雑貨屋ウィークリー祝1500号!

雑貨屋のひとり言「雑貨屋ウィークリーが1500号に到達しました!」

PCとインターネットが広まりつつあった1996年5月、カリフォルニア州のサウスベイで出会った仲間のために電子メールを使って身近な情報を共有しようと考え、始めたのが今の雑貨屋ウィークリーです。週に一回のペースで発信できたらいいかなと軽い気持ちで始めました。これがなかなか大変で、今週は何を書こうかと悩むときもありました。そんな時に私を励ましてくれたのが故河合将介さんでした。「私が手伝うから心配せずに続けてください」と言っていただきとても気が楽になりました。故河合将介さんをはじめ私の大切な仲間たちが支援してくれたおかげで週一回の雑貨屋ウィークリー発信は継続できました。1999年11月、私が帰国してからも仲間たちと協力し合いながら雑貨屋ウィークリーを毎週休まず発信することができ、その積み重ねで500号、1000号、そして今日、1500号まで到達できました。雑貨屋を始めたころ、28年以上も続けられるとは想像もしなかったので感動しています。雑貨屋のお陰で大切な仲間ができ、そしてできていることに感謝しています。雑貨屋を通じて幅広いことを学ぶことができています。1996年5月のある朝、ワイフと公園を散歩していた時に、雑貨屋を始めようと決断して本当に良かったと思います。雑貨屋があるお陰でメリハリのある日々を過ごせています。毎日の生活の中にたくさんの気づきがあり、楽しくワクワクする毎日が送れています。これからも楽しみながら続けていこうと思いますのでこれからもよろしくお付き合いをお願いします。
雑貨屋店主 大西良衛

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

ロボットの彫れぬ心を胼胝(タコ)が彫る

生涯現役こんなに美味い酒が飲め

目標を百歳に置く趣味多忙

一芸に生きマンネリと言わせない

裏方の受賞フラッシュまぶしすぎ

 (ニュースひとりよがり)

「日米関係の黄金時代を」

カネ カネ カネなんだな  — 半可通

「1泊3日の訪米」

日米間がこんなに近くなった — 石破首相

「日米首脳会談」

シゲルになれたかな — シンゾー

河合成近

龍翁余話(871)「陸上自衛隊玖珠駐屯地を訪問」(拡大版)

1954年(昭和29年)7月1日に自衛隊が発足し今年(2025年)の7月で満71年目になる。
その間、社会党や共産党ほか1部の左系政治家やジャーナリスト、評論家・学者たちは盛んに「自衛隊は憲法違反である」を唱っていた。そう叫ぶことが“新エリートの証明”と、とんでもない錯覚を持ち続けていた。ところが長年「自衛隊は憲法違反」を党是にしていた社会党の村山富市委員長(当時)が1994年(平成6年)6月30日、自社さ連立政権で第81代内閣総理大臣になった途端「自衛隊は憲法が認めるものだ(合憲である)」と言った。実は、それ以前(1980年代)から左系人が叫ぶ”違憲“をよそに国民の80%以上が「日本国と日本国民を守るのは自衛隊である」と言う意識を明確にしていた。

若い時から自衛隊を支持し続けている翁、映像制作の現役時代、“防衛庁”が2007年(平成19年)1月に“防衛省”(庁舎は市ヶ谷)に移行する以前から東京都港区檜町に所在していた“防衛庁”には取材で再三訪れ、背広組(本庁内勤者)・制服組(自衛隊員)を問わず多くの“自衛隊関係者”との交流があった。その延長線で翁は現役引退後の現在も、幾人かの防衛族の政治家、自衛隊(陸・海・空)OBとの付き合いが続いており、野に在って翁「自衛隊明記を含む憲法9条の改正」を吼え続けている。その一環として『龍翁余話』でこれまでに幾つかの自衛隊関連施設(基地、駐屯地など)を取材、国土防衛問題などを論じて来た。今回の『陸上自衛隊玖珠(くす)駐屯地訪問記』もその1つ。と言うか、我が郷土(大分県日田市・玖珠郡玖珠町・玖珠郡九重町)を担当する駐屯地であるから、かなり以前から当駐屯地の訪問を熱望していた――それが2025年の新春(1月某日)に実現した。約束の時間(10時)、広報班長(曹長)の案内で会議室へ。早速、西部方面戦車隊第1科長(1尉)と同特科連隊第2大隊第1係主任(1尉)から『陸上自衛隊玖珠駐屯地』の概要・日常訓練のほか(後で述べる)災害派遣・市民との交流、などの説明を受ける。

