雑貨屋ウィークリー1512号

雑貨屋のひとり言「バルバドス」

先週、万博のコモンズA館で見つけたバルバドスは私のアマチュア無線が縁で知った国であると書きましたが、無線で交信したカリブ海の島国はこの国以外にもあります。例えばトリニダードトバゴ(A)、セント・クリストファー(A)、セント・ルシア(A)、セント・ビンセントとグレナダ(B)、アンティグア・バーブーダ(D)などです。これらはコモンズ館にありますのでこんど万博に行ったら訪れてみようと思います。

カリブ海にある島国バルバドスのことを知る人はほとんどいないと思います。ところがこの国に3月に訪れた人がいました。その方はこの雑貨屋に投稿をしてくれていた井出さんです。2ヶ月前に南米クルーズの旅でこのバルバドスに寄港されていたのです。島内ツアーに参加せずクルーズ中に伸びた髪をカットするためにブリッジタウンに床屋に行ったユニークな行動は井出さんらしいです。私としては偶然であっても記事の中に書かれたバルバドスに反応していただき嬉しく思っています。井出ご夫妻がバルバドスに寄港された時のエピソードを掲載させていただくことになりました。《R.O.》

井出さんの旅行記バルバドス編

川柳(東京・成近)

 ( 川 柳 )

その先のまさかを知らぬ王手飛車

抜け駆けの誤算潰れた足のマメ

逡巡に火中の栗が焦げている

反論にまず落ち着けと舌下錠

混乱に虎視眈々の勢力図

(ニュースひとりよがり)

 「対策の優先順位」

米(コメ)よりも米(ベイ) ― 政府

「インバウンド」

米びつの底を覗きに来た ― 外米

「流通に」

八十八たびの手がかかる ― 米

河合成近

龍翁余話(883)「下筌ダム=蜂の巣城紛争の舞台」

『下筌(しもうけ)ダム』とか『蜂の巣城紛争』などと言っても、今の若い人はご存知あるまいが、今号は今から66年前、大分県日田市の奥地(中津江村)と県境の熊本県阿蘇郡小国町で起きた(ダムの建設に伴う)日本最大級の“ダム建設反対運動”を振り返ってみる。(『下筌ダム』=別称「蜂の巣湖」の傍に建っている「しもうけ館」に立ち寄り、館員の話や、いただいた資料を参考に筆を進める)。

1953年(昭和28年)に九州北部を襲った梅雨の集中豪雨で熊本県・大分県・福岡県・佐賀県を流れる河川すべてが氾濫、九州最大の河川・筑後川(阿蘇山を水源として前記4県を流れ有明海に注ぐ流路143kmの一級河川)の流域で26ヵ所の堤防が決壊し死者147人、家屋流失4,400戸、田畑の冠水6万7000ha、被害総額450億円という戦後最悪の大水害が起きた。これに伴い政府は筑後川上流の中津江村に『下筌ダム』を、天瀬町に『松原ダム』を、この2つのダム建設を計画した(中津江村も天瀬町も2005年に日田市へ編入合併)。

1956年(昭和31年)、建設省九州地方建設局(九地建)は、この2つのダムの予備調査を開始。この時、九地建は山の所有者に断りもなく山に入り木を伐採してしまった。また、田畑に入り耕地を荒らしたりしたと言う。そのうえ「ダム建設」のことは、住民には全く知らされていなかった。住民への説明会が開かれたのは1年後の1957年(昭和32年)のことだった。その説明会では、ダム建設の必要性が論じられ“水没住民”が出ることが初めて知らされた。しかし“水没住民”に対する生活再建策や保障の説明は一切行なわれなかった・・・などの理由で住民と九地建とは激しく対立、直ちに町議会が開かれ「ダム建設絶対反対」を決議、九地建との徹底抗戦が始まった。この反対運動を主導したのは後に“蜘蛛の巣城主”と言われた室原知幸(むろはら ともゆき1899年~1970年)であった。

室原さんは1923年(大正12年)に早稲田大学専門部政治学科を卒業するや郷里(熊本県阿蘇郡小国町)で家業(山林業)を継ぐ。その後、小国町議会議員(3期)、戦後は小国町の公安委員長を務めたインテリ―住民運動家であった。九地建の“住民軽視の強硬手段”に対し、室原さんは「暴には暴・法には法」をスローガンに1959年、実力闘争と法廷闘争の両面で反対運動の先頭に立った。

