雑貨屋ウィークリー1488号

雑貨屋のひとり言「突如現れた不気味な建物」

ある日、ベランダから見える景色に違和感を覚えました。不気味な物体が突然現れたからです。しばらくしてそれが、NTTの鉄塔であることがわかりました。その鉄塔の補修工事のために青みがかったカバーがかけられていたのです。それがまるで漫画に出てくる建物のように見えました。

カバーがされてなかったらその鉄塔は周りの景色と空の色に溶け込んでいて目立たないのですが、色のついたカバーに覆われるとそれが不気味な建造物に変身してしまいます。《R.O.》

突如出現した不気味な建物(左)  普通に見ていると鉄塔はまだ棚井(真ん中)  カバーされると変な建物に見える(右)

川柳(東京・成近)

( 川 柳 )

紅い灯についつい今日のますおさん

年金の喉が発泡酒に馴染み

十戒は野暮晩酌の上機嫌

生前葬したら酒飲みばかり寄り

あんな奴なんて言ってる未練酒

(ニュースひとりよがり)

「「不合格」

不測の事態が — 敦賀第二原発 

「事故原因はナットの緩み」

シマッタでは許されない − 女川原発

 「FA権行使」

やってみようかしら  — 8年女房

河合成近

龍翁余話(860)「第2次石破内閣に“防衛”を期待!」

11月11日に第2次石破内閣が発足した。翁は元来“平和憲法遵守派”であるが「その“平和”は日本国及び日本国民の安全と繁栄が約束されるものでなければならない」と言うのが翁の基本理念であり、その理念を守り抜くために「自衛隊支持」(憲法第9条改正)、「国土(領土)防衛推進」、「個別的自衛権の積極的行使」を掲げる(行動する)政治家を支持している。現在の政治家で言えば石破茂・小野寺五典・中谷 元・岩屋 毅らである。

石破茂に対しては、2002年9月の小泉第1次改造内閣時の防衛庁長官、2007年9月の福田内閣時の防衛大臣だった頃から、翁は彼を“防衛問題の第一人者”として一目置いていたものの、人間的には好きなタイプではなかった。と言うのは(風貌ではなく)ストレートに物を言わない「婉曲話法」(言い回しが露骨ではなく穏やかではあるが遠回しの言い方)が嫌いだった。言い換えれば「お前の本音は、何なのか」と歯がゆく思い「自分の政治理念を堂々とアピール出来ない奴は、国家のリーダーには相応しくない」と嫌悪すら覚えていた。政治家連中の間でも「親友をつくれない、少し自己中心的な男」と囁かれていた。故に過去4回の自民党総裁選で全国の党員・党友による“党員票”(110万人余、368票)は比較的多く獲得していたのに(身近な)「国会議員票」(1人1票)(368票)では意外な少数票で落選の憂き目を見た。ところが今回(5回目)の総裁選で石破は目覚めた。これまでの“粘っこい、分かりにくい遠回しの話法”を改め、「日本を守る、国民を守る、地方を守る、そしてルールを守る自民党に生まれ変わる。国民の皆様は、今の自民党を信じていないかもしれないが、私は国民を信じて、逃げることなく正面から(皆様に)積極的に語りかける自民党を創る、勇気と真心を持って真実を語る、そういう自民党を(同志とともに)創る、究極として、日本国民が安心して暮らせる日本を創ることをお約束する」――この情熱的スピーチが全国の党員と国会議員に響き、第28代自民党総裁・第103代内閣総理大臣に選出された。翁は“総裁選”のやり方には今でも多少の違和感があるし、あまり好きでなかった石破茂ではあるが、ここに来てイチャモンをつける愚は避け、自民党と石破茂を見直し、期待をかけることにした。その“期待”の主たるところは――

国のリーダー(内閣総理大臣)であるから、当然ながら経済・福祉・教育・少子化及び高齢者・防災と復興・地方創生など多岐に亘るが(この号に限って)翁が石破内閣に期待する政治課題は『国土防衛問題』である。つまり「日本の平和は、日本国土(領土)と日本国民の安全と繁栄が約束されなければならない」そのための『国土防衛政策(外交・安全保障政策)』についてである。とは言っても「石破政権」は今スタートしたばかり。したがって「国土防衛」政策の具現はこれからだが、石破が閣僚に2人、党三役に1人“防衛問題のエキスパート”を配したことだけでも、石破の『国土防衛政策』への並々ならぬ意気込みが感じられる。では、「石破政権」の「国土防衛政策」を支える閣僚2人と、党三役の1人とは――先に述べた中谷 元・防衛大臣、岩屋 毅・外務大臣、そして(翁が最も親しく信頼している)小野寺五典・自民党政務調査会長である。

