雑貨屋ウィークリー1465号

雑貨屋のひとり言「全米女子プロオープン」

ペンシルベニア州ランカスターCCで行われた2024全米女子プロオープン(5/30-6/2)で笹生優花選手が優勝(日本人初のメジャー2勝目という快挙)、長い間、低迷が続いていた渋野日向子が2位というすごい結果になりました。月曜日の朝、ネットニュースを見て驚きました。日本中が感動させられたと思います。難コースで優勝候補の選手も苦戦した中で日本人選手がワンツーフィニッシュ、ベスト10に5名、参加21名のうち14名が決勝ラウンドに進むなど日本女子プロゴルファーの活躍が目立ちました。この爽快なニュースに嬉しくなって彼女たちの活躍を動画で何度も観てしまいました。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

ゼロの数吐息で見てるショーケース

カラットの石に沢庵石の意地

石投げてから気がついた勘違い

石の上三年時に置いてかれ

恐竜の大きさを言う歯の化石

(ニュースひとりよがり)

「規制法改正案」

丸呑みをしてください 国民の皆さま ―岸田首相

「東京の出生率0.99」

羨ましい ―預金利率

「値上げ路線」

♪線路は続くよどこまでも―JR東

河合成近

龍翁余話(837)「時を大切に」

6月もすでに1週間が過ぎた。ご承知のように6月の和名には「水無月(みなづき)」、「風待月(かぜまちづき)」、「凉暮月(すずくれづき)などあるが、詩歌など文芸的作品の中に最も多く使われるのは「水無月」だろう。でも、このまま直訳すれば実におかしな名だ。日本列島の6月は「水が無い月」どころか梅雨入りのシーズンで、大雨などで水災害が心配される「水の多い月」、すでに月初めには各地で線状降水帯による集中豪雨が、また3日には都心にゲリラ豪雨(局地的大雨)が襲い市民生活に大きな混乱を招いた。気象庁の発表だと今年の梅雨入りは、九州・四国・本州は6月中旬頃だと言われている(沖縄地方の梅雨入りは5月21日、東北地方の北部は6月下旬、北海道は梅雨入りはない)。

「水無月」の語源を調べて見たら(いろいろあるが)、1つは旧暦の6月は現在の7月頃、この時期、梅雨は明け、暑さの厳しい日が続く時期。そこから「水が涸れ尽きて無くなる」ので「水無し月」と呼ばれるようになった、と言う説。もう1つ、田んぼに水を張る月であること、つまり「水な月」――「な」は「の」と言う意味の古語、つまり「水の月」のことで「無」は“当て字である”と言う説、これが最も有力な説である(そうだ)。

ところで6月10日は『時の記念日』だそうだ。この制定は古く、今から104年前の1920年(大正9年)に文部省の外郭団体として「生活改善同盟会」が設立された。その会の活動目標は、国民の衣食住や社交儀礼等、生活各方面の合理化・近代化を目指したもので、活動テーマの中に「時を大切にする意識の高揚」と言うのがあって、同会設立と同時に『時の記念日』が制定された、という次第。『時の記念日』が何故、6月10日か(日付の由来は)――資料によると、今から1353年前の飛鳥時代の中期、671年6月10日、第38代天皇・天智天皇(大化の改新を手掛けた天皇)が、中国で用いられていた水時計を日本で初めて使用した日と言うことが日本書紀に記述されているので、その日を選んだ、とされている。

1920年に「生活改善同盟会」が「時を大切に」と訴えた以前、アメリカでは(1776年の「アメリカ独立宣言」の前)に、「時は金なり(Time is money)」と言う言葉が生まれていた。この言葉を生んだ人は“アメリカ建国の父”と言われているベンジャミン・フランクリン(1706年~1790年、政治家・外交官・物理学者・気象学者・著述家)。彼は勤勉性、探求心の強さ、合理主義、社会活動への参加など18世紀における近代的人間像を象徴する人物。彼は「時間を浪費しないように、時間は常に何かを得るために使うべきであり、無用な行動は全て断つべきである」と述べている。

