雑貨屋ウィークリー1509号

雑貨屋のひとり言「桜とツツジ」

先週の日曜日、絶好の花見日和だったので西宮市の夙川までさくらを観に行きました。JRさくら夙川駅を出た時から人の波ができていました。JRさくら夙川駅から阪急の苦楽園まで桜の花が咲く川沿いに歩きました。この時を待ち侘びた人たちが、幸せな時間を共有しているいつもの風景でした。やはり日本は桜が似合います。満開の桜の木が並んでいるのですが、25年前に初めて見たときと比べると、桜の密集度が変わってきたように感じました。ところどころ木を切った切り株があったのでそのせいではないかと思いました。せっかく苦楽園まで来たので、あらかじめ調べてあったツツジで有名な廣田神社まで足を伸ばしました。廣田神社は苦楽園駅から閑静な住宅街を約20分歩いたところにあります。阪神タイガースが結成当時(1936年)から、毎年シーズン開幕前に廣田神社で必勝祈願を行っていることでも知られています。小ぶりで色鮮やかなコバノミツバツツジの花が広大な敷地(約20000㎡)にいっぱい咲いていて圧巻でした。当日はツツジ祭りが開催されていて参拝客、見物客で賑やかでした。ずっと歩いて回ったので足が少し疲れましたが、桜とツツジを満喫して幸せな気持ちにさせてもらった一日になりました。《R.O.》

川柳(東京・成近)

 ( 川 柳 )

マンションに路地人情が整地され

カルチャーブームに おかめも ひょっとこも

シルバーシート横目に意地が立っている

マネーゲーム庶民の億と違う億

ケアハウス紆余曲折がたどり着き

(ニュースひとりよがり)

「呆れそして怒り」

まだ戦争をやっている ー 太陽の塔

「下がったぁ上がったぁ」

今度は株価か ― 気温

「末広涼子逮捕」

現実はドラマより奇なり ― テレビニュース   

河合成近

龍翁余話(880)「45年前、ロスアンゼルスでの思い出」

歳を重ねるごとに“昔”を懐かしむ、と同時に、この“先”を考えて「そろそろ断捨離をしなければ」と、少しずつその作業に入っている。“断捨離”とは(ご承知の通り)“断”(新しいものを欲しがらない)・“捨”(不要な物は思い切って捨てる)・“離”(物への執着から離れる)の意味。翁のような超高齢者になると“断”は関係なくなるが、“捨離”にはかなりの勇気を必要とする。身の回りの小さな物でも”我が人生の足跡=大きな思い出“が詰め込まれているからだ。

翁は若い頃から、国内外の取材・撮影スケジュール・撮影場所・お会いした人・特記すべき事柄、などをメモった「取材ノート」を残すのが習慣だった。長い間の映像製作歴の中でノートは数百冊、お世話になった人の名刺は千枚を超える。それらは仕事部屋の一角に置かれたロッカーの中に(長い間)保管されていたが、先日、「取材ノート」や「名刺入れケース」などを“捨離”しようと整理していたら、アッと驚く“懐かしき思い出”の「メモ」や「名刺」が出て来て翁を感激させた――それは45年前の米国・ロスアンゼルスでの白井 昇と言う人との“出会い記録”である。

これと言う確たる目的もなく、単にテレビ・ドキュメンタリー番組のテーマになりそうなネタは見つからないだろうか、と、いわゆる「ネタ探しぶらり旅」(ロスアンゼルス・サンフランシスコ・ダラス・ニューオーリンズ・アトランタ・ニューヨーク・ワシントンDCのアメリカ横断の旅)を試みたのが今から45年前の1980年の夏だった。「ぶらり旅」最初の都市ロスアンゼルスで、現地の友人(翁と同業の日系人)に紹介されたのが「朝日ホームキャスト放送」(abc朝日放送の番組などをアメリカ各地にある日本語放送局へ配給する会社)社長の白井 昇氏、70歳代の上品な紳士であった。白井氏は1907年(明治40年)広島生まれ。広島師範学校卒業後、奈良県立郡山中学(現郡山高校)の教師を経て1934年(昭和9年)に渡米、米国の数校の大学で学び、ロスアンゼルスで某通信社へ就職、結婚して平和な暮らしをしていた最中、1941年12月7日(日本時間12月8日)に始まった大東亜戦争(太平洋戦争)で、それまで米国において人種差別を受けながらも何とか平穏に暮らしていた日本人社会が急変。多くの日本人が「ツールレイク日本人強制収容所」に収監され、1942年5月、白井夫妻も連れて行かれた。それから終戦(1945年8月)の年末までの3年半に亘る“強制収容所の暮らし”について白井氏は『カリフォルニア日系人強制収容所』(1981年・河出書房)の中で真実を記しているが、翁が白井氏にお会いしたのは、その執筆の「あとがき」を書いている途中だった(と聞かされた)。さて、翁が白井氏から“アッと驚く”話を聞かされたのは、同社の近くのレストランでのランチの時だった――

