雑貨屋ウィークリー1550号

雑貨屋のひとり言「靴のお話」

皆さんはどんな靴を履いておられますか? その靴はあなたの足に合っているでしょうか?合っていない靴を履いていると足だけでなく、膝や腰などその他の部位にも不調が出てくることがあります。
先端が細くなっている靴は足の指が十分に動かせない状態になり、歩きにくく疲れやすくなります。また親指が内側に曲がり、外反母趾などのトラブルにつながることがあります。
クッションが良すぎる厚底靴は、地面からの衝撃を和らげてくれますが、そのぶん足本来の骨や筋肉の働きが使われにくくなり、長期間履き続けると足の機能や筋力が低下する可能性があります。

靴底の高低差(靴の前側とかかと側)が大きい靴は、直立しようとしたときに体の重心が前方へ移動しやすく、そのバランスを取るために膝を曲げたり、腰を反らせたりしてしまいます。結果として膝関節や腰椎への負担が増えることが報告されています。
こうした靴を日常的に履いていて、久しぶりに裸足になって歩いたときに、歩きにくさや疲れやすさを感じる人は、靴の構造に体が頼り切ってしまっているのかもしれません。

市場には見た目が格好良く、一見機能性が高そうな靴がたくさん出回っていますが、その特徴を理解しないまま選んでいると、知らず知らずのうちにあなたの足を弱くしてしまう可能性があります。
人間の全身の骨の数は206個あり、そのおよそ4分の1が足の骨(両足で約56個、片足28個)だと言われています。足の骨はとても複雑な構造になっていて、細かな動きと調整によって私たちの体のバランスを保ってくれています。もしあなたが自然な足の力を取り戻したいなら、靴を選ぶときには先ほどとは逆の条件、つまり足指がしっかり動かせるゆとりのある形、過度ではない適度なクッション、靴底の高低差が少ない(薄底・フラットに近い)タイプを検討してみるのも一つの方法です。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

百家争鳴 財源なしのいい話

百本の薔薇の気取りが嘘くさい

百薬の長を味方に老いの職

百歳にAIにない知恵がある

世相百態コンビニの24時

(ニュースひとりよがり)

「左側通行、右側通行」

中道通行もあり ― 選挙カー

「積み上げ競争」

〝国債の〟です ― 選挙公約

「政権1年」

掻き回して掻き回して掻き回して ― トランプ大統領

河合成近

龍翁余話(918)「筌ノ口(うけのくち)温泉」

「日本一の温泉県」をアピールする大分県には、知名度の高い別府温泉郷・湯布院温泉・日田温泉・天ケ瀬温泉・宝泉寺温泉・杖立温泉など(各市町村に)約80ヵ所の“温泉郷”がある。だから県内をドライブしていると“○○温泉”の看板をよく見かける。先日(日田市に隣接する)玖珠郡九重町にある「日本一の大吊橋」(九重“夢”大吊橋)に行こうと(故郷の親友・F君を乗せて)車を走らせていたら『筌ノ口温泉』の看板が目に留まった。「何と読む?」とF君に訊いたら「“うけのくち”と読みます」とのこと。「どんな温泉郷か、あとで行ってみよう。その前に九重“夢”大吊橋へ」―― 

2006年(平成18年)に10月にオープンした「九重“夢”大吊橋」。長さ390m、高さ173m、幅1.5mのこの橋は、歩道専用としては日本一の高さを誇る吊橋。実は翁、この橋が開通した2年後の2008年の夏にやって来て橋を渡ろうとしたが、高所恐怖症の翁、あまりに高いのと橋が揺れるので怖くなって10mほどで引き返して来たニガイ経験がある。故に、パンフレットの「橋の上から見る眺めは壮観で、日本の滝百選にも選ばれた“震動の滝”や遠くに雄大な“くじゅう連山”が横たわり360度のパノラマは、まさに“天空の散歩道”にふさわしい文句なしの絶景」を味わうことは出来なかった。そのことは当時の『龍翁余話』に書いた。勿論、今回もただ写真を撮りに立ち寄っただけ(右写真は九重町提供)。

さて、先ほど「九重“夢”大吊橋」の大駐車場に入る直前に見かけた看板『筌ノ口温泉』をカーナビにセットしてその地に向かった。車が離合出来ない狭いクネクネ道を走る。ほどなく鳴子川の橋に辿り着く。この一帯は阿蘇くじゅう国立公園に含まれる飯田高原の北側に位置する。鳴子川の橋の麓に『筌ノ口温泉郷』の看板。“郷”と言っても現在旅館は、「新清館」(しんせいかん)1軒だけ。

しかし、この旅館は今から124年前の1902年(明治35年)創業の老舗、現在の経営者は4代目だそうだ。隣接して地域の人や観光客のために地元管理組合が管理している共同浴場がある。湧き続ける黄土色のお湯は、炭酸水素塩・硫酸塩・塩化物で胃腸病・神経痛・筋肉痛・冷え性・切り傷などに効果があるとかで、大人300円、子ども100円の低料金も喜ばれている。