実は、翁がかつて(映像制作会社経営の一方で)翁の恩師・佐野元生先生が創設した「財団法人日本余暇文化振興会」(文科省の認可団体)の役員の1人として生涯学習推進委員を担当したことがあるが、その時に学んだ言葉で「自由時間とは、いかなる人間的堕落も、いかなる人間的成長をも認められる時間である」と言うのがある。これは、あるフランスの社会学者の言葉であるが、翁はこの言葉を(翁自身も尊重し)多くの人に提唱して来た。つまり人間一生を(仮に)80万時間とした場合、(おおざっぱな計算で恐縮だが)「社会的生活時間」(仕事・学業・家事など)はわずか約10万時間、「生理的生活時間」(睡眠・食事・その他の生理行動時間)は約35万時間、「自由(余暇)時間」(交友・趣味・遊び・自己研鑽など、社会的生活時間や生理的生活時間を差し引いた自由時間は)約35万時間、すなわち人間が生きている中で誰からも拘束されないで自分が自由に使える時間が約35万時間もあることから(前述のフランスの社会学者が言う)「自由時間とは、いかなる人間的堕落も、いかなる人間的成長をも認められる時間である」と言うことになる。考えてみれば、これは何と人を突き放した冷たい言葉であろうか。しかし人間に与えられた真の”公平“は1日24時間、と言う”時間“だけ。そのうちの(一生の中で)約35万時間もある自由時間を、人間的堕落に使おうが、人間的成長に使おうが、それはあなたの勝手、あなたの自由だ。しかし、それは全てあなたの自己責任だ」と言うことになる――

翁は、若い時(30歳代)から映像製作会社の経営を中心に、(40歳代に)生涯学習推進、専門学校教師を経験して来た。考えてみれば(人間、仕事や学習、研究をしている人は、みな同じだろうが)常に時間に追われ、時間に追いかけられたような気がする。現役を退いて“暇人”になってからも、その習性が治らず、超後期高齢者でありながら未だに1日の時間割を考え、明日の行動予定を立てる、その習慣が続いている。現役時代とは違って“自由時間”ばかりになっている今日、時間を追いかけることはないが、反対に(余命を考え)時間に追われる心境になること、しばしば。今更「自由時間とは、いかなる人間的堕落も、いかなる人間的成長をも認められる時間である」などと肩の凝るような定義に捉われることはなく、あくまでも「生きている間、自分的に納得出来る時間を過ごしたい」と思うだけ。現実としては“納得できた日”もあれば「あ~あ、つまらない一日であった」と後悔する日もあるが・・・

誰が言ったか知らないが「時間の使い方がうまくなる6つの方法」と言うのがある。①物事には優先順位をつける。②スケジュールを立て管理する。③ポジティブ思考(前向きで積極的な考え)になる。④オン・オフを切り替える(仕事とプライベートを区別して適当に休憩を取り鬱にならないこと)。⑤整理整頓する(これは、物を整理整頓するだけでなく、気持ちの持ち方、合理性を考える、と言う意味だと翁は解釈する)。⑥早起きする(「早起きは三文の徳」と言う諺がある。翁は“早寝早起き族”、早起きしたからと言って三文(小銭)が入ってくるわけではないが、1日の時間を有効に使うことが出来るのは幸いだ)――このように『時を大切に』考える”時“も必要だろう。が【時として時に縛られ時に泣き、 時を恨む時もあり】・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「紫陽花山の花咲爺さん」

この頃、街を歩いているとチラホラ紫陽花の花が目に付くようになった。この春はLAから次々に訪れる友人達のエスコートに忙しくいつの間にか季節が移り変わっていた。あきる野市にある紫陽花山を訪れたのは2年前の事になる。
今年も、そんな季節になったのだな~と2年前に紫陽花山を訪れた時の事を思い出した。新宿の観光センターに立ち寄った時に見た紫陽花山の写真がとても印象的だった。
紫陽花と言えば鎌倉の紫陽花寺も有名だけれど混雑しそうなのであまり行く気になれなかった。都内の紫陽花が見られる公園もいくつか行ったのでどこか今まで行った事のない場所に行きたかった。あきる野市にある紫陽花山は林道に紫陽花が1万本も歩く道に沿って咲いている。静かで趣のある風景の写真を見て行く事にしたのだ。どこなのだろうと見たら東京都多摩地域西側にある、あきる野市という所。1995年9月1日に秋川市と五日市が合併してあきる野市という地名になったそうで私はアメリカにいたので知らなかった。ともかく日帰りハイキングには手頃なコースだと出かけた。

この山に眠るご両親のお墓までの道のりを少しでも花が楽しめるようにと紫陽花を毎年植えて50年、それがどんどん広がってあきる野市の有名な紫陽花山になり花咲爺さんと呼ばれるようになった南澤忠一さん。2年前、この紫陽花山の麓まで降りてきた所で偶然、この花咲爺さんにお会いする事が出来たのだ。何気ない会話をするうちに近くにあるご自宅に呼んでくださり娘さんも一緒に戦争中の体験やその後、ご両親から受け継いだ林業の話や紫陽花山が出来るまでのストーリーを話してくださった。娘さんも南澤忠一さんも暖かい人柄で私は一遍でこの人達が大好きになってしまった。今年もそろそろ紫陽花山がオープンする頃、今年は行こうかな、、、と思っていたら昨日、TVであきる野市の紫陽花山の花咲爺さん南澤忠一さんの事が紹介されていた。その時に昨年の7月紫陽花のシーズンが終わってから永眠されたという事を知ってショックだった。たった1度だけお会いしただけなのに、とても寂しい気分になってしまった。

