雑貨屋ウィークリー1510号

雑貨屋のひとり言「大阪・関西万博に行きます」

55年前、大阪万博に行った記憶があります。しかし、鮮明に覚えているのは人の多さだけで、話題になった月の石の詳細はまったく記憶にありません。唯一、かすかに覚えているのは、現在のワイヤレスフォンの原型となる展示でした。そんな昔の記憶を思い出しながら、今年の4月13日に開幕した大阪・関西万博へ行こうか考えていたところ、トロント時代からの友人Mさんから電話がありました。Mご夫妻は5月に万博に行くために浜松から訪れるので一緒に行くことにしました。幸運なことに、我が家から万博会場の夢洲(ゆめしま)までは約40分の距離。何度でも気軽に行けるので通期パスを購入することを決めました。
私のスマホでチケット購入と来場日時の予約を済ませたものの、ワイフの登録方法がわからず、大阪駅近くのサポートセンターへ尋ねに行きました。受付開始の10時前にはすでに20人ほどが列を作っており、並んでいたのは私たちと同じ年代の人ばかりでITが苦手な人やスマホに不慣れな人が多いように見えました。整理券をもらうときに係の人が私の困っていることを聞いて、その場で教えてくれ、私の疑問がクリアになったので列に並ぶことなく帰宅しました。さあ、また新たな面白い体験が始まりそうです。《R.O.》

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

ブランドの服に迷惑顔のイヌ

クロネコが来たとポストが身構える

ウォシュレット日本文化が褒められる

シャッター街にしてスーパーの独り勝ち

コツコツの汗に脱税億の記事

 (ニュースひとりよがり)

「関税」

トランプ ― 二転三転四転五転六転

関連企業 ― 七転八倒

「昭和100年」

どっこい生きている ― はしか、百日咳

「捜索願い」

備蓄米やーい ― 中小スーパー

河合成近

龍翁余話(881)「4月28日は主権回復の日」

4月28日は『主権回復の日』である。しかし、その日は“記念日”でもないし“国民の祝日”でもないので、カレンダーには掲載されていない。だから『主権回復』とは何か?とか「サンフランシスコ講和条約発効」とは何か?について、今の日本人の何%がその正確な説明が出来るだろうか、あるいは名称すらすっかり忘れてしまっている人が多いのではないだろうか――正直なところ、かく言う翁もまた、この大切な出来事を忘れかけていたのだ。“ジャパン”が“日本国”となり“ジャパニーズ”が“日本人”となった『主権回復の日』(4月28日)が近づくに際し、この重要な戦後史を振り返ることにする。

1945年(昭和20年)8月15日の「終戦の日」をもって日本はGHQ(連合国軍最高司令官総司令部=米国・ソ連・中華民国・イギリス・フランスなど26カ国が該当するも、主として連合国軍最高司令官マッカーサーが指揮する米軍)の統治下(占領下)に置かれていたが、7年後の1952年(昭和27年)4月28日にサンフランシスコで、講和条約(戦争を終結させ,平和な状態を回復するための条約=平和条約とも言う) が締結されたことで、GHQによる占領政策は解除され、日本は『主権を回復』した。しかし、その時点では、まだ奄美諸島・沖縄本島・小笠原諸島は返還されず米国の統治下に置かれたままで、沖縄ではこの日を(政府が沖縄を見捨てた)「屈辱の日」と呼んでいた。

日本政府(当時、吉田 茂首相)は「決して沖縄を見捨てた訳ではない。物事には段階があって、まずは日本国を独立国家に取り戻すことが先決だった」と釈明していた。では、米国が何故、奄美諸島・小笠原諸島・そして(特に)沖縄を必要としたか、その背景には当時の“東西冷戦”という国際情勢が反映されていた。米国をはじめとする西側諸国と、ソ連(現ロシア)や中国など東側諸国との対立が際立っており、米国は(主として)沖縄本島を重要な軍事基地として統治を継続する必要があった。現実に(東西対立は)朝鮮戦争(1950年~1953年)やベトナム戦争(1960年~1975年)の軍事衝突を生み、米軍統治の沖縄は(これらの紛争地への)爆撃機拠点や後方支援基地として利用された。

