雑貨屋ウィークリー1463号

雑貨屋のひとり言「75%サイズの英語配列キーボード」

スマホやタブレットでほとんどのことができるのですが、画面が小さくて使いにくいのが難点です。大画面ディスプレイで操作できるPCは圧倒的に楽だと思います。
昨年2月に腱鞘炎にならないトラックボール式のマウスに替え、7月には打鍵感がとても良い75%サイズのキーボードGK-75に替えて快適なPC操作を期待していました。ところがこのキーボードが使いにくくて最近まで宝の持ち腐れになっていました。
一例を挙げると、メールアドレスの@マークを出すために『Shift+2』をタイプすると『”』が表示され、同じくアンダーバー『_』をタイプすると『=』が表示されます。これ以外にもスラッシュ『/』やプラス『+』記号なども違う記号になってしまうのです。よく観察すればわかったことなのですが、GK-75のキー配列(英語配列)は、それまで使っていたロジクールのキー配列(日本語配列)と違うということでした。情けない話ですが、うまくタイプできない時のために使い慣れたロジクールのキーボードをPCに接続したまま、GK-75をパラレルに繋いでいたため、自動的にロジクールの日本語配列キーボードに設定されていたのです。これに気が付いていませんでした。日本語はローマ字でタイプできるので英語配列キーボードでも問題なく使えます。注意点が一つあります。英語配列キーボードには変換・無変換キーがないのでALTキーを使ってIMEを切り替える必要があります。やり方は下記URLから参照できます。スペースキーの左側のALTキーでアルファベットに、右側のALTキーでひらかなに変換できます。こんなつまらないことにつまずきながらも、いろいろ調べながら解決できたらうれしいものです。《R.O.》

WindowsのAlt空打ちで日本語入力(IME)を切り替えるツール

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

拙速と言われ悔しい結果論

僕の壁後輩が来てひょいと越え

祝杯を中の一人が苦く飲み

過労死の椅子抜擢の名で座る

捨て石の勇気波紋が渦となり

(ニュースひとりよがり)

「三選出馬へ」

都政ファーストです — 小池都知事

「続投に意欲」

泉が大河になる気らしい — 立憲民主党

「戸郷がノーヒットノーラン」

ノーヒットだけなら私も — 売れない歌手

河合成近

龍翁余話(835)「西郷隆盛残照」

超高齢者になって、1冊の本に、これほど熱中(熱読)したのは珍しい。その本のタイトルは『。381ページに及ぶ長編を2日間で読み上げた。それは翁が最も敬愛する先人の1人「大西郷の生涯」についての内容だから、夢中になったのも無理はない。“残照”とは、陽が沈んでからも雲に照り映えて残っている光のこと。「西郷が1877年に没して(2024年の今年で)147年経つが、今もなお我々日本人の心の中に“西郷星”として照り輝いている。故に『西郷隆盛残照』とのタイトルにした」と著者の有村 興(ありむら こう)氏はプロローグ(巻頭文)に記している。

著者の有村氏について翁は存じ上げなかったが、プロフィールによると1930年旧満州生まれ。終戦後、家族とともに(本籍地)鹿児島に引き揚げ1958年県立鹿児島工業高校建築科卒業、1961年~1965年東京大学生産技術研究所勤務、1967年~1979年日本大学生産工学部講師、1976年2013年(㈱)有村建築設計事務所主宰・・・とあるから、ご本業は建築設計士だろう。さりながら郷土(薩摩)の偉人・西郷隆盛に対する敬愛の情は翁の比ではない、何故なら、翁が西郷関連の書籍類を10数冊読んだのに比べ、有村氏は1989年~2020年の約30年の間、177冊の西郷関連の文献(小説・随筆・評論など)を読破しているそうだから、いかに翁が”西郷ファン“であっても有村氏には到底かなわない。思うに有村氏は建築設計士としての第一線を退いて以来、”西郷研究“(調査・執筆・講演)に邁進されているのではあるまいか。その1つに、このたび出版された『西郷隆盛残照』がある。