白井氏のお話の中に「高野寅市」と言う名が出て来た。この人は何と世界の喜劇王チャップリンの運転手兼秘書を務めた人。戦時中(収容所こそ違え)高野氏もスパイ容疑でモンタナ州フォート・ミズーラの収容所に収監された。確か、高野氏とは戦後の「日系人強制収容の賠償請求運動」で交流があったように聞いたが、それはさておき、白井氏は高野氏からチャップリンの人柄・日本好き、チャップリン独自の映画理論などを教えて貰ったそうだ。翁、その話に大いに関心を寄せた。偶然だが高野氏(1885年生まれ)も白井氏と同じ広島県の出身。1900年15歳で渡米(留学)、1916年にチャップリンに運転手として雇われ、信頼を得て1921年に秘書に。白井氏は、高野氏の影響で急にチャップリン・ファンになり、それからというものチャップリンの『サーカス』『モダン・タイムス』『独裁者』『殺人狂時代』『ライムライト』『ニューヨークの王様』などをハシゴしたそうだ。その白井氏「私が観たチャップリン映画のほとんどを撮影した場所が、実は、ここLA(ロス)にあります。ご案内しましょう」と誘ってくれた。案内された場所はハリウッドのノースラブレアアベニューとサンセットブルバードの南側。看板には『A&Mスタジオ』とある。「おや?このレコード会社の名は、翁は知っている。 兄のリチャードと妹のカレンによる兄妹デュオ(二重奏)の“カーペンターズ”の『遥かなる影』『雨の日と月曜日は』『スーパースター』『イエスタデイ・ワンス・モア』『トップ・オブ・ザ・ワールド』『青春の輝き』などの名曲は、このスタジオでレコーディングされたんだ」――翁はまるで“カーペンターズ”に出会ったような感動を覚えた。

白井氏は翁を『A&Mスタジオ』の敷地内にある『チャップリン・スタジオ(博物館)』に案内してくれた。白井氏の説明「1917年、チャップリンはこの場所に映画スタジオを建てた。チャップリンの代表作のほとんどがこのスタジオで製作された。1953年、チャップリンは米国を追われるような事態に追い込まれ、米国を去るに際しこのスタジオをレコード会社『A&Mスタジオ』に売却・・・」以下、白井氏の(高野寅市氏が絡む)“チャップリンの人間像”の話は続くが、『チャップリン・スタジオ』内部の説明と併せ(今回は)スペースの関係で省略させていただく――が、実は翁、白井氏のおかげで後年、『A&Mスタジオ』を更に2回も訪問することになる。2回目は1984年、翁が総合監督を務めたテレビ東京『5夜連続スペシャル“菅原やすのり・アメリカふれあい旅”』で(前年の1983年に妹カレンの死で音楽活動を休止していた)“カーペンターズ”の兄リチャードに(菅原やすのりのインタビューで)「最愛の妹カレン」を語って貰う目的で『A&Mスタジオ』を訪問、インタビューだけでなく(翁のいきなりの要望で)“リチャード×菅原のデュオ”が実現、確か『イエスタデイ・ワンス・モア』だったと記憶するが、終始笑顔で翁の要望に応じてくれたリチャードの人柄に翁はかなり魅了させられた。それから更に数年後、翁は3回目の訪問。その時は全くのプライベートで『A&Mスタジオ』の正面玄関を入った直ぐの場所にある“チャップリンのドタ靴の足跡”(コンクリート)の上を歩いただけだった。『45年前の思い出』――とっくに故人となられた白井氏と、今も音楽活動を続けている(と聞く)リチャードに改めて感謝する“捨離の日”であった・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「パームスプリング ③」

波動の話と言えば、とてもユニークな人がLAにいた。その方は米国で活躍する特許弁護士でエジソンのコレクターでもあった。知的探究心が強くいつもいろいろな事を調べ勉強し思索されていた。ある時、その方のオフィスで数人集まってエジソンへの想いをその方から聞く事になって彼のオフィスを訪れた事があった。その方のオフィスで彼は、エジソンの事を熱く語りエジソンが発明したトースターで食パンを焼いてコーヒーを出してくださった。最後に部屋を暗くしてエジソンが世界中探し続け最後に辿り着いた京都の竹で作ったライトが灯された瞬間は感動した。暗闇の中でポッと灯された光は何とも温かく柔らかな灯だった。その存在感に圧倒され私達はしばらく無言でその光を見つめた。幻想的な雰囲気の光の中でまるで時間が止まっていたようだった。それからその方は私が企画したムーンライトハイキングにも忙しい中、参加してくださった。日本の大学で定期的にエジソンについて講義をするようになった頃、私が日本に一時帰国したタイミングで学生さんの中に混じって講義を受けさせて頂いた事もあった。

