雑貨屋のひとり言
猛暑が続いていた三ヶ月前には、「今年も涼しい日は来るのだろうか」と思っていました。ところが今は、あの時の暑さが嘘のような厳しい寒さです。
日本は四季があって季節ごとの変化を楽しめるのが魅力ですが、近年の極端な気候は私たちを疲れさせます。暑すぎても寒すぎても、冷暖房などにどうしてもコストがかかります。
さらに雪の多い地域では、冬眠しない熊が人の暮らしを脅かすこともあり、寒さと不安という二重の苦しみに直面する方々を気の毒に思います。《R.O.》
川柳(東京・成近)
( 川 柳 )
震度6母屋の梁は動じない
震度6地震保険が腰抜かし
六畳の一間っからの立志伝
六法の裏を跋扈の黒い金
振り出しへ人生双六また戻り
(ニュースひとりよがり)
「リストラ」
定員削減と言ってほしい — 不況会社
「住宅ローン減税延長」
住宅ローン減、税延長じゃないよね — 心配性
「流行語大賞」
働いて働いて…ー 昭和
エッホエッホ — 令和
河合成近
龍翁余話(911)「おばあちゃんの原宿」
江戸時代の初期、江戸(東京)日本橋を起点として延びる陸上の幹線道路「五街道」が出来た。1601年(慶長6年)に徳川家康が全国支配のために江戸と各地を結ぶための主要道路を整備し始め、2代将軍・秀忠の代にその基幹街道が完成した。これを「五街道」と言う。いずれも江戸の日本橋を出発点とする「五街道」とは「東海道」(京都府三条大橋まで)・「中山道」(滋賀県草津まで)・「甲州街道」(長野県下諏訪まで)・「奥州街道」(福島県白河まで)・「日光街道」(栃木県日光まで)の5つの街道――このたび翁が散策した「巣鴨」は「中山道」(1716年、享保元年までは「中仙道」と記されていた)の最初の休憩所として賑わったそうだ。
ここ「巣鴨地蔵通り商店街」は1975年代(昭和50年代)から『おばあちゃんの原宿』という愛称で親しまれている。今月(師走)の初め、翁の弟分・N君(映像演出家)の誘いで『おばあちゃんの原宿』へ行った。行ってみれば、なるほどここは「おばあちゃん」だけでなく「おじいちゃん」も憩える“老人銀座”とも言うべき“老人メッカ”。N君、超後期高齢者の翁に相応しい場所ということで誘ってくれたのだろうか。約780mの地蔵通りにスイーツやファッション、雑貨屋、飲食店、お土産屋など200を超える店が軒を連ね、けっして“おばあちゃん”や“おじいちゃん”ばかりでなく若者や外国人観光客も多く、本場の原宿に負けないほどの賑わいを見せていた――

ところで東京には今も唯一の都電が走っている。荒川区の三ノ輪停留所から新宿区の早稲田停留所までを結ぶ12,2キロの「荒川線」がそれだ。前身は1911年(明治44年)の短区間(7駅)だったが、現在の路線(30駅)になったのは1930年(昭和5年)とのこと。N君と翁は(この都電の)庚申塚(こうしんづか)駅で待ち合わせていた。出会った時、N君は少し足の不自由な(80歳代の)母親を伴っていた。勿論、翁はN君の母親とは旧知の仲、久しぶりの再会だった。3人は庚申塚駅のすぐ傍にある「巣鴨庚申堂猿田彦大神」(道案内の神様、道祖神)に参拝して「巣鴨地蔵通り商店街」に入る。その日は“縁日”だったかどうか確かめなかったが狭い道路のあちこちに焼きそば・タコ焼き・古着屋・古本屋などの屋台が建ち並び、外国人を含む老若男女がそれらの屋台にたむろしていた。
レトロな雰囲気がいっぱいの地蔵通り商店街のJR巣鴨駅寄りに『高岩寺』(こうがんじ)と言う曹洞宗のお寺がある。本尊は地蔵菩薩(延命地蔵)である。地蔵菩薩とは釈尊(お釈迦様)が入滅(死)してから弥勒菩薩(みろくぼさつ=お釈迦様の次に現れる未来仏)が成仏(じょうぶつ=仏になる)までの無仏時代「衆生(しゅじょう=すべての生きとし生きるもの)を救済せよ」と、お釈迦様から委ねられた菩薩(修行僧)のことだそうだ。
“地蔵信仰”は、平安末期から中世にかけて民間でも普及されるようになったと言われる。現在、何々地蔵と呼ばれる名称は100以上にも及び、その信仰内容は極めて多様で、例えば、とげぬき地蔵、いぼ取り地蔵、夜泣き地蔵、子育て地蔵、子安地蔵、乳貰い地蔵、親子地蔵、腹帯地蔵、雨降地蔵、雨止み地蔵、お初地蔵、延命地蔵、眼疾(がんしつ)地蔵、ほかに田植地蔵、しばられ地蔵、横向き地蔵、猫地蔵、英霊地蔵など変わった地蔵尊もあると言う。
ちょうどお昼頃、翁たちは山門をくぐり本堂に参拝して“とげぬき地蔵”を目指す。“とげぬき地蔵”とは、病気の治癒や延命にご利益があるとされ、特に“とげを抜く”、つまり、痛みを取り除く、病気を治す地蔵菩薩として信仰されている。お寺の由緒書きには「毛利家の女中が誤って針を飲み込んだ際、素早く(高岩寺の)地蔵菩薩の御影(みかげ)を飲み込んだところ、針が御影と一緒に出て来た、その逸話から“とげぬき地蔵”と呼ばれるようになった、以来、人間が患っている個所を治すため、また延命のため高岩寺の“とげぬき地蔵”を信仰するようになった」と書かれている。
