雑貨屋のひとり言「今週はワクワクしています」
今週は東京で開催される「雑貨屋の集い」と、栃木日光でトロントの友人夫妻と5年ぶりに再会する予定があり、とても楽しみにしています。1982年に奇跡的に北米の駐在員となり、文化や習慣の違いに驚きながらも、多くの個性豊かな人々と出会えたことは私の大きな財産です。1996年に日本商工会サウスベイ支部のボランティア活動を通じて知り合った河合将介さんをはじめとする仲間たちとの情報共有のために始めた雑貨屋HPは、皆さんとのつながりを深める役割を果たしてきました。おかげさまで、28年経った今も雑貨屋が続いていることは本当に素晴らしいことだと思います。歴代の執筆者や読者の皆さんに支えられてここまで来られたことに、心から感謝しています。《R.O.》
川柳(東京・成近)
( 川柳 )
長生きの手相に惜しい知能線
一寸先の闇を性善説が行く
90をまだ不惑には遠くいる
夢捨てるにはまだ早いよと虹が出る
白寿まであと10年のマイペース
(ニュースひとりよがり)
「納得と共感」
そうしろと言われても ― 裏金議員の公認問題
「功罪」
AiもSiも ― 石破茂
「ヨーカ堂が株式売却検討」
自民党も脱皮しなければ ― エス・アンド・アイ
河合成近
龍翁余話(854)「語呂合わせの好きな日本人、10月10日は?」
とにかく『日本人は語呂合わせが好き』な民族である。「語呂合わせ」とは、文字(言葉)や数字を使って他の意味を示す言葉遊び、あるいは何らかの情報伝達に用いる手法である。「語呂合わせ」には“縁起担ぎ”や縁起の悪さ(忌み言葉)を嫌って他の言葉に置き換えるものや、ある“出来事”や“記念日”、“固有名詞”などを数字で覚えものもある。ちなみに「語呂」とは、言葉や文章の続き具合(調子)のことで、元々は雅楽における旋法(せんぽう=旋律の背後に働く力)に由来するそうだ。ご承知のように曲の調子を“呂律(ろりつ、ろれつ)と言い、うまく演奏を合わせられないことを”呂律が回らない”と言う。人間が言葉を発する時、酔っ払いがスムーズではなくチグハグなしゃべり方をする時も“呂律が回らない”と言う。反対に“語調”の感じがいい時、「語呂がいい」と言う。
“縁起担ぎ”の例を拾ってみた。勝負事の前に「カツ」を食べる(勝つために)。財布に「五円玉」を入れておく(ご縁があるように)。商店で「二升五合」の看板を見かける(ますます繁盛、の意)。「五五の祝い」(25歳の厄落とし)。「六七の祝い」(42の厄落とし)。「八八の祝い」(64の厄落とし)。“厄”と言えば、日本人は数字の「四」を嫌う。「四」は「死」を連想するから。例えば観光バスなどでは「三号車」から「五号車」にして「四号車」を飛ばす場合もある。列車では「四号車」を飛ばすことはないとのことだが、飛行機の座席の番号で「四番」を飛ばすことがあるそうだ。近年、1年に3回田舎へ帰省、そのたびに飛行機(国内線)に乗っている翁、次回、気を付けて調べてみよう。マンション・ホテル・病院などでも「四号室」は作らないケースが多いと聞く。翁のマンションは「四号室」はないが「401号室」「402号室」はある。そう言えば欧米では「13」を忌み嫌うようだ。その理由として最も有名なのがレオナルド・ダヴィンチの名作“最後の晩餐”でキリストを裏切ったユダの席が13番目であったこと、キリストが処刑された日が「13日の金曜日」であったことなどが言い伝えられている。従って欧米の建造物には「13階」がなく「12b階」とか「13階」を飛ばして「14階」にすることもあるそうだ。面白いことにパーティなどで人が集まる時の人数も「13人」にならないよう苦心しているとか。日本でも「十三塚」や「十三重塔」が死者を象徴するものだったこと、死刑執行のための絞首台が「13階段」となっていることなどから「13」を避けることもあると言う。