その講義が終わってからカフェでその方から興味深い話を聞いた。その方は数年前に末期癌になられて米国、日本とあらゆる医者に行って診察してもらったところ、どの医者も手術が出来ない末期癌だと告げられ失意のどん底にいた。その時、自分の顧客の中に健康器具を売っている会社があった事を思い出して連絡したのだそうだ。

その中に公でその器具の効能は言えないけれど不思議な健康器具マシーンがあったそうだ。そのマシーンはラジオの周波数を合わせるような感じで自分の痛い所や病気の症状に合わせてトーンを変えチューニングして音波だか波動だかを問題のある自分の体に当てるのだそうだ。ともかく藁をも掴む気持ちでその方はそのマシーンで治療した結果、驚く事に数ヶ月後にその癌が消えてしまったのだとか、、、、

世の中には今の科学や医学では説明がつかない不思議な事がたくさんある。私にはその方が冗談で私にその話をしたとは、到底思えない。何がどう効いたか説明がつかないし、良くわからないけれど癌が消えてしまった事は事実だからだ。それからしばらくして北海道のジャーナリストの方が書かれた文章の中にその方が試した健康器具を販売されている会社の名前が出てきた。その方も健康に関して医療の闇にメスを入れられて現在の医学や治療に疑問を投げかけておられた方だった。

話が飛んでしまったけれど、特許弁護士の人が尊敬していたエジソンと真逆の立場にニコラ・テスラという人物がいた。ニコラ・テスラはエジソンにその才能を認められエジソンの助手として働くも考え方の相違や価値観の違いによってエジソンとは袂を分けて独立していった。そしてニコラ・テスラが引きこもって研究、実研していた場所が今回私達が訪れたノースパームスプリングの白いドームなのだ。ニコラ・テスラはフリーエネルギーを研究していたらしい。銅線など無くても電気は送れるのだと主張していてその実研を見事に成功させた後、FBIが来て彼と彼の研究していたレポートや実研装置を持ち去ってしまったのだとか、、
それ以降、ニコラ・テスラの行方は不明のままだとか、、、、

米国では特許、発明に関して、先ず審査、精査する権限を持っているのは軍関係の組織だそうだ。その発明が世の中に出た場合の経済的影響、国家の安全性、誰が得して誰が困るのか、、、そして世の中に出してもらいたく無いものは潰され闇に葬られるのだとか、、、
ただ誰がどんな価値基準でどうやって判断し、その特許を認めるか没にするか決めるのだろう。軍を統括する、その上の権力を誰が持っているのか詳しい事はわからない。時代が経過しその白いドームの所有者も何代か代わり中の様子も当時とは違っているらしいけれど外観は修復を重ねながらも当時の頃と同じらしい。

今はサウンドバスとして沢山の人が訪れるようになった場所だけれどニコラ・テスラに興味を持って来る人はどのくらいいるのだろう、、、、
少しでも彼のスピリットに触れたくて訪れた白いドーム、インテグレーション(Integration) 。ニコラ・テスラが信じ伝えたかった事に光が当てられる時はいつやって来るのだろうか、、、、

スパイス研究家 茶子

小春の気ままな生活 第十六話「ハイウェイ411ヤードセール」

アメリカでは昔からヤードセールをあちらこちらで見ることがよくありました。カリフォルニアに住んでいた時は、我が家では2度ほどヤードセールをしたことがあります。ヤードセールは、各家が家の前の庭に不要になった服・家具・電気製品・キッチン用品・自電車など何でも置いて、二束三文で売りお金にするというイベントです。ヤードセールやガラージセールと言われて、各自治体でルールなどは異なりますが、私が住んでいたロングビーチでは、個人の家でのガラージセールは年に2回でき、一回のガラージセールにつき17ドルを支払わなければいけないルールでした。カリフォルニア州からテネシー州に引っ越すため、我が家は断捨離をしなけれればいけなく、ただ捨てるにもお金がかかるので、出来るだけガラージセールでお金にしたかったのです。ラッキーな事に「近くでガラージセールをしているのであなた達の物を持って来て売って良いわよ。」と声をかけてくれた方がいて、車に乗せられるだけ持っていって、一日売った事がありました。今回は大した額になりませんでしたが、30年近く前は、ソファや、アンティークの鉄鍋など沢山売った時は600ドルにもなったのを覚えています。