1960年(昭和35年)には、室原さんは私費を投じて下筌ダム建設予定地に「蜂の巣城」と呼ばれるバリケードを築きダム建設に抵抗した。1964年(昭和39年)6月に行政代執行によって「蜂の巣城」が強制撤去された後も「第2蜂の巣城」「第3蜂の巣城」を築いて抵抗を続けた。その後、反対派(約700人)に分裂が起きた。つまり“将来の生活不安”に怯え出した反対派(住民たち)の多くは、渋々ながら九地建の懐柔(和解金)に負け、1人減り2人減り遂には“蜘蛛の巣城主・室原の独り闘争”になってしまう。「蜘蛛の巣城の築城」と「法廷闘争」などに宮原さんが投じた私費は、1億3千万円以上と言われている。

1967年(昭和42年)には、遂に『下筌ダム』『松原ダム』の本体工事が始まった。1969年(昭和44年)になると、水没予定地に残る住宅は“室原宅”だけ、となる。それでも室原さんは抵抗を止めなかった。翁の記憶では(その頃)テレビは「下筌ダム建設の反対闘争を繰り広げる“蜘蛛の巣城”と城主・室原翁」の映像が毎日のように流れた。そして1970年(昭和45年)6月29日、室原知幸さんは“自宅の明け渡し”を待たずして心筋梗塞で急死。同年11月に建設省と室原さん遺族との間で和解が成立、『下筌ダム』『松原ダム』の完成は3年後の1973年(昭和48年)。

完成した『下筌ダム』は(同時期に建設された『松原ダム』と共に)国土交通省九州地方整備局が管理する特定多目的ダムであり、筑後川の治水・日田市への利水・水力発電を目的としている。なお『下筌ダム』は、ダム建設に伴って繰り広げられた日本最大級のダム建設反対運動『蜂の巣紛争』にちなんで『蜂の巣湖』と命名された。「しもうけ館」の館員は言う「『蜂の巣湖』の命名によって室原さんも浮かばれるのではないでしょうか」―― そうかも知れない。しかし(翁は)こんなことも聞く「本当は、宮原さんはダム建設そのものに反対していた訳ではなかった。いや、むしろダムによる治水や利水によって筑後川流域住民の暮らしがよくなり、ひいては地元(小国町や中津江村)の活性化が見込まれるのではないか、との未来構想も描いていた」――では、何故、室原さんは最後まで独りで『蜂の巣城』に籠城し、ダム建設反対闘争に命を賭したか――翁は思う。「“公共事業の進め方”を政府に糾したのではあるまいか。それは彼の遺言“政府が行なう公共事業は、理に叶い、法に叶い、情に叶う”ものでなければならない“からでも分かる。要するに「国は公共の利益を追求するばかりでなく不利益を被る住民の人権も尊重しなければならない」と言うことだろう。翁は更に思った「人は己れの利益を追求するばかりでなく他人の痛みを知り寄り添う”慈心“を持たなければならない」――このことを改めて教えられた『下筌ダム』探訪であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「真夜中の駄菓子屋さん」

自宅から歩いて行ける最寄りの駅はメインの笹塚駅、代田駅、新代田駅、下北沢駅、ちょっと歩けば代々木上原駅、明治神宮駅、原宿駅、渋谷駅、梅ヶ丘駅など天気のいい日はいい運動になる距離の散歩道だ。山は身近に無いけれど都会は歩いて行ける探索場所は結構あるので新しい店や珍しい店を発見出来るのは面白い。特に下北沢駅は祖母が生きていた頃と比べると、だいぶ街の様子が変わった。訪日外国人も多くなり常に新しい店に変わってたりしている。ただ昔からある金物屋さんや祖母がずっと通っていた時計屋さんや酒屋さん、焼き鳥屋さんなどは、今も新しい若者が経営するカフェや古着屋さんに混じって存在している事は嬉しい。

ある日、下北沢の1番街を歩いていたら小さな半間ぐらいのドアの店があった。何の店だろうと見たら真夜中の駄菓子屋、悪ガキサロンとドアに書いてあった。何回かその前を通り過ぎては、いつも閉まっているので営業していないのか潰れているのかと思っていた。ところがいつの日だったか夕方の買い物を終えて自宅に戻る時、その店のドアが開いていた。今も営業していたんだ!と思わずその店を覗き込んでみた。店は半間のドアの幅で細長く店に所狭しと駄菓子が並べられてあった。3人も入れば満杯。その奥に細身で背の高いオーナーらしき人がスーツを着て座っていた。覗き込んだ私に“ 中に入って、ゆっくり見ていきな。別に何も買わなくていいんだから”と声をかけてくれた。見ると昭和の懐かしいおもちゃや見覚えのある駄菓子が並んでいて子供の頃の記憶が蘇ってきた。“珍しいお店ですね”と言うと数日前も週刊誌の人が取材に来たと話してくれた。いつもは夜から真夜中、明け方までとお客さんがいる限り店は開けているのだとか、、、