朝鮮戦争が終わった年(1953年)の12月25日には奄美諸島が本土復帰、ベトナム戦争の途中の1968年6月26日には小笠原諸島も本土に復帰したが、沖縄だけは返還されなかった。それは沖縄が東側諸国に対しての抑止力を持った重要な軍事基地としての意味を持っていたからだ。しかし、ベトナム戦争が終焉に向かい米ソ間でデタント(緊張緩和)が進んで行く中、1972年5月15日沖縄が本土復帰を果たした。沖縄の祖国返還に際し日本政府(当時、佐藤栄作首相)は「沖縄を平和の島とし、我が国とアジア大陸、東南アジア、 更に広く太平洋圏諸国との経済的、文化的交流の新たな舞台とすることこそ、この地に尊い生命を捧げられた多くの方々の霊を慰める道であり、沖縄の祖国復帰を祝う我々国民の誓いでなければならない」との声明を発表した。「沖縄を平和な島とし・・・」と言いながら沖縄返還後53年経った今日でもなお、さまざまな問題を抱えている沖縄米軍基地問題については、いずれ言及しなければならない重要テーマではあるが、今号では割愛する。

一方、日本政府は『主権回復の日』に大きな“禍根”を残してしまった。その”禍根“とは――サンフランシスコ講和条約の中に「日本は千島列島を放棄する」と言う一文があることを日本政府は知っていた。知っていたが「択捉(えとろふ)・国後(くなしり)・色丹(しこたん)・歯舞(はぼまい)群島の4島は日本固有の領土であり、千島列島の中には含まれていない」と言うのが日本政府の見解であったし、現在もその主張に変わりはない。勿論、講和条約の文中にも「千島列島・南樺太の権利及び請求権の放棄」は謳われたが「千島列島の中に択捉・国後・色丹・歯舞群島も含まれる」という条文は1行もない。にもかかわらずソ連(現ロシア)は(日本が終戦を宣言した後もなお南樺太・千島列島・それに日本固有の領土である北方4島を武力攻撃で占拠、4島に住む島民(日本人)を虐殺,追い出し、ソ連国民を移住させた。それからというもの「北方領土問題」は日ソ(日ロ)の重要政治課題として尾を引いているのだが、一向に解決の糸口すら見出せないまま80年もの歳月は流れた。翁が「『主権回復の日』に大きな”禍根“を残した」と言うのは、いくら日本が”独立国家“(主権回復)を急いでいたとは言え「日本は千島列島を放棄する」と言う条文の中に、何故「北方4島を除く」を明記しなかったか、である。が、今更それを論じても仕方のないこと――翁は若い時から”ドロボー猫のロスケ野郎“とソ連(現ロシア政府)を蔑んで”北方領土返還”を吼え続けて来たのだが、この問題、本当に解決の道は開けるのだろうか?それにしてもロスケの、人道をはずれ国際法を無視して武力で他国の領土を奪い取ろうとするドロボー根性(蛮行)は狐野郎(プーチン)による”ウクライナ侵攻“が物語る如くロスケの卑しい伝統であろう。

さて、日本が『主権を回復』したあと、直ちに世界銀行の支援を得て電力、鉄鋼、鉄道など日本のインフラ整備に取り組み経済発展の素地を固めた。その間、ソ連の反対で日本の国連加盟が阻止されていたが1956年(昭和31年)鳩山一郎内閣が“日ソ共同宣言”(交戦状態終了・外交回復・国連加盟支持・ソ連抑留の日本人の送還・対日賠償請求権放棄など)の調印をしたことによって日本の国連加盟が成立。以後、岸信介内閣、池田勇人内閣、佐藤栄作内閣(勿論、以後の内閣)によって日本の経済・防衛・外交など“国際社会における日本への信頼度”が高まりを見せて来たことはご承知の通りである。『終戦』から80年、『主権回復』から73年、翁は声を大にして言う「日本こそが世界一の民主主義国家・平和主義国家・人道主義国家である」。そのことは去る4月6日配信の『龍翁余話』(879)「日本好感度(親日度)調査」でも明らかになっている。とは言え中国・ロシア・北朝鮮による防衛問題、沖縄の米軍基地問題などの課題は依然として残されたまま。果たして翁が存命中に好転の兆しが見えるようになるかどうか・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「桜巡り🌸での偶然」