ところで九重町のHPによると「正保年間(1644年~1647年)頃から村人たちは、この地に湧き出る温泉で入浴していたが、享保13年(1728)、田野庄屋徳右衛門と言う人がこの地に住宅を造り、湯小屋を建てたのが筌ノ口温泉の始まり」だとか。(前述の)「新清館」のほかにもう1軒(同じ明治時代創業の)「小野屋旅館」があった(写真左)。2005年の大雨(土砂災害)で閉館したそうだが、実はこの「小野屋旅館」は文豪・川端康成と関係が深い。「旧小野屋旅館」の建物を撮影していたら、そこに偶然、共同浴場を利用するためにやって来た地元の老婦が「小野屋旅館と川端康成先生の話は、公民館に勤めている小山さんに訊くといいよ」と教えてくれたので、早速、九重町飯田(はんだ)公民館へ向かった。

小山正記(まさき)さんの肩書は「飯田地区まちづくり協議会・事務局長」。翁の突然の訪問にもかかわらず、気さくに、しかも“熱く”語ってくれた。「川端先生は1952年(昭和27年)10月に筌ノ口温泉に来られ、鳴子川の河畔にある小野屋旅館で昼食(写真中=小野屋旅館の前=右から2人目=小山さん提供)、翌年(昭和28年)の6月に再び筌ノ口温泉に来られ、小野屋旅館に宿泊されました。(川端先生の2度の来訪について詳しく話して貰ったが、スペースの関係で割愛)九重町では“川端先生来訪”を記念して1974年(昭和49年)に飯田高原の中心部に“文豪・川端康成文学碑”を建設しました」(写真右)。そのことは2025年5月25日配信の『龍翁余話』(885)「飯田高原」ですでに紹介してある。

『筌ノ口温泉』は(前述の通り)飯田高原の北端、たった1軒の旅館しかない“ひなびた温泉地”ではあるが、幽玄境の趣を呈する鳴子川渓谷に面している閑静な環境が都会人の心を癒してくれる。翁はそんな風情が気に入った。いや、雰囲気ばかりではない、公民館の小山さんをはじめ出会ったこの地域の人々の温か味も心地いい。川端康成には遠く及ばないが一応“モノ書き”の翁、再訪してもっと奥深い鳴子川渓谷と筌ノ口温泉の魅力を描きたい、そんな欲望に駆られるドライブだった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「サンペドロと日本人」

先週の晴れた日曜日、ハイキングリーダーのLibbyさんがまた自分の船を出して今度はサンペドロ湾から航行してパロスバーデスの半島の先までクルーズしてくれた。来月の中旬に、またしばらく私が日本に帰るので、その前にかつて日本人の人達が経営していた温泉ホテルがあった場所を見せたいと。それでいつものハイキングメンバーの仲間を集めて3時間のクルーズトリップを企画してくれたのだ。

いつもはサンペドロからパロスバーデスのハイキングコースを歩き太平洋の海を眺めながら歩いていた。時々はトランプさんのゴルフコース、パロスバーデスの半島の先にあるテラニアリゾートまで歩いたりしていた。
そのハイキングコースを洋上から眺める景色も素晴らしかった。いつも通りポットラックで皆が持ち寄りだったけれど今回はワインやアルコールは禁止だった。ワインが好きな友人は残念がっていたけれどその理由が後から分かった。

サンペドロ湾を抜けてパロスバーデスの半島の近くを航行すると揺れが大きくなるので大事をとったらしい。今回、多少船は揺れたものの、お天気にも恵まれていつもより波も穏やかで航行しやすかったようだ。

船を運転しながらLibbyさんが何度か私を呼んだ。“ あそこだ、あのあたりにかつて日本人が経営する温泉ホテルがあったんだ“と指差して教えてくれた。時代は1920年頃、、、、地震で温泉が出なくなり廃業してしまったとか、、、、。
私がその頃の写真を見たいと言ったら近くにいた人がネットで検索して見せてくれた。
サンペドロからパロスバーデスの一帯は昔、日本人の人達が苺や野菜を作っていたそうで評判が良かったそうだ。

戦前、漁業や農業に従事されていた日本人の暮らしがそこには、あったのだそうだ。そしてテラニアリゾートにも、その途中の海岸のあたりもいくつか浜辺があり洞窟があった。一つの洞窟はずっと長く続いているのだとか、、、、
もっと昔はネイティブインディアンが住んでいてセレモニーを行っていたという話も聞いた事がある。テラニアリゾートが聖地だとかスピリチュアルな場所だというのもそういった歴史が伝えられているからなのかもしれない。

“サンペドロやパロスバーデスに移り住んだ日本人の足跡を辿ってみると面白いよ“と河合さん(以前、この雑貨屋に寄稿なさっていて私をこの雑貨屋に紹介してくださった)から聞いて興味を持った事があった。
時間が出来たら今度はサンペドロの図書館に行ってみようと思う。
洋上の風に吹かれながら海岸線を眺めているとセピア色のその当時の日本人の暮らしが浮かんでくる。