自分の話はさておき、テネシー州に引っ越してきた6っヶ月前にご近所さんから、411のヤードセールの事を教えていただきました。ハイウェイの411は南北に走っている道で、どこからどこまで走っているのかよくわからないのですが、南はジョージア州、北はセイモアという町まで年二回ヤードセールをしているそうなのです。そのヤードセールがまた今月末にやってきます。何がビックリしたかというと、値段が安いのです。我が家が前回買ったものは、傘立て、壁にかける時計、歯磨き粉絞り、大型郵便受け(日本で好まれる?言わ有るアメリカの細長い黒い郵便受け)など。傘立てや歯磨き粉絞りなどは1ドル、郵便受けは10ドルでした。時計も1ドルだったような気がします。ル・クルーセのグリルパンは10ドルで売っていましたが、必要ではなかったので買いませんでしたが、今月また見かけたら購入するかもしれません。

今週はトランプ政権の関税対策の話で持ちきりですが、関税以外のトランプ政権の活動はオールドメディアは追いついてないのか、報道しないのかよくわかりません。また、気になる世界情勢はいくつかあります。韓国とフランスの裁判官の左傾化による政治介入が問題だと思います。トランプもこれまで数え切れないほどの裁判を起こされ、戦ってきましたが、残念な事に韓国のリーダーとフランスの将来のリーダーは民意に反して打ち破られました。世界各国で同じ動きがあるのは各国の民意ではなく、グローバリズムの動きがあるからではないでしょうか。各国のリーダーがどんな思想を持って国を守ってくれるかどうかで、その国の発展は変わっていくでしょう。会社も同じで、各会社の社長やCEOがどんな思想を持って会社を営んでいるかで、社員の意識も変わりますし、顧客の評価も違います。私はトランプさんが大統領になってくれて本当に感謝をしています。バイデン政権の四年間でアメリカがどれだけ壊された事か。(オバマ政権でも大分ダメージはありましたが)私は、右も左も関係なく、国が繁栄し国民が幸せでいる事が最も大切なことだと思います。まさしくトランプ政権が目指しているものなのではないかと思います。コモンセンス(常識)とArt of Dealを貫いているトランプさん。昔からブレていません。日本には、沢山素晴らしい技術や思想があります。日本人一人一人が誇りを持ち、謙虚に、コモンセンスとArt of Dealを実行することが日本の存続に繋がるのではないでしょうか。

それではまた来週。

小春

ジャズライフ “Bossa Nova Romance”

今週は春らしい感じのバサノバを集めたアルバムを紹介します。ビージーアデール、Jack Jezzroなどのアーティストが演奏する曲はどれも素晴らしく、ゆったり聴けるアルバムです。《R.O.》

01-Wave (feat. Jack Jezzro) ビージー・アデール、Jack Jezzro
02-Corcovado (Return To Ipanema Album Version)Lori Mechem
03-Blue Bossa (feat. レイフ・シャイア) [feat. Leif Shires] Jack Jezzro
04-Once I Loved (O Amor En Paz) [feat. Denis Solee] Jack Jezzro
05-The Girl from Ipanema ビージー・アデール
06-Miranda  Jack Jezzro
07-How Insensitive (feat. Denis Solee) [feat. Denis Solee]Lori Mechem
08-Paqueta, Isle of Love  Jack Jezzro
09-Senza Fine  The Jeff Steinberg Jazz Ensemble
10-Moonlight in Brazil  Jack Jezzro
11-Dindi  Lori Mechem
12-And I Love Her  Jack Jezzro
13-Nature Boy (What A Wonderful World Album Version) レイフ・シャイア
14-You and the Night and the Music (feat. Jack Jezzro) [feat. Jack Jezzro] Lori Mechem 

編集後記「落雷」

カミナリは怖いですね。1967年、長野県松本深志高校の教員、生徒(46名)が日本アルプスの西穂高岳を登山中に、落雷に遭い、11名の生徒が命を落とし13名の重軽症者を出すという悲劇が起こりました。1970年代私が日本アルプスで登山をしていた頃、この悲劇の話を聞いて注意しなければと思ったものです。カミナリは高い山で起きるものだと思っていたのですが、ニューユークに住むハム仲間の方に自分の家の前の私道に落雷したときの経験談を聞いたことがあります。家の中にいて、目の前に閃光が走り、フラッシュを浴びたような光に包まれ、その直後、無線機や他の電気機器から煙がでて壊れたという怖い経験をしたと言われていました。10数メートルの高さのあるアンテナには落ちなかったそうで、カミナリは必ず高いところに落ちるとは限らず、電位が低いところに落ちるということでした。先日、奈良市の学校のグランドに落雷し6名が緊急搬送されるという事故が起きましたが、まさにこの状態を指しています。登山、ゴルフ、野球、サッカーなどアウトドアで行動する時は、落雷予報などに注意したいものです。《R.O.》

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