雑貨屋のひとり言「パスタ作り」
たまに無性にスパゲッティが食べたくなることがあります。でも、いざ作ろうとすると、鍋にお湯を沸かして、茹でて、湯切りして…と、ちょっと面倒に感じてしまうことってありませんか?
私も「もう少し簡単に作れたらいいのに」と思っていました。
そんなとき、テレビの情報番組で、便利なグッズが紹介されていました。なんと、鍋を使わずに電子レンジでパスタを茹でられるというのです!
いくつかの日本企業がこうしたグッズを販売している中で、私が購入したのは、奈良県大和郡山市のエビス株式会社が製造・販売しているプラスチック製の調理器具。「ヴォルケーノ構造」という独自の仕組みを採用しているそうで、使い方もとても簡単です。容器にお湯とパスタを入れて、あとはレンジで加熱するだけ。これでしっかり茹で上がります。実際に使ってみたところ、本当に美味しいパスタができました。テレビ番組では、本場イタリアのシェフにも試食してもらっていて、「これは最高のアルデンテだ」と高評価を得ていました。
私もこのグッズのおかげで、気軽にパスタ作りを楽しめるようになりました。最近は「青の洞窟」シリーズのパスタソースをかけて、本格的な味を自宅で満喫しています。Buono!(ボーノ!)《R.O.》

川柳(東京・成近)
( 川 柳 )
うな丼を横目に見てるかけうどん
ブランコを横目に急ぐ塾の道
スカウトの目に三振の振りっぷり
スカウトの目に原石の底光り
祝白寿友の若さの目を瞠る
(ニュースひとりよがり)
「芥川賞・直木賞の該当者なし」
厳しいな ― 参院選候補者
「賞味期限」
20日までです ― 参議院選公約
「街中にも出現」
熊さんかと思ったら本物の熊だ ― 横丁のご隠居
河合成近
龍翁余話(893)「移民の歴史―ハワイプランテーションビレッジ」
「プランテーション」とは国際的に取引価値の高い単一作物を大量に栽培する大規模農業のことだが、ハワイの近代産業を支えた「プランテーション」と言えばサトウキビ。1835年(天保6年)から1935年(昭和10年)までの100年間、ハワイはサトウキビの黄金時代。しかし、ハワイ人口の減少による労働力不足から、ハワイ王朝は安価に雇える海外からの移住者を多く求めた。“海外からの移住者募集”の動きは、ロト・カメハメハ(カメハメハ第5世=1864年代)、ルナリロ(第6世=1873年代)、カラカウア(第7世=1874年代)、リリウオカラニ女王(第8世=カラカウアの妹でハワイ王朝最後の王、1891年代)まで続く。ハワイ王朝の呼びかけに応じた国々は、中国・ポルトガル・プエルトリコ・フィリピン・韓国、そして1868年(明治新政府)からは(沖縄を含む)日本からも・・・ハワイのサトウキビ作りに生きて来た各国の移民たちの生活様式が、一目で分かるのが『ハワイプランテーションビレッジ』だ。場所はハワイ・オアフ島のワイパフと言う所。ワイパフはワイキキから約17マイル(27・5km)、車で約30分、パールハーバー(真珠湾)の北側に位置する。いきなり余談だが、(資料によると)ワイパフとはハワイ語で“自然に湧き出る水”という意味だそうだ。ハワイ先住民は地上に湧き出る冷たく清澄な水をワイパフと名付けた。西洋文明がハワイに入って来る以前、ハワイ原住民は、ここワイパフを“王家の別荘地帯”とみなしていた。理由は、ハワイ王国の王族たちが、しばしばこの地に集まり湧き出る新鮮な水を楽しんだとの記録があるからだと言う。
さて、翁がここ『ハワイプランテーションビレッジ』を訪れるのは3回目。最初は1985年ころ、2回目は2004年ころだったと記憶する。日本からの客人と一緒に(ハワイの友人に案内されて)やって来たのだが、その頃はまだ(自分史)『龍翁余話』を書いていなかったのでこのたびの3回目の訪問でやっと“サトウキビ栽培に生きた移民たちの生活模様”を紹介することが出来る。今回は、長年「ハワイにおける日系移民の歴史」を研究しているアネット・Tさんに案内をお願いした。彼女も翁と同じ“タシロ・ファミリー”の1員だ。
アネットさんいわく「ビレッジは、1850年代(日本の年代は嘉永3年、黒船来航の頃)から戦後の1950年(昭和25年)頃までの各国民族の家屋、ストア、診療所、公衆浴場、床屋、豆腐屋、集会所などの建物のレプリカが立ち並び、当時の移民たちの生活の有り様を偲ぶことが出来ます」とのこと――