嫌われる数字は、まだある。例えば「9」(苦)、「1564」(人殺し)、「893」(ヤクザ)、「648」(虫歯)、「450」(汚れ)、「931」(臭い)、「315」(最後)・・・ほかに数字を(ある種)情報伝達に使うこともある。例えば「4649」(よろしく)、「14106」(愛してる)、「49」(至急)、「88951」(早く来い)、「194」(行くよ)、「0906」(遅れる)、「3470」(さよなら)、「5963」(ごくろうさん)・・・枚挙にいとまがない。そう言えば、数字を言き換え、日本の歴史上の出来事を覚えた記憶がある。例えば、「午後に参拝」(552仏教伝来)、「コックさんが摂政」(593年聖徳太子が摂政)、「無事故で改革」(645年大化の改新)、「鳴くよ鶯平安京」(794年平安京)、「いい国造ろう」(1192年鎌倉幕府)、「一味散々」(1333年鎌倉幕府滅亡)、「以後予算が増える」(1543年鉄砲伝来)、「以後よく広まる」(1549年キリスト教伝来)「イヤでござんすペリーさん」(1853年黒船来航)、「いやあ空しい徳川幕府」(1867年大政奉還)、「1つやろうや日本の夜明け」(1868年明治維新)まだまだ沢山あるが・・・
テレビやラジオで企業は(消費者に)電話番号を覚えさせるために、盛んに『語呂合わせ』をする(語呂合わせが出来るような数字を選ぶ)。現在、テレビ・ショッピングで盛んに使われている「0120」で始まるフリーダイヤル電話番号の語呂合わせも多い。そのほかにも例えば「自動車のナンバープレート」、「地名・地域名」、「企業・団体名」、「キャラクター名」、更には「化学や医療分野」にも・・・また、日本ほどではないが海外(特に中国・台湾・韓国・米国など)にも語呂合わせ的なものがあるそうだ。
さて、遅ればせながら“本題”に入る。実は、今回の『龍翁余話』のテーマにこの『語呂合わせ』を取り上げたのは『10月10日』にさまざまな行事があって、その行事のほとんどの記念日が『語呂合わせ』(または『こじつけ』)で決められている、と言うことを知ったからである。「10月10日」は「目の愛護デー」――「1010」を横に倒すと目の形になる(苦しまぎれの“こじつけ”感)、1931年(昭和6年)に中央盲人福祉協会が「視力保護デー」として制定したものだと言うから、かなり古い。ちなみに1963年(昭和36年)のこの日、「アイバンク」を開設した。また「10日」は「釣りの日」――(これも“こじつけ”だが)1977年(昭和52年)全日本つり団体協議会と日本釣振興会が共同で制定した。理由は、幼児が魚のことを「トー(10)トー(10)」と言うから。何とも“幼稚なこじつけ”だと思うが・・・「まぐろの日」と言うのもある。1986年(昭和61年)に日本鰹鮪(かつおまぐろ)協同組合連合会が制定した。理由は、726年(神亀3年)10月10日、聖武天皇(第45代天皇)が明石(兵庫県)の“まぐろ漁”をご覧になられた日(だとか)。魚に関連する記念日でもう1つ「缶詰の日」と言うのがある。1987年(昭和62年)日本缶詰協会が制定した。
その理由は、1877年(明治10年)10月10日、北海道開拓使が石狩町に缶詰工場を設置し日本初の本格的な缶詰製造を始めた。それを記念しての制定だそうだ。「銭湯の日」1991年(平成3年)に東京都江東区公衆浴場商業協同組合が制定。「せんとう(千十=1010)」の語呂合わせ。「冷凍めんの日」と言うのもある。2000年(平成12年)に冷凍めん協議会が制定した。「れい(0)とう(10)」の語呂合わせ。そのほか「転倒防止の日」、「鳥の日」、「トマトの日」、「おもちゃの日」、「おでんの日」、「お好み焼きの日」、などなど・・・
こう並べて見ると、やはり『語呂合わせが好きな日本人』を実感する。そこで翁も1つ「41924548よいくに にほん」――「にほん」は“いろは47文字”の順番数字、最後の“ん”を48とした(やはり“こじつけ”だが)・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
茶子のスパイス研究「すだちの季節」
先週の10月1日は都民の日だった。こういう日ぐらい都民の恩恵を受けましょうと友人が誘ってくれて水族館と夢の島熱帯植物園に出かけた。この日は東京都が管理する庭園や美術館などがフリーになるとかで今まで気に留めた事は無かった。