そもそも陸上自衛隊は、防衛大臣直轄部隊として「陸上総隊」ほか「北部方面隊」「東北方面隊」「東部方面隊」「中部方面隊」「西部方面隊」の5つの方面隊がある。戦車隊第1科長の話によると「玖珠駐屯地」の主要部隊は「西部方面戦車隊」「西部方面対舟艇対戦車隊」「西部方面特科連隊第2大隊」で、ここ「玖珠駐屯地」の司令は西部方面戦車隊長(1佐)が兼務。したがって翁のイメージとしては「玖珠駐屯地は戦車隊」の感が強い。それに、もう1つ翁が「玖珠駐屯地は戦車隊」の印象が強いのは、町の一般道の1部が(数十年も前から)”戦車道“(戦車等が自走で通行する道路)になっていることだ。一般道が”戦車道“になっている個所があるのは北海道千歳市と大分県玖珠町だけ。玖珠町では「玖珠駐屯地」から「日出生台(ひじゅうだい)演習場」までの約12kmの一般道が“戦車道”になっている。翁が知る限り、戦車が通るたびに近くの町民が見物する(見送る)。それはもう、町民が「玖珠駐屯地の戦車部隊等」を歓迎しているからにほかならない。とは言え、四六時中、戦車が行き交っているわけではない。出来るだけ町民に迷惑をかけないよう(走る時は)事前通告――あらかじめ町役場のWEBサイトで「いつ」「何輛」走るかをお知らせしているそうだ。

ここで少し「日出生台演習場」を紹介しておこう。「日出生台演習場」は玖珠郡玖珠町・九重町・由布市・宇佐市にまたがり総面積約4,900ha、と言ってもピンと来ないが、とにかく広い。九州最大の演習場であり、その大部分は玖珠町に属している。翁が帰省の際、車で玖珠町から湯布院へ行く時は、よくこの日出生台演習場の脇道を走る。そこはまるで北海道の広大な台地そのものだ。

演習は、1年間のうち約230日の実弾演習を含む約330日行なわれ、戦車砲・りゅう弾砲(大砲の1種)・迫撃砲・対戦車ミサイル・機関銃などの実弾射撃が実施され、時には在日米軍や外国(友好国)との合同演習も行なわれる。当然のことながら演習場内は、関係者以外は立ち入り禁止。しかし、周辺の林野に推定1,000頭を超すシカやイノシシが生息しており、農作物の食害が広がっているため、演習が実施されない年末年始に限って地元猟友会による有害鳥獣捕獲が行なわれているとのこと。

さて、このたび翁が「玖珠駐屯地」を訪問した主たる目的は、陸上自衛隊の新装備「19式装輪自走155mmりゅう弾砲」が昨年9月に「玖珠駐屯地」(西部方面特科連隊第2大隊)に配備された、その“実物と機能”を知りたくて、昨年暮れから「玖珠駐屯地」の広報班に“取材申し込み”を行ない、それが今年新春明けに実現した。当駐屯地の敷地内には各種、多数の戦車が置かれている、その中に、ひときわ目を引くのが大きな大砲を搭載した車輛だ。しかも、その大きな大砲を搭載した車輪は大型トラックのようなタイヤだ。普通、大砲と言えば砲車(大砲を運搬移動するために2輪あるいは4輪の車輪を取り付けた台車)で走る特殊車輛だが、目の前の“新型大砲”は、まるでトラックの化け物――それこそが翁が目指す「19式装輪自走155mmりゅう弾砲」である。案内と説明をしてくれたのは西部方面特科連隊第2大隊長(3佐)。柔和な人柄だが命令は厳しい。その命令に従う隊員たちの機敏な動きも実に頼もしい。

