雑貨屋ウィークリー1526号

雑貨屋のひとり言「運転免許更新」

運転免許証更新のための講習のお知らせが2ヶ月前に届きました。5年前の更新時は免許更新センターで簡単な講習を受けるだけでした。70歳以上になると更新の前に高齢者講習を自動車教習所で受講する必要があります。運転する機会がほとんどないので、免許の自主返納を考えましたが今回は更新することにしました。早速、近くの自動車教習所で予約し駅前から出てる教習所行きのバスで行きました。講習はまず高齢者への啓発ビデオ視聴、両眼視力、視野角度検査等をして、教習所のコースを実車で運転をさせられました。運転能力に問題がないかの確認のようでした。13年ぶりの運転でしたが特に問題ありませんでした。約2時間の講習後に修了証明書をもらいました。近いうちに免許更新センターに行き免許証の更新手続きをしようと思います。72歳からは免許の有効期間は3年になります。高齢者はどんどん面倒くさくなります。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

土の香を知らずに猫の血統書

老猫がゴロリあくせくしなさんな

先輩のタマに一目ポチが置く

初孫に主役取られたポチの鬱

叱られたポチの目何か言いたそう

(ニュースひとりよがり)

「被爆80年」

まだカタカナが  ー ヒロシマ

「山下全英女子OP優勝」

-11よくやった  ―  赤澤経済再生相

「月原子炉計画」

これ以上月を荒らさないで ―  かぐや姫

河合成近

龍翁余話(896)「君が代記念日」

翁にとって「国旗」(日の丸)と「国歌」(君が代)は、日本人であることの誇りを具体的に表現する象徴である。これまでに数回『龍翁余話』で(東京を留守にしない限り)正月・紀元節・天皇誕生日・終戦記念日などでは必ず国旗を自宅マンションのベランダに掲揚している、と書いた。

拙宅は、玄関を入って直ぐの部屋が仕事部屋になっている。初めての来訪者は、その部屋を見て、たいてい驚く。部屋の乱雑さに、ではなく365日掲げてある大小1つずつの“日の丸”に、だ。時々やって来る友人たちも初めは奇異に感じたらしく「龍翁さんは右(右翼)ですか?」と、ストレートに尋ねた後輩もいた。翁いわく「右でも左でもない、俺は、こよなく日本国を愛する日本人だ。日本人だからこそ国旗(日の丸)と国歌(君が代)に誇りと愛着をもち、大切にしている。それを右と言うなら、間違いなく右だろう。但し、街宣車でガナリたてる団体とは無縁だが・・・」最初いぶかった彼らも、その後はごく自然に“日の丸の部屋”に入って来るようになった(“コロナ禍”以前)。翁の“愛国心”を理解してくれた証拠だろう。と言うか、彼らも本質は“愛国者”なのだ。ともあれ“白地”は平和と汚れのない美しい心、“赤い丸”は不変の太陽、不変の国家安泰、丸は円満、赤は燃えるが如き愛国の心を表すそうだ。日の本・日本の国旗としては真に体を成し、これ以上のデザインはない。翁、改めて先人の“日の丸”への思いに敬意を表したい。

一方「国歌」(君が代)が斉唱(あるいは吹奏)される行事は「国民スポーツ大会」、「国民文化祭」、「全国植樹祭」、「全国戦没者追悼式」のほか「各種スポーツの開会式」「各種天皇賞」などだが、国民にとって身近なものとしては「大相撲本場所の優勝者表彰時」、「オリンピック金メダル表彰時」の“君が代斉唱(吹奏)”だろう。翁は8月15日の終戦記念日に行なわれる「全国戦没者追悼式」の時は、テレビ画面に向かって(吹奏に合わせ)独唱するのが常だ。

さて、『君が代』が「国歌」として正式に制定されたのは比較的新しく今から26年前の1999年(平成11年)8月12日。したがって政府は8月12日を『君が代記念日』としている。そもそも『君が代』は、1893年(明治26年)8月12日に文部省が「小学校儀式唱歌用歌詞並びに楽譜」を布告し、小学校の祝日・大祭日の唱歌に『君が代』を定めたことに由来する。いや、それ以前、1880年(明治13年)に明治政府は法律では定めなかったが、礼式曲『君が代』を事実上の「国歌」と決めていたそうだ。