この本、実は先日、翁のゴルフ仲間のKさん(K印刷工業株式会社社長)からいただいたもの。著者の有村氏とKさんの会社の某役員とは長年の友人関係で「そのご縁で、K印刷会社に構成や推敲(すいこう)、印刷をお願いした」とエピローグ(終章)に書いている。

そして、(5月中旬に)出来上がって直ぐにKさんは翁にこの本をプレゼントしてくれた。

もしかして(出版に携わった人々を除いて)一般人として最初の読者は翁ではあるまいか。

だとしたら、実に光栄であり喜びである。

Kさんが翁にこの本を(完成直後、真っ先に)プレゼントしてくれた理由を考えた――1877年(明治10年)1月29日から9月24日にかけて、熊本県・大分県・宮崎県・鹿児島県において西郷隆盛を盟主とする西郷軍と明治新政府軍の戦いがあった。これを「西南戦争」(または「西南の役」)と言う。一般的にはこの戦争を「士族による武力反乱」と言っているが作家・池波正太郎氏は氏の著書『西郷隆盛』の文中で「西郷には新政府軍と戦いをする意志はなかった。その証拠に西郷はまるで物見遊山風の軽装備で鹿児島を発った」と書いている。勿論、有村氏も第3章「西南戦争」(西郷の真意)の中で「西郷は反乱を起こそうとは思っていなかったし挙兵は名分がないと考えていた」と記述している。それはともかく、この戦争時の西郷軍には薩摩藩士ばかりでなく他藩の元武士もかけつけた。例えば会津隊約300人、福岡隊約535人、大分県竹田隊約120人、それに大分県中津藩士であった翁の曽祖父も中津隊約150人の1人として西郷軍に加わり、最後、鹿児島の城山にて西郷らとともに非業の死を遂げた・・・それらの話(言い伝え)と“偉人・西郷隆盛像”を幼少時から祖父に(耳タコで)聞かされて育った翁、そのせいか成人して西郷のスローガン『敬天愛人』(道は天地自然の物にして、人はこれを行なうものなれば、天を敬するを目的とす。天は我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心をもって人を愛するなり)と遺訓「天を相手にして己れを尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」を翁の生涯の座右の銘としている――Kさんは、それらのこと(西郷隆盛への強い思い入れ)を知っていて翁にこの本をプレゼントしてくれたと思い、感謝している。

さて『西郷隆盛残照』は第1章「敬天愛人のエッセンス(本質)」、第2章「江戸無血開城」、第3章「西南戦争」・・・第8章「西郷隆盛と篤姫」、第9章「西郷関連書の所蔵文献リストと私の読書徘徊歴」の構成で編纂されている。スペースの関係でその内容を紹介することは出来ないので、今回はサブタイトルの『敬天愛人』(天を敬い、他人を愛する)の精神が随所に貫かれており、それは「西郷隆盛の名言」として後世に語り継がれているものを紹介するにとどめる。数例を挙げると、前述の「天を相手にして己を尽くし、人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬべし」以下、政治家や指導者の心得となるべき遺訓「命も要らぬ名も要らぬ、官位も金も要らぬ、このような人物でなければ国家の大業は成し遂げられない」、「教育文化を盛んにし軍備を充実させ、農業を奨励する」、「上に立つ者は常に身を慎み行ないを正し、傲りや贅沢を戒めること」、「愛国の心、忠孝の心、国民への思いやりが政治の基本なり」、「政府や上層階級は我慢を覚え、下層階級の人々を苦しめてはならぬ」、「節操を貫き、道義を重んじ、心清らかで恥を知る心を持て」、「国が辱めを受けたなら果敢に対峙し道義をもって戦え」、「人(適任者)あってこそ制度や論議が充実する――これらの遺訓を知る時、翁、この書をまずは政界・経済界をはじめ各界のリーダーたちに読んで貰いたいと思うのである。

『西郷隆盛残照』著者・有村 興氏は言う「鹿児島県出身の作家・海音寺潮五郎は著書『史談と史論』の中で“とかく英雄と言う者は常に自信に満ち、野心に燃え、自我旺盛であるが、西郷は終生、最も鋭い良心を持ち続けた不思議な英雄であった”と述べている。確かに幕末・維新期において心からの尊敬と親しみの持てるケタ違いの英雄は、西郷隆盛以外にはいない」――この言葉だけで翁、有村氏と西郷信奉の一致点を見、満足である。まさに『西郷隆盛残照』は西郷研究のバイブルである・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「旬の食材」