翁、これまでに数か所の駐屯地でかなりの多くの大砲類を見て来たが、「19式装輪自走155mmりゅう弾砲」はやはり迫力が違う。(3佐の説明によると)「“19式”の最大の特徴は、車輛と火砲を組み合わせた“自走砲”。従来のFH70では長距離移動の際には“中砲牽引車”と呼ばれる専用の大型トラックで牽引しなければならなかったのに対し、“19式”は自走移動が出来る。また、タイヤ駆動の、いわゆる“装輪式”のため、従来の“自走砲”と比べ、軽量、かつ一般道路・高速道路などもそのまま走れる点が大きなメリットである」、とのこと。更に「19式装輪自走155mmりゅう弾砲」の概要については、全長11.21m、全幅2.5m、全高3.4m、重量25t以下、最高速度は時速90km以上、乗員5名、搭載主砲(大砲)は52口径155mm。この”19式“が実戦活動する場面は――敵前(敵と対峙)で戦っている時、後方から敵陣へ155mmりゅう弾を撃ち込み、味方の戦車(軍隊)をサポートする。155mmりゅう弾砲は距離合わせ、方向合わせで(大砲の)高低・左右の操作が出来る(その操作盤は、ノートパソコン程の大きさ)。ある程度、敵陣を叩いたら(時速90km以上の足を活かして)直ぐに退却する。「”19式“の最大射程距離は?」の問いに(まだ公にしていないせいだろうか)3佐殿は(ちょっと)口を濁したが、FH70の射程距離が通常25km~30kmだそうだから、それを援護する“19式”の最大射程距離は少なくとも40km~50kmだろうと翁は想像した。そして翁、ふと口走った「こんな優秀な大砲をウクライナに貸与したら?」それには3佐殿は微笑んだだけであった。

さて、先ほど述べた西部方面戦車隊第1科長(1尉)と同特科連隊第2大隊第1係主任(1尉)から説明を受けた「日頃の訓練」「災害派遣」・「市民との交流」など――これらも自衛隊任務の中では極めて重要な任務である。

「日頃の訓練」は戦車射撃、防災訓練など――いざ災害発生時には(命令即)素早く現場へ(災害状況の確認・現地職員との調整・支援物資をヘリに搭載・支給など)――近年の“自衛隊支持の高まり”は、この災害派遣による自衛隊員の真摯な活動が国民に大きく信頼され、親しまれるようになった背景にある、と言えるだろう。東日本大震災の時、(1日の救援活動を終えて)車道を走る自衛隊員に「自衛隊さん、ありがとう」と手を振って見送る子どもたちや主婦たちの笑顔(の映像)が忘れられない。

「玖珠駐屯地」では、市民との交流も盛んに行なっている。例えば駐屯地における部隊見学やヘリ体験搭乗などのほか、行政や団体が主催するイベントにも(要請があれば)積極的に参加(支援)する。このように自衛隊のさまざまな活動は国ばかりでなく国民一人ひとり、そして地方自治体や公共団体などの理解と協力があってこそ、はじめて可能となる。『玖珠駐屯地』は前述の通り“戦車道”や“日出生台演習場”を抱えているだけに、特に地域住民の理解・協力関係(絆)の強さを求め「交流活動」を重視している。

長年、熱望していた『陸上自衛隊玖珠駐屯地』は、わずか1時間ほどの訪問であったが、普段の『龍翁余話』の2倍の字数を要してもなお語り尽くせぬ中身の濃い取材であった。対応してくれた3佐・1尉の2人・コーディネートしてくれた広報班長、そして「19式装輪自走155mmりゅう弾砲」操作で機敏な動きをしてくれた隊員たちに心からの感謝を・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。(註:写真は全て「玖珠駐屯地」提供)

茶子のスパイス研究「美味しい国産のものを食べる事」

私の昔からの友人で今、考えても食に関して一貫して貫き通していた友人がいる。私がLAに渡米する30年前頃から友人は農家さんから米を玄米で取り寄せお米を食べる度に精米機で精米し、ご飯を鉄釜で炊いていた。そして精米後の糠でお漬物を作り魚は旬の魚を漁港と契約して買っていた。
ちょうど私が友人の家を訪れた時は漁港から届いた秋刀魚一箱を朝から捌いていた。
毎日食べると飽きるので毎回味や料理方を変えるのだと言っていた.当時友人はアパレル関係の仕事をしながら子育てをし家事をしていたので猛烈に忙しかったと思う。
もうすぐ渡米する私にお肉や魚介がたっぷり入ったあんかけのお焦げご飯を作ってくれた。残り物の野菜で作った豚汁だけどと言って出してくれた汁物も具沢山であまりにも美味しくて感動した事を今もはっきり覚えている。その頃、卵も鶏を平飼いしている農家さんの家まで自転車で買いに行っていた。

今でこそオーガニックや自然食に対する食へのこだわりは特別な事ではないけれど当時はそういう食材を手に入れるのは大変だったと思う。友人はいつも言っていた。“ 私は何にも贅沢していないのに食費だけで働いているお金が全部消えていくのよ。ただ、美味しいものが食べたいだけなのに、、、”と苦笑いしていた。それを聞いた友人のご主人曰く、これが最高の贅沢だと、、、
友人のご主人は家で精米したおにぎりと漬物があればそれだけで美味しくてレストランのランチなんかよりずっと美味しいと言っていた。
私も直接、お米屋さんで精米したてのお米を食べるようになってから、お米の美味しさをわかるようになってきた。