資料によると、『君が代』は10世紀初頭(平安時代初期)に編纂された「古今和歌集」に採用された“詠み人知らず(作者不明)”の和歌である、とされている。面白い話がある。「古今和歌集」と言えば、醍醐天皇(第60代天皇)の命によって紀貫之、紀友則、(先週号「行合の空」に登場した)凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)、壬生 忠岑(みぶ の ただみね)(彼らはいずれも「三十六歌仙」)の4人によって編纂された日本初の「勅撰和歌集」である。それほどに格式の高い(権威ある)「和歌集」だから、作品選びも慎重を極める。作品の優秀さもさることながら“詠み人”の身分(社会的地位)も“勅撰”(天皇・上皇・法皇らによって選定される)基準が厳しかった。実は、『君が代』の“詠み人”は分かっていた。『君が代』の歌詞は秀逸だが、作者の身分が低かったが故に(選者たちは)“詠み人知らず”とした、と言う隠された逸話がある(真偽のほどは知らないが)。ちなみに「古今和歌集」には“詠み人知らず”の和歌が約2000もあるそうだが、翁の想像では、実際は“詠み人”が分かっていたのに彼らの身分が低かったが故の処置だった、と思うのである。それはさておき――

【君が代は 千代に八千代に 細石(さざれいし)の巌となりて 苔の生(む)すまで】
歌全体の意味としては「祝福を受ける人の長寿を祝う歌」とか「天皇の治世を奉祝する歌」とされているが、さて『君が代』の「君」は誰を指すのか、が(平安時代から現代に至るまでの)長い間の論点になっていた。これも翁の想像では古くは(平安時代から昭和20年の終戦までは)「天皇の治世を奉祝する歌」であった、と思う。すなわち「君」とは「天皇」のこと――しかし、戦後「天皇は日本国の象徴である」とされる憲法下において政治家や学者たちは「君(きみ)は天皇だけを意味するのではなく、主人・家長・親友・愛人などを意味する言葉」と解釈するようになった。しかし翁のような“天皇崇敬者”は、「日本人である限り、君は天皇、でいいのでは」と思うのである。そんなことを言うから「龍翁さんは右翼だ」と囁かれるのだが・・・ところで――

2004年度から2013年度にかけて、都立高校や特別支援学校の入学式や卒業式で『君が代』を斉唱する際に起立しなかった教員や元教員12人に対し、都の教育委員会は東京地裁に減給処分を提訴、東京地裁は“減給”の判決を下した。それを受けた12人は「減給処分は違法だ」として最高裁に控訴した。最高裁は「減給処分については違法性はないが、減給以上の重い処分は慎重な考慮が必要だ」との(ちょっと甘い)判断を示した。言うまでもなく、思想信条の自由は憲法でも保障された権利だから、誰であろうと自分の考えを主張することは構わないが、個人的思想・信条を教育の場で子供たちに押し付ける行為は許されない。「国旗」「国歌」は法律で決められたものだ。それを受け容れられなければ、教職を去ればいい。子供たちにも思想・信条の自由はあるし、それが、いかに未熟であろうと、自主的・主体的確立を子供たち自身に委ねるべきである。ましてや遵法の精神を教えるべき教師が法に逆らってどうする?8月12日は『君が代記念日』、翁は吼える「日本人よ、もっと誇り高く『君が代』を歌おうではないか」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「長年の夢」 

“ 早く来ないと死んじゃうよ“ 私のクライアントさんの1人は、そう言って私の母がLAに来るのを心待ちにしていた。同じ時代を生きてこられ共通の話題もたくさんあったのだろうと思う。ハワイで生まれ幼少期を日本で過ごしそして、アメリカに戻って結婚された。もう1人のクライアントさんは母と同じく花が大好きで外出が好きな方だった。皆んな母と同じぐらいの世代なので母もアメリカで生きている日本人の生き様には関心があった。