夢の島熱帯植物園に行くとその入り口付近で徳島から持ってきたスダチの宣伝をしているブースがあった。販売をしているのかと思ったら片手で掴んだだけ頂けるとの事で友人とチャレンジしてみた。友人は8個、私は手が小さいので6個のスダチを掴んで袋に入れて頂いてきた。今年は残暑が長くいつもなら9月頃に見かける柑橘類の柚子やカボスも出荷がずれて10月に入ってから店先で頻繁に見かけるようになった。
そう言えば先月、柚子ラーメンを食べに行った時、いつもだったらすりおろした黄色い柚子の皮がたっぷりラーメンに乗っているのに今年は、すりおろした青い柚子が遠慮がちに少し乗っているだけで香りも柚子の香りが弱く残念だった。時期が早かったのかもしれない。何しろ自然の恵みだから天候によって味も育ち方も違うので受け入れるしかない。
ところで柚子の香りや味はわかっていても、スダチとカボスの違いは分かりにくい。頭の中で味の違いを想像出来る人はそう多くないと思うし私もわからない。パッと見は似ているけれどスダチの方は小さく、カボスはスダチよりやや大きくゴルフボールぐらい。切ると断面がスダチは黄緑、カボスはややオレンジ色。
以前はLAの農家さんから、この時期になると、山のようにたくさんのスダチを頂いた。そして友人達におすそ分けをして喜んでもらった。特にアメリカで日本の旬の食材に出会える事は嬉しいし香りを楽しんで頂く料理は贅沢な気分にさせてくれる。
今回はいただいたスダチをどんな風に使おうかと考えているうちに忘れてしまいキッチンのバスケットに入れっぱなしにしておいたら青色からだいぶ黄色になってしまった。本当は青いうちに空気を抜いたビニールに入れて冷蔵保存しておいた方が黄色くなるスピードが遅く長持ちするらしい。香りを楽しむためには早く使う事がいい。
明日はサツマイモとスダチの煮物でも作ってみよう、、、、
スパイス研究家 茶子
逃げ場のない国 震災余話 井出半句
第十九話 川内村避難所
2011年4月11日(月)晴れ 桜三分咲き
震災から一か月経過した。兄らが帰って従来の生活ペースに戻るかと思いきや、4時頃には目覚めて眠れないのは以前と同じ。家内もそうらしい。決まって余震のモーニングコールもある。とは言え、やっと親族以外のことも考えられる時間的ゆとりが出てきた。
LAのWさんが手配してくれた大量の救援食品の残りを付近の避難所に届けようとしたが、茨城県は十分な食糧が行きわたっているので、受け取らないとの返事である。一方、原発事故で避難している福島県川内村と富岡町の対策本部に問い合わせてみると、喜んでお受けしますというので、福島県中通りに位置する郡山市「ビッグパレット」というイベントホールの避難場所に昨日届けて来た。
高速道路は復旧開通したが、至るところがうねり、段差、パッチワークのような修理跡があり、まだ時速80Kmの制限速度になっていた。特に川や谷にかかる橋のつなぎ目では段差のために車がジャンプする。日曜日というのに北に向かう車は極端に少ない。やはり放射能を恐れているのか。165Km(約100マイル)走ると雪をかぶった安達太良山(あだたらやま、高村光太郎の妻千恵子はこのふもとで育った)が見える。郡山東ICで降りたところが、西田町。俳優西田敏行の故郷でもある。
避難所・ビッグパレット
LAダウンタウンのコンヴェンションセンターに似たような建物・ビックパレットに富岡町・川内村の両町村合わせて3,000人ほどが避難している。物資を受け取ったのは兄が役場で働いていた時代に野球チームを組んでいた人とのことで、笑顔で引き取ってくれた。
仮役場の受付で、避難している知り合いの名前を尋ねる。「居ることは居るが、巨大な建屋の地階から三階のどの区域にいるかわからない」と。中を歩いてみる。異様な匂い(津波地帯などはもっとすごい匂いと思わされた)と共に目に飛びこむのは乱雑な段ボールの仕切りだ。東京の公園や河原にテントを張っている本物?のホームレスはテントで中は見えないが、ここは丸見え。若い女性などは着替えもできまい。そう言えば施設の駐車場に洗濯物が干してあった。しかしそんな所に下着などは干せない。みじめという他はない。これを見て、考えていた寄付額を上積みして、例の井出総務課長に手渡ししてきた。仮役場の事務所から出てきた村長にも挨拶と激励をする。国から避難者に渡る義援金の一回目の配布額は35万円。全国にちりぢりとなった避難者への配布は目途が立っていないという。