先週、長らく会っていなかったその友人が遊びに来てくれた。手土産の中に近所の畑で掘ってきたという里芋まであった。今が旬の里芋はコクと粘りがあって美味しかった。今でも仕事をしている友人は毎朝3時半に起きて出勤前の6時までに朝と昼と夜の食事の支度をして出かけるそうで食に対する姿勢は今も変わりない。だから家族皆んな外食より家で食べるお母さんが作るご飯の方が断然美味しいのだ。友人と一緒に来てくれた娘さんも、そう言っていた。コーヒーも炭で自家焙煎するそうで、そのコーヒーがまた、美味しいのだそうだ。次回、持ってきてくれるそうなので楽しみだ。

友人の仕事を聞いたら今は自転車で通える距離の所にある障害児の施設で子供達の食事を作っているのだそうだ。人手が足りなくて今では1人で7人もの子供達の面倒も見ているのだとか、、、
もうその仕事も10年になるらしい。その気力も体力も食事から来るパワーなのだろうか、、、感心する。仕事場の敷地内にあるキューイフルーツでジャムも作ったりするそうだ。毎回、決められた予算で少しでも美味しくて健康なものを作るのに努力していると言っていた。近くにある畑や敷地で時間があれば、もっと農作物を作りたいとも言っていた。

この数年、米国も日本も食品の値段が益々高騰している。それなのに日本政府は農家さんや酪農家、漁業者を助けない。むしろ潰して海外からの安い食品を輸入して日本人に食べさせればいいんだという姿勢が見受けられる。何かあれば輸入に頼る食品は危険で、このご時世いつ何時何が起こるかわからない。“食を支配すれば、その国の民をコントロール出来る”こう言っていたのはヘンリーキッシンジャー。海外の富裕層向けに作る高価な日本の農作物は政府あげて輸出の応援をしている。その前に土や肥料も含め安心安全な国産品を日本人が安く食べられる環境に政府は埋蔵金を使って欲しい。生産過程で余ったら海外に輸出するも良し先ずは自国の民の事を1番で考えて欲しいものだ。昨年、日本政府は今までにないほど税収が増え埋蔵金が益々増えたようだ。そして国民の暮らしは益々厳しくなっている。

スパイス研究家 茶子

小春の気ままな生活 第八話 「テネシー散策」

テネシー州に引っ越してきて4ヶ月が過ぎ、少し近隣を散策する余裕が出てきました。また、色々なところに出かける事が大好きな主人は、私が週末出かけることを躊躇しなくなった事が嬉しい様です。カリフォルニア州では、出かける度にReckless Driver(無謀運転)が必ずいるので運転するのも命懸けでした。会社への通勤はストレスでたまりませんでした。テネシー州でもスピードを出す運転手はたまにいますが、車間距離はあるのでさほど怖くありません。カリフォルニアではスレスレで車線変更をしてくるので、接触でもしたら簡単にボーリングのピンの様に弾かれて吹っ飛んでしまいます。前説が長くなりましたが、テネシー州ではお出かけは怖くなくなり、週末出かけています。先々週は近所の行ったことのない山の麓に行ってみました。山道もあり、興味津々な主人は山道を歩いて行きました。周りは森林に囲まれているので、銃を持っていないと危険だと思いました。警戒心のない主人はどんどん進んで行きましたが、景色が変わらないので引き返してきました。すると、山道沿いに住んでいる男性と出会いました。彼曰く、その山道はその男性の家の前の通り約1マイル(約1.6キロ)先まで繋がって いるとの事でした。(山道の総距離は不確かですが。)ただ、猪などが出没するので銃は持っていた方が安全との事でした。私は「やっぱり」と思いました。私も主人も都会育ちで銃を所持する事には抵抗がありますが、ここテネシーでは小さい頃から親に銃の扱い方を教えてもらいます。アメリカはすぐに銃で対応すると思いがちですが、大自然の中で生活するには必要な事と感じます。テネシーでは、おばあさんがマーケットで支払いをするときに銃をバックから出してカウンターに置いても誰も恐れることが無いどころか、お財布を置くことと何の変わりも無いのです。また、家の前に銃のターゲット(鹿のターゲット)が立っているのを良く見かけます。一昨年前にテネシーを訪れた際、ガラージセールがあったのですが、鹿が立っていて「あれは何?」と尋ねると、射撃の練習用のターゲットと教えてもらいました。生まれて初めてそんな物がある事を知りました。人生60年近く生きてきましたが、新しい事を知る毎日です。一月の初旬は、寒い日も続き雪も降りましたが、数日前からはロサンゼルスより暖かい日が続き、昼間は半袖で外を歩く日が続きました。昨夜は雷もなり、大きな空が何度も光っていました。遠い所で光っていたのであまり気にはなりませんでしたが、隣の方によると家の前にある木に雷が落ちたと聞きました。その木を見ると、だいぶ綺麗にはなってましたが、傷がついていました。こんな大自然のある町に引っ越して私達夫婦はやっていけるのでしょうか?大自然の話はまだまだ続きます。