中谷 元は、2001年4月、第1次小泉内閣の時、当選4回で初入閣(防衛庁長官)、防衛大学校・陸上自衛官出身者で防衛庁長官に就任したのは中谷が初めて。陸上自衛隊を退官した時の階級は2尉。つまり中谷は政治家になる前からの“防衛問題の専門家”だったのだ。以後、2014年12月(第3次安倍内閣)、2015年10月(安倍改造内閣)で防衛大臣を務めた。日本会議国会議員懇談会(日本会議とは、日本最大の保守主義・ナショナリスト団体、かつて翁も所属)・神道政治連盟国会議員懇談会・日本国防協会(会長)・靖国神社に参拝する国会議員の会などに所属。日本国憲法第9条の改正、集団的自衛権行使に賛成。

岩屋 毅は、翁と同郷の大分県人だから、彼が1990年に衆議院議員になって以来、何かと注目していたが、本格的に彼を評価し出したのは2018年10月の第4次安倍(改造)内閣時、防衛大臣になった時からだった。彼の政治信条も「憲法9条への自衛隊の明記」、「憲法を改正して緊急事態条項を設ける」、「他国から我が国への攻撃が予想される場合、敵地攻撃も検討すべき」など、翁の考え方に重なる部分があって、以来、岩屋を支持している。

小野寺五典――2012年12月に第2次安倍内閣時、防衛大臣として初入閣して以来、翁は常に彼の防衛大臣としての活躍を注視していた。2013年7月21日配信の『龍翁余話』(288)「防衛白書」で小野寺の発言「中国の身勝手な覇権主義による軍備拡張、北朝鮮の愚かなミサイル遊びに対抗するには外交努力も必要だが、我が国の自衛隊の人員・装備の拡張が不可欠」に翁は大拍手。数年後(2019年2月)翁のゴルフ仲間Kさんの紹介で小野寺本人と会って以来、(普段は)政治家には辛口評の翁も彼の真面目で誠実な人間性にほれ込んだ。そもそも彼の名前(五典=いつのり)がいい。翁がいつも“経典”としている「儒教」の精神“五経(五典=“仁・義・礼・智・信”)を兼ね備えた1級の政治家であることを確認した。当然のことながら「憲法9条改正(自衛隊明記)」の推進者でもある。そのことは2019年2月24日配信の『龍翁余話』(562)「”五常の男“小野寺五典」で紹介した。

石破 茂には“2人の父親”がいた、と言われている。1人は実父の二朗(元参議院議員・自治大臣・国家公安委員長、1981年没)。もう1人は元総理大臣・田中角栄。角栄と二朗は肝胆相照らす仲。二朗逝去の折、角栄が(某銀行員であった)茂に言った「お前が親父の跡を継げ」。その一声で”政治家・石破 茂“が誕生した。国のリーダーとして功罪相半ばする角栄であったが翁は”情に厚い今太閤“・田中角栄“が好きだった。「タナカの豪胆さ、舐り強さに圧倒された」とは当時のホワイトハウス筋の評価。翁は願う「石破よ、角栄の豪胆さと粘り強さを学んで国と国民を守れ」・・・っと、そこで結ぶか『龍翁余話』。

茶子のスパイス研究「景気」

この度の渡米は丁度、米国選挙の時期だったので反トランプ派とトランプ支持者の間で何が勃発するかわからない状況下だったので流れ弾だけには当たらないように用心しなければと緊張感を持って過ごしていた。ところが今回は圧倒的なトランプ勝利で民主党が仕掛けたメディア戦略もあれだけお金をかけた割には効果が薄くカマラハリスの実態も公にさらされてしまった。メディアを牛耳っている民主党もそれに追随する日本のメディアも、この結果に泡を吹いていると友人が言っていた。

まだトランプさんの就任式を迎える前なのに事態はどんどん加速度が付いて変化していっている。当然、この影響は日本にも及ぶし、今まで出鱈目な報道をしていた日本のメディアも今後どんな顛末を迎えるか興味深々だ。

私が10月中旬に米国に入ってデパートもドラッグストアもスーパーマーケットもガラガラな状況を見て暗い気持ちになった。ところがトランプ当選後、その週の週末に用事があってミツワマーケットとMacy’sに買い物に行ったら駐車場が一杯で停める所を探すのにグルグル回ってしまった。これには驚いた。ただの偶然だろうか、、、今回は前回の大統領選挙から比べて反トランプ派の多いカリフォルニアでさえトランプ支持者なのか赤い帽子やTシャツを身に着けて運転している人をチラホラ見かけた。