“この紫陽花山は1年中、人が楽しめるような花を咲かせたい”と言っていた。“四季折々季節の花や植物を愛でるイベントを企画し人が集える場所になったらいいですね”と私もいろいろ想像して楽しくなった。今は若い人にこの紫陽花山を譲り、受け継いでもらい新しい人達が運営しているらしい。2023年7月、93歳で南沢忠一さんは旅立たれた。もっと話を聞きたかった。
花咲爺さんのいない紫陽花山に今は行く気になれない。

スパイス研究家 茶子

逃げ場のない国 震災余話 井出半句

第二話 ろうそく生活で何を話した? 水の問題は?

質問がまだ残っている。続けよう。

3.ろうそく生活で何を話した?

3/11の初夜(といってもあの初夜じゃない。あの初夜なら無言で行動するだけでした)は道路を挟んだ北側の独身寮にマンションの人たちと避難して、それぞれが持ち出した水と食料を分け合って軽い夕食とした。そして家内は独身寮の食堂でマンションの人たちとテーブルにうつぶせして眠り、私は自宅9階の寝室で靴を履いたまま着の身着のままで寝た。

結局何を話したかと聞かれれば、食べ物、飲み物、持ち出し物などを確認するだけの手短な会話程度だった。つまり命をつなぐための最低限の事をしただけであった。

二日目の昼は、停電、断水、余震の中、家の片付けが主だった。

家内はため息をつきながら壊れた食器類や冷蔵庫からはみ出した食材を処分している。形があるものは壊れる、ということをしみじみ味わったのだろう。(以降、ブランド食器に興味を示さなくなった。代わりに、LAの友人のお姉さん(東京在住)が支援物資として送ってくださった皿類を今でも大事に使っている)。

二日目の夜になり、9階の自宅でろうそくを灯した。

米国から持ち帰ったクリスマス用キャンドルがあった。ライターはなかったが幸いマッチ箱がひと箱残っていた。懐中電灯などと一緒に手回し発電ラジオがあった。ジーコン、ジーコンとハンドルを回すが、蓄電量が直ぐ低下し、途切れ途切れのニュースに耳を傾けた。耳を疑うようなニュースが刻々伝わる。添付写真はそのニュースを聞いているところ。家内の表情が凍り付いているのがわかる。しかし、被害の実態や被害者数などは具体的に分からない。ただ全体被害は甚大の模様だけは分かる。

その夜(二日目)も家内は独身寮の食堂でマンションの人たちと仮眠をとった。私はまた自室で寝た。

4.水の問題はどうした。

やはり生活の上で水の問題が最大である。

自宅はもちろん、指定避難先の独身寮も一時使えた水は一日で絶えた。買い置きのペットボトルもなくなった。二日目、近隣の小中学校での給水活動が始まったと市のスピーカー放送があった。しかしこれは長蛇の列。校庭を2,3周している。その上一人2L制限。2,3時間待ちだった。筆者も二日目と三日目の2回だけ体験した。

元会社の後輩(現役)に用事があり電話をした。一般従業員が自宅待機のなか、管理者達は復興のために翌日から出勤していたらしい。話が進んで、水の話となる。彼は、ろうそくで一夜を過ごした翌朝、水を買いに7-11へ。息子と並んで3時間待ち、それぞれ1.8L一本ずつ買って持ち帰った。「そんなもんで間に合うわけないでしょ!」と奥さんに叱られた。すぐ指定の給水場となった中学校へ行ってびっくり。並んだ人が校庭を5周している。5時間待ちと言われた。給水量は一人2Lである。そんな貴重な水はトイレには使えない。

彼曰く「昼間、近くの空き地に目星をつけておいて暗くなってから穴を掘った」と。(山男用語の)キジを打った後、土をかぶせて埋めた。奥さんと娘さんに貴重な水を家のトイレで使わせるための男どもの、せめてもの配慮だそうだ。美談?ではあるが、お尻のサムイ話だ。

さて我が家に話を戻そう。

三日目(3/13)、14時頃に電気が回復した。マンションの水槽モーターが動くので水が使える、という情報が流れた。皆喜んだ。ところがモーターが壊れているので、朝8時、夕方4時の二回に分けて各戸バケツ2杯分の配給制にするとの管理組合からのお達しだった。タンクの下のバルブを管理組合の役員がひねってバケツや鍋に給水するのだ。その後、給水係が役員だけでは大変なので各戸当番制で担うことになった。これは水道復帰するまで8日間(震災日から10日目まで)続いた。ただし長い列を待つ必要はなく、庭先での給水は楽だった。それに、文字通りの井戸端会議となり、普段エレベーターで一緒の時に挨拶する程度だった住民同士の名前と顔が一致してコミュニケーションが一段と向上し、助け合いの交流が深まるという効果が現れた。