“ 今年も桜が見れて良かった“  と呟いた母に体調が良ければ少し遠出して桜を見に行こうと誘ってみた。今までは自信が無さそうで誘っても断られていた。ところが最近は前向きになってきたのか自分の方から千鳥ヶ淵の桜が見たいと言った。母は、ずっと前から1度はそこに行きたかったそうだ。兄弟の中で1番若い兄がシベリアに行ったまま帰ってこなかったそうで気になっていたらしい。

タクシーの運転手の人は今日は満開の桜が風に乗って散り始める頃で1番、綺麗で風情がありますよと話してくれた。靖国神社あたりでタクシーから降り、ゆっくり母と歩いて桜の花を楽しんだ。少し歩いていくと右手に千鳥ヶ淵沿いにある戦没者の方々の慰霊碑がある場所が見えてきた。慰霊碑のイメージとは違っていて明るい日差しの届く趣きのある場所だった。門をくぐると広々とした正面に花やお線香を捧げる場所があって両脇では裏千家の方々のお茶会やお話会が催されていた。

慰霊碑の前で母と花を添えて手を合わせた。静かな時間が流れた。ふと後ろを振り返ると門の入り口の中央あたりにステージが作られていてコンサートの関係者らしき人が準備をされていた。演奏予定を見ると後30分ほどで始まるらしい。どんな音楽なのだろうと見ていたら見慣れない楽器がいくつか置いてある。丸いHapiという珍しい楽器もあった。側にいた人が楽器のルーツはアメリカらしいと教えてくれた。そしてコンサートの案内に“ テルミン ”と書かれてあって、あれっ!聞いた事があるボキャブラリー、、、、と思った。そこで、そこにいた方に ” テルミンって何ですか? “と尋ねてみたら丁寧に説明してくださった。

テルミンは約100年前ぐらいにロシアで作られた楽器だと。それで思い出した。LAにお仕事で来られていたご夫婦の息子さんがその楽器の研究家で本も書いておられた。そのご夫婦はLAのハイキンググループのキャンプ合宿で同じロッジだったので話すようになってから気が合ってお付き合いが始まった。個性的で私の大好きなご夫婦だ。旦那様は考古学が好きで奥様は明るくひまわりの様な方でケラケラと良く笑う。手先が器用でセラミックもLAでは沢山作られて日本に帰国する前に私も奥様から貴重な焼き物を分けて頂いた。

LAにいらした時、そのご夫婦の方達とあちこち冒険と探検の旅に出かけたものだ。ネイティブインディアンの人達が描いた岩絵も見に行ったしUFOが出没する地域にも出かけた。日本に戻られてからも同じ京王線沿いに住まわれているので時々お会いしていた。ご自宅に呼んでいただいた時に息子さんからテルミンの話を聞いたのが最初だった。

だんだん、その思い出が蘇って来た時、関係者の人に ” 私の知り合いのご夫婦の息子さんがテルミンの研究家で本も書いていらっしゃいます。“ と言うと” その方のお名前は?“ と聞かれたのでその方の名前を言うとびっくりされて、先日もテルミンのコンサートがあってその方と動画を撮りましたとご夫婦の息子さんが映っている動画を見せて頂いた。

早速、そのご夫婦にその事を伝えるメールを書いたらテルミンを演奏されるテルミニストの方からも息子さんにメールが来て私に千鳥ヶ淵の慰霊碑で会ったと連絡が来たそうだ。今年、世界で初めてテルミンの博物館が伊豆に出来たので是非いらしてくださいとメッセージをいただいた。月の第4土曜日はテルミンのコンサートもあるらしい。

