雑貨屋ウィークリー1448号

雑貨屋のひとり言「卓球始めます」

雑貨屋の配信メールで私が運動不足になっていることを知った友人のSさんから卓球をやろうとお誘いがありました。Sさんが昨年から通っている卓球教室に参加させていただきました。Sさんは中学校の同級生で4年前、53年ぶりに奇跡的な再会をした友人です。卓球は何十年か前に温泉旅館でやった程度でまったくの初心者です。参加しているメンバーは同年代の人が多くて、クラス名は健康卓球教室となってました。教室にはインストラクターがいるので、いろいろ教えていただけます。しかもその方は石川佳純さんに似ているとても美人なインストラクターです。運動量が結構あり、筋肉を鍛えられそうなので始めることにしました。クラスが終わってから同じショッピングモール内にある喫茶店で数人の参加者とお茶をしながら話をしました。人気者のSさんの同級生ということで自己紹介をしたら、みなさん大変興味を持って私の話を聞いてくれました。久々の運動で汗をかいて、おしゃべりして楽しい時間を過ごせました。また面白いことが始まりそうです。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

青春の地にまだあった喫茶店

遠回りした人生の靴の減り

完走が目標ですとマイペース

鉢巻を伸びた寿命が締め直す

健康を片目ダルマに褒められる

(ニュースひとりよがり)

「記録更新ラッシュ」

こっちは59年連続だ ―国債残

「チョコレート」

今年は麻生さんにあげない ―上川外相

「マイナ保険証の利用率4%」

うちはやっているよな ―武見厚労相

河合成近

龍翁余話(820)「うるう年」

1月の終わりに、月ごとのカレンダーの2月を開いたら、今年の2月は平年よりも1日多い29日まである。“ああ、今年は『うるう年』か”と気付く。西暦年号が4で割り切れる年が『うるう年』過去では2004年、2008年、2012年、2016年、2020年、そして今年の2024年・・・つまり『うるう年』は4年に1度やって来る。“うるう年はオリンピックの年”と覚えておくのもいいだろう。例外として西暦年号が100で割り切れて400で割り切れない年もあるそうだ(詳細は割愛)。なお2020年の「東京オリンピック」は”コロナ禍“のため翌年2021年(7月23日~8月8日)に延期開催されたことはご承知の通り。

『うるう年』でない通常の年は『平年』と言い2月は28日まで。何故『うるう年』などと言うものがあるのか――翁は暦学や天文学に疎いので学問的な説明は出来ないが、一般的に伝えられている話をまとめると――平年の年間日数365日は地球が太陽の周りを1周するのに365日かかると言うことだが(これを“公転周囲”と言うそうだ)、しかし、地球の公転周期は、正確には365日より少し多く、毎年約6時間(0.25日)の“ずれ”があるとのこと。1年当たり約6時間の“ずれ”を4年でまとめて1日分(24時間)にして調整する、それが4年に1度の『うるう年』と言うことになるそうだ。

日本での“暦の歴史”を調べたら、平安時代(794年~1185年)に遡る。平安時代に暦を作ったのは、“陰陽寮”(おんようりょう=天文・時・暦の編纂を担当する部署)の役人だった。彼らは呪術を使って怨霊(おんりょう)などを退治したとして(現代でも漫画や映画などで知られる)陰陽師(おんみょうじ)とも呼ばれたが、実は天文学・暦学のれっきとした科学者であった。(余談だが)2001年(平成13年)に公開された映画『陰陽師』(狂言師の野村萬斎が主人公の安倍晴明を演じた)を観たことがある。その映画は、鬼と怨霊がはびこる平安時代、時の左大臣(朝廷の最高官吏)と安倍清明との友情と、左大臣の子が呪いをかけられ、生死をさまよう病に侵された原因(その子に呪いを掛けた陰陽師)を追求・退治して左大臣の子を救った、というような物語だったように記憶しており、その映画では天文学や暦学の話は出て来なかった(ように思った)ので、翁は“陰陽師は呪術師”くらいの知識しかなかった。

