雑貨屋のひとり言「バスから見た自転車の運転マナー」
月曜日、バスに乗り、前方のようすがよく見える席に座っていました。あまり広くない道路を走っていると、バスは走りにくそうに、ときどき止まりながら進んでいます。よく見ると、反対方向から自転車が二、三台ずつ走って来て、バスの横をすり抜けて行くため、バスが前に進めなくなっているのでした。
今年の四月から、こうした自転車の行為も交通違反として「青切符」の対象になりますが、当の自転車の人たちは、交通ルールが変わることなど全く知らないように見えます。 もうすぐ制度が始まるというのに、世間に向けて大々的に周知・PRしているようにも思えません。 このような状態で、本当に警察はきちんと取り締まることができるのか、首を傾げてしまいます。でも見つかったら罰金を取られますからくれぐれも注意をしてください。
川柳(東京・成近)
( 川 柳 )
職歴は一つ賞罰なしで終え
記念日に子の励ましの電子辞書
娘に言われ今日は女房の誕生日
三回忌俺には歳が二つ増え
関白の亭主に純情のかけら
(ニュースひとりよがり)
「53枚目」
ジョーカーかババか — トランプ
「インフル 花粉 コロナ」
栄枯盛衰 — マスク
「日本 モンゴル ウクライナ」
三国国技館? — 両国国技館
河合成近
龍翁余話(924)「新選組の日」
翁の時代劇好きは多くの友人たちの知るところ。中には「今日何時から『鬼平犯科帳スペシャル』が」、「何時から『剣客商売スペシャル』が」、そして「何時から『三屋清左衛門残日録』があります」と、メールや電話で知らせてくれる友人もいる。翁、月曜日から木曜日までのBSフジ時代劇(18.30~)『鬼平犯科帳』や『剣客商売』などは昼間外出していても夕方5時までには必ず帰宅するほどのファン。また、月曜日から金曜日までの朝8.00からのBS朝日『暴れん坊将軍』も楽しんでいる(いずれも昔のテレビドラマの再放送)。
テレビでは、その月々の歴史的理由によって“スペシャル番組”を編成・放送する傾向がある。例えば7月~8月は『大東亜戦争(太平洋戦争)関係』の放送、12月は『忠臣蔵』(赤穂義士伝関係)の放送・・・そして翁は近年2月下旬から3月にかけて『新選組関係』の番組をあさって見るようになった。何故なら『新選組の日』が2月27日と3月13日の2つあるからだ。1863年(文久3年)2月27日は新選組の前身『浪士組』が結成された日。しかし『浪士組』は、主宰者で尊王攘夷派の清河八郎(庄内藩)と将軍警護派の芹沢鴨(水戸藩)、公武合体派の近藤勇(多摩・天然理心流4代目宗家)が目的違いで対立、結果『浪士組』は解散、清河派は江戸に戻るが芹沢派と近藤派(土方歳三・沖田総司ら)は京都に残り『壬生浪士組』を結成、会津藩の傘下となったのが3月13日、それを機に名称も『新選組』と改称した。その日がもう1つの『新選組の日』――翁がそのことを知ったのは2018年の3月11日配信の『龍翁余話』(515)「新選組のふるさと歴史館」で東京都日野市の同館を訪問した時のことだった。つまり、3月13日を『新選組の日』と制定したのは実は東京都日野市観光協会である。なお『新選組』は当初、芹沢鴨グループと近藤勇グループの2頭体制だったが(言い伝えによると)芹沢の傲慢・放蕩・市民への狼藉に怒った近藤グループ(近藤勇・土方歳三・沖田総司・原田左之助・藤堂平助・山南敬助ら)によって芹沢は8月某日暗殺された。以後『新選組』は近藤勇局長・土方歳三副長体制となり最盛期は約230人の隊士が所属していた。それまでは単なる“浪士隊”であったが1867年(慶応3年)6月に幕臣に取り立てられた。以後、甲州鎮撫を命ぜられ『新選組』は『甲揚鎮撫隊』と改称したものの戊辰戦争(1868年=明治元年~1869年=明治2年)で旧徳川幕府軍の降伏により事実上消滅した。
さて(ちょっと古い話になるが)翁、10数年前、「新選組の史跡」を訪ねて京都のあちこちを散策したことがある。3月13日の『新選組の日』に際し今号はその思い出を辿って見ることにする。何しろ古い話なので記憶違いがあるかも知れないが・・・その前に(翁の好きな歌)『ああ、新選組』(三橋美智也歌・横井弘作詞・中野忠晴作曲、1955年リリース)を紹介する。ご存知の方も多いと思うが・・・
♪賀茂の河原に 千鳥が騒ぐ またも血の雨涙雨 武士という名に命(いのち)をかけて 新選組は 今日も行く・・・