有名人や芸能人も時々この店を訪れるのだとか、、、私はTVタレントには興味がないし知らないのでフーンと聞き流した。反応の無い私に“ それじゃ貴方、3丁目の夕日の映画知ってる?” と聞かれたので“知らない”と答えるとそのオーナーの人は少し残念そうな顔をした。そしてその映画の事を話してくれた。映画の中に出てくる駄菓子屋のおっちゃんは自分がモデルなんだと説明してくれた。何でも東大の文学部出身で売れない小説を書きながら駄菓子屋をやっていてそこの舞台を中心にいろいろな人が登場する人情味のある物語なのだとか、、、

自分の事を“おじさんはね”と若くも無い私に子供相手の仕事だったからなのかいつもおじさんと自分の事を言っていた。

それから日本に帰ってきて下北沢に買い物に行く時、店が開いている時は、この不思議なおじさんとおしゃべりする様になった。

そんなある日 “ この鍵屋さんの麩菓子は添加物が入っていないし美味しいよ。お母さんに持っていきな” と黒糖がまぶしてある麩菓子をいただいた。お金を払おうとしても受け取らない。そんなわけで有り難く頂いて帰って食べたら今まで食べた、どの麩菓子よりも素朴で懐かしい味がして美味しかった。

鍵屋さんの麩菓子はそれ以来、買うなら鍵屋さんのものに決めている。それからしばらく忙しい日々が続き久しぶりに日本に戻った時にその店に行ったら張り紙がしてあった。

オーナーの方が亡くなられたと、、、その後誰が引き継いだか、まだお店は営業しているのかは、わからない。ただ、連絡先だけ書いてあった。

麩菓子のお礼も出来ないうちに、おじさんは逝ってしまった。とても残念でもっといろんな話を聞いておけばよかったと、、、情のある温かい人だった。

この場所で戦前、戦後と街の変わっていく様子を見続けたおじさんは何を思い感じていたのだろうか、、、

この店の前を通る度に毎回思い出す、おじさんの笑顔とスーツ姿。細身で背が高かったおじさん。今だにその小さなドアの向こうにおじさんがいるような気がしてならない。

今度、ちゃんとAlways 3丁目の夕日を見てみよう、、、、

スパイス研究家 茶子

小春の気ままな生活 第十九話「食品添加物」

先週に続いて、食品添加物についてお話ししたいと思います。今回も、内視鏡チャンネルでお話ししているドクターのお話から紹介します。食品添加物は殆どのものに入っているので、トップ3の避けたい添加物を紹介しています。

第三位:合成保存料(ソルビン酸・安息香酸)

発がん性や腸内環境が悪くなるとし、微生物や雑菌の繁殖を抑える目的の化学添加物のため、腸内細菌叢(そう)への悪影響がかなりあるとされているそうです。ソルビン酸カリウムと標示されている事が多いそうで、お弁当やウィンナー、ランチパックに入っているそうです。ランチパックをどうしても食べたい場合は、ピーナッツ味が良いそうです。

また、九州のお醤油は甘口なので、保存料が入っている物もあるそうで、裏の表示をよくみてくださいとの事です。保存料にはパラオキシ安息香酸が入っていることが多いそうで、薬や化粧品によく使われているパラベンに相当します。リポビタンDキッズにも入っているので飲んで欲しくないとしています。昔から売られているものの方が入っていないので、元祖のリポビタンDを飲んでくださいとしています。コンビニのセブンイレブンは添加物の自主基準を設定していて、合成着色料、合成保存料不使用で天然着色料に関しても制限を設けているそうです。

セブンイレブンの自主基準:        

・スクラロースなどの合成甘味料を使用しない

・サンドイッチ類に使用するハムやソーセージにリン酸塩は使用しない

・亜硝酸ナトリウムを魚卵に添加しない

・明太子おにぎりに発色剤を使用しない

注:ファミリーマートやローソンにおいてもセブンイレブンと同様にオリジナル商品に使用する食品添加物について独自の基準を設けより安全・安心な商品づくりに取り組んでいます。

第二位:合成着色料

こちらも長期的に発がん性のリスクがあるとしています。合成着色料は石油からできていて、タール色素。赤・青・黄色は番号で表示してあるので、よく分からないとしています。

