事を今の若い世代の人は知らないのではないだろうか、、、、昔は小学校の門のところに二宮尊徳氏の銅像があるのは当たり前だったそうだ。ボランティアガイドの方が興味深い事をおっしゃった。“戦後GHQは自分達にとって都合のいい部分だけを選別して二宮尊徳氏の教えを残した”と。私にとっては意味深な言葉だった。その事に関してもっと聞いて見たかったけれど、これから先は私にとっての宿題だと思った。

母から戦後、教科書の墨塗をさせられたという話を聞いた事がある。焚書(ふんしょ)と言ってGHQに焼かれた本も数限りあるらしい。どの部分を何故、削除したのか益々興味が湧いてくる。ともかく相手の価値観に合わないからという理由で一方的に処分されたものの中に日本にとって宝物のようなものも、たくさんあったのではと思う。7日目の宝探しの旅を終えて最後の日は小田原から東京に向かった。

まだ、まだ今後も私の宝探しは続く、、、、、

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ Sweet Jazz Trio “My Romance”

ストリーミング配信はたくさんの音楽を聴きたい人にとってCDアルバムを所有せずにいつでも好きな時に好きなだけ楽しめる画期的なサービスです。私が雑貨屋でジャズアルバムを紹介し始めた頃はジャズCDアルバムを探し回りました。一年で52枚ですからその数倍は聴く必要があると思っていました。CDショップでは自分好みのアルバムに出会えるかどうかわからないですし、経済的に購入できる数が限られます。そこでCDアルバムをレンタルすることにしました。幸いTSUTAYAはどこにでもあり神戸、大阪間のTSUTAYA店から片っ端からレンタルしました。でも何年かすると借りたいものがなくなり、次は楽天やGEOのレンタルサービスでアルバムを大量に借りました。借りたCDはMP3ファイルにして保存しました。トータルで1000枚以上をレンタルしたのですが、これでも限界を感じました。世界には星の数ほどジャズアルバムがあるのにその一部しか聴けないことにもどかしさを感じていました。そんな時にAmazon PrimeでAmazon Musicに出会ってからは私のジャズライフが大きく変わりました。大音量、小音量どちらで聴いても素晴らしい音を引き出してくれるオーディオシステムがアルバムの特徴をつかみやすくしてくれる環境になったのでもうアルバム探しに困ることなく永遠にこのコーナーを続けられると実感しています。《R.O.》

音の響きがとても心地良いスウェーデンのジャズユニットSweet Jazz Trioを偶然知ることができました。今回その中から選んだのは”My Romance”というアルバムです。トランペット、ギター、ベース が織り成す美しいスタンダードの数々、しっとりしたバラード系のアルバムです。スピーカー(Klipsch、YAMAHA)、アンプ(Marantz、デジタルアンプ)、音源(PC、スマホ)を取り換えながら聴いています。スピーカーはデスク上よりスピーカースタンドに乗せたほうが確実に音が締まって聴こえることが分かりました。

Sweet Jazz Trio “My Romance: Standard Collection: Vol.1”

1-I Thought About You
2-I Only Have Eyes For You
3-Georgia On My Mind
4-Topsy
5-Little Old Lady
6-Laverne Walk
7-Warm Valley
8-Struttin’ With Some Barbecue
9-Ooh, That Kiss
10-All My Life
11-Two Little Pearls
12-I´m Getting Sentimental Over You
13-My Romance

LASSE TORNQVIST(cor),MATS LARSSON(g),HANS BACKENORTH(b)

編集後記 「断捨離」

新しいものを買ったら要らないものを捨てるようにしようと思っていますが、捨てられずそのまま増えているモノもあります。家の中に長年整理できずにあるモノがあります。その中で悩ましいのが写真と書類だと思います。片付けを始めても捨てられなくてまた同じ場所に戻っているものもあります。本当に要るかと自問自答しても明確な答えが出なかった、出したくなかったからかも知れません。これから先、これらが必要か、使うことがあるかを考えてそうでなければ処分することにしました。判断に迷いながら処分していくことになると思います。処分した後悔よりしなかった後悔のほうが大きいのではないかと思うようになってきました。《R.O.》

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