雑貨屋ウィークリー1515号

雑貨屋のひとり言「関西万博2025」

2025年4月に開幕した関西万博も、気がつけばもう1ヶ月半が経ちました。開催当初は、万博に関する情報もまだ少なく、どんな雰囲気なのか、どのパビリオンが人気なのか、私たちの周りでも「まだよく分からないね」という声が多かったように思います。
最近では、私の周りの友人や知人も「行ってきたよ!」と話してくれることが増えてきました。テレビでも特集が組まれるようになり、SNSでも現地の写真や体験談、裏技情報などが次々とシェアされています。最初は「裏情報」として話題になっていたことも、今では多くの人が知るようになり、あっという間に“裏”ではなくなってしまいました。
万博の情報は本当に日々アップデートされていて、昨日の常識が今日にはもう古くなっていることもしばしば。私たちも4月に2回訪れたのですが、5月に入るともう状況がすっかり変わっていて、驚かされました。入場者数もどんどん増えていて、会場の熱気も日に日に高まっているのを感じます。
一方で、人気のパビリオンはなかなか予約が取れず、スマホ操作に慣れていない方には予約自体が難しいという声も耳にします。せっかくの万博、誰でも平等に楽しめるような運営を期待したいところです。不公平感なく、みんながワクワクできる万博であってほしいと心から思います。
関西万博は、情報の流れも、現地の雰囲気も、まさに「今この瞬間」がどんどん変わっていくイベントです。これから訪れる方も、すでに行った方も、それぞれの体験をシェアし合いながら、みんなで楽しんでいけたら素敵ですね。《R.O.》

大屋根リングから見たフランスパビリオン(中央上)、右手前はアイルランドパビリオン
フランスパビリオンに展示されている奇跡的に火災を生き延びたノートルダムス大聖堂のキマイラ像

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

オープンカーの見栄にザァ―っと俄雨

ファイト一発そんなに効くのリポビタン

シャネルよりオーデコロンの人がいい

マスオさんドキッリ 美女に言い寄られ

ツッコミとボケで夫婦を五十年

 (ニュースひとりよがり)

「小泉農相 米価2000円に」

俺なら1000円と吹っ掛ける ― トランプ大統領

 「夢のまた夢」

石破山 寄り切り トラ龍 ― 勝敗表

「会談前の呪文」 

オオノサト オオノサト ― 赤澤経済再生相 

河合成近

龍翁余話(885)「飯田高原」

『飯田高原』(はんだこうげん)――大分県玖珠郡九重町役場の資料によると、『飯田高原』は同町の南部に位置する高原。標高800mから1,300mのゆるやかな丘陵が続き、牧歌的な風景が広がる。遠くに九重連山を望む。周辺には「寒の地獄温泉」「筌ノ口(うけのくち)温泉」「長者原(ちょうじゃばる)温泉」など多くの温泉郷が点在、また大分県別府市から熊本県阿蘇市一の宮町を結ぶ約50kmの「やまなみハイウエイ」が湯布院や『飯田高原』を横断している。更に『飯田高原』は、玖珠川(くすがわ=日田市の三隈川と合流、筑後川に繋がる)の水源地帯。“阿蘇くじゅう国立公園”に含まれる、とある。翁、若い頃から(帰省のたびに)もう何十回もドライブしているのだが、どこからどこまでが『飯田高原』なのか、いまだ全容が掴めない。それほど広大だ。“全容が掴めない”くせに翁、東京の友人たちに自慢する。その際、1985年に公開された黒澤 明監督・仲代達矢主演の映画『乱』のロケが行なわれた高原、と説明する。

さて『飯田高原』行きルートはいくつかあるのだが、翁はいつも高速・大分道の九重ICを出て国道210号の「豊後中村」から「九酔渓」を目指す。20分ほどでクネクネ道が待ち受ける。この道(「九酔渓」)は、ピン・カーブの連続で、かなりの運転技術を要する。別名「13曲がり」とも言う。「九酔渓」の終点に茶店がある。そこから見る約2kmに亘る渓谷は新緑と紅葉の名所として知られている(写真左)。