ところで、江戸時代までは暦を作ることが出来たのは権力者だけで、暦の計算方法も機密事項だったと言う。江戸時代の初期1684年(貞享元年)、渋川晴海と言う天文・暦学者によって編纂された暦「貞享暦(じょうきょうれき)」が我が国初の和暦だそうだ。その後、時代が変わるごとに暦も(少しずつ)改暦、いずれも“太陰暦”(簡単に言うと、月の満ち欠けに合わせて1か月間の日付を決める、つまり季節に合わせた、季節感豊かな暦)で、これが1872年(明治5年)まで続いた。“季節に合わせた暦”であったから「この日は種まきをしよう」「この日は不吉だから仕事は休もう」などが細かく書かれており(特に農林漁業者の間で)重宝された。その名残として“六曜(ろくよう)”と言う「先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口」など吉凶を占う目安が現在でも利用されている。なお、前述のように江戸時代からの“太陰暦”は明治5年に廃止され、直ぐに西洋式“太陽暦”が採用された。それが現在でも使用されているのだが、“太陽暦”導入以来、明治政府は国民の祝日の多くを天皇に関わるものに定め、大東亜戦争(太平洋戦争」後も(天皇関連の祝日を)多く残した。例えば「建国記念の日」(2月11日)は初代・神武天皇即位の日(紀元節)、「海の日」(以前は7月20日、現在は7月第3月曜日)は1876年(明治9年)、明治天皇が軍艦ではなく灯台視察船(明治丸)に乗って東北地方を巡幸され、7月20日に横浜港に入港された日、ほかに「天皇誕生日」(2月23日)、「昭和の日」(4月29日)、「みどりの日」(5月4日)、「勤労感謝の日」(11月23日)などあるが、翁は明治以来「国民の祝日」の多くが天皇家との関りであったこと(あること)に反対するものではない。

せっかく『うるう年』を取り上げたのだから、何か面白いエピソードはないか、を調べてみた。(面白いかどうかは別にして)「2月29日生まれの人は4年に1度しか歳をとらない」はウソ。日本の法律では、2月29日の誕生日の人は(運転免許証更新などの行政手続きの場合は)前日の28日か翌日の3月1日を“みなし誕生日”とするそうだ。翁の周辺には、2月29日生まれの人はいないが、総務省の統計によると日本の総人口1億2242人(2023年1月現在)のうち約8万7400人が2月29日生まれ(世界では約500万人だそうだ)。

『うるう年』で翁が直接関係した出来事は、「日本テレビ」が四谷・麹町から汐留(新橋)の「日本テレビタワー」に移転、開業したのが今から20年前の2004年(平成16年)2月29日のこと。テレビ局の下請け映像制作会社である我が社もお祝いに新社屋へ駆けつけた。翁は個人的には古巣の麹町でお世話になって来たし、現役引退の準備をしていた時期だったので、汐留の「日本テレビタワー」は後輩のプロデューサーを担当させて翁はそれほど往来はしなかった・・・しかし、直ぐ隣のビルの大手広告代理店・電通には、親友のM氏(部長)との交流があったので週1は通っていた。『うるう年』でもう1つ思い出すのは、「東京スカイツリー」の完成が2012年(平成24年)2月29日であったこと。この時、翁はすでに引退しており直接的な関わりはなかったが、我が社では(某テレビ局の委託を受けて)2班の撮影チームを現場に派遣、約60分テープを回した(収録した)のに放送されたのはわずか5分、「いい映像があったのに」とは、チーフカメラマンの悔い言だった。

さて、4年に1度の『うるう年』――次は2028年、『龍翁余話』も好きなゴルフも、その年までは続かないだろう。そう思うと、2月29日生まれではない翁でも、次の『うるう年』まで“歳をとる”のを止めておこうか、とバカなことを考える。【それほどに 残り日数える うるう年】・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「メディカルフード、メディカル給食」

祖母が八王子の病院に入院していた時に初めて見た病院の食事には驚きと感動だった。もう数十年前の事になるけれど今もはっきりと覚えている。大きな病院だったので食事時になると大型配膳車が其々のフロアーにやってくる。どんなものがあるのだろうと興味深く見ていたら一人一人トレイに名前が書いてあり塩分糖分カロリーなど詳しく書かれた紙がメニューと一緒に記録されていた。こんなに、たくさんの患者さん一人一人違うんだ~と感心していたら近くにいた看護師の人が説明してくれた。“見たら皆同じメニューに見えるでしょう?でもリンゴ一つとっても噛めない人もいるのでリンゴのスライスからすりおろしたもの、ジュースと素材が同じでも形が違ってくるものもあります”と。どうやって、これだけの人数分の食事を提供しているのだろうと、ただただ驚きだった。