まずは「壬生寺」(みぶでら)(写真左)――鑑真(がんじん)上人の律宗(戒律の研究と実践を行う仏教)の寺。幕末には『新選組』の兵法調練所として使われたので、隊の名も「壬生浪士組」と命名された。境内の「壬生塚」(写真中)には、近藤勇の胸像・遺髪塔・ 芹沢鴨らの墓がある。「壬生寺」の近くに壬生村の名家だった「八木家」がある(写真右)。この「八木家」で『新選組』と言う名の隊が誕生した。門柱に“松平肥後守領新選組宿”の表札が掲げられていた。1865年(慶応元年)に西本願寺に移るまでの2年間、『新選組屯所』として使われた。

『新選組』関係の映画やテレビドラマで必ず描かれるのが1864年(文久3年)7月8日の「池田屋騒動」であろう。三条木屋町の旅館「池田屋」に潜伏していた長州藩・土佐藩・肥後藩などの尊王攘夷派志士を『新選組』が急襲した事件である(写真左は現在の池田屋)。
「池田屋騒動」の翌年(1865年、慶応元年)の春、『新選組』は「八木家」が手狭になったため第2の屯所として「西本願寺」の東北角に建っている楼閣「太鼓楼」(現在、重要文化財)へ移転。しかし、この場所で切腹や拷問が行なわれていたので「西本願寺」から疎まれ、半年後(1865年の冬)『新選組』は第3の屯所「不動堂村屯所」に移った。ところがその後の調査でもこの「不動堂村屯所」の所在がはっきりとしない。実は翁が10数年前に行なった「新選組史跡散策」の際に宿泊したホテル「リーガルロイヤルホテル京都」の裏庭に近藤勇の言葉「事あらば 都の村人となりて やすめん皇御心(すめらみこころ=天皇の御心)の石碑(写真右)や、幾つかの『新選組屯所』を偲ばせる跡が残っているので、同ホテルの敷地内が第3の屯所であっただろうと推定されている。
その他、多くの『新選組隊士』が眠る「光縁寺」(こうえんじ)や(『新選組』前身の「浪士組」設立の際に集結した「新徳寺」などある(スペースの関係で詳細は省略)。翁、今まで多くの『新選組』関係本を読んだが一番の印象は司馬遼太郎の(土方歳三の生涯を描いた)『燃えよ剣』、この機会にもう一度読み返したい・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
茶子のスパイス研究「Made in Japan」
日本の小さな町工場で作られるたった一つのネジやスクリューが無ければ立ちいかない外国の製品が沢山あるという話は聞いた事がある。ドイツの高級車でエンジンやモーターの部品を解体したら日本製のマークが現れてテクニシャンを愕然とさせたと言う話も聞いた。今までドイツの職人は自国の製品に対して誇りを持っていたのにショックだったようだ。
先月ミラノオリンピックで活躍したフィギュアスケート選手“りくりゅうペア”の履いていたスケートブレードも名古屋の鉄鋼会社が作った日本製品だった事を後から知った。その会社は山一ハガネ。トヨタ系の自動車部品などを手がけていた会社で最初はスケートブレードを手がけた事が無かったそうだ。それがスケート選手からの依頼で作成する事になり9年の歳月をかけその製品を履いたスケーターの選手がメダルを取るようになり、今回ミラノオリンピックでも山一ハガネの製品が金メダルの舞台に登場したのだ。
従来のスケートブレードは3つのパーツを溶接して作られていて溶接した部分から曲がったりしていたそうだ。スケート選手の技術も3回転ジャンプから4回転ジャンプに向上していく過程で着地した時の衝撃は本人の体重の5倍から8倍と負荷がかかりスケートブレードは頻繁に交換しなければならなかったそうだ。時には軽自動車1台分ぐらいの衝撃がかかり、それに耐えうるスケートブレードの製品を作らなければならず研究開発には相当努力と苦労を積み重ねられたと思う。そこで強度をより頑強なものにする為に一つのハガネの金属の塊から溶接無しでブレードを作る事にしたのだそうだ。

