雑貨屋ウィークリー1291号

雑貨屋のひとり言

非常事態宣言が出てから一ヶ月経ちました。日本国民の協力と努力によって、感染者数がピーク時から三分の一以下になってきました。一定の効果はあったみたいですが、決して安心できる数字ではありません。まだまだ医療体制の深刻さに変わりはありません。
非常事態宣言を解除したらまたすぐに元に戻ってしまうかもしれません。
そしていよいよワクチン接種の日が近づいてきました。ワクチン接種が一日も早く出来ること、ワクチンの効果があること、感染者が大きく減ることを願っています。《R.O.》

川柳 (東京・成近)

( 川  柳 )

焦ることないのに欲の勇み足

起承転 転転ラフを出られない

下請けの悲哀ドミノの駒になり

石蹴って蹴って悔しい腹の虫

出直しをすると大型二種免許

(ニュースひとりよがり)

「WTOに女性事務局長」
議論が長くなりますぞ −森喜朗

「身内へマスク送る」
失言暴言防止用の −菅首相

「太陽電池事業から撤退」
日が当たらなかった −パナソニック

河合成近

龍翁余話(664)「紀元節」

『紀元節』(建国記念の日)については過去3回、小欄(『龍翁余話』)で取り上げた。長いお付き合いをしてくれている読者は「またか」とお思いだろうが、翁はこの時期、どうしても『紀元節』を書きたくなる。言うまでもなく、翁の日本人としての血が騒ぐからだ。
今年(2021年)は皇紀(紀元)2681年。『古事記』や『日本書紀』に記されている神話に思いを馳せ、『紀元節』の意味を知ることによって日本人であることの誇りと喜びを噛み締めるのもこの時期である。1966年(昭和41年)に「建国を偲び、国を愛する心を養う国民の祝日」として制定された『建国記念の日』は、1873年(明治5年)から戦後の1948年(昭和23年)までは『紀元節』と言う祝日だった。2月11日と決められたのは「紀元前660年、日本初代天皇・神武天皇のご即位の日」(日本書紀)だったからだそうだ。

♪雲にそびゆる高千穂の 高根おろしに草も木も なびきふしけん大御代を 仰ぐ今日こそ楽しけれ(『紀元節の歌』明治26年文部省唱歌認定)――高千穂とは宮崎県と鹿児島県の県境に位置する霧島連峰・高千穂峰(標高1,574m)のこと。高天原(たかまがはら=神々が住む世界)を統率する主神・天照大神(あまてらすおおみかみ)の孫・瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天照大神の「豊葦原中津國(とよあしはらなかつくに=人間が住む地上)を治めよ」とのご下命を拝して降臨した場所がここ高千穂峰(天孫降臨の地)であるとされている。なお、日本書紀によると神武天皇は瓊瓊杵尊の曽孫(ひまご)にあたる。

さて、冒頭で述べたように『紀元節』についてこれまでに小欄で書いたのは2013年配信の(265号)「紀元節の思い出・高千穂峰」、2018年配信の(511号)「紀元節の思い出 再び」、そして2020年配信の(612号)「2月11日は建国記念日」の3回。そこで今号は2013年2月に配信した(265号)『紀元節の思い出・高千穂峰』の1部を抜粋することにする。

古い話で恐縮だが、1970年(昭和45年)2月9日、テレビ番組ロケハン(ロケーション・ハンティング=事前調査)で神話の国・宮崎県をドライブした時の思い出話。翁の愛車を新しく就航したばかりの川崎港発・日本カーフェリー『フエニックス号』に乗せ、18時間かけて宮崎県・日向へ。冬の太平洋は波高く、もともと船に弱い翁、船酔いを心配したがスポンサーのご厚意で1等船室に乗せて貰い快適な船旅だった。日向港に着いたのは2月10日朝のこと。船内で買っておいたスナックを食べながら、まず向かったのが美々津(みみつ)港。ここは神武天皇ご親卒の水軍が、東征(大和国=奈良への侵攻)のために出航した港という伝説に基づいて紀元2600年(昭和15年)に『日本海軍発祥之地』と定められた。なお「『日本海軍発祥之地』は神戸や東京にも存在する。2か所とも幕臣・勝海舟が関係している。美々津港から宮崎市内の「宮崎神宮」(主祭神:神武天皇)と日南市の日向灘に面した岩窟に建造された朱塗りの神殿「鵜戸神宮」(うどじんぐう)に参拝。鵜戸神宮は、神武天皇の父神・鵜茅葺不合尊(うがやふきいあえずのみこと)を主祭神とし、天照大神から神武天皇に至るまでの(天照大神直系の)神々が祀られている。