昼時だったせいか“とげぬき地蔵”に参拝する(水をかけて布で拭き取り礼拝する)善男善女が数10人も列をつくって順番待ちをしている。N君の母親は足が悪いので、とても立ち通しでは順番待ちは出来ない。そこでN君と翁、写真を撮るふりをして“お地蔵様”に近づき(水かけは出来なかったが)参拝した(実際に写真も撮った)。翁は自分の健康を、N君は(多分)母親の足の病が治るように、と祈願したことだろう。翁、遠くのベンチに座って両手を合わせているN君の母親の姿を見て「元気でいてね」と祈った。
「巣鴨地蔵通り商店街」の近くには幾つかの歴史的・文化的に価値のある場所がある。例えば江戸六地蔵尊の4番目の地蔵菩薩が鎮座する「真性寺(しんしょうじ)」、第15代将軍「徳川慶喜の屋敷跡」、芥川龍之介(小説家)・芥川也寸志(芥川龍之介の三男、音楽家)・菊島隆三(脚本家)らが眠る「慈眼寺(じげんじ)」、など・・・歴史好きな翁、次回は是非ともこれらの名所旧跡巡りを試みたい。では結びに「地蔵菩薩御詠歌(慈念)」(3番)を――【この世の今日の苦しみも 我が身の明日の悲しみも 菩薩の誓い(信ずる心)深ければ 頼む心に陰はなし】・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。
茶子のスパイス研究「東京観光 再び東京中心地編」
この日は再び東京の中心地へ出かけました。初めて訪れる外国人が行きたい人気スポットが渋谷のスクランブル交差点と浅草の雷門の周辺。いつも日常、東京の混雑を体験しているのでうんざりだなぁと思っていたのですがリクエストがあったのでお連れする事にしました。
渋谷は、ハロウィンが終わって警戒の為に覆われていたハチ公の囲いも取り除かれていてハチ公と記念撮影をする観光客がいつものようにたくさん並んでいました。
その前に広がるスクランブル交差点を2階のビルから眺めた後、今度はこのスクランブル交差点を歩いてみたいと言う事で二手に分かれX の文字のように斜めにクロスして歩いてもらいました。私達が普段見ている景色が外国の人から見ると珍しく感動するものなのだなと感心します。
その後、渋谷の雑踏を離れ浅草に電車で移動しました。久しぶりに訪れた浅草は芋を洗うようなごった返しで渋谷より人が多く殆どが外国人の観光客で賑わっていました。

ともかく人混みの中をはぐれないように仲店を歩き周辺を見てそこから今度はキッチン道具専門店がたくさんあるカッパ橋まで歩く事15分。ここは浅草ほど混雑はありませんでしたが世界からキッチン道具を求めてここにやってきている人達の姿が見られました。既に其々目的の商品の情報を調べているので店の方も専門知識や英語での応対も求められます。今回LAから来た友人達も既に買いたいもののリストを持っていました。そして購入過程でいろいろ質問をしていました。木工をやっている人もいたのでナイフや手作りの商品には興味を持っていたようです。
それからおばあちゃん達の原宿と言われる巣鴨地蔵のある商店街も訪れました。本当は若者の街、原宿も訪れてその対照的な街の雰囲気を見てもらおうとも思っていたのですが、、、
そしてこの巣鴨の商店街を抜けると路面電車があるのでその電車に乗って舎人ライナーに乗り換え秋を感じる静かな公園を訪れたりもしました。そして、あっという間に1日が終わりました。
次回は再び東京の郊外高尾山近くの八王子を訪れたご報告です。
スパイス研究家 茶子
小春の気ままな生活 第四十八話「師走のテネシー」
今年もとうとう師走になってしまいました。テネシー東部の日の出は7時30分で朝はとても暗いです。曇り気味の時は、すぐそばにあるアパラチア山脈の山も霧の中で見えなくなります。気温も下がり、アーミッシュ・マーケットも来年の四月まで閉まってしまいました。買える野菜は先週買っておきましたが、すでに来年にマーケットが開くのが待ち遠しいです。
アメリカの師走といえば、クリスマス一色になります。近年、アメリカでは組み立て式のクリスマスツリーが主流になり、年々生のクリスマスツリーが高く、販売する場所も少なくなっています。ロサンゼルスではホームセンターや近所に幾つか販売しているところがあったのですが、テネシーの田舎では誰に聞いてもどこで売られているか分からない程でした。テネシーに引っ越してきた昨年は、探し回ってやっと見つかったトラクター・サプライ(農業用品や家畜の餌などが売っている店)で購入しました。割引があったからよかったものの、通常料金は2メートルの木で60ドル(9千円)になります。30年前までは20ドルだったので、40ドルくらいならまだお買い得ですが、60ドルを毎年払うのは少し痛い気がします。