雑貨屋のひとり言「世界で輝く日本人アスリート」
大谷翔平選手が21号・22号のホームランを放ち、両リーグを通じてホームランダービーのトップに立っています。世界卓球では戸上、篠塚ペアが64年ぶりとなる金メダルを獲得しています。ゴルフでは、竹田麗央選手と西須真央選手がメジャー大会で優勝するなど、日本人選手の活躍が目覚ましいものとなっています。これらのニュースを耳にするたびに、勇気をもらいます。これら以外のさまざまなスポーツで日本人選手の活躍が際立ち、その実績は、日本のスポーツ界全体のレベルが向上していることを証明するものです。彼らの活躍は、毎日のニュースや試合結果をチェックする楽しみを私たちにもたらします。同じ日本人として、その努力と成果に誇りを感じるとともに、彼らの姿が多くの人々に勇気や希望を与えていることは間違いありません。これからも、日本人アスリートが世界の舞台でどのようなドラマを生み出していくのか、目が離せません。《R.O.》
川柳(東京・成近)
( 川 柳 )
正直な目だな嘘だと言っている
同情はするがと後の語を濁し
短所だと情の脆さを叱られる
人情を死語にしている鍵の束
身の程は知ってる俺は太郎冠者
(ニュースひとりよがり)
「体質改善」
鉄(金を失う)から
鋼(カネのなる岡)に ー USスチール
「復活」
二横綱の次は ー 二刀流
「永年勤続表彰」
テルテル坊主どの ― 気象記念日
河合成近
龍翁余話(886)「水無月」
5月末頃から6月上旬になると梅雨前線が北上し、本州の各地で梅雨に入る。梅雨には大まかに2つのタイプがあるそうだ。1つは激しく雨が降る時期と晴れて梅雨の中休みの時期が交互に現れるようなタイプで“陽性型の梅雨”と言われ、気温が高く、集中豪雨などの大雨が発生することが多くなると言う。もう1つは豪雨ではなく”しとしと雨“の日が多く”陰性型の梅雨“と言われる――いずれにしても6月は雨、つまり水の多い月、なのに何故『水無月』なんていう和名がついたのだろう・・・と若い頃、いろいろ調べたものだ。
“水があるのに『水無月』とは、これ如何に”――結論を先に言おう、古語の「無」は、強調の働きをもつ「の」を意味する表音文字(連体助詞)。 つまり、『水無月』は「水の月」と言う意味。 今も昔も田植え(米作り)は最も重要な作業である。 そこで「田んぼに水を引く月」ということで、6月を「水の月=水無月」と呼ぶようになった、とのこと。余談だが、では何故、10月「神無月」を“神が無くなる月”と言うのか・・・実は、これも“神が無くなる”のではなく、旧暦10月、 全国の八百万(やおよろず)の神が出雲の国に集まる月。したがって“神様が留守をする月”であって“神様が無くなる月ではない”と歳時記には書かれている(出雲では10月を「神無月」とは言わず「神在月」と言うそうだ)。
このように旧暦では、月々を「和風月名(わふうげつめい)」と呼ばれる和風の呼び名を使用していた。ご承知のように睦月(1月)、如月(2月)、弥生(3月)、卯月(4月)、皐月(5月)、水無月(6月)、文月(7月)、葉月(8月)、長月(9月)、神無月(10月)、霜月(11月)、師走(12月)・・・これらの「和風月名」は旧暦の季節や行事に合わせたもので、現在の暦でも使用されることがあるが、詩歌の世界ではこの「和風月名」は依然“王座”。詩歌を好んでいる翁もこの「和風月名」をよく使う。しかし、昔と現在では多少季節感が異なり、1~2ヶ月ほどの季節のずれを感じることがある(が、それを承知で使う分には問題はあるまい)。
翁は若い時から、仕事でも趣味でも“事始め”から“ちょうど半分にさしかかった頃”を「水分峠(みずわけとうげ)」と呼び、それまで自分が行なって来たことの反省と軌道修正、価値(意義)を確認していた。「水分峠」と言うのは大分県由布市(旧湯布院町)と大分県玖珠郡九重町との境にある標高707mの「分水嶺」(ぶんすいれい)のこと。専門学(山岳学や河川学)では「分水界になっている山稜(さんりょう)」を言うそうだが、翁は俗に、「物事の方向性が決まる分かれ道(の日・時)」としている。そして正にこの6月は12ヶ月のちょうど半分にさしかかる月、つまり“水分峠月”である。
もうすでに恒例化しているが、今年も4月21日から5月20日までの1か月間、大分県の田舎(生まれ故郷)で過ごした。帰省するたびにお借りしている親友(Fさん)の車、実は今までは“軽”のマニュアル車だったが(それもいい車だったが)この3月、Fさんは新しいオートマ車を購入した。「え?これが“軽”?」と驚くほど大きなサイズ、車内の天井も高く幅も広い(ゆったり感)。充分過ぎるほどの機能、おまけにエンジン音も静かで“普通車”と何ら変わりはない。「これなら楽々と、かなり遠方までドライブ出来る。エッセイ『龍翁余話』でまた“郷土自慢”の取材が出来る」と意気込み、あれこれ取材計画(ドライブ・プラン)を立てた。ちなみにこの車のナンバーの始まりが「52・・・」だったので、翁、いち早く「コニー君」とのニックネームを付けさせて貰った。