ふと見ると昨年の今頃漬けたラッキョウがいつの間にか飴色になって味がまろやかに美味しくなっていた。歯ざわりのシャキシャキ感は1年経過しても変わらない。八百屋さんの店頭には今年も島根のラッキョウが並び始めた。
高知県から元気に育った新生姜も出てきた。今年の夏は市販のものでなく手作りのジンジャエールを作って飲んでみようと早速試しにジンジャエールもどきを作ってみた。新生姜を水洗いした後、薄くスライスして同量のキビ砂糖をまぶしてしばらく置いておくと生姜の水分が出てくる。その汁に本当はカルダモン、クローブ、シナモンを漬けて飲む時にレモンを絞り炭酸で割って飲むといいのだそうだ。今回は美味しそうなエキスが生姜から出ていたのでとりあえずスパイス無でレモンと炭酸と冷たい氷で割って飲んでみたら、それでもなかなか美味しかった。
エキスを絞った後の生姜は甘酢にしたりレモンを刻んだものと和えてお茶受けにして食べてもいいし料理に使う食材にもなる。

この時期、薬味として活躍するミョウガも安く出始めた。やっぱりソーメンにはミョウガが合う。イチジクもこの時期のもの。白瓜も今頃のシーズンのもの。奈良漬けはこの白瓜で作るらしい。塩で漬けて水を出しザラ飴と酒粕に漬けて作るそうだ。作った事は無いけれど、こちらも試しに作りたくなって買ってみた。
最近、改めて添加物について調べ始めた。“ 食品買うならコレがいちばん ” “ 食べてはいけない、たべてもいい添加物 “どちらも渡辺雄二氏の本だ。まだ読み始めたばかりだけれど本の中に“自然界に存在しない化学合成物質は人間の体がそれらを処理する能力を備えていない。その為に血液に乗って体内をグルグル巡り各臓器の細胞やその遺伝子に悪影響を及ぼす可能性が高いと書いてあった。

最近、若いお母さん達がスーパーで食品を選ぶ時にパッケージの食品表示を熱心に読んでいる姿を見かける事が多くなった。
旬の食材を使ってなるべく手作りする事が少しでも危険な添加物を減らす事になる。自分の体に採り入れるものは美味しく安全なものを食べたい。
その為には何を選んでどう食べるか消費者である私達が積極的に情報を得て学んでいく事が生産者にも影響を与える事になるのだろうか、、、、

スパイス研究家 茶子

逃げ場のない国 井出半句

震災余話・序章

今年3月から5月にかけてのシリーズ“Welcome to Los Angeles!”を読んだ方々から、何か他の体験談も投稿してはどうかとのお勧めがあり、雑貨屋店主と相談していたところ、本日2024年5月23日朝のNHKが、私のふる里・福島県川内村の震災後の様子を放映した。原発事故で全村避難を決意した村長の苦悩の足跡を追う内容だった。

この放映のタイミングは、大げさに言えば筆者に対する「神のお告げ」と勝手に解釈して、東日本大震災+原発事故当時の2011年3月~4月に、「震災余話」と題して、援助して頂いた方々にOn-Timeで報告していたドキュメンタリーだったが、今回改めて雑貨屋に掲載させて頂く決心をしました。またお付き合いください。

東日本大震災から13年、そして今年の正月は能登半島地震。またそれ以前29年前の1995年1月には阪神・淡路大震災がありました。で、今騒がれているのは2030年代には「必ず来る」といわれる南海トラフ巨大地震である。それが発生すれば日本の半分が被災すると予測する研究者もいる。被災が二人に一人ということは、被災しない人も大きく影響を受ける。つまり日本には逃げ場はない、ということになります。