「九酔渓」から飯田高原の中心部「長者原」へ向かう途中「文豪・川端康成の文学碑」が杉林の中にひっそりと建っている(写真中)。九重町のHPによると、川端康成は古くから親交のあった高田力蔵画伯(1900年~1992年、大分県の久住高原・飯田高原・硫黄山などの自然美を描いた洋画家)の絵に魅せられ1952年(昭和27年)と翌年の2回、九重に来訪し、九重を舞台にした小説『波千鳥』を発表した。九重町では“川端先生来訪”を記念して1968年(昭和43年)に(九重連山に向かって飯田高原内に)「文学碑」(写真中)を建立、その直ぐ隣に(康成の自筆)「雪月花時 最思友 康成」の彫刻碑も建てた(写真右)。「雪月・・・」とは、どういう意味だろうかと調べたら、中国の唐時代の詩人・白居易(はく きょい=772年~846年、別名・白楽天)の詩に「雪月花の時、最も君を想う」という1句がある。雪月花の時期、居易が誰を思ったかは知らないが、康成は多分、旧友・高田画伯を懐かしんだのでは、と翁は想像する。

飯田高原の中心地で九重(くじゅう)連山の主要な登山口の1つとして知られる「長者原」(写真左)の「長者原ビジターセンター」(環境省の施設)に立ち寄る。館内には“九重山群”を中心とする地形地質、動植物の資料展示、ビデオ「九重の四季」の上映も行なっている。またラムサール条約(特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約)にも登録されている「タデ原湿原」を散策することが出来るそうだが、翁は今回はパス。

軽い昼食をとっている時、周りの人から耳よりの情報を得た。それは長者原から湯布院方面に向かい九重山群の最も東部に位置する黒岳(くろたけ=広葉樹の原生林が広がる緑豊かな標高約1,600mの山)の麓に、ミネラル豊富、天然の炭酸水が湧き出ている場所がある、とのこと。カーナビを頼りに約30分走ると「白水鉱泉・白水湿生花園」に到着(写真中)。

入園料は無料だが炭酸水を持ち帰るには事務所に置かれている2ℓペットボトル容器 200円、10ℓポリ缶容器 700円、20ℓポリ缶容器 1000円を買い、それぞれの容器に満タンにして持ち帰ることが出来る。翁、流れ落ちる炭酸水(写真右)に手を突っ込んだが、あまりに冷たくて数秒で手を引っ込めた。また、傍にあった柄杓で少し口に入れたが強烈な炭酸で(そのままでは)とうてい飲めない。炭酸水の好きな人は焼酎や果樹で割って飲むそうだ。

阿蘇くじゅう国立公園『飯田高原』には(前述の)幾多の温泉郷のほか九住山への登山口「牧ノ戸峠」、乗馬体験が出来る「エル・ランチョ・グランデ」、シカやヤギ、ラマ、ウサギ、ポニーなどの草食動物を園内で放し飼いにしている「自然動物園」、更に(高所恐怖症の翁はダメだが)高さ173m、長さ390mの歩行者専用としては高さ日本一を誇る「九重“夢”大吊橋」、そしてミヤマキリシマ、新緑、紅葉、霧氷などの四季折々の景観が楽しめる『飯田高原』の魅力は尽きることが無い・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「長い旅をしています」

この5月20日から東北地方を巡るバスのツアーに参加してきました。見聞きした事で沢山の感動と考えさせられる事がありました。それは後から少しずつ旅の思い出として書こうと思います。そして東北の旅が終わった翌日から今度は友人とハイキンググループツアーの下見旅行の途中です。