ここで明暗をくっきり分けた事件があった。

東隣に、同じ会社が建てた、同じ規模(10階建て、45戸)のマンションがある。したがって同じサイズの水槽に水が入っていたわけである。ただ、こちらのモーターは動いた。電気が通じて、住民は部屋に戻り一斉に三日ぶりの風呂に入りシャワーを浴び満足した。ところが断水中である。たちまち水槽は空っぽになってしまった。従って隣人たちは、また翌日から学校の校庭へ行き、長い列を作って給水車から貰い水を続けるはめになったのである。

後日談だが、我がマンションの管理組合役員には見通しのきく御仁がいて、電気が回復した時点で「断水はまだ続く。水槽の水を一斉に使ったらすぐ空になる。ここはモーターが壊れて動かないことにして限定給水制度にしよう」と決めたのだそうだ。危機管理の鏡のような英断ではないか。お陰様で住民はどれだけ助かったかしれない。(後日確認:モーターは過電流でブレーカーが落ちた状態だったらしい)

これで炊事用と飲み水は楽に確保できるようになったが、トイレの水には不十分だった。幸い、市営プールが300m離れたスポーツジムの隣にあり、市が解放した。とはいえ、バケツ2個を手にぶら下げて運ぶのは効率が悪い。そこで、衣服用のプラスチックケース(40cm幅X60cm長さx25cm深さ)を水がめ用にして台車に乗せた「貰い水キッド」を考案した。蓋もあるので運搬中に水がこぼれるのも防げた。

市営プールにはバケツの取っ手にロープを巻き付けてプールの水を汲み上げるようになっていた。係員はいない。これが結構難しいのだ。筆者が幼少の頃(昭和20年代前半)、飲料水は台所の手漕ぎの井戸ポンプだったが、それとは別に、庭先に、つるべ落としで水を汲む井戸があった。大正時代に両親が家を建てた時にはそれを使っていたのだ。つるべ落としの場合はゆっくり桶を水面に下ろして傾けられるのだが、プールにバケツを投げ込むのだが、なかなかうまく行かない。水を入れすぎると重くてロープで持ち上げられない。四苦八苦して「貰い水キッド」を満たし、そろりそろりと持ち帰った。三日目も停電中で9階まで水を手持ちで上げなければならない。

 そうこうするうちにスポーツジムが、自前のプールからホースを引いて駐車場でトイレ用の水を給水してくれるようになった。こちらは効率が良かった。

ただし、この水を9階まで運び上げるのはきつかった。通電してすぐにはエレベーターが動くわけではない。十分な安全点検をしてからの作動となるまで時間がかかった。その上、トイレでうまく自分のものを流しきるコツを習得するにはさらに時間を要した。そのコツについては後述しよう。他人事ではないですよ。ウンがよければ体験せずに一生を終えられますが、逃げ場のない日本はいやおうなしに直面する問題です。

第三話に続く

ジャズライフ Brian Culbertson “Nice & Slow”

最近はフュージョンという言い方はしないようで、スムースジャズというのが一般的になってきたように思います。そこで敢えてフュージョンでのカテゴリーでまだ紹介したことのないアーティストのアルバムを検索してみました。その中でとても聴きやすいアルバムBrian CulbertsonのNice & Slowを選びました。軽快なリズムですから、聴きながら家事をすれば捗ること間違いなしです。《R.O.》

01-Just Another Day – (featuring Herb Alpert/Jeff Lorber)
02-Get It On
03-Nice & Slow – (featuring Sherree/Trey Lorenz)
04-I Could Get Used to This – (featuring Dave Koz)
05-Without Your Love
06-Someone – (featuring Kenny Lattimore)
07-Prelude to Together Tonight
08-Together Tonight
09-All About You
10-I Wanna Know – (Bonus Mix, featuring Kirk Whalum)
11-Someone – (Bonus Mix, featuring Kenny Lattimore)

編集後記「忘れ物にご注意」

電車に乗ったら空いてるシートに日傘が立てかけてありました。近くに誰も座ってなかったので、持ち主はその傘を置いたまま電車を降りてしまったようです。傘はつい立てかけてスマホなどをいじっているとこうなるんでしょうね。これから梅雨になるので、傘の忘れ物が増えてくると思います。もしスマホを見ていて忘れたのなら、傘にスマートタグをつけておけば、傘を忘れそうになってもスマホに知らせてもらうことができます。傘に限らず、大切な持ち物にはスマートタグをつけておくと忘れ物防止に効果があると思います。スマートタグをつけていることを忘れたらダメですけどね。スマホを使わない方は手に持っているか、おしゃれなヒモで体と繋いでおきましょう。《R.O.》

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