当時この地を目指して移民として覚悟を決めて日本から旅立った人たちの苦労と努力その姿を目の当たりに見て育ったLibbyさんも同じイタリア移民として共通の思いがいつもある。だから日本人に対しては特別の気持ちがあって、とても優しいのだ。

スパイス研究家  茶子

小春の気ままな生活 第55話「アイス・ストーム」

今週は日本でも世界でも沢山の動きがありました。日本も降雪がかなりある様ですが、今週末のアメリカのほぼ半分が、「アイス・ストーム」で警戒状態です。今日、1月23日(金)にナッシュビルの領事館からも注意のE-mailが届きました。

今週の火曜日頃、ニューメキシコ州から始まりテキサス州・オクラホマ州・アーカンソー州・ミシシッピー州・アラバマ州・ジョージア州・テネシー州・ノースカロライナ州・ケンタッキー州など南部を皮切りにニューヨーク州・マサチューセッツ州までのアイス・ストームが来ると予報されました。アイス・ストームという言葉は初めて聞きました。テネシー州では1994年以来で、ストームやハリケーンと同じ五段階のレベルで表記され、レベル3でも1週間ほど電気が滞るとのことです。アイス・ストームは雪が降るのではなく、雨がふり地上に着く頃には水分が氷り、木や電線が氷まみれになってしまうと言うものだそうです。私の住んでいる所は土曜日の午後から雪が降り、日曜日ごろにはアイス・ストームに変わるかもしれません。ここで生まれ育ったご近所の方も、雪はいいけどアイス・ストームは嫌だと言っていました。さらに、このストームの規模は2000マイル(3218キロ)に及びこの規模は歴史的に最大規模と言われています。また、アイス・ストームだけではなく、その周りは大雪になる規模で、最大降雪23インチ(58.42cm)の町もあるそうです。

問題は、暖房と食料です。今週の火曜日には電力確保のためどのお店からもジェネレーターが売り切れ状態になり、食料やカセットコンロのボンベやプロパンも売り切れています。やはり、なぜかトイレットペーパーも売れています。

我が家のヒーターはガスなので、大丈夫らしいですが、調理は電気がないと出来ないので、キャンピング用のコンロを購入しました。ガスボンベは昨年備蓄用に買ってあったので、お湯やちょっとした温かい食事は大丈夫だと思います。問題は冷蔵・冷凍庫の食材です。電気が1日以内に戻ってくれれば良いと願うばかりです。お風呂も、ウォーターヒーターが電気によるものなので、電気が戻るまでは入れません。皆さんは、備蓄はされていますか?このストームが落ち着いたら、備蓄の見直しをしようと思います。この経過については、電源が戻っていれば来週ご報告いたします。

また来週

小春

ジャズライフ Guido Basso “One More for the Road”

Guido Basso『One More for the Road』は、カナダを代表するフリューゲルホーン奏者が晩年に残した未発表音源を集めた、しみじみと歌心に浸れるアルバムです。

デュオ~カルテットの小さな編成で、いぶし銀のトーンと温かいバラード解釈をじっくり味わえる一枚として紹介すると雰囲気が伝わりやすくなります。

Guido Bassoは1937年モントリオール生まれのカナダ人ジャズ奏者で、トランペットとフリューゲルホーンを中心に、アレンジャー、コンダクターとしても活躍しました。カナダ国民勲章(CM)を受章するなど、国内では「最重要トランペッターの一人」と評され、2023年2月に85歳で逝去しています。

このアルバムの一番の聴きどころは、フリューゲルホーンならではの柔らかい響きと、音数を絞ったメロディ重視のフレージングで、批評では「温かく招き入れるようなトーン」と評されています。《R.O.》

1. Two for the Road (H. Mancini)
2. Gentle Rain (L. Bonfá)|
3. Blue Monk (T. Monk)
4. My Ideal (R. Whiting)
5. You’re Nearer (R. Rodgers & L. Hart)
6. Bye Bye Blues (F. Hamm, D. Bennett, B. Lown, C. Gray)
7. The Good Life (S. Distel)
8. East of the Sun (B. Bowman)
9. Second Chance (A. Previn)
10. Last Night When We Were Young (H. Arlen)
11. Ill Wind (H. Arlen)
12. All the Sad Young Men (T. Wolf)

編集後記「固定電話」

随分前から思っていたことがあります。それは、固定電話は本当にまだ必要なのかということです。連絡手段は家族、友人、行政手続きまでスマホで事足りています。

​迷惑電話がかかってくるのはほとんどすべて固定電話です。固定電話にかかって来ても登録されている番号以外は応答しないようにしています。着信の殆どが知らない電話番号で迷惑電話が大半を占めます。

昭和生まれの私たちは、固定電話があったほうが何かと便利だと思っているだけで、実は何も不便はないし、むしろ使っていないのが実情です。

​これらを勘案して、固定電話を解約しようと考えています。解約する前に、銀行、保険、役所への登録状況を確認しようと思います。

読者の皆さんはどうされていますか?何かご意見、ご助言等があればお教えください。《R.O.》

コメント