初めに高尾山に2泊その後、富士山の見える河口湖そして今は小海線の清里という所に来ています。昭和のバブル期は沢山のおしゃれなペンションが立ち並び街は賑わっていたとか、、、
その清里で友人の親しいお友達がお蕎麦屋さんをやっているとかで私まで美味しいお蕎麦の特別コースをご馳走になってしまいました。清里は今、新緑の美しい季節、この辺りは高原野菜も美味しいらしい。友人の店では旬の食材で今の時期しか食べられない野草のよもぎやタラの芽、うどを天ぷらにして出してくれた。

“これは今朝摘んできたばかりの野草です“とオーナーの奥様が生の野草をテーブルに並べて見せてくれた。よく昔から、その土地に生えているものを食べるのが体にいいと言われているけれど大地からムクムク育った野草の生命力は効き目がありそうな気がする。
それにしても、なんと言う贅沢、、、スーパーや八百屋さんでパックされた野草しか見かけたことがなかったけれど採りたての野草は本当に生き生きしていて、その元気が伝わってくるようで素晴らしかった。

スパイス研究家 茶子

小春の気ままな生活 第二十二話 「近況」

今週は娘が二週間の休暇を終えてロサンゼルスに戻りました。ロサンゼルスからテネシー州への引っ越しは彼女が言い出した事なのに、引っ越しをしてすぐにロサンゼルスに戻り仕事を掛け持ちして働き、一時テネシーに戻ったものの一月から先々週までロサンゼルス生活。一人暮らしではなく、ボーイフレンドの家に居候していてある意味初めて家を出て他人と過ごす良い経験をしています。思えば私も似たり寄ったりの二十代を過ごしたので、彼女には何も言えません。つい数日前、外食から帰ってくると蛍が飛び交っていました。丁度、湿度も気温も高くなって来た頃、家の前と周りの茂みで蛍が飛び交っていました。私も主人も(もちろん娘も)蛍を見たことがなかったので、車を止めてみんなで蛍鑑賞をしてみました。テネシーの蛍は日本のテレビドラマで見るのと異なり、ふわ〜と飛ぶのではなく、しゅん、しゅんという感じにさっと飛び交う感じでした。芝生からも飛び交う感じでした。そんな娘をジョージア州のアトランタまで見送りに片道三時間かけて行って来ました。二度目のお見送りなので、行き方はなんとなく覚えていましたが、途中何があるか分からないので早めに出発しました。また、途中で食事に寄らなくても良いように四人分(娘と娘のボーイフレンドと私達夫婦)のサンドイッチ、娘達の機内様の食事も詰め持参しました。我が家の近くの空港にも来ることは可能ですが、娘は飛行機の乗り換えとレイオーバーの時間がめんどくさいのと、飛行機代を節約するためにアトランタ空港を使いたいようです。最寄りの空港なら、我が家から1時間で着くのに。次回もアトランタ着なら、アトランタ観光をしたいです。

今月は雨が良く降り、一日中降る日や、夜中に雷雨になる日、今まで晴れていたのに急に大雨になった日などでした。カリフォルニアは近年でこそ雨が降りますが、それでもほぼ雨の降らないところだったので、ギャップにまだ慣れません。雨が沢山降るので、芝生もグングン伸びもうそろそろ芝刈りをしなければいけません。前回の芝刈りでもまだ刈り切れていないところもあるのにどうしましょう。

来週月曜日のアメリカはメモリアルデーです。ご存知の方もいらっしゃると思いますが、戦死された兵士の追悼の日で日本語では戦没将兵追悼記念日です。当初、南北戦争で戦死した兵士を顕彰するために始められたそうですが、後に第一次世界大戦以降の戦争、軍事行動で亡くなった兵士を含むようになったそうです。テネシー州では兵士の方々にはとても敬意を示していて、どこでも退役兵士を見かけるとお声がけをしています。それはそうですよね、命をかけて自国を守ってくださったのですから。日本も同じように国を守ってくれた兵士を追悼・敬う事のできる国になる事を願うばかりです。