それから母の入院の45日間の食事を観察し同じ病気の患者さんでも違うメニューに又また驚いた。その後母は4か月のリハビリ施設に移動になり、そこでは施設の東西南北に其々食堂がありそこに行って食事を食べるというスタイルになった。少人数で食べるので其々に炊飯器とみそ汁を温める場所がありもっと家庭的な感じで食事をとる事が出来た。もし、家族の人もそこで一緒に食事をしたい場合は事前にメニューの中から選んで予約しておけば同じ時間に一緒に食事をする事も出来るのだ。母の場合、大きな手術後と腸閉塞もあったので特別食を作っていただいていたので、とても助かった。その食堂が私は好きで何度か一緒に食事をした。患者さん同士の会話も弾んで楽しかった。その時に出ていた栄養補助食品にもいろいろな種類があって日本人の食に対するこだわり、きめ細かさ、工夫されたパッケージなども興味深く後日、介護食のイベントに出かけたりもするようになった。それから米国のフードショーやナチュラルエキスポには興味が無くなってしまった。

数か月前に図書館でメディカルフードの講習が受けられるポスターを見かけた。講習料は無料、ただし20名だけなので面接を受けなければならない。ダメ元で行ってみようと先月の中頃に面接を受けてみた。簡単な職歴と質問用紙があって用紙に書き込んで終わった人から順番に面接会場に。入口と出口は別のドアから出て終わったらさっさと帰宅するように言われた。どのくらいの人が応募したのかわからないけれど面接官は2人一組で会場には4~5組いただろうか、、、
それから4~5日して受講O.K.の手紙が届いた。そんなわけで今、学生気分になって勉強させていただいている。とても充実したクラスで毎日其々の分野の講師の方々が来て教えてくれるので面白い。
以前、病院やリハビリ施設で見た料理がこんな手順でどんな風に管理され衛生管理が徹底されているのか裏方の世界が徐々にわかってきた。

先々週、農大のチャリティー映画を見に行った。農大卒業生の酒蔵も今年起きた能登半島で被害にあった。この被害に遭う前に里山、里海で暮らす人々の生活をドキュメンタリーフィルムに収めた監督さんも来ておられた。その映画を見終わった後、現在の能登の様子が紹介された。その中で1枚の写真が私には印象に残った。それは今回震災が起きて一早く駆けつけてくれた台湾の給食部隊の方々の写真だった。震災に遭われた方々に一刻も早く暖かい食べ物を食べていただきたいと水や食材、調味料を持ち込んで台湾料理を振舞っている写真だった。

今後、日本のどこでも起こり得る震災で個人個人の備えも必要だけれど大量の食事を衛生的に素早く管理し調理する方法を知っておく事も大事な事だと思った。幸い、この時期にこのような勉強する機会を与えられた事に感謝だ。いつか少しでも役に立てるチャンスがあればと、、、

スパイス研究家 茶子

ジャズライフ 「細川千尋ピアノ・トリオ  Seasons of Love~Broadway Jazz Grooves」

クラシックとジャズの両方をルーツに持つユニークなピアニスト、細川千尋のアルバムです。皆さんもご存知のミュージカルの名曲がジャズに生まれ変わったアルバムの紹介です。《R.O.》

1.シーズンズ・オブ・ラヴ〜Seasons of Love from ‘RENT’  
2.悲しみのクラウン〜Send In the Clowns from ‘A Little Night Music’        
3.アナザー・デイ・オブ・サン〜Another Day of Sun from ‘La La Land’        
4.サン・アンド・ムーン〜Sun and Moon from ‘Miss Saigon’     
5.チム・チム・チェリー〜Chim Chim Cher-ee from ‘Mary Poppins’        
6.メモリー〜Memory from ‘Cats’        
7.ワン〜One from ‘A Chorus Line’        
8.夢やぶれて〜I Dreamed a Dream from ‘Les Misérables’        
9.ミリオン・ドリームズ〜A Million Dreams from ‘The Greatest Showman’        
10.ミュージック・オブ・ザ・ナイト〜Music of the Night from ‘Phantom of the Opera’        
11.再生 -REBORN- (オリジナル)

編集後記「買い物するときに役立つスマホ機能の紹介」

レジで支払おうとすると、その前に「ポイントカードはありますか」と聞かれ、スマホの画面からポイントのアプリを探そうとしてすぐに見つからないことがあり焦った経験がありませんか?そんなときのためにスマホの画面上でショートカット機能を使う方法で素早く対応できます。それを紹介したページを作りましたので、興味のある方は下記URLからご覧ください。
レジで支払いするときに役立つ機能の紹介

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