そんなわけで母のお陰で千鳥ヶ淵の桜を見に行き、そこでまた素敵な出会いが出来た。このゴールデンウィークが終わったら久しぶりにそのご夫婦とお会いする。

テルミンの不思議な楽器の話はいつかまた、、、、

スパイス研究家 茶子

小春の気ままな生活 第十七話「食生活」

最近、YouTubeを見ていると動画の途中に出てくるコマーシャルにダイエットや運動、食生活に関する物がよく流れます。これは私が食べ物に関する動画を見たり、iPadやiPhoneの側で食や健康に関する事をよく話しているからだと思います。渡米した30数年前からアメリカでは様々なダイエット商法がありました。代表的なものに炭水化物を取らず、肉中心のアトキンズ・ダイエット、その他にリクイッド・ダイエット、グレープフルーツ・ダイエット、キート・ダイエット、ペリオ・ダイエット、グルテンフリー・ダイエットなど。どれも栄養の偏るものばかりでした。昨年頃からでしょうか、人によってタイプがあるので質問に答えてあなたのタイプを出してください。というコマーシャルが増えてきました。ウォーキングの歩数もタイプによって異なるとか、一日7分の室内運動で何キロも痩せるとか。また、セロリジュースが体にいいと言って、大量のセロリをジューサーにかけ飲んでいる人がいたりします。どれも偏っていると思うのは私だけではないと思います。人間は食べ物はしっかり噛んで飲み込むことが大切だと昭和に幼少期だった人は親に言われて育ったのではないかと思います。そもそも、アメリカの合理的な食生活(手抜きご飯)は体に良いとは思えません。ここで、全てを書くのは難しいのですが、テネシー州に引っ越してきて感じるのは、家でご飯を作っている家庭は多いと感じます。家を探していた時、オンラインで家の写真を見ていると、テネシー州のキッチンは見るからに料理をしていることがわかります。調理器具がキッチンに置いてあり、綺麗にしていても使っている形跡があるのです。カリフォルニア州で家を売った時、最初の不動産屋は家に置いてあるもの全て出してください。と言われました。色々あって、別の不動産屋に頼んだのですが、最終的には、ほとんどの荷物を引越屋に預かってもらったのを覚えています。カリフォルニアではモデルハウスの様にしなければ家は売れません。また、娘の殆どの友達は料理ができません。あるお友達は、朝ごはんにシリアル、またはポップターツと言って薄べったいクッキーの塊のような中にジャムやブラウンシュガーが入ったお菓子みたいな食べ物でした。娘が高校生になると、日本の朝ごはんやお弁当が好きになりましたが、小さい頃は学校のお友達が食べているもの(市販のランチャブルやピザなど)が食べたくて仕方ないようでした。私は、5・6年程前からシリアルは買わなくなりました。アメリカのシリアルにはビタミンが足されていて、健康に良いと言われていますが、ビタミン剤もどんなビタミン剤が使われているか分からず、マルチ・ビタミン剤が良くないと聞いてから、シリアルをやめました。それでなくてもお砂糖が沢山使われています。そこで、自分でグラノーラを作っていました。それもアメリカ生まれ・育ちの主人と娘はあっという間に食べてしまいます。グラノーラは健康的と思われていますが、砂糖、メープルシロップと油を大量に使います。結局、グラノーラも作るのをやめました。