トランプさんがホワイトハウスから去ってこの4年間アメリカで何が起きて人々の暮らしがどうなったかを見るだけで、まともな人ならば、わかるはずだ。トランプさんが最初の大統領を務めた時、ワシントンの沼地に生息する闇の人間たちがトランプさんの側近にいて彼は思うように政策が進められなかった。そして、あの人もこの人もトランプさんを裏切った。

元々がそういう人達だったのは後になってわかった事だ。今度こそチームトランプがスピード感を持って速くこのアメリカを修復してほしい。人は期待感や希望を持つだけで気分が変わるものだ。そしてそれが行動にも現れ景気にも反応する。

今回、嬉しかったのはオレンジカウンティまで行かないと買えなかった日本人の人が経営する焼き立てのパン屋さんがトーランスのロミタに開店していた事、もう4店舗も拡張していたのだ。異国の地で頑張り成功している日本人を見ると嬉しいし勇気が出る。それに、もうすぐ日系のマーケット(旧マルカイ)トウキョウセントラルがホーソンとPCH 沿いに開く。この時期に日本食のブームを感じたのか打って出た感じだ。近くには虹屋マーケット、ミツワマーケット、セイワマーケットがあるおかげで大抵の日本食は手に入る。セール品も物産展で余ったいいものを日本よりもずっとお手軽に買える。魚や肉も鮮度が良い品物を格安で買えるのも嬉しい。物価が高くなったので驚くよと聞いていたけれど外食をしないで家で料理をするのならむしろ日本と比べて食品は安いのではないかと思う。先日は新鮮な鯛のアラを66セントで買えた。身も結構付いていた。オーブントースターで焼いて塩を少し振ってお茶漬けと柚子胡椒で食べたらとても美味しかった。こういう掘り出し物に出会えると、とても得した気分になる。

そんなわけで、こちらでもオオタニさんの人気と同様に日本食の人気も益々高まっているようだ。
景気の回復には日常のこんな所からも兆しが見えてくる。

スパイス研究家  茶子

逃げ場のない国  震災余話 井出半句

第二十五話 あれから一年

引き続き東日本大震災に関するエッセイです。
震災発生後ちょうど1年後に書いたものです。

2021年3月11日
”時は流れない。雪のように降り積もる。人は優しくなったか。賢くなったか。”
これはきょう2021.3.11の読売新聞の一面の見出しです。
NHKの一週続けての震災関連特番を見て、涙を新たにしました。
あれから1年。その節は皆さまから暖かいお言葉とご支援を頂きました。心より感謝申し上げます。
茨城のこの付近の壊れた屋根の修理状況はまだ10%程度。しかし我がふるさと福島県川内村付近(原発から20Km地域以内)は全く手つかず。足を踏み入れられない状態が続いています。
川内村は4月から役場が帰村することになったが3,000人の村民は20%戻るかどうか。
今日の我が家の夕食は、震災当日を思いつつカップラーメンにしました。食卓の前の食器棚には震災時に落下して壊れた置時計がある。指針はその時のままだ。

あれ以来モノは買わないようになりました。壊れる物は買ってもしょうがない、と。代わりに思い出は壊れないので旅行はしようかな、と。そんな折に「冥土の土産にアフリカに行かないか」とLAのKさんに誘われ先月行ってきました。
Kさん夫妻とはLA時代に知り合い、年齢的に近く話も合って親しくなり、米国内だけではなく世界各地を一緒に旅行をした。そのうちに世界三大瀑布を全部見ようということになり、米国生活で何度も見たナイアガラ瀑布、一緒に行った南米イグアス瀑布、そして残るアフリカ・ジンバブエにあるヴィクトリア瀑布に行くこととなったのである。

まずは成田からドバイ経由でケニアに入ったが、ドバイ空港でショックを受けた。近代的な空港の大きさや20~30人乗り高速エレベーターにではない。トイレだった。個室に入ると穴が開いていて、そこに落とすのは理解できるが、座る様式ではなく和式に近い。トイレットペーパーは無造作「置いてある」。それにシャワーが付いている。便意はいやおうなしに襲う。考えている暇はない。進退窮まった。ふとスペインからジブラルタル海峡を挟んだ北アフリカのモロッコに行った時の絨毯屋のトイレを思い出した。そこにはトイレットペーパーは無く、水道の蛇口につないだゴムホースだけだったのだ。これに比べれば紙があるだけさすがドバイは進んでいると思った。それにしても、この大きめのシャワーでパンツやズボンをびしょびしょにしないノウハウは持ち合わせておらず、まさしくアフリカの「洗礼」を受けた思いだった。