残念ながらその2人とも母がアメリカに来る前に亡くなってしまった。それでも今回、LAと日本でビデオチャットした事のある私のクライアントさん2人とお会いする事が出来た。1人は自宅から家の近くにあるグループホームに入居されていた。

もう1人は自宅でお手伝いをする人が以前は週2回だったけれど今は毎日誰かが、お世話で入っていた。多少、歩行が弱くなっていたものの以前と変わらない感じだった。今回、ビデオチャットで母とは、すでに面識があったので、2人とも、まるで昔から知っていたような感じで会話が弾んでいた。

そして長年10年以上も前からサンペドロのハイキングリーダーをされているLさんがずっと言い続けてきた事、それは母がアメリカに来たら自分のボートに乗せてサンペドロ湾をクルーズしてあげたいと毎年言っていた事だ。

母にとっても行きたいのは山々でも体に自信もなく、なかなか行くという決意が出来なかったのだが、今ならまだ杖も使わずに自分の足で歩けるので思い切って行こうと決めてくれたのだ。来る前は、いろいろ不安が増幅して揺れに揺れていたけれど主治医の先生や周りの人の激励もあって母の背中を押してくれた。

10年以上、日米を渡り鳥のように行ったり来たりしている私に毎回、毎回Lさんはお母さんを連れてきたら自分のボートに載せてクルーズをするんだと言い続けてくれた。そのLさんも9月で95歳のバースデイを迎える。Lさんにとっても、ようやく約束が果たせたようで嬉しそうだった。イタリア人の気質なのだろうか、家族を大事に母親に対するリスペクトはアジア人とも共通している感じだ。

ともかくLさんのバースデイは母もLさんのボートの上でパーティーが迎えられる事になって嬉しく思う。母を乗せてLさんの運転でゆっくりサンペドロ湾を2時間巡った。晴れた日曜日の穏やかな昼下がりの時間だった。
Lさんは海側から昔、日本人が住んでいたターミナルアイランドの町があった所を指し示して見せてくれた。そして遠くから鳥居が見えた。今は幻となってしまった日本人の町だけれど、かつて世界1の魚の水揚げ量があり戦前は栄えた港町だったそうだ。

それにしても、やっと叶った長年の夢、思い続けるという事は大事なのだな、、、、と。

スパイス研究家 茶子

小春の気ままな生活 第三十二話「8月のテネシー・ジョージア」

今週は、下調べが十分に出来なかったので健康シリーズは来週に(?)先延ばしにし、ここ数週間に訪れた町や南部の日々の話をしたいと思います。

南部の気候もなかなか暑く外に出れないと思っていたら、8月に入り最高気温が下がって来ました。湿度もさほどなく、日中でも外に出れそうな感じです。昨日は天気も良く日差しは強かったのですが日光浴を10分ほどしました。ロサンゼルスのブックオフで買った五木寛之さんの「健康と言う病」と言う本を読んでいます。まだ途中で、内容については語れるほど読んでいませんが、健康についての情報が多すぎると言うお話から始まっています。思いの外面白いので、継続して読めそうです。

いつも行くベーカリーで何時ぞやお会いしたテネシーの方に、「ここから1時間くらい北にTownsentという町もこじんまりしているけれど、可愛い町ですよ。」と教えてくれたので尋ねてみました。家を出発したのが遅かった為、ほとんど街をドライブしただけだったのですが、遺産センターがあったので尋ねてみました。手数料を払えば、町の歴史などが見れるらしい。私たち夫婦が訪れた時は、閉館30分前だったので入館はできないと言われました。最初のビデオ説明が25分かかるため、入館しても最後まで辿り着かなないとの説明でした。私たちはどうしても入りたかったわけでは無いので、また早い時間に来ますと伝えてセンターを去りました。ただ、センターの外には原住民なのか、開拓者の家なのか古い建物が建っていました。それはそれで興味深かったです。とにかく、夏のテネシー州はどこを見渡しても緑なので、ドライブしているだけでも癒されます。山道を通って少し遠回りして行ったのですが、山林の中を運転して行くので、湾曲した道が続きます。山の高いエリアになると、大きな湖やダムがよく出てきます。また、山の高いところからは山脈が見渡せます。30年前のカリフォルニア州は山・ビーチ・砂漠・海がありそれは自然豊かで楽しかったのを覚えています。今はテネシーで同じ気持ちを味わえています。くねくね道をドライブしていると、茶子さんからの電話が鳴り少し話していましたが、何せアパラチア山脈は国立公園でもあるので携帯の電波が届かない場所が所々あります。残念な事に途中で電話が途絶えてしまいました。そんなテネシー東部に住んでいる次第です。