ビレッジに入ると、いきなり中国人の豪邸風の建物(上写真中)が目に飛び込む。「え?中国人の移民たち(労働者たち)は、こんな豪邸に住んでいたのか?」との疑問が生じたが、アネットさん(下写真右)は笑って「中国をイメージする(単なる)パブリカです」とのこと。以下、ポルトガル(上写真右)、プエルトリコ、日本(中写真左)、フィリピン、沖縄(何故か沖縄は日本と区別されている)、韓国などの家を見て廻るが、どれもこれも立派な建物ばかり。アネットさんの説明によると「当時の実際の家々は密集し、3つの部屋の長屋の入り口が向かい合い、狭い通路が家々を巡るという不衛生な状態だった。しかし、同じ国から来た同じ言語・文化を持つ者同士が一緒に住むことで次第に運命共同体の意識が芽生え、励まし合うことが出来た」そうだ。移民たちの労働状態は(1日の仕事は)まず、
朝5時の蒸気笛(蒸気によって鳴る汽笛)で始まる。朝食は5時半まで。8時に仕事開始、11時半に30分の昼食時間、12時から4時半まで働き、夜8時には消灯の蒸気笛が鳴る。
ところで「移民史」の中に日本人女性の存在がないがしろにされているように思えるが、実は女性たちも男たちと同様に働き、その後のハワイにおける日本人社会の発展に大きく貢献して来たことを付記しておく。
プエルトリコ・フィリピン・沖縄・韓国などの家々を撮影したもののスペースの関係で掲載は割愛するが、翁の興味はやはり「日本」。神社(若宮稲荷)(中写真中)あり、相撲の土俵(中写真右)あり、清潔感の強い日本人ならではの公衆浴場(下写真左)あり、ハワイで最初に生まれたビジネス散髪店(下写真中)あり、ほかにも豆腐店、診療所、集会所などの建物が立ち並んでいて「日本文化、ここにあり」の感を強める。思うに彼ら(移住者たち)は、故国を離れ、異国の地・ハワイでサトウキビ栽培の過酷な労働生活に耐えながら、よりいっそう“日本魂”を高めたのではあるまいか。ここ『ハワイプランテーションビレッジ』は単に(日本人観光客に)『移民の歴史』を伝えるだけでなく改めて“日本魂”を思い起こさせる場所でもあることを確認した・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
茶子のスパイス研究「米国で迎えた母のお誕生日」
昔、幼少期の頃、私のニックネームはペコちゃんだった。その話をしたら友人が音楽に合わせてダンスをするペコちゃん人形を見せてくれた。
ちょうど先週は母のお誕生日を米国で祝う事が出来たので、その時にダンシングペコちゃんにお誕生日の曲と一緒にダンスを踊ってもらった。友人も私もペコちゃんと踊り母もダンシングペコちゃんに合わせてノリノリで体を動かしていた。