 そうかと言って、むやみに恐れおののいて悲観的に暮らしたくはない。備えをして、正しく恐れることしかなかろう。一方そんな考えさえなかった筆者は、23年間働いた米国から帰国して3年目、地震に対してろくな準備もしないでリタイヤ人生を歩み始めたばかりのところに突如として降りかかった大震災。それに加え「想定外」という無責任な言葉が多用された原発事故が追い打ちをかけた。16万人といわれた原発事故避難者の中には筆者の兄家族がおり、地震の後片付けも終わらない我が家に転がり込んで来たのである。我々夫婦には子はいない。二人だけなら多少の事があってもやっていけるだろうと高をくくっていたところに、子供大人合わせて5人が加わり総勢7人の大家族となってしまった。辺りのスーパーの棚はすでに空っぽだった。そんな状況下で始まったドキュメンタリーを、明日は我が身と「想定して」ご一読ください。

ドキュメンタリーと言っても、新聞・TVで報道されたような内容ではありません。いや、報道できないような家族関係のプライベートな機微に関わる話が主体となります。普段なら避けることができる、きわどい人間関係が来る日も来る日もいやおうなしに繰り広げられ、良くも悪くも発展してしまう状況に陥るのです。その場から逃げ出したいが逃げ出せない。私は家内の目を盗んで、一時的な逃げ場を求めたが、すぐ現実に戻らざるを得なかった。ましてや南海トラフ大地震で全国民の半数が被災したら、まさに逃げ場はない。一体どうなるのだろう? 家族関係は百人百様。それぞれの立場で想定しておくことに損はなかろうと思う。

前置きはこのくらいにして、3・11当日の様子から入ろう。

原稿は、全て当時書き残したものに基づいています。もとはと言えば、物資支援や声援を受けた友人・知人に御礼と実情を報告するメールが主体です。(読み直して、てにおは、誤解を招く表現などは修正しました)

当初、地震と津波の被害が報じられた直後から友人・知人たちから安否確認のメールが入った。電話・スマホは過密通信や中継基地の損傷で繋がらなかった。スマホのバッテリーも直ぐなくなった。ハイブリット車からスマホにチャージするコネクターも持っていなかった。これも油断のひとつ。(注:震災後は、マンションの管理組合がカートリッジ式ガスボンベで動く発電機を購入してバッテリーチャージが出来るようになったが、それは1年後だった)

震源地から400km離れた茨城県ひたちなか市の停電は三日間続いた。断水は10日間だった。安否確認メールで多かった質問は;

①    地震直後の様子
②    持ち出したものは?
③    ろうそく生活で何を話した?
④    水の問題はどうした?

質問に沿って、この順で書こう。

しかし、電気が通じる三日間というものは、市内の様子も震災全体の規模や被害状況は全くと言ってよいほど知るすべがなかった。カーラジオの「東北沿岸でかなりの津波被害があった模様」との報道が唯一の情報だった。

まして、その翌日から次々と起こる原発爆発事故など知る由もなかった。

(震度分布、震源地、福島原発、我が家のあるひたちなか市の位置関係を添付します)

逃げ場のない国・震災余話シリーズ 第一話につづく

ジャズライフ Andrea Pozza Trio “Blue Toy”  

Andrea Pozzaは私の好きなアーティストの一人です。TSUTAYAで見つけたアルバム”Sweet Lorraine”を聴いてファンになりました。Amazon Musicでは数枚あるので嬉しくなります。今週紹介する”Blue Toy”はジャズのスタンダード曲がズラッと並んだアルバムです。軽快なピアノは気持ちよく聴けます。《R.O.》

1-Blue Toy
2-Night Flower
3-I Was Doing All Right
4-You Can Say That Again
5-If This Isn’t Love
6-By Herself (Mila In Silence)
7-Close To The Rainbow
8-Isn’t This A Lovely Day
9-Non Stop Riders
10-I Don’t Know Why
11-Isfahan
12-Who Cares
13-Peggy’s Blue Skylight

編集後記「井出さん再登場」

先々週で井出さんの特別投稿「Welcome to Los Angeles!」が終わり、さみしくなるなあと思っていました。読者から井出さんに他にも体験談があるのではないかという問い合わせがあったようで、雑貨屋に相談がありました。もちろん雑貨屋は貴重な体験談は大歓迎ですので、新しいシリーズとして雑貨屋に投稿いただくことになりました。井出さん、ありがとうございます。よろしくお願いします。《R.O.》

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