私ごとになりますが、一ヶ月少し前に初めてオンラインで日本のパスポートの更新手続きをしました。今年の三月末から、オンラインでパスポートの更新手続きができるようになり、わざわざ大使館に行かなくても良くなりました。その代わり発行処理は日本でするようで、手続きには一ヶ月かかると言われていました。オンラインの手続きはややっこしく、昨年の十二月から何度とトライしたのですがうまく出来ず、半ば諦めていたところパスポートが切れる一ヶ月前に最後のトライをしたらなんとか申請できました。出来ると思っていなかったので、パスポート写真もボサボサの頭と化粧もしていないボロボロの状態で過去最悪のパスポート写真となりました。申請の確認のメールも受け取り、足りない書類を送りパスポートができたら連絡が来るのでナッシュビルの領事館に六ヶ月以内に引取のアポイントメントを取ってくださいっとの事でした。パスポートは数日前に切れてしまいどうしようかと思っていたところ、領事館からパスポートが届いたとの電話がありました。そういう所は日本のお役所で、一ヶ月で発行すると言えば、本当に一ヶ月で発行し電話までくれるんですね。アメリカの永住権の発行はバイデン政権の時たっだからか、延長の手紙が一年に一度届いたっきり二年間音沙汰なしでした。二年だけ延長できるのですが、二年が切れる二ヶ月ほど前に突然追加書類要請の通知が来て、慌てて手配をしたのを思い出しました。まあ、そのおかげで永住権は発行から十年有効なので、二年分得しましたが。話がそれましたが、来週はナシュビルまでこれまた3時間かけて出かけることになりました。来週はその道中、町の様子などをお話しすることになりそうです。

また来週。
小春

ジャズライフ Bob James/Dave Koz “Just Us”

今週はジャズ界の巨匠ボブ・ジェームスとサックス奏者デイヴ・コーズによる、ピアノとサックスのみで構成された完全なデュオ・アルバム”Just Us”の紹介です。
このアルバムはリズムセクションやシンセサイザーを一切使わず、ピアノ(ボブ・ジェームス)とサックス(デイヴ・コーズ)のみで全曲が演奏されています。多くの楽曲はジェームスのミシガン州の自宅リビングで録音されており、リラックスした雰囲気と臨場感が作品全体に漂っています。《R.O.》

Bob James/Dave Koz “Just Us”

1-Sommation
2-My Ship
3-T W O
4-All the Way
5-Fontaine dAlice
6-The Naked Ballet
7-Smile
8-Rue De Rivoli
9-Protea
10-New Hope

編集後記

先週の土曜日、私たち家族にとって大きな悲しみが訪れました。娘の夫が急逝し、小学6年生の女の子と3年生の男の子、二人の孫たちが突然お父さんを失いました。まだ幼い孫たちにとって、この出来事はあまりにも大きく、私たち大人でさえ現実を受け止めるのに時間がかかっています。

娘の夫は、普段からあまり多くを語る人ではありませんでした。家族の前では寡黙で、私たちも彼のことをすべて理解できていたわけではありません。しかし、彼の職場や友人たちから話を聞く中で、私たちが知らなかった一面や彼の人柄、仕事ぶりについて多くを知ることができました。職場ではとても真面目で、周囲からも信頼されていたこと、友人たちからは誠実で思いやりのある人だったと語られていたことが印象的でした。

家族には見せなかった一面を、外の世界ではしっかりと持っていたことを知り、改めて彼の存在の大きさを感じています。彼がどれだけ家族を大切に思い、支えてくれていたのか、今になって強く実感しています。

これからは、私たちジージとバーバ、そして彼のご両親と一緒に、孫たちと娘をしっかり支えていこうと思います。家族みんなで力を合わせ、悲しみの中でも寄り添い合い、少しずつでも前を向いて歩いていけるようにしていきたいです。お父さんがいなくなっても、孫たちが安心して成長できるよう、私たちができる限りの愛情とサポートを注いでいきます。

命の儚さと、家族の絆の大切さを改めて感じた今回の出来事。これからも大切な人たちとの時間を一日一日大事にしていきたい――そんな思いを胸に、家族みんなで歩んでいきます。《R.O.》

コメント