さらに、出来合いの食べ物も止めました。例えば、パンは買わずに、家で作ります。市販のパンは次の日もその次の日も柔らかいですよね。ふわふわにする添加物と保存料が使われているので、何日も美味しく食べられます。家で食パンを作る度どれだけバター・牛乳・砂糖が入っているか分かります。毎日は食べられません。また、家で食パンは二日後には硬くなりフレンチトーストやブレッドプディングにしなければ食べられません。その代わり、出来立てのパンはとても美味しいです。最近ではもっぱらフランスパンばかり食べています。フランスパンは、強力粉・イースト・塩・ひとつまみの砂糖だけです。外も硬いので、次の日にはカチンコチンになってしまいます。テネシー州では、皆ビスケット(ケンタッキーフライドチキンについてくるパン)を作ります。リリー・ホワイトというブランドの小麦粉で作るのがテネシー流です。中はふわふわ、外はカリッと焼き上がるそうです。そこで、中がふわふわ?と聞いて、それではマーケットで買ってみようかと思い、リリー・ホワイトの原材料を見てみると、添加物のような読みにくい言葉の材料(thiamin mononitrate, riboflavin, and folic acid)数個記載されていました。調べてみたら、ビタミンB1, B2などで聞こえはいいのですが、以前読めない原材料が記載されている場合は買わない方が良いとニューヨーク大学の栄養学教授が言っていたので購入せずに帰ってきました。私は、ベーキングパウダーもアルミが入っていないものをわざわざ選びます。ここまで書くと、気狂いのように思われそうですが、ベーキングパウダーにアルミが入っていると苦味を和らげてくれるそうです。ただ、アルミは体に良くないそうなので、必ずアルミの入っていない物を購入します。アメリカでの食材選びは至難の業です。先日、冷凍ですが、たらを買いました。良く見なかった為、天然のアメリカ産のたらと書いてあったのですが、家に帰ってからよくよく裏の表示をみると中国で処理されていると記載されていました。買って来てしまったので、早速調理したら、なんと魚の大きさが半分位になってしまいました。水で膨張でもさせていたのでしょうか?豆乳も今では、自分で作ります。普通に買うと遺伝子組み換えの大豆を使っているかもしれません。とうもろこしも殆ど買いません。オーガニックのものだけを買っているわけではありませんが、とうもろこしと大豆はオーガニックのもの(遺伝子組み換えでない)を買います。また、年齢的なこともあり、最近では牛肉は殆ど食べません。聞いたところによると、アメリカの牛はmRNAの予防注射を打たれているそうです。家畜農家さんの中には、この予防注射を売っていませんと宣伝し、オンラインで直接販売をしている農家さんもいます。先日、主人とアーミッシュ・マーケットに行った際に見たレタスが採れたてだったこともあり、とてもきれいで新鮮だった事に驚いていました。私はズッキーニを買いましたが、採れたてのきれいな物でした。日本はまだ新鮮な生鮮食品が手に入るかもしれませんが、アメリカでは大量生産でできた野菜は、土に栄養価が無いため、我々が普段買っている野菜には栄養価が無いと聞きました。生鮮食品はローカルでできている物を食べる事が大切だと思います。フランスはマルシェが地域ごとにあり、ローカルの野菜・果物・肉・野菜・魚・チーズなどが手に入るそうです。フランスパンも次の日はカチカチになるので、買った日に食べるそうです。食の話になると長くなるので、今回はこの辺にしますが、結局の話、添加物を避け、食事を原材料から作って食べるようになったら、アレルギーは改善され、体重も13キロほど痩せました。現代の病気、糖尿病・高血圧・コレステロールなどが問題にされていますが、生活習慣病だというのがとても良く分かりました。病気は食事だけでは無いと思っていますが、今回はここまでとします。私の家族は皆日本ですが、私の年齢になる頃(アラ還)には高血圧・糖尿病の疾患があり、薬を飲んでいました。医者は皆、遺伝だと言いますが、食事を1950年以前に戻し、運動をすれば薬も必要ないのでは無いでしょうか?私が何歳まで薬を飲まないで居られるのでしょうか。

また来週。

小春

ジャズライフ Beegie Adair “The Good Life”

毎週、面白いことが起きるので退屈することがありません。元気よく動けて、ストレスなく活動できていることに感謝しています。今日ご紹介するBeegie Adairのアルバムのタイトル”The Good Life”ってこんなことなのかなあと思いながら聴いています。

01-For Once In My Life
02-Because Of You
03-The Best Is Yet To Come
04-Smile
05-Maybe September
06-The Good Life
07-I Wanna Be Around
08-Young And Foolish
09-Rags To Riches
10-The Pawnbroker
11-Steppin’ Out With My Baby
12-Cold, Cold Heart
13-I Left My Heart In San Francisco

編集後記「腰痛予防」

大阪・関西万博の会場は広大で、長時間歩くことになりそうです。私は日頃から腰の疲れや腰痛を防ぐために、骨盤や股関節の柔軟性を高めるストレッチを取り入れています。特に、お尻の筋肉(大臀筋・中臀筋)が硬くなると骨盤や股関節の動きが悪くなり、それが腰痛の原因となります。この筋肉をしっかりほぐし柔軟にすることで、腰の負担を軽減できます。そこで、私は「半分の鳩のポーズ」というヨガのストレッチをしています。12分ほど行うことで、足の疲れも腰の重さもすっきりと解消されるのが実感できます。万博だけでなく人生を楽しむために、このストレッチを欠かさずやろうと思います。《R.O.》

腰痛が辛い人、実はこのヨガポーズやるとめっちゃ良い!

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