さて、ドバイからケニアの首都ナイロビ入りした我々夫婦は、米国からフランクフルト経由でやって来たK夫妻及び同行者約10人(全員在米日本人)と合流し、翌朝2台の頑強なマイクロバスで野生動物と原住民の住む大草原を目指した。ナイロビ郊外に出ると、石ころだらけの悪路となった。前の車は土埃で見え隠れしながら数時間突っ走った。脇を見ると、粗末な家からエンジ色の制服を着た小学生が通学しているのも見える。ロバが飲み水のタンク背負って運んでいる。そのうちにゼブラ(縞馬)やイノシシの大群が道路を横切る。ロッジに着くまでにはへとへとになったが、目に入るもの全てが珍しいものだらけで頭は冴えかえっている。ロッジの部屋から見える大木にはハゲタカが十羽以上獲物を狙っている。まさか我々ではあるまい。

翌日から野生動物の観測に出かけた。朝サファリ、昼サファリ、夜サファリと三部構成だ。日中暑い草原で、動物たちは早朝の涼しいうちに活動してエサをあさり、昼間は日陰で昼寝、そして夕方又活動するのがパターンだ。それに合わせ、見物は日の出前に、朝食を後回しにしてスタートするのだ。

アフリカ人のガイド(英国統治国だっただけにきれいな英語を話す)は2Km先の野生動物を判別できて危険を予知できるが、子供たちはTVなどの影響で視力が悪くなり、そんな能力はないと嘆いていた。ガイド達は様々な動物たちの行動を熟知しており、いわば「顔馴染み」なのだ。動物の方も「こいつは危害を加えない」と認識しており、空気のような存在なのである。しかしその空気が同行者によって乱れると話は別だ。キッと睨まれ、ガオーっと威嚇され、一同はチビルことになる。むかし、松島トモ子がアフリカで撮影中にライオンに噛まれたことがあった。それで数日入院し、ロケのやり直しには金も日数もかかるのでと同じロケ地に戻り今度はヒョウに噛まれて頸椎損傷の重傷を負ったことがあった。今では考えられない危機対応だが、今回我が身にも起こらない保証はない。そんな恐怖を伴う緊張感の中で、無事に過ごしたケニアとボツワナの野生動物とジンバブエのビクトリア瀑布は、まさにこの世のものかと疑うような特別な世界であった。

その中で、サバンナで生きるマサイ族の生活を垣間見ることが出来た。サバンナを見下ろす台地の村を訪ねた。まず男たちが出て来て挨拶するのだが、お辞儀でも握手でもない。ジャンプするのだ。民族衣装の裾から見える足はまさしくカモシカのような細い足で、50cmほど飛び上がる。米国NBA選手の先祖であることの証明であると感じた。私のふくらはぎは子持ちシシャモのように肉が付いているが、せいぜい15cmほどのジャンプ力だろう。比べるべくもない。

彼らの住居も見せてもらった。土壁の部屋は窓がなく真っ暗。よく見るとわずか1cmほどの隙間が台所と思われる場所の目の高さにあるだけだった。闇の中の視力も格別なのだ。

ところで彼らの最高のご馳走は、牛の首の血管に矢じりを突き立て生血を木のボウル取り出し、それに野生の蜂蜜を混ぜたもの。その一食で2日は持つそうだ。従って、牛を多く所有する人は裕福で、20頭も所有すれば嫁さんも10人ほど持てるというガイドの話であった。一人の女房殿でも持て余しているのに・・・我が身には不向きな慣習だと思った。幸せの尺度は世界各地で違うのだ、ということは理解できた。

帰途、皆と別れ再びドバイ経由だったのでそこで半日観光することにした。オイルマネーで急造成された都市である。828mの世界最高のビルであるブルジュ・ハリファの124階の展望台442mにも登ってみた。砂漠の中に忽然と出現したコンクリートジャングルが印象的だ。地上のモールには金の延べ棒の自動販売機があったのには驚くよりも呆れた。下の写真Gold to goがその自販機である。現地で働いているのは雇ったタクシー運転手のように、ネパール、インド、フィリピンなどアジアからの出稼ぎが多いそうだ。

20頭の牛を飼えば悠々自適の暮らしを送れるマサイ村の住民と、金がなくてはどうにもならないドバイのような世界が、同じ大陸に存在していた。もっとも狭い日本だって、津波や原発事故に見舞われた東北地方と、何事もなかった西日本では同国・同民族で同情も支援もあったとは言え、臨場感と実生活では雲泥の差があるのも事実である。人は我が身に降りかからないことには鈍感なのだ。しかし、頭の片隅に知識や知見が少しでもあれば「ああ、これだったか、この事だったか」と頷けるはずである。