代表的な天然着色料はカラメル色素・クチナシ色素・アナトー色素・紅花色素・コチニール色素・ラック色素などがある。コチニール色素・ラック色素はカイガラムシ由来で、スタッフが検索したら、見ない方が良い感じの画像だったとか。合成着色料よりはマシとしながらも、コチニール色素はリップなどにも使われているので注意が必要としている。コンビニの弁当やグミに入っているそうで、グミには青1・コチニール色素(カイガラムシ)が入っているのが多い。普通のブレスケアも緑3と黄色4が含まれており、EUでは禁止されているそうです。人工甘味料(ネオテーム)も含まれている。対して、噛むブレスケアは合成着色料も人工甘味料も入っていないので、噛むブレスケアの方を買った方が良いとしている。ただ、商品は”投票”とし、売れる方を店に置くので、安いブレスケアの方が店頭でよく見るとしています。

第一位:人工甘味料

アスパルテーム、スクラロース、アセスルファムカリウム、サッカリンナトリウム、ネオテーム、アドバンテームは避けた方がいいとしている。

人工甘味料は消化できずに朝まで届き、腸内細菌と町内環境へ悪影響を与えて朝もれが進行してしまう。腸内環境を悪化させる3大物質:グルテン(パン)、カゼイン(牛乳)、人工甘味料(コーラゼロなど)が挙げられ、0カロリー飲料に含まれやすい人工甘味料はアスパルテーム、アセスルファムカリウム、スクラロースとしています。この三つの組み合わせが砂糖の味に最も近いそうです。

人工甘味料の飲み物を飲むと、脳が砂糖たっぷりのジュースを飲んだと思い、血糖値が上がってくると見越してインスリンを出すように指令を出します。ただ、実際砂糖を摂ってないので、分泌されたインスリンのせいで血糖値が下がってしまいます。そうなると体が反応して血糖値を回復させるために空腹を感じてしまいます。体が何か食べてねと反応して、空腹を感じるそうです。なので、0カロリー飲料を飲めば飲むほど空腹を感じるようになり食欲が増すそうです。スポーツドリンクではポカリスエットが人工甘味料を使っていないそうです。なので、アクエリアスより良いとしています。具合が悪い時とか、スポーツで沢山汗をかいた時は、ポカリを飲んでくださいとしています。

私も食品添加物は数年前からかなり気にして避けてきました。ただ、完全にカットするのはとても難しいです。バター、ホイップクリームなどにも保存料は入っていますし、チーズもすでにパラパラになっているピザ用のチーズもパラパラでいられるように、添加物が使用されていると聞きました。添加物を避けるのはとても難しいですね。でも、避けることで体の不調が改善されるように思えます。国が認めているのだから安全な筈と思いこまず、安全で健康な食生活を考えてはと思いご紹介してみました。

皆様のご健康を祈り、また来週。

小春

バルバドス・ブリッジタウン(3/11/2025) 井出さんの旅行記

南米で数少ない英語が主流の島国。ツアー参加はキャンセルし、タクシーでダウンタウンに行き、ちょっと見物した後に、二人とも床屋に行くことにした。日本を発って2か月、髪もかなり伸びた。

下船してターミナルまで歩き、そこでタクシーを拾い船内の社交ダンス教師夫妻と我々の4人。一人2ドルで8ドルとのことだったがチップを含め10ドル支払う。南米で安心してタクシーに乗られる国は少ない。旅行会社では「流しのタクシーには決して乗らないように。そのまま連れ去られて持ち物を全部奪われる事件が会多発しています」と警告している。外務省のHPも同様だ。この国は例外中の例外。

なるほど町並みは英国の影響は色濃く建物に現れている。しかし住民の90%はアフリカ系ということで、混血は少なく、ケニアと同じような濃い肌色だ。

名所のチェンバレンブリッジは直ぐに分かった。跳ね橋になっているらしいが、見物中にそれを見られる機会はなかった。橋付近はヨットの往来しかないように見えた。川辺は小奇麗で、Big Benのミニチュアのような国会議事堂も可愛い。現在は女性の首相らしい。

繁華街付近で床屋はあるかと聞けば、沢山あるとのこと。スワン通りに行けば2階に床屋がある、と通行人二人が異口同音に言ったので、そこに行くことにした。教えてくれた人にヘアカット代はいくらかと聞けば、自分は床屋には行かないので分からない、家族でヘアカットしているとの事。昔は日本もそうだった。兄貴らにバリカンで虎刈りにされたものだ。

床屋を示すぐるぐるサインポールはないので近いはずだが分からない。宝石店で聞くと向かいの2階だ、あの階段を上がれ、と。階段は薄暗く、薄気味悪かった。突き当りにパーマの機材があるのを家内が見つけ「あそこだ」と。店は二人の女性がやっていて、二席だけ。先客あり一つは空いていた。最初に家内のカット長さを説明し、ちょっと行き詰まると私を呼んで再確認。家内が片言の英語を話すことが分かり、その後はスムーズに行く。襟足なども何度も確かめながら仕上げた。なかなか丁寧だ。家内も満足。