私は、昨年近所のスーパーマーケットで20ドル引きの広告を見ていたので、今年はその広告が出たらすぐに行こうと主人に伝えていました。60ドルのクリスマスツリーが40ドルになるのなら、割引の週を逃す手はありません。そうして、40ドルのクリスマスツリーを手に入れる事が出来ました。いつもは、娘が飾り付けをしてくれるのですが、今年はロサンゼルスに仕事に行っているので、私が飾り付けをしなければいけません。クリスマスツリーと言えば、ロサンゼルスにいた時は、ダグラス・ファー、ノーブル・ファー、グランド・ファーが主流でしたが、テネシーではフレイジャー・ファーが主流で、その他ボルサム・ファー、スコッチ・パインなど種類は全く違うクリスマスツリーです。また、この時期はご近所さんからクリスマスのクッキーやらパンなど色々いただきます。今年はすでにポイントセチアをいただきました。何かを送らなければいけないと言うことはないのですが、気持ち的に何か贈り物をする人たちが多い様です。
今週末は、クリスマスカード・ギフトの選択や買い物などの計画で大忙しです。
それではまた来週。
小春
ジャズライフ Al Haig Trio “Jazz Will-O”-The Wisp”
先週に引き続き1950 年代にリリースされたアルバムを紹介します。Al Haigの「Jazz Will-O’-The Wisp」は、1954年録音・57年頃リリースのピアノトリオ作品で、ビバップ期のヘイグの端正でリリカルなピアノをじっくり味わえるアルバムです。《R.O.》
1-Autumn in New York
2-Isn’t It Romantic
3-They Can’t Take That Away from Me
4-Royal Garden
5-Don’t Blame Me
6-Moonlight in Vermont
7-If I Should Lose You
8-April in Paris
9-All God’s Chillun Got Rhythm
10-Body and Soul
11-Gone with the Wind
12-My Old Flame
13-On the Alamo

編集後記「お酒との付き合い方」
皆さんはお酒とどのように付き合っておられるでしょうか。お酒は、うまく付き合えば気分をほぐしてくれる頼もしい相棒です。一人で晩酌として飲むこともあるでしょうし、仲間や家族と楽しく飲むこともあると思います。ところがお酒はおいしいので、ついつい飲み過ぎてしまうことがあります。気をつけなければならないのは、飲み過ぎて失敗したり、健康面であとからツケを払うことになる点です。
自分自身も、若い頃は調子に乗ってたくさん飲み、失敗したことが何度もあります。笑い話で済むような失敗ならまだしも、人に迷惑をかけたり、人生を台無しにするようなことは絶対にしてはいけません。お酒の怖さを知ってからは、「楽しく飲むけれど、引き際は見極める」ことを意識するようになりました。
世の中には、お酒を上手にコントロールして「ここまで」と自然にブレーキをかけられる人もいれば、つい飲み過ぎて「お酒に飲まれてしまう」人もいます。この違いは、ストレスとの向き合い方や、若い頃からの飲み方のクセに加え、体質や遺伝的な要素まで、さまざまな要因が絡み合って生じると考えられています。意志の強さだけで片づけられる問題ではないところが、お酒との付き合いの難しさでもあります。
自分は糖尿病になりたくないので、お酒との距離感を保ちながら楽しむことを心がけています。具体的には、アルコール量の上限を一日およそ20グラムと決めて飲むようにしています。少し窮屈に聞こえるかもしれませんが、習慣になってしまえばそれほど難しいことではありません。たまにこのラインを超える日もありますが、あくまで「目安」として意識し、翌日の量や飲む頻度で調整するようにしています。
もう一つ大事だと感じているのは、気分転換の手段をお酒一択にしないことです。サラリーマン時代は、仕事のストレスをお酒で発散しがちでしたが、今振り返ると体に言い訳できない、少しネガティブなストレス解消法だったと思います。趣味や運動など、別のリラックス手段を持っておくと、「嫌なこと=とりあえず飲む」というパターンから離れやすくなります。
趣味がある方は、その時間を大切にすることで、お酒だけに頼らない生活リズムを作ることができるはずです。自分の場合は、ジャズをオーディオでじっくり聴いたり、雑貨屋さんの記事ネタを考えたり、最近では卓球についていろいろ調べたりすることが、良い気分転換になっています。お酒も人生のスパイスの一つとして楽しみつつ、自分なりの「ちょうどいい距離感」をこれからも探っていきたいと思います。《R.O.》



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