私が住んでいる町はジョージア州に近いので、時々ジョージア州まで出かける事があります。今日、金曜日は主人の仕事に付き合い、ジョージア州へと出かけました。もう何度も通ったことのあるハイウェイ411です。南に下りジョージア州に入ると日本の会社も幾つかあります。大きな会社はToyo Tireがあります。また、なんの会社かわかりませんが、Kobayashiと言う名前が大きな商業建物の一角に出ていました。今度調べてみます。ジョージア州には日本の会社が結構あると聞いています。羽田空港からデルタ航空で直行便が飛んでいます。ジョージア州へ行く途中にKubotaの標識も見え、重機のディーラーがあります。Kubotaはテネシーの西側に本社があります。私の町の近くにもディーラーがありますし、我が家の元家主はKubotaのホイールローダを買って持っています。また、以前説明したことのあるゼロターンの芝刈り機も売っています。ジョージア州に入ると、テネシー州と少し違う木々があり雰囲気や街並みが違う気がします。今日は、道に野菜や果物を売っているスタンドがあったので桃やスイカを買ってみました。アメリカのスイカといえば、横に長い大きなスイカを思いますが、今日はスイカの縦しまの柄のない、黒いスイカがあったので買ってみました。

この様に、まだまだ旅行者気分でいる我が家ですが、カリフォルニア州からこのテネシー州に引っ越して来れて本当に良かったと日々感じています。

つい先日、カリフォルニア州はとんでもない法案が出されていて、子供をもつ親は今すぐに他州へ引っ越した方が良いと教会の牧師が訴えています。この法案は、公立の学校にいる子供たちを身分証明の提示もなく、身内や知り合いの様に引き取りに行く事ができると言う法案だそうです。これは人身売買天国になると訴えています。子供の人身売買が堂々とされています。これは日本でも行われていると聞きました。アメリカでは先日小さい子供がショッピングモールで親の側から連れ去られそうになりました。子供の連れ去りは日常茶飯事です。

日本もカリフォルニア州の様にならないように願うばかりです。

来週はまた健康の話に戻れるよう頑張ります。

また来週。

小春

“ジャズライフ KKenny Drew “Reflections of Jazzman”

「Reflections of a Jazzman」は、ジャズ・ピアニストのKenny Drewによる2023年リリースのアルバム。ピアノ、ベース、ドラムによるトリオ編成中心で、クラシックなジャズの空気と美しい旋律が楽しめます。ピアノ・トリオ好き、スタンダードナンバー好きの方におすすめできる作品です。《R.O.》

01-I’m Old Fashioned 4:58
02-It’s You or No One 8:05
03-I Could Write a Book 4:40
04-This Is New 6:53
05-Be My Love 2:43
06-Everything Happens to Me 4:41
07-Gloria 3:22
08-My Funny Valentine 4:06
09-Bewitched, Bothered and Bewildered 4:10
10-Wee Dot 5:45
11-Why Do I Love You? 5:13
12-Lover Come Back to Me 3:31
13-You’re My Thrill 5:17

編集後記「あっぱれ日本女子プロゴルフ」

全英女子オープンは期待通り日本人選手が快挙を達成しました。山下美優夢選手が優勝し、2位に勝みなみ選手、4位に竹田麗央選手というあっぱれな結果になりました。年間5試合ある女子ゴルフのメジャーで、この2年間で10戦4勝と日本勢が高確率で優勝しています。日本女子プロのレベルが世界レベルになってきたと言うことだと思います。これからも目が離せません。それにしても賞金が大きいです、世界中の選手が狙うのは当たり前ですね。《R.O.》

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