歩くケニア人・・・ほとんどの人は車がないのでひたすら歩く。歩道は舗装されておらず裸土のまま。写真の女性のかかとを見よ。

ライオン接近・・・人間など空気のように無視する態度です。しかし人間たちは声もたてられず車の中で凍りつきました。松島トモ子にはなりたくない。子連れのメスが一番怖いのだ。

象の威嚇・・・パオー!!とオープンカーに向かって威嚇。バシャバシャとシャッターの音がうるせえんだよ!と言っていました。一同ちびりました。

河馬・・・カバは夜行性で草食動物なんですね。朝帰りのところです。

ビクトリア滝・・・・ナイヤガラやイグアスの滝のような見晴らし台は一切なし。スコールのようなしぶきにぬれて見る他なし。ターザンが出るようなところでした。英国のアフリカ探検家リビングストーンの銅像も滝の近くにありました。全長2Km落差100mの滝壺の上を飛ぶヘリコプター遊覧は迫力満点。

寄り添うキリン・・・こうありたいです。(但し2024年現在、82歳ともなれば寄り添っても二人で半人前です)

本章冒頭の問いかけに対し、最近思うことは「人は優しくも賢くもならなっていない」と思わざるを得ない。
世界に争いが絶えないではないか。いくら科学が進んで、生活が豊かになり、生まれた時からPCもスマホもあるのに、人間は赤ん坊から始まらなければならない。戦争はダメと知っていても各地で勃発。言いがかりをつけて隣国に侵攻する独裁欲のかたまりのような人物が人民を率いる国もある。国民の分断を煽り、復讐心に燃える人物を国のリーダーに選ぶ先進国もある。まして、美しく豊かな恵みを与えてくれる自然が、脅威に変わる災害などは予想しにくいのである。災害に関する予知能力を人間はまだまだ獲得できていないといっていいだろう。2024年、予兆があったかに見えた南海トラフ大地震も不気味だが、まだ本震がいつとは言えない。

第二十六話・最終章につづく

ジャズライフ Elton John “Sorry Seems To Be The Hardest Word”

Amazon MusicやSpotifyだけでなくYouTubeでもアルバムや楽曲を聴いています。最近、良く聴く楽曲はSorry Seems To Be The Hardest Wordという曲です。この曲は1976年Elton Johnが作曲、Bernie Taupinが作詞しリリースした楽曲です。”Blue Moves”というアルバムに収録されています。Elton Johnが若い時の声が聴けます。この楽曲”Sorry Seems To Be The Hardest Word”をAmazon Musicで検索すると、数え切れないくらいのアーティストに歌われ、演奏されていることがわかりました。最近紹介した中にはDiana Krallの”Wallflower”やLydia Grayの”In My Eyes”のアルバムに収録されています。個人的にはギター演奏をバックにLydia Grayが歌うSorry Seems To Be The Hardest Wordが一番気に入っています。《R.O.》

Elton John “Blue Move”

01-Your Starter For…
02-Tonight
03-One Horse Town
04-Chameleon
05-Boogie Pilgrim
06-Cage the Songbird
07-Crazy Water
08-Shoulder Holster
09-Sorry Seems to Be the Hardest Word
10-Out of the Blue
11-Between Seventeen and Twenty
12-The Wide-Eyed and Laughing
13-Someone’s Final Song
14-Where’s the Shoorah?
15-If There’s a God in Heaven (What’s He Waiting For?) 
16-Idol 
17-Theme From a Non-Existent TV Series
18-Bite Your Lip (Get Up and Dance!)

編集後記「4Kテレビの出張修理」

購入して2年目の4K液晶テレビの色調がおかしいので金曜日に出張修理に来てもらいました。ネットでメーカーのサポートページを見つけ、問い合わせのページで製品の型名と購入した店名を入力したら、お店の修理受付ページが出てきて不具合現象、必要事項そして出張修理希望日を記入したら、すぐにお店から確認の電話がかかってきました。電話だとたらい回しにされてなかなか伝わらずイライラすることがありますが、ネットでのサポートは迅速でとても良いと思います。テレビ画面の不具合はたまにあるらしく、交換用液晶パネルを持って修理に来ました。現象を確認してもらうと私たちが思っていたよりも悪い状態だとわかりました。テレビの背面に取り付けてあるたくさんの基板を外し、それを交換用の液晶テレビに付け替えるだけなのですぐに終わりました。購入した時と同じ美しい画面に戻ったのでこのままずっと楽しめそうです。万が一のことを考えて長期保証にしていたので良かったと思います。早いサービス対応に感謝しています。《R.O.》

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