早速「コニー君」を運転して『龍翁余話』(882)「杖立(つえたて)温泉郷の鯉のぼり」(4月27日配信)、その後は「コニー君」ではなくもう1人の親友S君の車で(883)「下筌(しもうけ)ダム=蜂の巣城紛争の舞台」(5月4日配信)、(884)「鯛生金山(たいおきんざん)」(5月11日配信)・・・そこまではドライブ(取材)・エッセイ執筆・(以前からメールによって翁が直接お送りしている)旧友読者への配信など全て順調だった。ところが――
5月13日、突然「メール送受信」が不能となった。30年以上もこの会社(プロバイダー)と付き合って来たのに、こんなことは初めてだ。何の通告もない、何の説明もない、まさに突然の出来事だった。「これは困った!」と急いで(パソコン・トラブルの時、いつも助けて貰っている)“遠隔サポートサービス”に「SOS」を発した。こことも長い付き合いなので非常に親切、あれこれ手を尽くしてくれたが結論は「これはパソコンのトラブルではなく、プロバイダーの問題。プロバイダーが何らかの意図でストッパー(接続オフ)をかけたのでしょう」・・・それからというもの、貴重な1日1日を割いて当該プロバイダーの「サポート窓口」「サポートデスク」「カスタマーセンター」などに次々と電話し、何とかオペレーターとの直の話し合いを試みたが、これらの“窓口”は全てオペレーターとの直接会話が出来ない仕組みなっていることを初めて知った。挙句の果てに「チャット」も試みた――が、結果は翁の期待がことごとく裏切られ、一筋の灯りも消え失せた。
もう、我慢の限界!翁、(30年も世話になったプロバイダーと縁を切り)すかさず、新しいプロバイダーを見つけ手を打った。新規のプロバイダーとは、今のところ電話とショートメールの応対で具体的な作業に入るのは6月に入って直ぐ、との約束。18年間、我が子のように育てて来たエッセイ『龍翁余話』(主たる出稿先は「ZAKKAYA WEEKLYだが)読者各位のお手許に届くのは、6月中旬以降になるのでは?
翁にとって6月は「水分峠月」。ところが今回、降ってわいたようなパソコンの大トラブルに、これまでの流れを反省したり軌道修正したり・・・などのゆとりはなく、慌ただしい「水分峠月」になりそうだ・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
茶子のスパイス研究「ペパークラフト」

今回、清里のお蕎麦屋さんで何度もお蕎麦をご馳走になった。そのお店で飾られているペーパークラフトの花がとても華やかで見事だった。
聞くと店長の奥様が手作りしたもので材料は100円ショップや身近にあるものを工夫して作られたのだとか、、、、
保育園の先生もされていて子供達に折り紙を教えたりしているので紙の扱い方も特徴もよく知っている。娘さんのウェディングの花のブーケも作られたのだとかで生の花の脇に飾ってある紙の花束も良かった。

生の花を飾るのもいいけれど紙を使った花も趣きがある。それに花瓶まで紙を貼り付けて作ったそうで感心した。その花に合わせて自分のイメージした花瓶まで作れるなんて楽しそうだ。このお蕎麦屋さんの窓から眺める外の景色も好きだ。今は新緑の緑が綺麗だけれど秋には窓から見える紅葉も絵になるだろう。
今日、土曜日は雨、清里から東京に戻ってきました。今回の旅もたくさんの思い出が作れました。また、ボチボチ書こうと思います。
スパイス研究家 茶子
小春の気ままな生活 第二十三話「パスポート更新・ナッシュビル日本国総領事館」
今週は、私の更新パスポートの引き取りにナッシュビルまで車で片道3時間半(実際は途中休憩も入れて4時間、193マイル)かけて行って来ました。長年ロサンゼルス在住だったので、今まで領事館へは渋滞も入れて1時間ほど(距離は25マイル程)で着いていました。土地勘もあり、他州に住んでる方には申し訳ないと思うほどでした。よくよく調べてみると、日本国総領事館はジョージア州のアトランタにもあり、私の家からはアトランタの方が近いのですが、管轄はテネシー州なのでナッシュビルへ行かなければなりません。それでも、同じ州に領事館が無い州もありますから、まだラッキーだったかもしれません。