建物を出たところで、幼友達にばったり遭う。通称ヤスヨッシャンだ。(福島弁は合成音が結構多い。おんつぁ、あんにゃ、ちんちぇ、くんちぇ・・・など) 話を聞くと、なんと彼は原発3号炉建屋で働いていた時に地震に遭い「津波が来るぞ~」の声で脱出してきた、と。それで、今は家族3人で段ボール組だと。別れ際に無理やり彼のポケットにわずかな見舞金を裸のままねじ込んで、暗澹たる気持ちで帰途につく。
帰途、三春ICを通過。三春(みはる)とは春が遅く、梅、桃、桜が同時に咲くことからそう呼ばれる。梅とコブシの花だけは見えた。日本三大桜の「滝桜」の場所でもある。LAロングビーチ勤務の「白髪の神士」Eさんの故郷の近くだ。滝桜は来週あたりが満開か。例年大渋滞だが今年はスイスイだろう。
次の小野ICで降りて川内村の兄のところに向かう。原発から25Km地点だが、きのうは0.3μSvと他の地域より格段に低い。他の地点で最高値は58.5μSvだ。家中の窓とカーテンを閉めて室内に二人でひっそりしていた。下戸の兄の好物であるあんころ餅ときな粉餅、果物などを差し入れる。郡山の実情を話すと兄嫁が「ヒデオおんつぁの所で世話になって良がったなあ」と。今までは私を「ヒデオさん」と呼んでいたが、我が家に避難滞在した後半あたりから「おんつぁ(叔父)」という敬称に変わってきた微妙な変化を感じてはいたが、定着したか・・・。いまさらこの歳で昇格しても、ね。思ったことは何でも口にしてしまい、嫁や義妹らの気持ちを度々逆なでする義姉のせめてもの感謝の思いが乗り移った敬称変化なのだろうと善意に受けとっている。考えてみれば、兄家族は村指定の避難所・ビッグパレットに行かず、混乱の中を茨城の筆者のマンションを目指したわけである。結果、てんやわんやはあったものの、段ボール生活をしないで過ごし、自分の判断で直接自宅に戻ったわけである。(注:川内村役場と避難所は結局丸一年ビッグパレットに残ったのである)
避難所の洗濯物やコブシ咲く 井出半句
第二十話につづく
ジャズライフ 松本あかね”Memories of You”
数年前、(トロントで知り合った)Mさんに「何か面白いコトはないですか」と聞かれたことがります。ちょうどそのころGoogleのAlexaでジャズを聴いていたので、Amazon Primeの会員になればジャズでもクラシックでも好きなだけ聴くことができるストリーミング音楽のことを話しました。Mさんはこのストリーミング音楽に大変興味を示されました。今はAlexaで毎日音楽を聴いているそうです。先日電話で話をしたときに、また「何か面白いコトはないですか」と聞かれました。ストリーミング音楽を高音質で聴いてみるのはどうかと勧めてみました。今週お会いした時に私のポータブルハイレゾ音楽用アンプとイヤフォーンでジャズを視聴してもらおうと思っています。どんな反応をされるか楽しみです。
今週は鳥取県米子市出身で4歳のときからピアノを始めた天才ジャズピアニスト松本あかねのアルバム”Memories of You”の紹介です。彼女の軽快で楽しいジャズピアノは迫力があり引き込まれます。《R.O.》
01-Memories of You
02-Laurentide Waltz
03-Gentle art of Love
04-Moon River
05-JJ
06-Danny Boy
07-Goodbye Mr.Miller
08-Hometown
編集後記「運動会の季節」
卓球教室の帰り、高校の前を通ったので何気なく校庭を観ると大勢の学生たちが、集まって何かをやっていました。それが体育祭の練習だということがすぐにわかりました。ようやく気温も下がってきて練習もやりやすくなったと思います。三人の孫が通う小学校でも運動会をすると聞いているので楽しみにしています。《R.O.》
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