さて、『紀元節の思い出・高千穂峰』へ急がねばならない。カーナビが無い時代だったから地図を頼りに日南市から都城市を経由して鹿児島県国分市(現・霧島市)から一気に霧島温泉郷へ。どこをどう通ったか、まるで記憶がない。予約しておいた旅館に到着した時は既に陽は落ちていた。翌11日(『紀元節』)の早朝に「霧島神宮」を参拝。“しばれる“寒さだったが、眩しい朝陽が朱塗りの神殿を照らし、いっそう神話の世界を演出する。この社は天孫降臨の邇邇芸尊を主祭神とし、それに神武天皇の父母神・鵜草葺不合尊、玉依姫(たまよりひめ)など5神を祀っている。

予約しておいたガイド(アルバイトの大学生)が翁の車のタイヤにチェーンを取り付けてくれ(彼の車の後から)いざ『天孫降臨之地』高千穂峰へ。高千穂峰の山頂には青銅製の天逆鉾(あめのさかほこ)があり、幕末の志士・坂本龍馬と妻おりょうが訪れた時、大胆にも龍馬がこの鉾を引き抜いたというエピソードがあるが「実のところ、天逆鉾の確たる由来は不明です」とはガイド君の説明。それと残念ながら「この道路状況(雪道、凍結)では山頂までは危険」というガイド君の冷静(適切)な判断で天逆鉾を見ることは出来なかったが、山頂手前の巨大岩(御神岩)に刻まれた『天孫降臨之地』の碑の前で(高天原の)神々に恭しく拝礼。眼下に広がる白銀の樹氷林は、まさに神秘の世界。初めて見るその感動的光景は今でも忘れ難い。

樹氷林の間を抜けて(下って)、ガイド君は翁を『えびの高原』まで送ってくれた。お礼に温かな蕎麦でも、ということで2人、たった1軒しかない茶屋に入った(その後『えびの高原』は観光のメッカとなり、ハイカラなレストランや珈琲ショップが立ち並んでいるとか)。茶屋に“落書き板”が架けられており、所狭しとばかり旅人の“思い思い”が寄せ書きされている。「お客さんもどうぞ」と老主人に薦められて翁も少しばかりの空きスペースに1句書いた。(江戸時代の国学者・本居宣長の“敷島の大和心を人問はば”をもじって)先ほど『天孫降臨之地』の碑の前に立った時の、翁の率直な心情を詠んだ句である。
 【高千穂に 日本心(やまとごころ)をたづぬれば 樹氷こたへし 天をみるべし】
神秘の世界・樹氷林を眺めながら、日本精神とは何ぞや、を考えた。“天を仰げ、天が答えを出してくれる”樹氷林からそんな声が聞こえて来るようだった。茶屋の老主人が奥から縦横80cmほどの無地の(中折り)屏風、筆、硯箱を持って来た。「これに書いて貰いたい」と懇願された。幾度か丁重にお断りしたが「どうしても」、「ならば左側の面だけを使わせていただく」ということで筆をとった。その茶店と屏風、今はどうなっているのだろう?『天孫降臨之地』碑の眼下の樹氷林をもう一度見たい。『紀元節』のこの時期、半世紀前の「高千穂峰の思い出」が懐かしく鮮明に蘇る・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「食べる事」

食べる事
久しぶりに図書館に行った。何か調べたい事がある時はじっくり活字を見ながら静かな広い空間で時間を過ごす。

今回は歯の事で調べたい事があったので図書館に行ってみた。
日本では8020運動と言って80まで自分の歯が20本ある事が理想とされているそうだ。母は上の歯は全部自分の歯で奥歯の右と左が2本と3本無い。

それで以前、自由診療で高い入れ歯を作ったのに痩せた事が原因で間もなく合わなくなった。
残念ながらそう言った部分入れ歯は調整が効かないそうなのだ。
それから他の歯医者さんで調整出来る部分入れ歯を作ってもらった。
今回調べてわかったことは日々、人間の歯茎も変化しているそうで入れ歯が合わなくなってきたら、すぐに歯医者で調整してもらう事が大事なのだそうだ。
出来れば3〜4ヶ月に1回は、見てもらった方がいいらしい。
今回、人間にとって噛み合わせが如何に大事な事なのか、わかった。
歯を食いしばれると言う事は活力にも繋がる。

以前、ウエストロスアンジェルスで歯科医をしている友人がいた。
彼女は時々、日本の整体師の先生のところにボランティアでも出かけていた。
その時の様子を話してくれた事をふと思い出した。
歯の噛み合わせを治しただけで今まで立てなかった患者さんが立ち上がって歩けるようになった、頭もハッキリして表情まで明るくなったと。