今度は自分の番。「4分の3インチ」切ってくれとわざわざ難しく言って見る。彼女はけらけら笑いながら“OK!”と。部屋は30℃ちかくあり暑い。窓から時おり熱風が入ってくると、切られた髪の毛が奥の方に飛んでいく。部屋に一台だけの首振り扇風機がこちらを向くと、私の鼠色の髪の毛が窓の方にばさ~っと飛ぶ。これの繰り返し。散髪が終わって立ち上がり、前掛けを外すとズボンの裾は髪の毛だらけ。How much in US dollars?と聞けば家内は$20, 私は$15だと。茨城では1,200円なので少し高いが、観光客と見ての値段だろう。クルーズ船のヘアサロンで散髪すると男性で8,000円、女性で12,000円である。それに比べれば安いもんだ、と満足。これで町で飲むビール代が浮いた。

ところで、クルーズ船のレストランのウェーターの一人が、髪の毛をいつもきっちり短く刈上げて、まるで金正恩のような男がいる。やはりずんぐりむっくりの体つきだが、このウェーターの方は愛嬌がある。私がNice cut!と冷やかすと「有難うございます。これフィリピン人の仲間に刈ってもらいました。5ドルです」と。どうやら腕利きの男が散髪のサイドビジネスをしているようだ。

船会社で働くフィリピン人は多い。どの船に乗っても、ウェーター、船体メンテナンス、ライブミュージシャン・音響関係などのマジョリティーはフィリピン人である。まさに世界の海で働く海人民族である。(英語が話せる、国内での失業率が高く、就労率が低いなどの国内事情のため低賃金で雇える、国民性としてのホスピタリティを保有している等、の背景があるようだ)

したがって彼等には一種の結束力があるのかもしれない。その一例が、この船員同士のヘアカットである。カット代はフィリピン人の場合は5ドルで、それ以外の国籍者は10ドル取る、とチュニジア人の男が不満そうに私に教えてくれた。「それは関税がかかっているんだよ」と私は返した。

そのMr. Nice Cutが私にフィリピン人バーバーを紹介しましょうか?と聞く。私は一瞬、値段が魅力的だと思ったが、仲間同士ならいざ知らず、乗客の散髪までしたら船内ヘアサロンの商売妨害となり、船会社内で問題となるのは明白。Mr. Nice Cutも5ドルどころではなく8,000円の床屋になるぞ、と言うと目を丸めて”Oh, No. 困ります” ということでこの話は収まった。何十席もあるレストランで、彼は私を見つけると愛嬌よろしく挨拶に来るし、きびきびと働いているのだった。 (バルバドス編おわり)

ジャズライフ Miles Davis “Bags’ Groove”

ジャズを初めて聴いた日本人はどんな気持ちだったのでしょうか?マイルス・デイヴィスがまだ若かったころに録音(1954年)された名盤があります。70年後の現在に聴いても違和感はありません。すごいことだと思います。その時代の人とジャズを共有できている、素晴らしいことです。

01-Bags’ Groove (Take 1)
02-Bags’ Groove (Take 2)
03-Airegin
04-Oleo
05-But Not For Me (Take 2)
06-Doxy
07-But Not For Me (Take 1)

編集後記「逆走防止策」

高速道路を逆走することによって大規模な事故が発生し、多くの犠牲者が出ています。「うっかり出口から誤って侵入した」では済まされない問題です。運転者が間違って入らないように、車線の色を変えたり注意喚起の看板を掲げたりといった対策が施されていますが、それでも逆走事故は発生しています。最も効果的な対策は、物理的に侵入を防ぐことではないでしょうか。

アメリカで見かけた逆走防止策として、出口のところに金属製の爪が設置されている例があります。この爪は、出口から無理に侵入しようとする車両のタイヤをバーストさせ、前進できなくする仕組みです。一方で、高速道路から正常に出てくる車両には影響がなく、タイヤで爪を踏みつけても前方に倒れるように設計されています。

日本の逆走防止策は比較的緩やかであり、精神論的な側面が強いように思います。このままでは逆走事故はなくならないでしょう。より効果的な対策として、物理的に侵入を阻止する手段を講じることが必要です。仮にタイヤがバーストすることになったとしても、人命を守ることと比べれば些細な問題です。このような措置は、間違って侵入した運転者に対するペナルティと考えるべきではないでしょうか。《R.O.》

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