10キロの金属の塊から280グラムまで削り97%は削り屑として消え残った3%がスケートブレードの製品になる。折れない曲がらない刃持ちすると言う3つの強みは日本刀の製法と同じ、千年のたたら製鉄の伝統精神を目標にして制作しているのだそうだ。
ハガネのルーツは、まさに、このたたら製法から来ているもので日本は鉄と共に文化や産業が発展してきた国なのだな〜と改めて感慨深く興味を持った。もの作りにかける職人気質と姿勢は今後も様々な分野で注目を浴び価値を生み出していくのだと思う。もの作りにかけた昭和の親父さん達の情熱は今も消えずに受け継がれている、、、、。
スパイス研究家 茶子
小春の気ままな生活 第61話「1週間の出来事」
先週から沢山の出来事がありました。米国のイラン襲撃・WBCの開催・竜巻のシーズンなど。
一番大きい出来事は、米国のイランへの攻撃でしょうか。色々な見方がある様ですが、アメリカではイラン人・イラン系アメリカ人のデモではトランプに感謝しています。その反面、戦争に反対というデモ。ただ、この戦争に反対をしているデモは組織されているグループで、パネルなどにはかなりお金がかかっています。ある個人レポーターによると、その組織には雇われリーダーがおり、年間7万ドル(1千万円越え)の給料をもらっているそうです。質問しようとしても、デモの用意をしている人達はコメントを避け、そのリーダーは迷惑だと文句を言ってきました。都合が悪いのでしょう。また、その個人レポーターの調べによると、このリーダーはコロンビア大学でのプロテストで道路を塞いだり、様々なデモで警察に捕まっているそうです。話はイラン情勢に戻りますが、その後のイランによるドローン反撃で、ドバイからの民間飛行ができなくなり、最後のアトランタ空港行きの飛行機は途中、航路を変えニューヨークのジョン・F・ケネディ空港で燃料を給油しアトランタ空港へ辿り着きました。現在ホルムズ海峡が封鎖され、ニュースを見たらイランで日本人2人が拘束されたと言います。米軍兵も6人がクウェートの基地で亡くなっています。様々な角度で、この中東の情勢を見ていますが、茂木誠先生によると宗教による考え方の相違による物だとしています。日本は、神道と仏教に基づいていて、他国と交わることもなく、海に囲まれて侵略もほぼされずに今まできました。しかし、色々な国から出入りが簡単にできる今日、日本も中東や外国問題を他国の出来事と思わず、注意して生活することが大切だと思います。考え方が違う人(人種)が同じ街に住むという事は、必ず問題が生じます。それは、ロサンゼルスに住んで良くわかりました。
WBCが始まリましたが、侍ジャパンのオリックス戦で負けてしまった試合を見てとても不安を感じましたが、第1戦目の台湾戦での活躍をみてこのまま勝ち続けて欲しいと思いました。それにしても、不安定な体勢でもホームランを打てる大谷選手には脱帽です。今年はどんな新記録を出すのか楽しみです。
ついこの間まで、アイス・ストームや雪で大変だったテネシー州ですが、3月に入りすっかり気温も暖かくなりました。日中はほぼ夏です。今日の最高気温は28℃、最低気温は12℃です。暖かくなると、竜巻シーズンに入ります。北からの寒気、南からの暖気がぶつかり生じるそうです。現在、オクラホマ州・カンザス州が竜巻注意報が出ています。死者が出ない事を願うばかりです。
それでは、また来週。
小春
ジャズライフ Brian Simpson “Midnight Groove”
私は40年前に初めてスムース・ジャズという言葉をロサンゼルスのFM放送局で聴きました。そのFM放送局はスムース・ジャズばかりを流し、時々スムース・ジャズステーションだと言っていたからです。スムース・ジャズという言葉から、皆さんはどんな音を思い浮かべるでしょうか。私はスムース・ジャズを聴くたびにロサンゼルスにいた時のことが蘇ります。
ロサンゼルスを拠点に、ジャネット・ジャクソンからデイヴ・コーズまで数々のスターを支えてきたキーボーディスト、ブライアン・シンプソンは、その世界で長く一線を走り続けてきた“職人”です。新作『Midnight Groove』は、そんな彼が円熟期に放つ、まさにタイトル通りの「真夜中のグルーヴ」。アコースティック・ピアノの柔らかなタッチと、R&Bのフィーリングをまとったグルーヴが、部屋の灯りをひとつ落としたくなるような、落ち着いた夜の時間を描き出しています。
なかでもタイトル曲「Midnight Groove」の静かな高揚感は、このアルバムの“深夜の顔”と言えるでしょう。ドライブのBGMとして流しても心地よく、ピアノのフレーズやサックス/トランペットとのやりとりに耳を澄ませれば、ジャズのスピリットもじんわりと伝わってくる──スムース・ジャズの入口にも、夜更けの愛聴盤にもなりうる一枚だと思います。《R.O.》
1-Blue Mystique
2-Under The Stars
3-Lost In The Moment
4-Tropical Escape
5-Midnight Groove
6-In Search Of My Dream
7-A Quiet Kiss
8-Story of Love
9-Come To Me
10-Sunset Mirage

編集後記
水曜日、卓球レッスンの帰りに駅に着くと、電車が遅れているようで、改札の外でたくさんの人が中に入れずに待っていました。その駅のホームで、人が快速電車と接触する事故が起きたためだとアナウンスがありました。事故のあった電車は、ホームの端を過ぎたところで停まっていました。駅員さんとマネージャーらしき人、それに消防隊員や警察官が、慌ただしく動き回っていました。しばらくして、シートに包まれた人が、数人の隊員によって静かに運ばれていきました。誰も何も語りませんでしたが、それを見て、何が起こったのか察しがつきました。こんなことがいつも利用しているところで起こるのだと、ただ呆然としました。《R.O.》


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