昨年からお騒がせの流行り病のお陰で母は全ての定期検診をキャンセルしていた。
その歪みがあちこちに出ていて今回は母の歯にも影響があった。
だんだん歯の噛み合わせが悪くなっていたのにも関わらず母は、その合わない入れ歯を使い続けたお陰で口内炎が出来、3週間前から入れ歯を使う事が出来なくなった。
ようやく体調も戻ってきた矢先、今度は歯の問題を解決しなければならなかった。

図書館で歯に関する情報をパラパラ見ていたら” ワニなどの爬虫類は骨から歯がはえる。
哺乳類は歯根膜に歯が浮かんでいる状態でそれがクッションのような役割を果たしているので上手く噛めるのだ “と。何だか妙に納得した。
その事を書かれた先生の意見としてインプラントは、やり治しは出来ないし後から入れ歯を作る事がとても難しいのであまり勧められないと書いてあった。
ある病理学者はインプラントは骨に刺さったトゲとまで例えている。

もちろん、インプラントを勧められる歯医者さんの本も沢山あって其々その人の環境や体調によってどの方法がいいのかは一概に言えないけれど、今回の選択肢の中から母にとってインプラントの選択はスパッと外れた。新しい部分入れ歯を作るにしても直ぐには作れないしすでに3週間も離乳食のようなものばかり食べていると体力はどんどん落ちてくる。噛まない事で精神的に及ぼす影響、体へのマイナス面などが大きいのだ。その事を今回目の前で見させられた。

兎にも角にも食べられない事が困る。急ぎでテンポラリーでも合わない入れ歯を調節出来る歯の技工士も兼ねている先生は、いないだろうかと探した。
そして、ネットで偶然、そんな先生が見つかったので行ってみた。(次回に続きます)

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ ”Playing The Room” Avishai Cohen / Yonathan Avishai

先週はピアノレスのジャズでしたが、今週はトランペット(Avishai Cohen)とピアノ(Yonathan Avishai)のデュオジャズをご紹介します。二人はイスラエルのテルアヴィブ出身です。
アルバムは穏やかで優しいピアノとトランペットで始まります。スローで美しい響きのジャズです。

“Playing The Room” Avishai Cohen / Yonathan Avishai

01-The Opening
02-Two Lines
03-Crescent
04-Azalea
05-Kofifi Blue
06-Dee Dee
07-Ralph’s New Blues
08-Sir Duke
09-Shir Eres (Lullaby)

編集後記

1997年3月にFrontPageで雑貨屋ホームページを作成して公開してから、初めてリニューアルをしました。WordPressというソフトウェアを使い作成しましたが、扱いやすいので意外と早くできました。もっと早くやればよかったと思っています。

構成もデザインも出来るだけシンプルにしました。創刊からの大量のアーカイブにもリンクできるようにしてあります。
メール配信はこれまで通り、最新号のページをお届けします。他の機能も使えるように徐々に改良していこうと思います。
雑貨屋ホームページのURLが変わりますので、ブックマークしておいてくださればいつでも雑貨屋をお読みいただけます。
https://zakkayanews.com/wp/

記事の最後にはコメントも書き込めるようになっていますので読者の方からのご感想、ご意見をいただければ嬉しいです。読者からの投稿記事も歓迎です。
これからも雑貨屋ウィークリーをよろしくお願いします。

雑貨屋店主 大西良衛

コメント

  1. 若尾龍彦 より:

    雑貨屋店主・大西さん、
    1291回にして WordPress でのリニューアル、おめでとうございます。
    LA 時代から雑貨屋さんには励まされ慰められてきました。
    貴兄のボランティア精神と人を喜ばせようとする熱い心に打たれます。
    コロナ禍の下、お体には充分気を配り、お元気で雑貨屋を続けてください。
    雑貨屋店主・大西さん、毎号の寄稿を続けられている皆様にも感謝申し上げます。
              若尾龍彦 拝

    • zakkaya-tenshu より:

      若尾さん
      コメントありがとうございます。初めてのコメントで喜んでいます。
      今回のリニューアルは、私が雑貨屋創刊の時からでやりたかったことです。
      コメントが書き込めて、読者からの投稿も載せられるようにすることです。
      リニューアルは北岡さんからの電話がきっかけでやる気になりました。
      先日から北岡さんのホームページ復活のお手伝いを始めています。
      Lineでやり取りしたりZoomで画面を見ながら説明したりやっています。
      なかなか伝わらなくてコミュニケーションのむつかしさを痛感しています。
      でも新しいチャレンジをすることは楽しいことです。
      コロナにはくれぐれもお気を付けください。

      大西良衛