午前中は友人がフレンチカフェに母を招待してくれた。日本では、あまり食べない料理なのに母は気に入ったようで美味しいと満足してくれた。午後は友人の美容室で髪を染めてカットしてもらいパロスバーデスの山から見る海沿いのドライブ、夜は私から足湯と肩揉マッサージとコットンのバスローブのプレゼント。人生で最高のお誕生日になったと喜んでくれた。
それにしても母は良く米国に来る事を決意してくれたと思う。母にとって今回の米国旅行は5回目。前回の旅行の時は父方の祖母の介護で疲れ果てていたので祖母を施設に1週間だけ預け心身を癒やす為にやってきた。その前の旅行も短い旅行だったので今回の滞在は初めての長期滞在になる。
ちょうど米国の建国記念日の花火も見れていいタイミングに来る事が出来て良かった。
こちらにくる1週間前は念の為に其々のお医者様の所で検診して頂いた。長時間のフライトに加えて時差や新しい環境に慣れるまで2〜3週間ぐらいはかかるかなと思っていた。そして、あっという間にこちらに来て3週間近くが過ぎて早くも7月の後半になった。
母もようやく、ここの環境に慣れてきてパティオに出て時々やってくるハミングバードを見ながら日光浴をしたり家周りの住宅地を少しだけ散歩して楽しんでいる。この夏、母にとって最後になるかもしれない米国旅行。海風が届く緑の多い空間で母の好きな花を眺め太陽の光を浴び元気になって秋に日本に戻れればと思う。
それまで、母にとって、たくさんの楽しい思い出のアルバムを作ろうと思う。
スパイス研究家 茶子
小春の気ままな生活 第二十九話「健康の話」
今週のテネシーは夏も本番で、朝から暑く庭仕事は疎かになってしまいました。その代わりではありませんが、クーラーの効いている家の中でせっせとパンを焼いたり、ご飯を作りました。還暦が数年後に近づいていますが、この歳になってやっと健康についてわかりかけて来ました。過去10年ほどアレルギーに悩まされ、ひどい時には顔が腫れ、胸に湿疹が出たこともありました。一番怖かったのは、会社へ行く為に運転していたら急に息ができなくなり車を路肩に止めた事がありました。幸い、30秒程度の事でしたので息ができる様になったのを確認して出社したのを覚えています。アレルギーが最も酷かったときは、仕事をしていた事もあり良くテイクアウトで食事を買っていました。仕事はフルタイム、週に二日、娘の日本語学校にお迎えに行ったり、週末は娘のバレイのレッスン等、今思うと良くやっていたと思います。また、食事に至ってはアメリカ人の夫が日本食を食べてくれていたので、家ではほとんど日本食でした。ロサンゼルスに住んでいる時は、日本食の他、いろんなエスニックのレストランがあり、韓国・中国・タイ・ベトナム・キューバ・中東・メキシコなど選び放題でした。アレルギー専門医は日系の先生だったこともあり、日本食を行っても説明せずに理解してくれまたとても有能な先生でした。面白い事に、トマトのアレルギーのある人でもアレルギーの症状が出るパスタソースのブランドとそうでないブランドがあって、食べて見ないと分からないと話してくれたことがありました。今思うと、添加物がどれだけ使われているかも関係してくるのではないかと思います。添加物は現代食に無限大に使われています。私が小学生の頃はアレルギーが何か知らないほどアレルギーの同級生は居た覚えがありません。今では、商品の裏の原材料を必ず見て買います。アレルギーだけではなく、体に悪影響を与える添加物が沢山使われているからです。最近では、なぜ子供が癌になるのか、なぜ糖尿病・リュウマチ・になるのか、人工透析をしている人の多さ、どうしてこれだけ医療が進んできたのに病気になる人が増えているのか不思議に思いませんか?私の両親も高血圧・癌・心臓疾患・糖尿病など一通りの病気を持っていました。兄も高血圧・透析も気をつけるようにと言われたそうです。私も流石にこの年になってコレステロールは高くなって来ましたが、一昨年から体重を10数キロ落とし、毎日日光に当たりながらウォーキングをするようにしたらコレステロールも薬を飲まなくてもいいくらいに落ち着いて来ました。色々調べてみると、コレステロールもホルモンの一種なので、年をとるとコレステロール値がある程度上がる事は必然なのだそうです。逆に悪玉コレステロールが140だからと言って薬を飲むと、癌になりやすいということも聞きます。医者に行くと、遺伝だからとか言われますが、私の年で両親と兄はすでに薬を飲んでいたと思います。父に至っては、信じられない量のお薬を飲んでいました。現代のほとんどの医者は、患者が何を食べているか聞いて来ません。生活習慣に関してはもう少し運動をしましょうも、どんな食べ物が悪いとか病気になる原因についての指導はなくただ、薬を処方します。これでは運転をしていて事故をし板金屋で車を直すのと同じです。事故が起きるには原因が必ずあります。健康もそれと一緒で、病気になるには理由があるのです。そういった話を説明してくれたお医者様がいたので来週から、その話をまとめて見たいと思います。今週はその序章でした。
それでは、また来週。
小春
雑貨屋ウィークリー1521号も小春の気ままな生活の記事の中に写真を掲載し忘れていました。大変失礼しました。《雑貨屋店主》
ジャズライフ Armel Dupas “Open Borders”
フランス出身のピアニスト、Armel Dupasが2025年にリリースしたアルバム『Open Borders』。ジャズとネオクラシカルが交わる、Dupasらしい繊細で抒情的な世界観が広がる1枚です。透明感のあるピアノの音色と、即興性を感じさせる自由なフレーズ。リスナーを旅へと誘う音世界が広がります。
01-Les Espoirs Déçus
02-Open Borders
03-Les Signes
04-Le Dilemme
05-The Cat And The Moon
06-Jeux De Chats Au Jardin
07-We Are The Millennials
08-Home Together And Happy
09-Sorry If I Hurt You
10-Piano Joyeux
11-Peace On Earth!

編集後記「マッチ棒パズル」
最近、マッチ棒パズルをよくやります。マッチ棒で並べられた数式をたった一本だけ動かして正しい数式にするというとてもシンプルなパズルゲームです。簡単なように見えて意外と難しいものもあります。頭がつかれているとなかなか解けないですが、リラックスしてやるとできそうです。
問題に対して、論理的に考えたり、思い切って発想を転換したりするのがマッチ棒クイズの醍醐味。普段使っていない頭の部分を刺激でき、「ああ、そうだったのか!」という瞬間はクセになる面白さです。ちょっとした脳トレや、リフレッシュしたい時にもぴったりな遊び方です。
以下のマッチ棒パズルは比較的簡単なものです。トライしてみてください。《R.O.》

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