また来週。

小春

ジャズライフ Halie Loren “Dreams Lost And Found”

今週はHalie Lorenのアルバム”Dreams Lost And Found”にしました。Halie Lorenのアルバムは1206号で紹介して以来5年半ぶりです。彼女の歌声を久しぶりに聴きましたが素晴らしい声です。彼女の歌声を久しぶりに聴きましたが素晴らしい声です。アルバムには私たちがよく知っているSUKIYAKI”上を向いて歩こう”が入っており懐かしく聴いています。《R.O.》

01-For All We Know  
02-How High The Moon  
03-Dance Me To The End Of Love  
04-Sabor A Mi    
05-All I Want    
06-More   
07-C`est Le Printemps (Prelude)    
08-It Might As Well Be Spring    
09-All Night Long     
10-Stop This World    
11-The Fool On The Hill     
12-Under The Same Moon     
13-Sukiyaki (You Took Your Love Away From Me) 
14-I`ll Be Seeing You   
15-Sukiyaki (You Took Your Love Away From Me)   
16-Sabor A Mi

PDFファイルの分割と結合が簡単にできます

PDFファイルの分割、結合を無料でできる方法を紹介します。
複数ページのPDFファイルを分割したり、バラバラのPDFファイルを結合したいと思ったことはないですか?有料のソフトやサブスク契約をしなくてもできる方法を紹介します。

CubePDF Pageというソフトを使うと簡単にできます。
CubePDF Pageと検索してソフト(無料)をダウンロードします。
CubePDF PageのURLは https://www.cube-soft.jp/cubepdfpage/ です。

やり方を下記します。
【ファイルの分割】
数ページある製品のPDFファイルの説明書の一部(例えばスペックのページだけ)を取り出したいときなどに便利です。
インストールしたソフトを開くと下記のようなアプリ画面が出ます。そこに分割したいファイルをドラッグします。リストに分割したファイル名が表示されます。

次に下に並んだ「分割ボタン」をクリックすると「分割したファイルを保存するフォルダーを選択してください」と表示されるので、フォルダーを指定(または新しく作成)してOKボタンを押します。すると瞬時に指定したフォルダに分割されたファイルが保存されます。
29ページある場合は1から29ページまで個別のファイルに分割されます。ファイル名の後ろにハイフンと01からの連番がつきますのでページ数がわかります。

【ファイルの結合】
バラバラのPDFファイルを一つのまとまったファイルにしたい場合
結合したいPDFファイルをすべてアプリ画面にドラッグします。ページの順序を右の「上へ」または「下へ」ボタンで並べ替えます。
「結合」ボタンをクリックして結合したファイルを保存する場所を指定しOKボタンを押すとそのフォルダに結合されたファイルが保存されます。
このソフトはPDFに加えて画像や写真(PNG,JPEG,BMP,TIFF)もPDFページとして結合することができます。バラバラに作成したPDFファイルとイメージ画像を一つにまとめておけばプロジェクターでプレゼンするときにも使えます。《R.O.》

編集後記「悲報」

悲しいお知らせがあります。1993年に私がトロントからサウスベイに着任して以来、長年にわたりお世話になったゲルマン嘉子(よしこ)さんが、肺がんのため、逝去されました。享年78歳でした。

生前、嘉子さんと親しくされていた読者の方からの連絡でこの悲報を知り、非常に驚き、そして深い悲しみに包まれています。嘉子さんは、雑貨屋創刊時からの熱心な読者であり、私の良き友人でもありました。その面倒見の良い人柄から、多くの人々に慕われていた素晴らしい方です。かつてサウスベイにいらした方々も、彼女のお世話になったことがあるのではないでしょうか。
アメリカで地域社会に貢献されていた姿にはいつも尊敬の念を抱いていました。心からご冥福をお祈り申し上げます。《R.O.》

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