途中、インターステート(高速道路)には休憩所があり、トイレに行けます。またテネシー州のツーリストインフォメーションがあり、地図や割引券、観光名所の案内雑誌などが沢山ありました。案内してくださった方が、日本に息子さんが住んでいた10数年前に日本に行った時の話もしてくれました。フリーウェイを走っていてふと気がついたのですが、私が住んでいるのはテネシー州東部でアメリカでは東部時間になります。ナッシュビルは中部で、セントラル時間なので東部より1時間遅くなります。この事をすっかり忘れていた為、ゆっくり運転する主人の事を考えて自宅を早めに出たため、さらに時間にゆとりがあり私は日本食レストランでゆっくりお寿司を食べる事ができました。併設するマーケットで普段買え無いサバやホッケなどのお魚や食品を買う事も出来てとても嬉しかったです。ロサンゼルスのマーケットの様に大きくは無いですが、必要なものは一通り揃っていました。現在日本で手の入ら無い日本米も売っていました。お値段も5キロで$30ほどだったでしょうか。ロサンゼルスより若干割高ですが、郵送費を考えれば悪くありませんでした。油揚げは一パック$3.08、白滝は$2.38、こんにゃくは$1.78、サバは$8.48、ホッケは$6.48でした。油揚げも魚も冷凍なので、アイスバッグで持って帰る事ができました。これで念願のお稲荷さんが作れます。こんにゃくも近場のアジアマーケットには売っていたかったので、これで五目豆や筑前煮が作れます。

領事館には予約の30分前に着いてしまい、入館したらお昼休みで誰もいませんでした。セキュリティーも慌ててやってきた程でした。領事館が開き無事にパスポートの受け取りは5分程で出来ました。これで10年は無事に過ごせます。今年の3月24日からパスポートは日本で処理されるため更新には一ヶ月かかります。私は去年の12月から幾度とオンラインで更新手続きを試みたのですが、システムがややっこしくて諦めて領事館まで申請に行こうと思っていた矢先にやっと携帯で申請が出来ました。写真も携帯で自撮りできるのでわざわざ撮りに行かなくても良くなりました。ただ、まさか申請できると思っていなかったので、身なりを整えずに試みたので、今までで一番ひどいパスポート写真になってしまいました。
帰りは少し遠回りに途中からフリーウェイを使わ無いハイウェイで寄り道しました。改めて、テネシー州は綺麗な州だと実感しました。5月は暑くもなく、雨も多い為あたり一面緑で生い茂っています。
と言うわけで、今週も芝刈りにがんばります。
また来週。
小春
ジャズライフ Charl Du Plessis Trio “It Takes Three”
今週もいいアルバムを見つけることができました。クラシックの名曲をジャズ的なアレンジで再構築したCharl Du Plessis Trioのアルバム『It Takes Three』の紹介です。このトリオは南アフリカ出身で、ピアニストのシャルル・デュ・プレシス、ベーシストのヴェルナー・スピーズ、そしてドラマーのピーター・オーレで構成されています。 収録曲にはワーグナーの「巡礼の合唱」やベートーヴェンの「月光ソナタ」、さらにはチック・コリアの「スペイン」や「聖者の行進」など、多彩な楽曲が並びます。原曲の美しさを尊重しつつ、三人ならではの即興やリズム、ハーモニーで新たな命を吹き込んでいます。聴き慣れたメロディが、驚きとともに新鮮に響くのが大きな醍醐味です。『It Takes Three』は、クラシックの格式とジャズの自由さが見事に溶け合った、聴くたびに新しい発見があります。《R.O.》
Charl Du Plessis Trio “It Takes Three”
1-Tannhäuser, WWV 70, Act III: Pilgrim’s Chorus
2-Revirado
3-La Cumparsita
4-Requiem K. 626: Lacrimosa
5-Für Alina
6-Spain
7-El Choclo
8-Jealousy Tango
9-Where Can I Go Without You?
10-Sonata No. 14 in C-Sharp Minor, Op. 27 No. 2 “Moonlight”: I. Adagio sostenuto
11-II Barbiere di Siviglia, Act I: “Largo Al factotum”
12-When the Saints Go Marching In

編集後記
昨年3月から始めた卓球は私に勇気を与えてくれています。今は初級と中級のクラスに入れていただき、難しいところもありますが、だからこそそれにチャレンジしようという気持ちにさせてくれることが嬉しいと感じて続けられています。
練習が終わった後の筋肉の疲れさえも心地よく感じています。そしていっしょにやってる人たちとの交流も大事にしていこうと思っています。卓球に出会えて本当に良かったと思っています。《R.O.》
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